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小6教科書「軍隊で韓国を併合した。植民地朝鮮の学校で日本語教育、朝鮮人の誇りが傷つけられた」
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https://twitter.com/apio_apio1516/status/1065426786186448898
apio‏ @apio_apio1516
これ今の小学6年生の社会の教科書?

自虐史観タラタラで頭に来るね?
日本の教科書ならもっと子供に自国を誇りにし、我が国が今後 国際社会でどう進むべきか?明るい未来を夢見れるような内容に出来んのかね?


日本人でいる事が嫌になるような内容なら未来も希望も無くなるだろうが? 💢
1910年に、人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。『これ今の小学6年生の社会の教科書? 明るい未来を夢見れるような内容に出来んのかね?』
11:08 - 2018年11月22日



>これ今の小学6年生の社会の教科書?
>自虐史観タラタラで頭に来るね?
>日本の教科書ならもっと子供に自国を誇りにし、我が国が今後 国際社会でどう進むべきか?明るい未来を夢見れるような内容に出来んのかね?
>日本人でいる事が嫌になるような内容なら未来も希望も無くなるだろうが? 💢



東京書籍の小学校6年生の社会の教科書らしいが、確かに記述内容が酷い!

事実なら教科書に載せても仕方ないが、事実に反する内容を教科書に載せているから、許し難い。

こんな虚偽内容を検定で認める文科省も大問題だ!

上記のツイートについては、5ちゃんねるでもスレッドが立って大変な反響となっている。

【日韓併合】「韓国併合」「軍事力による植民地支配」…これが今の小学6年生の教科書だ!時代遅れの自虐史観満載(写真あり)★4
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543092010/


以下、当該教科書の画像の文字起こしをして記述内容について虚偽(間違い)を指摘する。
1910年に、人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。『これ今の小学6年生の社会の教科書? 明るい未来を夢見れるような内容に出来んのかね?』

朝鮮を植民地にする

日露戦争に勝利した日本は、1910年に、人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。
植民地となった朝鮮の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました。そして、土地の制度がかえられ、多くの朝鮮の人々が土地を失い、日本人の新しい地主の小作人になったり、仕事を求めて日本などへ移住したりしました。こうした状況に対して、朝鮮の人々は独立運動をねばり強く続けていきました。



>日露戦争に勝利した日本は、1910年に、人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。


1910年に成立した日韓併合条約において、日本が軍隊で朝鮮人の抵抗を抑えた事実は無い!

当時、治安維持のために朝鮮に日本軍が駐留していたことは事実だし、日本軍が治安維持のために必要な活動をしていたが、1910年の日韓併合条約の時には朝鮮人の抵抗も日本軍の活動も殆ど無かった。

むしろ、1905年11月17日に成立した第二次日韓協約の前の方が朝鮮人テロリストによる破壊活動や大韓帝国(韓国)皇帝の高宗によるテロ扇動があり、日本軍は厳しく警戒に当たっていた。

第二次日韓協約の交渉の際に日本軍が宮殿近辺にいたことには、正当な理由があった。

日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)の最中から、韓国(大韓帝国)では儒者等による騒擾(テロ)が頻発しており、日本側を悩ませていた。

次に証拠資料の一つを示す。

「第五四九号電報の儒生派の内容を探くりたるに、檄文を十三道に発せんとする外、同意味の通告文を当地駐在各国公使に送付する準備中にあり、且つ鉄道電線の破壊を企んとする等頗る不穏の意味を含み居れるに付、本官は本日韓帝に謁見の序を以て右儒生等の行動に対し厳重の取締方を奏請する心得なり。
玄界灘に於ける我輸送船の撃沈せられたる悲報は、宮中に出入りする雑輩にして我勢力の増加の為め失意の境遇に陥り居れる一派の利用する所となり、昨今宮中に於て諸般の政事改善に関する日本の忠告は内密に仏国公使に協議する必要を唱へ居れりとの報道あり。」
『日本外交文書』、電信第551号、儒生派の排日行動に関する件、明治37年6月20日



日露戦争中、日本軍は、これら破壊活動に対しては軍律でもって厳しく対処している。

特に電線は軍の死命を制しえるものだった。

同様のテロを1905年11月の第二次日韓協約交渉中に、皇帝の高宗らが画策し、儒者等を扇動していた。

伊藤博文は、韓国側のテロ画策を察知し、1905年11月15日の高宗との内謁見で、「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べたが、高宗は反論できなかった。

