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元TBS鈴木史朗「南京事件の話は聞いた事がない」「清潔好きな日本兵が強姦するとは考えづらい」
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【動画】元TBSアナ・鈴木史朗氏「北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事がない」@南京戦の真実を追求する会
元TBSの鈴木史朗アナウンサー
「北京と天津に7年間いましたが、日本人からも中国人からも南京事件の話は聞いた事がない」
「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するということは全く無かったと考えて良いと思う」





https://twitter.com/Jon2hz7wo5iQ/status/1073795603157532673
チャンネル写楽TV‏ @Jon2hz7wo5iQ
南京戦の真実を追求する会
第九回講演会
元TBSアナウンサーの鈴木史朗さん


#南京事件 #南京戦 #鈴木史朗 #阿羅健一
(動画)
13:23 - 2018年12月15日




元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんによる素晴らしい講演だ!

上掲したツイッターの動画で、鈴木史朗さんは「北京と天津に7年間いましたが、南京事件の話は聞いた事がない」と述べている。

そのとおりだ。

当時は、戦時プロパガンダによるごく一部のデマ報道を除けば、世界中の誰にも「南京事件」「南京大虐殺」なんて認識されていなかった。

相手の支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見を開いて日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

したがって、当時は、支那人も日本人も第3国の外国人も、誰も「南京事件」「南京大虐殺」なんて全く認識していなかったのだ。

南京に居た支那人や日本人や第3国の外国人でさえ誰も南京での虐殺のことなど話題にしていなかったのだから、ましてや北京と天津に7年間居ても南京事件の話なんて全く聞かないのは当たり前のことだったのだ!

事実関係として、当時南京に居て事件などの情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちも、南京での日本軍による虐殺は全く認識していなかった!



一般市民の殺害等については、当時南京で取材していた朝日新聞など多くの新聞社や通信社の記者やカメラマンたちが「虐殺は0件」(0人)、「市民殺害なんて1件も有りえない」、「戦後言われていることは全部ウソ」だと断言している!

東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言

「南京での事件ねえ。
私は全然聞いてない。
もしあれば、記者の間で話に出てるはずだ

記者は少しでも話題になりそうな事は話をするし、それが仕事だからね。
噂としても聞いた事もない。
朝日新聞は現地で座談会もやっているが、あったのなら、露骨ではないにしても抵抗があったとかそんな話が出るはずだが。
南京事件はなかったんだろう。」


同盟通信・前田雄二記者の証言

「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
ところが殺されなければならない住民婦女子は(難民区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信の旧支局はその中にあった。
入城四日目には私たちは全員この支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
つまり難民区内が私たちの生活圏内で、すでに商店が店を開き、露天商や大道芸人まで出て、日常生活が回復していた。
この地区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
こういう中で、万はおろか、千、百、あるいは十をもって数えるほどの虐殺など行われようはずがない。
もしあれば、私たちが見逃すはずがない


東京日々新聞カメラマン 金沢善雄氏の証言

「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」
ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」


報知新聞従軍記者 田口利介氏の証言

―― 南京で虐殺があったといわれますが?

「当時聞いたこともなかったし、話題になったこともありません」


読売新聞技師 樋口哲雄氏の証言

「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

―― その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?

「どこで何があったのか知りません」

―― 見たり聞いたりしませんか?

全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。
やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います」


大阪毎日新聞 五島広作記者の証言

―― 第六師団は北支で感謝状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。

はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています

―― 南京陥落後の第六師団の行動はどうでした?

十三日、十四日は城内掃蕩で、残虐行為などありません

(中略)

―― 五島さんはいつまで南京にいましたか。

「翌年の一月十日頃までいました。
この間、南京のあちこちに行きましたが、虐殺といわれることは見ていません。
また、強姦もあったといわれますが、すでに慰安所ができてましたから、戦後いわれていることは嘘です。(後略)」


東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言

―― 虐殺があったといわれてますが……。

「見てません。虐殺があったといわれてますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。

―― 南京事件を聞いたのはいつですか

「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思いますが、NHKに『真相箱』という番組があって、ここで南京虐殺があったと聞いたのがはじめてだったと思います。
たまたま聞いてましてね。
テーマ音楽にチャイコフスキーの交響曲が流れた後、機関銃の音キャーと叫ぶ市民の声があって、ナレーターが、南京で虐殺がありました、というのですよ。
これを聞いてびっくりしましてね。嘘つけ、とまわりの人にいった記憶があります
 十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です。
何故日本人に聞かないで、あの様な都合よく嘘を載せるのかと思いました。
当時南京にいた人は誰もあの話を信じてないでしょう。
(略)」


石川達三(「生きている兵隊」作者)の証言

「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」

――そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?

「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」



『「南京事件」日本人48人の証言』阿羅健一(2001/12/1)


『「南京大虐殺」はこうして作られた――東京裁判の欺瞞』冨士信夫著より

東京裁判
弁護側立証


●塚本浩次(陸軍法務局で中支派遣軍検察官、予審官、裁判官)
検察官は幾つかの殺害事件について訊問したが、塚本証人は「そのようなことは全くないと思う」との証言を繰り返した。


●中山寧人(中支那方面軍参謀として情報収集を主務としていた人物であり、その宣誓供述書の内容は、松井軍司令官の旗下部隊に発した命令の内容、南京城攻撃前に執られた措置、南京攻略の模様、南京入城後に執られた措置等詳細に亘る)

南京事件のことを私が聞いたのは、実は終戦後である。
私は南京事件なるものは、次の4つに区分して考える必要があると思う。

第1 市民に対する虐殺事件。これは絶対にそういうことはないと信じている。
第2 俘虜の虐殺。先述したような誤り伝えられた外に、これもないと考える。
第3 外国権益、特に財産に対する侵害。これは一部にあったと思う。ただし、これは中国兵がやったのか日本兵がやったのか、その点は今に至るまではっきりしない。
第4 婦女子に対する不法行為および掠奪。これは小規模においてはあったと考え、はなはだ遺憾に思う。



以上のとおり、当時、南京に居て情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちでさえ、南京事件や南京虐殺については1件たりとも聞いていないのだから、子供の時に北京と天津にいた鈴木史朗さんが南京事件のことを聞いた事がないのは当然なのだ!





