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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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沖縄教科書抗議集会の参加者は「4万人強」だった・警察が主催者発表にモノ言えず「11万人」独り歩き・検定意見は軍関与を否定せず軍命令を否定しただけ・軍命令説は証拠力のない金城重明などの証言だけで破綻


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071007-00000047-san-soci


沖縄教科書抗議集会 参加者は「4万人強」 「11万人」独り歩き
10月7日8時1分配信 産経新聞

 ■主催者発表にモノ言えず

 先月29日に沖縄県宜野湾市で開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の参加者数が主催者発表の11万人を大きく下回っていたことが明らかになった。県警幹部は産経新聞の取材に「実際は4万人強だった」(幹部)と語ったほか、別の関係者も4万2000~4万3000人と証言している。集会は、県議会各派や市長会などが実行委員会となり、沖縄戦で日本軍が直接、住民に集団自決を強制したとする記述が削除・修正された高校教科書検定の撤回を求めたもの。渡海紀三朗文部科学相は参加者数を主な理由に対応策を検討、国会でも誇張された11万人という数字をもとに論争が進んでいる。

(以下略)
―――――






主催者は参加人数を何倍にも捏造するのだから、歴史事実も平気で捏造する。



検定意見は、軍の関与を否定したのではなく、軍の自決命令を否定しただけだ。

赤松守備隊長は自決を制止したのだから、私に言わせれば、検定意見はまだまだ不必要に軍を悪者にしている。


沖縄集団自決の軍命令説は、極一部の者が証拠力・証明力のない証言をしているだけ。

「沖縄集団自決冤罪訴訟」で被告側が最も頼りにしている金城重明の証言も、食い違いや矛盾や疑問だらけで、信憑性は否定されている。

軍命令説は破綻している。


「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」のHPの説明が非常に分かり易い。

軍命令があったとする証言は笑ってしまうほどいい加減で、こんな嘘を教科書に記述することは絶対に許されない。


(HPより抜粋)


――――――
沖縄集団自決冤罪訴訟第2回証人尋問

9月10日 金城重明証人尋問速報


《証言不適格の証人》

本日の証人尋問で明かになったことは、被告側の証人として法廷に立った金城重明が、そもそも渡嘉敷の集団自決が赤松隊長の命令によるものであることを証言するに相応しい証人ではなかったということ、すなわち証言適格のない証人であったということである。

金城重明は、法廷でも集団自決が軍命令によるものであることを主張し、その根拠として、
(1)昭和20年3月20日に役場に17歳以下の少年が集められ兵器軍曹から手榴弾を渡され、その際に「米軍の上陸は必至である。1発は敵兵に投げ、1発は捕虜にならぬよう自決用に使え」と命じられたこと、
(2)軍から自決命令が伝えられたらしいという噂があったこと、
(3)村長が天皇陛下万歳を三唱したのは自決命令にほかならないこと、
(4)最も危険な場所である軍の西山陣地の近くに村民を集合させたのは、自決を命じるのと同じだ、
といったことを挙げた。

なにか新しいことを証言するかも知れないと身構えていた弁護団にとっては、金城重明の証言が、これまでいろんなところで語ってきたことを整理しただけのものだったことに対して、なにやら肩すかしをくらったような感じがした。
軍命令が出たらしいという噂があったことを語るだけで隊長命令の存在を証言することができなかった金城重明は、しかし、反対尋問によって、彼が軍命の根拠としていた上記(1)~(4)に対し、重大な疑念を抱かせる結果になった。


《誰も貰わなかった手榴弾~20日交付説の虚妄》

まず、(1)の3月20日手榴弾配布の命令説であるが、なによりも、当時16歳であった金城重明自身が、そうした命令を受けていないことを明確に語ったことは重大である。
金城重明は、20日に役場に集められたこともなく、兵器軍曹から手榴弾を交付されることもなかった。
もちろん「1発は自決のために使え」という命令も受けてなかったのである。
金城重明の言い訳は、兵器軍曹から手榴弾を配られたのは渡嘉敷部落だけであり、阿波連部落には、手榴弾の配布はなかったということであった。それが軍の命令なのであれば、阿波連に伝えられないということがありえようか。

さて、それでは、渡嘉敷部落で手榴弾をもらったものがいるのかと聞けば、なんと、もらったものは誰も知らないというのである。
与那嶺次郎、小嶺勇夫、安里広信ら渡嘉敷部落の同級生も、同級生で役場の職員だった吉川勇助も3月20日に手榴弾をもらっていない。
当時14歳だった知人の金城武則も。
では、金城重明はいつ誰から20日の手榴弾配布という話を聞いたのだろうか。
その答えは、家永訴訟の証人尋問の少し前に、安仁屋教授から富山新証言を教えてもらい、富山新順に連絡をとって会って聞いたというものだった。
曽野綾子は、家永訴訟で、その徹底的調査にもかかわらず20日の手榴弾交付の話は、誰からも聞いたことがないと証言し、その話に根本的疑問を呈していたが、その証言が裏付けられた形である。
他方、金城重明が、なぜ富山新順の話を真実だと信じたのかは、全く不明のままだ。  


