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チベットのラサで独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモ・警官隊が数人を虐殺・支那はチベットの侵略と虐殺をやめろ!絶対反対!北京五輪!


チベットで大規模デモ 数人死亡



<中国>チベットで大規模デモ 数人死亡 「銃声」情報も
3月14日20時29分配信 毎日新聞

 【北京・大谷麻由美】中国のチベット自治区ラサ市中心部で14日、独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。AFP通信は数人が死亡、負傷者も多数にのぼると伝えた。ロイター通信などによるとデモ隊は警察車両に向け投石し放火、複数の店舗にも火を付けた。在中国米大使館は「銃声が聞こえた」との情報を得た。北京五輪を約5カ月後に控え、デモ弾圧で死傷者を出したことで、中国政府への打撃は避けられない。

 米政府系「ラジオ自由アジア」は同日、目撃者の証言として少なくとも2人が死亡したと伝えた。

 報道によるとデモには300~400人が参加。デモ隊は車やバイク、バスに放火した。逮捕者は10人以上にのぼっている。人権団体の話では、僧侶の中にはハンガーストライキを始め、自殺を図って抗議する者もいるという。

 ラサでは10、11日に300~600人の僧侶らが抗議デモを実施。市中心部数カ所で火災が発生。武装警察は催涙弾を発射し約70人を拘束した。10日はダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなった1959年の中国軍によるチベット武力鎮圧から49年の記念日だった。

 中国外務省は13日、ラサで「少数の僧侶が社会動乱を起こし、チベット分離を企てた」と抗議活動の発生は認めたが「鎮圧された」としていた。

 中国は51年、チベットに人民解放軍を進駐させ、「チベット平和解放に関する協定」をチベット政権と結んだ。59年3月に社会主義化の影響を恐れた農奴主ら約2万人が蜂起したが軍に制圧され、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。

 89年3月に再び大規模な暴動がラサで発生し、当時の胡錦涛・チベット自治区書記が戒厳令を敷いた。同年、ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞した。90年代前半にも抗議活動や僧侶の拘束が相次いだが、最近は自治区での目立った抗議活動は起きていなかった。
――――――





>中国外務省は13日、ラサで「少数の僧侶が社会動乱を起こし、チベット分離を企てた」


外国を侵略しておいて、「分離を企てた」とは、支那人らしい言い分だ。

支那の警官隊が数人を虐殺した。

他の報道ではオリンピック開催に反対する意味合いもあると報じられている。

侵略や虐殺や人権弾圧を大規模に継続している支那の首都で「平和の祭典」を開催することに反対するのは当然だ。 絶対反対!北京五輪!




チベット・ラサで暴動、死者も
3月14日BSニュース









(一部抜粋)

1951年 共産支那の人民解放軍がチベットに侵攻(侵略)、現地民数百万人を大虐殺


30年以上が経ち、1987年9月と10月、さらに1988年3月、ラサでデモが続発した。


これらのデモを弾圧した共産支那は、この後1988年12月に胡錦濤をチベット自治区の書記(総督)に就任させ、胡錦濤はチベット大虐殺を始めた。

1988年12月から4年間で、約20万人のチベット大虐殺を指揮したのは胡錦濤だった。

胡錦濤はこの大虐殺を江沢民(実際は?小平か)に認められて出世し、今日の国家主席の地位に上り詰めた。


胡錦濤はチベット虐殺の張本人だった!







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