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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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支那南部で豪雨!被災者260万人超!大洪水衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
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20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件



住宅がのみ込まれ・・・中国で大雨 260万人超が被災(20/06/10)
■動画
住宅がのみ込まれ・・・中国で大雨 260万人超が被災(20/06/10)
https://www.youtube.com/watch?v=WGg4dWeybA0

中国南部で長引く大雨。被災者は260万人を超えました。

 住民らが見守るなか、3階建ての住宅が崩れて茶色く濁った水にのみ込まれていきます。
辺り一面が水没し、わずかに道路の一部だけが孤島のように浮かんでいます。
よく見るとたくさんの車が取り残されています。
梅雨の時期を迎えた中国南部では今月に入って広東省や広西チワン族自治区など広い範囲で大雨が続き、これまでに260万人余りが被災したということです。
中国メディアは、この雨が来週まで続くと伝えています。
中国南部で長引く大雨。
被災者は260万人を超えました。
[テレ朝news]




中国・桂林が水没 大雨で河川氾濫 被災者70万人(20/06/08)
■動画
中国・桂林が水没 大雨で河川氾濫 被災者70万人(20/06/08)
https://www.youtube.com/watch?v=XIxW02HCaIQ




20200611支那南部で豪雨!被災者176万人!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件





https://twitter.com/naochashu/status/1270008827060973568
野山@naochashu
广西桂林洪水滔天⋯有多少人将无家可归,从此阴阳两隔.…
连续一周降雨,桂林阳朔遭遇今年特大洪水,漓江洪峰抵达,全城被淹,愿平安!
午前0:04 · 2020年6月9日






https://twitter.com/naochashu/status/1270651578383429635
野山@naochashu
■動画
午後6:38 · 2020年6月10日







https://twitter.com/hX49buoEfNblGNG/status/1269612984403279878
诸葛亮@hX49buoEfNblGNG
桂林洪水
■動画
默默さんによる
午後9:51 · 2020年6月7日







https://twitter.com/MgOqkzLBRPLCHyN/status/1269956962126426114
全智胜@MgOqkzLBRPLCHyN
如果不是自媒體報道,你根本不知道真實情況究竟是咋樣!
■動画
午後8:38 · 2020年6月8日





20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件


20200611支那南部で豪雨!被災者176万人!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
■動画
中国南部で豪雨 失踪者多数 北部は記録的な高温
https://www.youtube.com/watch?v=zJKjW1XDB_A


You Tubeへのコメント

安心して下さい。中共の輩どもはそんな事気にしてません。国民を国民と思わない人達ですから。
自国民を奴隷としか思っていない国は滅ぶべし。

こらこらちゃんと狙いを定めろ。
どうせ押し流すのなら中共本部と党員と幹部の私邸にしとけ。

毎年恒例の人民は虫ケラ
地方の整備なんかより 世界征服が大事な中凶政府

犠牲になるのはいつも一般市民。 中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。何のための政府だ。金と腐れた組織の維持にやっけになって法輪功の人達など簡単に虐殺、生きたまま臓器を移植したり、ひどいことをする人達が助けると思うか?我が身一番、人のことはどうでもいい。胸くそ悪い。

あーあ……。香港に関わっている時じゃないだろうが。中国共産党の連中は馬鹿の集まりなのか⁉️

自国民を助けずに、尖閣や南沙等にちょっかい出す中共

中共が何か悪さするほど天災等が起こってる。それにしてもしぶといね、中共は。早く滅びろ!



上掲したYou Tubeのコメントを見ると、やたらと「中共」「中狂」「中国共産党」という言葉を用いて、支那共産党を非難している。

例えば、中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。」というコメントがある。

しかし、それならば共産党1党支配でなければ、支那政府は支那国民の命を重んじるだろうか?

答えは、【NO】だ!

支那人というのは、共産党だろうが、国民党だろうが、●●党だろうが、国民や人民や他人の命を重んじることの決してない連中(民族・人種)なのだ!