《自決命令って単なる噂?》

(2)の隊長命令伝達に関する証言は、本来、隊長命令の有無が争点になっている本件訴訟でもっとも重要なもののはずだった。
しかし、金城重明が証言したのは、「命令がでたらしいという噂」に過ぎなかった。
金城重明の近著『集団自決を心に刻んで』(平成7年)でも、「事実関係には争いがある」との注が入っているのだから、「噂」しか証言できないのはしかたがないとはいえ、被告側の証人としてはいかにもパンチがないのである。
しかも、その「噂」を話していた村民は誰かと尋ねてもはっきりとした答えはなかった。
後知恵で命令を語っているといわれてもしかたがないであろう。

そのあたりの弱点は、金城重明も認識しているようで、それが次の「万歳三唱命令説」につながったと思われる。


《万歳三唱命令説のこじつけ》

(3)金城重明がその体験から証言できるのは、集団自決前に古波蔵村長が音頭をとった「天皇陛下万歳」の三唱だった。
彼は、軍からの自決命令そのものだと強弁した。
最近の新聞でも、そんなことを語っているらしい。
しかし、音頭をとった村長や幹部達は自決せずに生きていたのであり、ちょっと頭を冷やして考えれば、それが軍からの自決命令だという理屈に大きな飛躍があることは誰でもわかる。
しかもだ。
金城重明は、昭和46年に書いた『潮』の「体験手記」でも、『ある神話の背景』に引用された「手紙」でも万歳三唱のことは全く出て来ない。
軍命令の有無が争点になっていた家永訴訟において提出された「意見書」や証言においても、万歳三唱には一切触れられていないのだ。
村長の万歳三唱が自決命令だと感じ、「その光景が脳裏に焼きついている」というのが真実ならば、家永訴訟においてさえ、そのことを証言していないというのはおかしいではないかという真っ当な疑問に対し、金城重明から納得できる説明はなかった。
ちなみに、村長の万歳三唱を軍からの自決命令だと感じたと話している村民がいるかと尋ねたが、記録されたものはなにもないという答えだった。
万歳三唱命令説の証言は、最近になって金城重明が唱えた独自の見解、即ち、こじつけに過ぎないのである。   


《西山集合命令説の自家撞着》

(4)の西山陣地集合命令説は、もともと集合の「指示」を「命令」と曲解するだけでなく、軍の陣地の側は最も危険な場所だったという後知恵を当時の村民に認識にすり替えるトリックを必要とするこじつけにすぎない。
金城重明は、しかし、最も危険な場所に住民を集めるということが軍が自決を強要したことの証拠であるかのように断言してみせた。
裁判所へ来てする話ではないだろうとは思ったが、本当に証言したのだからしかたがない。

それなら当時どこなら安全だったのかという問いを投げかけたが、はっきりした答が返ってくるはずもない。
なんと金城重明は『潮』の体験記のなかで、西山陣地近くに移動した村民の心情として軍の側なら安全だし、保護してもらえるかもしれないという期待があったと書いていたのだ。
これを突っ込むと、米軍が上陸する前の認識で、上陸後は、米軍の側が安全だという認識に変わったという。
もう、むちゃくちゃである。
金城重明は、家族や村民を殺した後、米軍に惨殺される覚悟で斬り込みに行ったと証言していたはずだった。
鬼畜米英に対する恐怖は、西山に集合したときにもあったのである。
米軍から軍民を区別しない空襲と艦砲射撃を受けているのだから当然だろう。
むしろ、金城重明の証言は、そんな露骨なこじつけをしてまで、赤松隊長に集団自決の責任を押し付けようとする暗い執念のようなものが印象づけられる結果に終わった。


《なんともいい加減な話》

金城重明は、最近の沖縄タイムスのインタビューで集団自決後、赤松隊長から「軍は最後まで生き残って戦況を報告しなければならない。
住民はそうではない」と直接聞いたとの新証言をしていた。弁護団としては、今回の証言で、この新証言が飛び出るのではないかと身構えていた。もし証言があれば、なぜ今まで、そんな大事な事実を沈黙してきたのかと突っ込むつもりでいた。ところが、主尋問は、この新証言にかすりもせずに終わってしまったのだ。
反対尋問の最後で、このことについても尋ねてみたのだが、「住民はそうではない」の部分は、事実と違うので、削ってください、とのことだった。
金城重明が、インタビューアーの期待に答えようとしてつい口が滑ってしまったのか、インタビューアーの間違いかは、はっきりしないままだったが、なんともいい加減な話である。
記者にも金城重明にも、人間の罪と名誉がかかった問題だという意識がまったくないのだろう。

そうして本日の証人尋問は終わった。


《明かになったのは・・・》

家族だけでなく複数の村民にも手をかけることになった金城重明の過酷な運命に深く同情する。
確かにそれは戦争という異常事態、沖縄戦という不条理がなせるわざだった。誰も彼を裁くことはできない。
しかし、確かな根拠もない理屈をかざして、隊長の自決命令があったと証言して、赤松嘉次に罪を押し付けるというのは別のことである。
そもそも金城重明は、集団自決とは何かを語るべき証人であり、隊長命令や軍命令の有無を語るべき証人ではなかったのだ。
この日、明かになったのはそのことだった。

以上  
――――――





金城重明証人は、村長が集団自決の前に「天皇陛下万歳」三唱の音頭をとったから軍命令があったと言う。

なぜ村長の万歳三唱の音頭が自決の軍命令の根拠なのか??

しかも、村長も金城重明も自決しなかった。






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