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責任なし20 盧溝橋事件2 反撃開始・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

ブログ「おやじの独り言」の記事の地図には、永定河、壕、盧溝橋、苑平県城、一文字山、豊台などの位置が、示されており、とても分かりやすいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/moai33jp/26208316.html






Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし20盧溝橋事件2 反撃開始


これは「責任なし19盧溝橋事件1 日本軍銃撃さる」の続きです。


 一木大隊長は攻撃の許可をとった後、スッキリした気持ちで戦闘準備をしようとすると、嫌な人間がやって来ました。桜井29軍顧問です。彼は事態を不拡大に揉み消してしまうからです。

 一木大隊長も不拡大なのですが、不拡大の意味が違っていました。桜井顧問の方は戦闘をせずに丸め込むことが最良と考えてるのですが、作戦部隊の方は「それでは駄目だ、中国人はガツンとやらなければ、増長して却って悪くなる」という考えだったのです。

 そこで、一木大隊長は桜井顧問に「今度という今度は断固やりますよ」というと、桜井顧問は「イヤ今度は止めやせん。ただちょっと貴方にお話しておかにゃならん事があるんです」と切り出しました。

 「ここに来る前、私は秦徳純に会いました。ところが先方は『城外には一兵も配置しておらん』と言うんです」
 「そんな事は絶対ありません。現に…」

 「まー、私の話を聞いて下さい。それでもし城外で銃声がしたと言うなら、それは29軍の兵士でなく匪賊かもしれん。便衣隊の仕業かも知れん。あるいは西瓜畑の番人が泥棒と間違えて撃ったかも知れない、と言ってるんです」。

 「そんな馬鹿な…」 
 「まー待って下さい。それからこうも言っとるんです。もしかしたら29軍の兵士かも知れない。だとしたら上司の命令を聞かないワカラズヤどもだから、攻撃しようと討伐しようと、日本側のご自由に、とこう言うんです」

 「へー」
 「そこで私の意見を申し上げますと、宛平県城には一般民衆も住んでいますから、どうかこの城だけは攻撃しないで下さい」

 「承知しました。宛平県城に対しては銃先を向けません。その代わり城外にいる匪賊か便衣隊か西瓜泥棒か判らんやつは攻撃します」
 「そうして下さい。じゃあ私は宛平県城に入りますから」と言って二人は別れました。

 宛平県城に軍使一行が入り、中国軍営長金振中と話している時に戦闘が始まりました。
 第四回目の銃撃を受けたので、これをきっかけに反撃を開始したのです。
 時に昭和12年7月8日午前5時30分


 このため、交渉は打ち切りとなり、軍使は人質状態になりました。
 寺平補佐官は、人質状態の間、一旦始まった戦闘をいかにして停止させるかを考えていました。

 そこで考えついたのが、永定河を挟んで兵を別けるという方法です。日本軍を東側に、中国軍を西側にです。近くにいたら撃ち合いを始めますので、鉄砲の弾の届かない、この位の距離が必要なのです。

 これを金振中に話すと「同感です、これが一番理想的な解決方法でしょう」と賛成しました。ところが「ただ私はこの地区の警備を任されています。私が西側に行くと、職場放棄で命令違反となります。従って私の一存では動けません」と言ったのです。

 そこで北京に行って、話しをつけることになりました。

‐‐‐‐

 一方、日本軍の方は、中島から反対岸まで進んでいました。この間、日本軍が相手していたのはれっきとした中国軍です。西瓜泥棒などではありません。

 戦闘が始まったとき、宛平県城の中国兵は日本軍に向かって発砲しました。桜井顧問が「撃つな」と言っても聞きません「仲間が殺されるのを黙って見ておれるか」と憤っていたのです。

 それなら最初から「外の兵は中国兵」と認めていれば、こんな事にはならなかったのに、最初から認めていれば、謝罪だけで済んだものを。なぜか中国は嘘をつくわけです。そして事態をややこしくさせます。


 憲兵分隊長赤藤少佐は竜王廟一帯の敵陣地を視察し情報資料を探索しました。

 下士官らしき死体があったので書類ぐらい持ってるかも知れないとポケットを探らせると、手帳が出てきました。そこには直系上官氏名がずらっと書いてあったのですが、その中に、一つ気になる事が書いてありました。

 「諸情報を総合するに、日本軍は最近の機会において、演習の名目の下に宛平県城を奪取する企図を抱いているようである。
 この情勢はここ数日来、とくに緊迫したものが感ぜられる。
 該地の警備に任ずる部隊は、昼夜間断なく至厳なる警戒を実行し、防務の完璧に最善の努力を傾倒する事が肝要である」

 こんな訓示が出てるもんだから、にわかに堤防上の陣地を強化したり、夜間、配備についたりして、こんな事になったのか、と赤藤少佐は理解しました。

つづく










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