だから、支那で共産党一党独裁支配が終焉しても、決して国民や人民の命を重んじる支那政府は誕生しない!

また、支那で共産党1党独裁が終焉しても、不朽の中華思想華夷秩序があるために決して反日侮日が改善することはなく、支那人や朝鮮人(小中華思想)の国家では未来永劫親日国家が誕生することは有り得ない!

支那人は、支配者になれば、共産党でなくても、暴力によって人民を支配し続け、人民や国民の命を軽んじ、中華思想や華夷秩序から反日・侮日を継続する!

韓国を見れば、反日・侮日が共産党とは一切関係ないことが明白だ!

だから、支那についても「共産党一党支配が終われば、支那人民にとっても日本にとっても良くなる」という考えは、幻想にすぎない!

共産党が支那を支配する前の支那の歴史を振り返れば、誰にでも分かる。

支那人は、共産党でなくても、国民や人民や他人の命を重んじることは決してない連中なのだ!





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泥流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。同盟ニュース、昭和13年6月23日

歴史を紐解くと、6月11日は1938年の「黄河決壊事件」の日だ!

1938年6月11日夜、支那軍は、黄河の堤防を破壊し、大洪水にし、何十万人もの命を奪った。

1938年6月11日夜に始まった支那の大洪水には、天災の要素はなく、人間が意図的に起こした神をも恐れぬ大犯罪だ!

1938年といえば支那事変の真っ最中だが、当時、支那大陸では、支那軍が様々なことをして支那民衆を大量に殺しまくっており、日本軍はそんな支那民衆の救助に追われていた。

その1938年の大水害は「黄河決壊事件」と呼ばれ、当時、支那民衆を大量に殺しまくっていた支那軍と、そんな支那民衆を救助しまくっていた日本軍の代表的な出来事として、支那事変について勉強している人なら知っている大事件だ!

どうして、この「黄河決壊事件」のことが歴史教科書に記述されないのか不思議でならない!

まだ知らない方は、これを機会に支那事変では、支那軍が支那民衆を殺しまくり、日本軍が支那民衆を救出しまくっていた実態を是非とも知って頂きたい。


20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
黄河決壊

1938年6月6日に、日本は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市も攻略できる様相となった。

早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止する」案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た!

蒋介石は、商震将軍に日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破は延ばされた。

この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの問い合わせを行っている。

おそらく蒋介石は、日本軍の進撃を阻止するために、味方諸共水攻めにしようとしたのだろう。

6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、これは結果として失敗し、その後、場所を花園口に変更して作業が進められた。

6月9日午前9時に作業が終了、堤防が破壊されると黄河の水は堤防の外に流れ出し、河南省・安徽省・江蘇省の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。

この結果、黄河の流れはその後9年間、南側へ変わり黄海に注ぐようになった。

水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。

6月11日夜、支那軍は、隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所を破壊した!

二、三日前の雨で増水した黄河の水は堰を切って奔流しつつあった。

6月12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。

洪水は中牟を中心として幅約20Kmにわたり、5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。

幸い線路が高い所に位置していたため、住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。

日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた!

日本軍に救助された避難民は開封方面1万人、朱仙鎮、通許方面5万人、尉氏方面2万人、その他数万人だった。

国民党軍は、現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した!

日本軍の地上部隊は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機も氾濫した地区において麻袋をパラシュートにより投下してこれを支援したが、決壊地点の対岸にいた支那軍遊撃隊が麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えたこともあった!

6月11日午前、支那国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。

6月13日、さらに支那国民党は、支那全土の各メディアに虚偽報道の上「日本軍の暴挙」と逆喧伝させた!

