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ミャンマーで日本人ジャーナリストの長井健司さんが死亡・支那が支援(支配)する軍事政権は更に強硬姿勢も・複数の僧院を急襲し、大量の僧侶を拘束、暴行、殺害するのは、支那のなせる業


ミャンマー


ミャンマーで邦人ジャーナリスト・長井健司さんが死亡
9月27日23時30分配信 読売新聞

 外務省に27日午後7時過ぎに入った連絡によると、ミャンマーのヤンゴンで日本の旅券を持った男性の遺体が見つかった。

 同省によると、この男性は、反政府デモを取材していた日本人ジャーナリストの長井健司さん(50)で、現地の日本大使館員が遺体が安置されている病院に出向いて身元を確認した。

 長井さんは、ニュースプロダクション「APF通信社」の契約記者。(以下略)
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日本人が死亡した。


ミャンマーがいつまで経っても民主化できずに、軍事政権のままでいるのは、共産支那と現地の支那人(華僑)のせいだ。

支那は、スーダンの大虐殺政府を支援(支配)しているように、ミャンマーにおいても軍事政権を支援(支配)している。

複数の僧院を急襲し、大量の僧侶を拘束、暴行、殺害するなどは、まさに支那人のなせる業だ。


大体、支那では、暴動が日常茶飯事のように起こり、その都度、武装警察が住民を虐殺している。

そんな支那が、ミャンマーに抑制を呼びかけてるなんて笑ってしまう。





まずは、ミャンマーの歴史のおさらい

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大東亜戦争の始まる一年程前に、ビルマには「ビルマ独立三十人の志士」と呼ばれる青年達が居た。リーダーはオンサン――軍事政権に反対して現在軟禁されているスーチーさんのお父さんだ。これらの青年連は何とか祖国を独立させたいと思って、英国官憲の目を盗んでビルマを脱出し、日本の庇護を求めて来たんだ。

そこで日本では鈴木敬司大佐を長とする「南機関」というのを作って、海南島という所で徹底した軍事訓練を施した。そして日本軍がビルマに進攻した時には、彼らはビルマ独立義勇軍というのを結成して一緒にビルマに入った。ビルマ人達は歓呼を以て日本軍とビルマ独立義勇軍を迎えたわけだ。

『大東亜戦争はまだ終わらない』あるビルマ従軍医の陣中記
桑木崇秀著
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ビルマは1943年8月1日に独立した。

それ以来、ビルマ(ミャンマー)は親日国家だった。



ところが、1990年代になると、ミャンマーは支那に支配されるようになり、反日化していった。

ミャンマーの歴史教科書も、支那の教科書のように酷い反日捏造教科書となった。



なぜ、ミャンマーが支那に支配され、反日化してしまったのか?


原因は日本の対支ODAだった。

支那は、ミャンマーの支那人(華僑)と日本からのODAとを使ってミャンマーの支配を強めていったのだ。


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【高山正之の異見自在】ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで…2001/01/20, 産経新聞

(抜粋)

 英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。
 ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
 だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。

 しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。
 これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。
 中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。

 ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
 スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。
 その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
 “英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。
 今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
 ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
 だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。

 そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。
 妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。
 腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。
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