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ノモンハン事件2・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領



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ノモンハン事件1
壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!
『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)
第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領
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のつづき




―――――
ノモンハン事件とは
ノモンハン会事務局長   阿部 武彦


勃発の原因

ノモンハンから15キロほど西南に下がったハルハ河を外蒙軍が渡河し満州国軍警備隊とぶつかった、(中略)・・・。現地の連隊長級以下は、ハルハ河の線が国境だと確信していた。故に第1線将兵は命懸けで国境を守ったのである。モンゴル側の主張する国境が別にあると聞いたのは、「ノモンハン」事件が終わった後のことである。現地に立ってみると(今までに5回、戦場で慰霊祭を実施、私も平成2年以来4回慰霊祭のため現地を踏査)広漠とした大草原と砂丘地帯ではやはりハルハ河の線が一番判りやすい国境線だと、我々は痛感した。

「ノモンハン」事件直前まで、ハルハ河近くに満州国軍の国境警備隊哨所が点在し、偵察のための騎馬旅行も平穏裏に実施できた。外蒙古人民共和国から外交的抗議も聞かれなかった。(満州里会議で議題に上がった由、後聞)この既成事実が、モンゴル軍の攻撃で突如破られたと言うのが、第一線将兵の偽らない所感であった。


戦闘、日ソの違い

概括すれば、「勝ったとは広言しないが、決して負けてはいない、1勝1敗と言えるが、やられた時に停戦となって残念だ」と言うのが実感である。巷間で流布されている「戦車に38小銃では話にならぬ」「日本軍が手も足も出せずに大敗した」等の説は、参戦していないで、日本の悪口を言う事に快感を感じる種類の人の妄言である。稀に8月下旬のみの参戦者の中には「火炎戦車に焼かれ、とても酷い戦いで、大敗した」との感想を持つ人がいても仕方がない。8月20日~31日の間に限って観察すれば、戦力差があまりにも隔絶したため、日本軍の精強を以ってしても、抗すべくもなかった。しかも、勇敢な軍隊程守地を死守するので、殲滅的打撃を受けがちであるのは、古来戦史の物語る所である。大局を見極めて、適時撤退を命ずる名将が、現場に居合わせなかったのが不運であった。又「ノモンハン」事件の観察研究が8月下旬にのみ偏り、7月上旬、9月上旬の戦況が霞んでしまっているので私の実感を信用する人は少なく、少数意見となっているのは誠に残念で、奮戦して戦死された英霊に対して顔向けができない。

若干の戦例を述べる、7月3日外蒙台上において対戦車不規遭遇戦が展開された。小林兵団(歩71・72連隊基幹)は、約15キロ南下する間に、数回対戦車戦闘を交えたが、ソ軍11戦車旅団・7装甲旅団などの戦車・装甲車に対し、少なくとも150台以上の損害(破壊・炎上・擱座)を与えて撃退し、約1ヶ月間行動不能に陥らせた。連隊は12門の九四式速射砲(固有4と増加配属8)を主力に、一部肉迫攻撃を加えて戦果を収めた。発射弾6発で次々に5台を炎上させた本多分隊が、砲側で観戦していた辻参謀から現認證を受けたのもこの日の戦である。この速射砲は精度もよく、発射速度に勝れ当時の水準で世界屈指の対戦車砲であった。只口径が37ミリのため、8月下旬戦場に現れた新型敵戦車(T-34、改BT?)の厚い装甲部位を貫徹できなくなったのも事実である。又、九〇野砲8門の独立野砲一連隊が、二十三師団に配属されていたが、この部隊は機動力に優れ全戦線を迅速に移動して、対戦車戦闘はもちろん長射程力(14,000メートル)を活かして暴れ捲った。従って、この連隊では全員「ノモンハン」事件で負けた、とは思っていない。

7月14日には全戦線で、敵を圧倒しわがほうの主張するハルハ河の線を、確保したが、地形上、目の上に外蒙の台が乗掛るように迫り、(比高5~60メートル)見下される。この不利を除く為、同一高度のノロ・バルシャガル高地の線まで、約4キロ後退するよう命ぜられた。残念だったが、地形には勝てないと思った。

9月上旬、二十三師団は殆どの戦力をうしなってノモンハン付近に集結したが、その東南地区(ハンダガヤ~将軍廟の線とハルハ河の間の地域)においては、七師団と後続新鋭兵団(一師団・二師団の一部等)の奮戦により、外蒙古人民共和国が主張する国境線を、はりかにおし込んだ為に、事件後の国境劃定で、この地区を満州国(現中国)領とすることとなった。換言すれば、国境紛争の結果は、領土上両者痛み分けの結果となっている。