また、上掲したツイッターの動画で鈴木史朗さんは「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するとは考えづらい」と述べている。

真実だが、より厳密に言うと、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部長の証言などによれば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めて全部で約7件~10件のいわゆる「強姦事件」は認識されていた。

逆に言えば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めても、当時の南京ではせいぜい約7件~10件の強姦事件しか認識されていなかったということだ。

これは、古今東西、世界中のいかなる戦争でも考えられないほど、当時の日本軍の軍紀が厳正だったということだ。

また、日本軍は、道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていた。

それほど、当時の日本軍内部では、強姦、略奪、殺人などの犯罪について、厳しく取り締まっていた。

それほど厳しく軍隊内部を取り締まっていた南京の日本軍においても、殺人事件はゼロ(0件)だったのだ!



南京における日本軍による強姦犯罪については、きちんとした当時の資料が存在する。

(南京安全地帯の記録より強姦の事例を紹介)

そこで、記録者名のある強姦(未遂)事例61件のうち、日本軍に通報された事例を挙げると、それは次のように分類される。

①日本兵逮捕の事例は、右の「事例167」の1件のみであった。
②日本兵が憲兵に引き渡されて事例は、右の「事例227」の1件のみであった。
③憲兵に連絡された事例は、「事例426」の1件のみであった。
④日本兵が連行された事例は、「事例168」と、「事例220」の、2件であった。
⑤被害者が証人として同行を求められたのは、右の「事例146」の1件のみであった。
⑥日本兵と被害者(未遂)が連行されたのは、「事例216」の1件のみであった。

このように日本軍に通報された件数は、合計7件であった。右の計算には、あるいは見落としがあるかも知れない。そこで、東京裁判に出廷した塚本浩次法務部長の証言をも紹介しておく。
法務部とは軍関係の裁判を司る部門であった。塚本法務部長は上海派遣軍法務官として、1937年12月から1928年8月まで南京に在勤した。その間に、何件の事件を扱ったのか。サトン検察官から、そう尋問されて、彼は次のように答えた。
 《10件内外であつたかと思います。(略)10件と申しましたのは1人1件ではございません。1件の中には数人を含む場合も相当あります。》

P261
『「南京虐殺」の徹底検証』東中野修道著


上記のように、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件~10件だった。

さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日~12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。

以下、竹本忠雄・大原康男著日英バイリンガル 再審「南京大虐殺」』より。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
[六十四] 日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。

「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。
その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」

(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)


[68] There were a few rapes by Japanese soldiers. As to the rape cases, OGAWA Sekijiro, the chief of Judicial Affairs Department of the 10th Army, testified in his 'affidavit' in the IMTFE as follows :

During my moving to Nanking from November 5, 1937 to December 14, 1937, I dealt with about twenty cases of offenses against military discipline and public morals. In the course of my dealing with crimes or public morals, I found it very difficult to decide whether the cases were fornication with female consent or violation.
The reason was that on the part of the Chinese women some of them were not so rare to take a suggestive attitude towards Japanese soldiers, and once found as having committed adultery with Japanese soldiers by their husbands or other people, they suddenly changed their attitude and asserted exaggeratedly that they had been raped. Whether adultery or rape, however, I punished indictees in accordance with the law, weighing the relative importance of the facts.

(The Tokyo War Crimes Trial, pp.32675-32676.)


上記の資料は、日本語と英語の2か国語で書かれた南京大虐殺の否定本に掲載されており、ネット上で全て読むことが可能だ!

日英バイリンガル・再審「南京大虐殺」 世界に訴える日本の冤罪 The Alleged 'Nanking Massacre' Japan's rebuttal to China's forged claims
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/index.html
日英バイリンガル
再審「南京大虐殺」
世界に訴える日本の冤罪
The Alleged 'Nanking Massacre'
Japan's rebuttal to China's forged claims

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/preface.html#preface
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2



以上のとおり、当時の資料から、南京における日本軍による強姦事件は、買春(売春の客)や和姦に近い事案を含めても10件程度だった。


一方、南京における日本軍による虐殺事件は、0件だった。


「南京戦の真実を追求する会」第9回講演会
~外務省目覚めよ!南京事件はなかった~
これが最後!
元TBS アナウンサーの鈴木史朗氏が語る当時の中国
《私が見た南京》
講師 元TBS アナウンサー鈴木史朗
日時:12月12日(水)

【南京戦の真実】元TBS・鈴木史朗アナ「北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事ない」
■動画
【北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事がない】鈴木史郎講演 〜私が見た南京〜 前半
https://www.youtube.com/watch?v=vcPSAB2LXxM


■動画
【日本兵は中国の民衆のために一生懸命やってきた。その方々を悪く言う事は許せない】元TBSアナウンサー鈴木史朗氏の講演 南京戦の真実を追求する会 〜私が見た南京〜後編
https://www.youtube.com/watch?v=tpC3s8cWDQI










●南京大虐殺完全否定のまとめ

日本軍による南京市民虐殺事件は、全くなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。


以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」


また、捕虜の不法殺害については、南京戦に参加した畝本正己が、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。

つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人~800人というのが結論だ。(関連記事


一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。

支那軍は、「反戦兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。

まさに「皆殺し」だった。

日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。








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