当然、日本側は、支那の発表を否定するコメントを出した。

支那側からは、最初は黄河の堤防破壊は堤防の影に避難している支那軍を日本軍が砲撃及び爆撃した時になされたものであるとの説明がなされ、後には事件は日本軍によって意図して行われたことであり、中牟と鄭州地区にある支那軍陣地への水攻めとし、かつ後方連絡を脅かすゲリラに対する戦略であり、広東への絶え間ない無差別爆撃と同様に支那民衆を威嚇する日本軍の作戦の一部とされた。

さらに報告では日本軍機による中牟北部の堤防への爆撃が続けられ、これが洪水を悪化させ、かつ日本軍は洪水の被害を受けた地区からの避難民を機関銃で銃撃していること、が説明された。

支那国民党は、自分たちが行っていた住民への銃撃まで日本軍の仕業だと嘘を吐いて逆宣伝を行っていた!

日本側は、開封の堤防破壊は支那軍に強制された農民によるものと声明を出した(国民党軍は1個師団の兵に加えて付近の農民を強制して作業を行っていた)。

また、日本軍は自軍の前進を妨げる洪水を引き起こす黄河の堤防破壊をすることはなく、さらに堤防の大きさを考慮すれば爆撃と砲撃によって堤防を破壊することは不可能だと反論した。




以下は、この大水害に関する文献や資料だ。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝より

敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。

敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。




1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。

ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した!

支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。

1938年6月16日

16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」



事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった!

昭和13年6月23日、同盟ニュース、濁流渦巻く水禍の中に 皇軍必死の救助活動続く

昭和13年6月23日、同盟ニュース
濁流渦巻く水禍の中に 皇軍必死の救助活動続く


流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。



國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。
國史図書刊行会編『支那事変』 濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯



その後、支那軍は揚子江の堤防も決壊した。
1938年6月26日

6月26日同盟ニュース
『悪逆、暴虐、その極に達す 敵、揚子江堤防を決壊』
悪逆の限り、黄河決壊の暴挙を敢えてなし、無辜の民幾十万かを絶望の淵にたたき込んだ蒋介石は、なんたる無謀か、皇軍を怖るあまり、又しても進撃を阻まんとして、太湖南方揚子江両岸の馬華堤を破壊し、付近一帯の住民は濁流渦巻く大水害に見舞われんとし、怨嗟憤怒は地に満ちている





わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ 支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)




更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。

支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた!



黄河決壊事件の被害状況についての第一報は、6月21日に日本軍の占領下にある開封の治安維持会と商務会が発表している。

それによると、罹災者約100万人、うち行方不明者約12万人、浸水部落約3500、うち水底に没したもの約2000、倒壊浸水家屋約30万戸、被害面積約200平方キロという(大阪朝日6月21日)。

死者数については、終戦後の1945年12月に国民政府が河南省で行った「河南省戦時損失調査報告」がある。

それによると、1944年末の段階で、洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人という数値を提示している。

徐州会戦経過要図(1938年5月~6月)20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
徐州会戦経過要図(1938年5月~6月)


死者・離郷者の数値は、韓・南「黄泛区的損害与善後救済」,梁262頁所収、冠水地域は北支那方面軍史料より作図
死者・離郷者の数値は、韓・南「黄泛区的損害与善後救済」,梁262頁所収、冠水地域は北支那方面軍史料より作図


犯人である国民政府が終戦直後、河南省だけで約32万人とした死者数は、その後『中国革命史辞典』などで89万人とされている。


●その他の参考資料

一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。
穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。
日本軍の進撃を鈍らせて鄭州の町を守るために、政府は1938年に黄河の堰を開いた。
すると、黄河は1世紀近く前から打ち捨てられたままになっていた古い河道を再び流れた。

「思い切った」決定であったが、このために、河南省東部の数十万の農民が命を失った。
彼等は水に溺れ、或は飢えて死んだのである。
『中国革命の起源』ルシアン・ビアンコ著


●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人~100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-4274.html




「武漢ウイルス」後の新世界秩序 - ウイルスとの戦いである第三次世界大戦の勝者は? - (ワニプラス)
西村 幸祐 著、福山 隆 著(2020/5/26)


朝日新聞への論理的弔辞 - 西村幸祐メディア評論集 - (ワニプラス)
西村幸祐著(2020/1/27)



反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)


「人民の命を軽んじているのは、共産党1党独裁だからではなく、支那人だから!」

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