日ソの実力はと聞かれると、戦場に集中した戦力には、格段の差があった。中国大陸に百万の大軍を注ぎ込んでいた日本軍は、僻地の国境紛争に兵力・兵站能力を割く余裕は全く持っていなかった。換言すれば国家レベルの政略・戦略ではソ連の方が優位にたっていた。当時列強諸国は国力に比して、過大な軍備を保有していた。なかでもソ連・ドイツ・日本は、その優なる国であったと言える。

航空機の性能  戦闘機では日本が遥かに勝れていた。爆撃機はトントン、であったが、総機数において10倍、集中能力でもソ連に及ばなかった。制空権の鍵を握る撃墜率では7月中は、15対1位で日本軍が優位に立っていたが、8月に入ると8対1位に低下して行き、航空機、人員とくにパイロットの損耗が累積してしまい8月下旬には制空権を奪取されてしまった。

戦車は比較にならないほど、数量・性能共に劣勢で、機甲部隊並びに軍機械化も完全に日本は立遅れていた。武器においては、重機関銃と重砲の性能はわが方が優れていた。しかし、遺憾ながら、数において十数倍の差は、個々の性能を粉砕してしまうものである。

日本軍の優れていたところは、夜間行動、白兵戦闘(突撃)であった。このため8月以降、夜間は日本軍、昼間はソ連軍といった図式になった。経済力のないその頃の日本軍としては、諸々の制約下に、良くやったものだといえる。



問(8)数多くの教訓を得た由だが、その内容は?

(若干例示をするに止める)
a、
兵力の逐次使用をしてはならない。国境紛争のような局地戦では、戦力を小出しに使用する幣に陥りやすいものである。
b、
地形に適合した、機動力を装備した部隊を使用する。(この戦場では騎兵、機械化部隊等の機動力が絶対必要である。この教訓に基づき、南方作戦では歩兵を、自転車部隊に編成変えして、開戦当初に偉功を奏した)
c、
砲兵の機械化と長射程化(二十三師団は「ノモンハン」事件後、90野砲と、15榴(機械化)に改編された。第2次世界大戦後は、各種ロケット砲が普及した為、長射程砲の装備・重砲の射程延長競争は止った)
d、
「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」と言う事は明瞭に誤りである。すなわち精神力にも限界があり、圧倒的な物量は、精神力を圧倒することが多い。ある程度の物量の裏付けのない精神力は、儚いものである。
e、
戦場で損耗補充を実施する場合、個人単位ではだめで、部隊単位が望ましい。貧乏だった日本軍は、部隊毎後方に下げて交替で休養させる余裕は無かった。したがって激戦中の第一線に、個人毎に補充したので到着したその日に戦死するという事態が起こり、戦力にならないことが多いのを知った。そこで「ノモンハン」事件後、「安全な後方で分隊長以下(あるいは小隊長以下)を編成し、上下の団結を固めて、その分(小)隊のまま補充すると、その日から戦力になる」との教訓を得た。(大東亜戦争ではこの教訓を生かし、補充連隊を数個編成して、戦地に派遣、訓練を重ねながら、第一線に続行、単位部隊毎で損耗を補充し、戦力を維持した)
f、
奇想天外な情報、又は我方に具合の悪い情報を見逃してはならない。(8月攻勢に備えるための、敵戦力の集中を見誤ったのは、日本軍の常識で見積もったが故である。「兵站の大動脈を船舶とし、港或は卸下駅より200キロ以上に、2個師団異常を維持するのは困難」と信じられて居た。ソ連は鉄道末地から700キロ以上の戦場に、8個師団[日本軍換算]以上の戦力を、短期間に集中した。その決め手は、自動車輸送を兵站の大動脈にすることが出来るだけの、自動車・燃料・道路等の準備ができたと言う事に尽きる。所詮、馬で動く大陸と、船で運ぶ島国との国民性に基づく、考え方の相違に因るものか)
g、
『集中の原則』は物質的戦力のみでなく、上下の思想、精神力の集中にも適用されるべきである。(「ノモンハン」事件における、わが方最大の欠陥は、大本営と関東軍間、第六軍司令部と第一線各指揮官との間に一部、思想の統一・共通の意識・同志的結合を欠いた点が在ったことである)
h、
戦術思想、戦法において日本軍は、創意工夫に乏しく、マンネリに陥って居た。中国軍や、土匪と戦って戦勝を重ねてきたため、心のおごり、変化に素早く適応出来ない体質になっていたのではないだろうか。


731部隊「関東軍防疫給水部」について
実態について殆ど知らないが、戦場において次のような行動があった。

防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、唯一の水源であるホルステン河(水流部3~5メートル、水は濁っているが水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。

「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。ソ連が上流で投下した疑が在るので、防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。

ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の研究をしている旨の文書をみたことがある。元来防疫給水を任務とする部隊であるが、細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう。細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、一般の伝染病と判別困難なことである。しかしながらノモンハンには住民もおらず、地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。

『ノモンハン戦場日記』
ノモンハン会=編(新人物往来社)1994年10月15日
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