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第2次大戦見直しに反発 ロ大統領
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090826-00000106-jij-int
第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領
8月26日18時34分配信 時事通信
【モスクワ時事】ロシアのメドベージェフ大統領は26日、モンゴルの首都ウランバートルで1939年の満州・モンゴル国境紛争、ノモンハン事件(ロシア側呼称「ハルハ河事件」)70周年記念行事に出席、第2次大戦の歴史の見直しを容認しない姿勢を強調した。
インタファクス通信によると、メドベージェフ大統領は演説で、「戦いで日本の関東軍は壊滅的打撃を受けた」とし、同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えたと指摘。その上で、「この勝利の意味を変更するような捏造(ねつぞう)は容認しない」と強調した。
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>メドベージェフ大統領は演説で、「戦いで日本の関東軍は壊滅的打撃を受けた」とし、同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えたと指摘。その上で、「この勝利の意味を変更するような捏造(ねつぞう)は容認しない」と強調した。
捏造していているのは、メドベージェフの方だ。
ノモンハン事件は、関東軍も苦戦したが、ソ連軍の被害は関東軍を遥かに上回っていた。
壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!
スターリンは大損害に耐えかね、停戦に焦った。
1939年8月15日、ソ連はドイツ大使に仲介を打診し、かつて独が提案し、ソ連が避けていた独ソ不可侵条約を提案した。
20日、ソ連側は停戦交渉に持ち込むために大攻勢を開始したが、戦況は進展せず(後述の井置部隊などから大損害を蒙り、予備兵力はなくなっている)、一方、日本の大使は無表情で、何ら交渉を申し出なかった。
22日、利権問題で会見の時にソ連側は焦って、「日ソ国交正常化はソ連の最も希望する所、国境問題につき具体的提案があれば検討する」と停戦を申し込み、
23日、独ソ不可侵条約締結。日本を驚かせたが、スターリンはリッペントロップに対日関係を好転させたいからドイツの援助を頼むと言い、如何にスターリンがノモンハン処理に焦っていたか分かる。
24日、日本軍の反撃開始予定日だったが、ボロジエイキン少将によると、「日本軍は10ヶ師団を集結中で補給線は日本有利だった。これはヒットラーの急速な進撃と無関係ではない」と推測した。1ヶ師団の日本軍でもてこずっているのに10ヶ師団も来られては大変と、スターリンは震え上がった。
そして9月早々、ソ連はドイツ大使に停戦工作を開始したのである。
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『ノモンハン戦場日記』
ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年10月15日)
9月14日 木 曇後晴
出発準備に忙しい。而し皆元気よく整備した甲斐があって全軍集結終り、攻勢全く整ひ今はただ前進命令を待つばかりと成った。
中隊長以下士気益々旺盛にして必勝の信念を堅持す。今、敵味方不気味の休戦である。
友軍は夜間前進して行動を開始したと伝へられる。
9月15日 金 晴
敵味方の砲声少なく、我が陣地も更に発射命令なし。然し、余り命令が来ないので、不思議である。
朝夕の涼しさは、又、別のものなり。
9月16日 土 晴
午前8時、突然、停戦の命令を軍より受く。
意外な事に驚き、振り上げた手のおろし場に困るとは此の事である。攻撃準備全く成り一同張り切って居たのに、どちらが先に停戦を申し入れたか不明だが、協定するしないは今後の事。
昨日から個人の兵器、火砲の属品、部品、被服等の検査で多忙。
独立野砲兵第一連隊第一中隊第四分隊
五番砲手陸軍砲兵一等兵 成澤 利八郎
9月11日
補充要因到着、榎本見習士官外十数名が中隊所属。総攻撃を前に人員補充もなり、全員の士気溢れんばかりなり。新たなる要員は殆ど初陣にて元気一杯なり。要員と共に故郷よりの便りも届く。
9月15日
此の度の戦斗に於て、我が90野砲の、関東軍は云ふに及ばず、敵も感歎したであろう。赫赫たる戦果に就て敢て書く事もない。世界に誇る90野砲もを逐次増強せん為、宮崎隊の編成も考慮され、補充要因と共に来る。車輌も到着。此の度の総攻撃には新中隊の完結、奮戦の様が展開されるのであり、我が部隊も三ヶ中隊となり、今後の戦斗にも益々威力が発揮されるのである。
完勝祝ひも戦場で朗らかに行なはれた。バルシャガル大草原の上を流れる唄、あァ何と朗らかな戦場であらう。
9月16日
本日午前8時、停戦協定成る。
5月初め、第一次ノモンハン事件始まるや戦線更に拡大し、第二次ノモンハン事件へと進展せり。然るに激戦三月、遂に我が軍は目的達成は期し得ずして、此の地に待機せり。兵力増大し態勢を整へて、一大決戦に臨まんとす。本事件が尾を引いては或は日ソ開戦となるやもの危惧なしとは、云い切れざりしも今こそと、復讐戦に燃えて居た。勇士の士気は猛虎の如くに漲って居た。
茲、外交戦に於て協議が重なり、遂に停戦となり、戦斗行為は中止の止むなきに至る。甚だ残念の至りと云ふ外なし。
独立野砲兵第一連隊第一中隊
観測小隊 陸軍上等兵 田中誠一
9月1日
夜になり陣地変換。満軍の兵站より13粁後方の地点。今後の総攻撃準備と休養との事。今迄は二箇師団対十箇師団。今後の総攻撃は五箇師団対十箇師団だそうだ。今度は亡き戦友の仇を討つのだと、皆が語り合ふ。
9月16日
意外にも停戦協定になってしまった。全く残念だ。
野戦重砲兵第七連隊第一中隊段列
増田 金之助
(昭和13年徴集)
ノモンハン事件とは
ノモンハン会事務局長 阿部 武彦
ノモンハン事件は近代戦のはしりであったが、コンパクトな戦闘であった為と、それまで常勝を誇った、陸軍上層部が、嘗めた初めての苦杯であったので、直後の処理を誤り、秘匿主義を取った。ために55年経た今日でも、真相が伝わらず、従って現在この事件に関し誤った見解を持つ戦史研究者も多く、著作も跡を絶たない。ノモンハン会は、参戦者が生存している内に、世上に流布されている誤りを正し、後世に伝える義務を持つ。(平成3年5月東京において行なわれた「ノモンハン事件国際学術シンポジウム」に積極的に参加したのもこの趣旨からである)
注 比較的長期間(5月27日~8月28日)歩兵将校として戦場の第一線におり、ソ連兵と白兵格闘も経験した、私の体験からみて、比較的に公平で正確と思われる文献は以下のとおり。
(1)戦史叢書(27)『関東軍<1>』防衛研修所戦史室編 750ページ 朝雲新聞社(電03-3436-0286)発行 定価 5,500円
(2)『ノモンハン』上・下巻(原名『草原の日ソ戦1939』)各430ページ アルビン・D・クック博士著(サンチェゴ州立大学教授、歴史学者)朝日新聞社発行 定価 各3,100円 朝日文庫全4冊
(3)『ノモンハン・ハルハ河戦争』国際学術シンポジウム全記録(1991年東京)原書房発行(電03-3354-0685) 定価 3,800円
『ノモンハン戦場日記』
ノモンハン会=編(新人物往来社)1994年10月15日
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つづく
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