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責任なし34 揚子江啓開作戦・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

予め言っておきますが、今回の記事は、つなぎの記事なので内容的にはあまり面白くはありません。





Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし34 揚子江啓開作戦


これは「責任なし33 怪しい三光証言(上海~南京)」の続きです。


 この項目は最初、書くつもりなかったのですが、南京虐殺の証言に関連事項があるので入れました。

 南京攻略が本決まりになりますと、海軍としても南京に行かなければなりません。ところが、中国が揚子江のあちこちに閉塞線をつくり、機雷を浮かべていますので、簡単には行けません。そこで揚子江啓開作戦が始まります。

11月29日~12月7日までの活動は省略

12月8日、第二掃海隊はクーパーバンク西方の水路を啓開。
  スリーツリー北方設標中、天塩丸は前方江上に管制機雷の爆発2条を認めたので、敵トーチカを砲撃、
  同隊は19:00までに北水道南方水路を掃海、巫山・弧山の連結線以東の福姜沙海岸水路の掃海を完了した。

9日、二掃の間宮丸・天塩丸・雄基丸の三隻は、8日掃海した北方水面の掃海を08:30再開した。

ところが09:15雄基丸は
 巫山の330度4200m付近で触雷沈没、他の二隻は直ちに北岸の敵トーチカを攻撃、かつ、乗員の救助に任じた。

 この辺の掃海は一端停止、後で本格的にやることとした。

  一掃及び「勢多」、「江風」、「比良」は三江営陣前に交戦しつつ進出、三江営陣の敵は野砲及び小銃、機銃で攻撃、激戦 1時間、ほぼ同地を制圧したので「掃二、掃四号」を以って13:00から同陣地上下流約6キロにわたる間を掃海。

  この間、「勢多」は、亀山砲台の偵察を実施、2キロ付近に達した時、同砲台から突如砲撃を受け直ちに応戦。

 約90発の散弾を浴び、前檣、煙突に各一発命中弾を受け、一時避退した。

  同夜、各艦は三江営の下流6キロ付近に警泊、北岸の敵から2回猛射をうけた。

10日、15:00ごろ「比良・勢多」は三江営付近を制圧。「江風」は神川丸飛行機と協力して亀山砲台を制圧した。

11日、田村一掃司令は第一、第二小隊の掃海艇4隻を率いて09:00泊地発、主隊の前路を掃海。

  「保津・勢多・二見・熱海・比良」並びに一掃各艇は16:25泊地発、丹徒水道を探索しつつ遡江、都天廟狭水道付近に達するや、都天廟砲台及びその東方陣地から猛烈な射撃をうけた。

  これに対し16:30第24駆逐隊各艦は援護射撃を開始。各艦艇は弾雨の中掃海を続行、都天廟敷設線を突破、「勢多・保津」は焦山南水道を突破して鎮江に突入18:00桟橋に横付けした。

12日、前衛部隊、主力部隊の順に08:30追撃を開始。
  鎮江から下江してきた「保津・比良・勢多」と共に、都天廟砲台及び付近の残敵の猛射を反撃、かつ途中左岸一体の敵陣地密集部隊と交戦、これを撃破制圧しつつ全軍一丸となって砲台下を強行通過。

  「掃六・掃三号」は先頭部隊の「保津・勢多」と合同、12:30ごろ烏龍山閉塞線付近に到着し、掃海作業に移ったが、
 北岸の劉子口付近から野砲・機銃・小銃の猛射をうけた。

  この時「保津」は命中弾をうけ左舷機故障、掃六号は後部艦橋に、掃三号は艦長室水線付近に被弾し、負傷者発生のため一時避退し応急修理を行なった。

  15:30ごろ主隊が閉塞線付近に到着、第24駆逐隊並びに神川丸機及び二連空機は烏龍山砲台及び北岸陣地の砲爆撃を実施。

  同夜、23:00ころから諸岡少佐指揮の工作隊は安宅の高速艇に乗り、「勢多」援護下に閉塞線に接近し、閉塞船をつなぎとめていたワイヤーを切断、箱舟やジャンクを取り除き、約3時間後幅三百米の可航水路を啓開した。

13日、「勢多・保津」は霧の晴れるのを待って10:30抜錨、閉塞線を突破して劉子口野砲陣地からの猛射に反撃しつつ、烏龍山砲台及び水路を偵察しつつ引き返した。

 12:10近藤司令官は南京への進撃を下令した。
 12:30前衛隊、 15:15主隊の順に泊地発、縦陣列で閉塞線を突破し、南京に向けて進撃を開始した。

 この時、江上、江岸は敗走する敵大部隊、舟艇、筏で充満していた。各艦は、これに攻撃を加え、更に天河口・硫安工場付近の野砲陣地その他の抵抗を排除しつつ前進し、先頭の「保津・勢多」は15:40、主隊は17:00南京に突入した。

 第一掃海隊は、南京到着後直ちに泊地を掃海、浦口桟橋を確保。

 「保津」は南京到着後、「パネー号の救助に向かえ」との指令を受け、直ちに下関を出港、20:30開源碼頭に到着、パネー号の遭難者の救助にあたった。

 (海軍戦史叢書より抜粋要約引用)

 尚 揚子江の掃海は、この後4月までかかった。

つづく








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