それでも、結局、第二次日韓協約締結の時には、皇帝陛下の高宗は、協約の内容について大変満足していた。

暫くあつて李内相、李宮相出来り、陛下は該修正案を満足に思召し裁可を与えらるるへきの処、今一箇条陛下の御希望として、韓国か富強を致し其独立を維持するに足るの実力を蓄ふるに至らは此条約を撤回する旨の字句を挿入せんことを特に大使に懇望せらるるとの御沙汰に基き、大使は聖意を満足ならしむる為め自ら執つて協約書の前文中に『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の文字を加へ、再ひ李内相、李宮相をして聖覧に供せしめたるに、陛下は特に満足の旨仰せあり。
「伊藤特派大使日韓新協約調印始末」(日本外交文書)



上記のとおり、高宗は、大いに満足していた。

高宗は、その後に第二次日韓協約を一方的に破棄しようとして様々なことをした。

これは、1965年の日韓基本条約や2015年の慰安婦問題日韓合意を平気で破っている今の韓国政府や韓国国民と同じだ。

とにかく、大韓帝国の皇帝だった高宗が第二次日韓協約を締結した1905年11月18日当時には大変満足していたことは事実であり、「朝鮮人が抵抗する中、日本の軍隊が無理やり第二次日韓協約を締結させた」という事実はない!

さらに、1910年の日韓併合条約の時には、1905年の第二次日韓協約と比べてももっと朝鮮人の抵抗はなく、むしろ朝鮮人の要望の方が強くて大きかったので「朝鮮人の抵抗を日本の軍隊が抑えた」という教科書の記述は嘘出鱈目だ!



強いて言えば、前年の1909年に安重根による伊藤博文の暗殺テロはあったが、1910年の日韓併合条約は飽くまで交渉と合意によって成立している。

したがって、日本の小学校6年生の社会の教科書の「1910年に、人々の抵抗を軍隊でおさえ、朝鮮(韓国)を併合しました(韓国併合)。」との記述は、明らかに虚偽(間違い)だ!






>植民地となった朝鮮の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました。


朝鮮(大韓帝国)は、日韓併合条約によって大日本帝国の一部になったのであって、大日本帝国の「植民地」になったのではない!

したがって、上記の小学区6年生の社会の教科書の記述も虚偽(間違い)だ!



1910年に成立した日韓併合については、大日本帝国は大韓帝国と条約を結んで併合し、日本(内地)の血税を朝鮮半島に持ち出して、朝鮮半島の文明化と近代化を行ったのだから、植民地支配のわけがない。

朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。

日本は日清戦争後の1895年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。

日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。

結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。

「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々
「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々

日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。
(上)日本統治前、(下)日本統治中
(上)日本統治前、(下)日本統治中

併合後のソウル
併合後のソウル

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また、「植民地となった朝鮮の学校では、日本語の教育を受けることになり、朝鮮の歴史は教えられず、」とあるが、日韓併合前の朝鮮では日本語も朝鮮語も朝鮮の歴史も何も教えていなかった!!

1905年に日本の保護国となり、1910年に日本の一部となる前の朝鮮には、そもそも学校というものが殆ど存在せず、朝鮮人は日本語も朝鮮語も朝鮮の歴史も何の教育も受けていなかったのだから、併合後に学校ができて教育を受けるようになっただけでも、快挙だった!!


1905年の第二次日韓協約で日本の保護国となり、1910年の日韓併合条約で日本の一部となり、ようやく朝鮮(韓国)で教育というものが始まったのだ!





それと、「日本語の教育を受けることになり、」とあるが、日本の一部に併合されたのだから日本語教育を受けることは当然かつ良いことであり、同様に朝鮮語教育も受けたのだから、良いことだらけだった!

さらに、「朝鮮の歴史は教えられず、」と教科書に記述されているが、もともと朝鮮には歴史なんて無かったから朝鮮の歴史なんて教えようが無い!

朝鮮半島は、7世紀までは日本によって支配されていたし、19世紀末の日清戦争後の下関条約までは清国など歴代の支那帝国の属藩・属領だったため、朝鮮自身の歴史は存在しなかった。

したがって、「朝鮮の人々のほこりが深く傷つけられました」という教科書の記述についても、教科書作家の妄想を記述しただけだ!




19世紀の朝鮮には、学校も教育も学問も存在せず、読み書きができる朝鮮人が殆ど存在せず、朝鮮人は豚犬的生活を送っていた。
併合前の朝鮮の写真 豚犬的生活

併合前の朝鮮の写真 豚犬的生活

日本は、そんな朝鮮人を普通の人間にするために、日韓併合前にハングルを復活させ、読み書きを教えた。

漢字・ハングル混合文は、世界最初に福沢諭吉が発案してハングル活字を作り、井上角五郎らが1886年に初めて『漢城週報』の創刊号を発行した。

朝鮮語辞典については、朝鮮人による辞書はなかったものの、すでに19世紀末には仏と露と英によって作られていたようで、本格的な『朝鮮語辞典』は1920年に朝鮮総督府によって完成された。

本格的な『朝鮮語辞典』は1920年に朝鮮総督府によって完成された。

朝鮮人が自らはじめて『朝鮮語辞典』を作ったのは1939年だった。

日韓併合時代も、朝鮮半島では朝鮮語で授業が行われていたし、その他の公的な場でも朝鮮語が使用されていた。

「日帝時代の朝鮮の小学校の教科書(参考書)
「日帝時代の朝鮮の小学校の教科書(参考書):詳細記事

「日帝時代の朝鮮の小学校の授業(朝鮮語・ハングルで授業している)
「日帝時代の朝鮮の小学校の授業(朝鮮語・ハングルで授業している)






>そして、土地の制度がかえられ、多くの朝鮮の人々が土地を失い、日本人の新しい地主の小作人になったり、仕事を求めて日本などへ移住したりしました。こうした状況に対して、朝鮮の人々は独立運動をねばり強く続けていきました。


上記の記述も、またしても虚偽(間違い)だ!

日本が定めた土地制度によって土地を失った朝鮮人など存在しない。

また、日本人は、朝鮮半島では不毛の土地を開拓した。

日本が朝鮮人の土地を奪ったというのは嘘であり、それによって朝鮮人が日本に密航して来たわけではない。


「日帝が朝鮮人の土地を奪った」は嘘▼

【両班こそが土地強奪の犯人】
「日帝」による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝七奪」のひとつとして数えられている。よく言われる例は、日本人が小高い丘にのぼってあたりを見渡し、土地を指さして手当たりしだい良田を奪っていったという話だ。しかし、これはおそらく両班時代の「土地強奪」から連想して日本人に罪をなすりつけたものであろう。
ダレ神父は「朝鮮事情」(1874年)のなかで両班の土地強奪の実態を次のように述べている。『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない』
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班をモデルにしてでっちあげられた作り話である。そもそも、日本とは法治国家である。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。

【不毛の地を開拓した日本農民】
李朝末期には土地の所有権はほとんど両班や地主の手にあり、字の読めない小作人はもともと土地など持っていなかった。
日本人は朝鮮の農民が一顧だにしなかった不毛の地を開墾し、僻地の干拓を行なっていたのだ。交通不便な地に行く場合は、汽車から降りると家族全員で馬の背に乗り、荷物を牛車に載せて遠く離れた土地までえんえんと行く。行った先に待っているのは、耐乏生活と厳しい農地開拓である。
この日本人の地道で真面目な努力によって、朝鮮半島は数千年来の農耕国家では考えられないほどの農業改革を経ることができたのである。それもこれも、すべて日本人の手によって実現したことなのだ。


黄文雄(台湾人)



日系第一の地主ともいうべき国策会社"東拓"(東洋拓殖株式会社)の所有耕地面積は、最大のときでも朝鮮の総耕地の4%にすぎなかった。
(中略)
東拓は朝鮮農民から土地を購入して、これを日本からの農業移民に分譲することをその主たる業務として発足したのであるが、日本移民の成績がかんばしくなかったこともあり、総督府は大正後半以降、同会社の土地買収を認めなくなった。
(中略)
また、農民に対し貸付を行ない、その元利の返済がないことを理由に担保の土地を奪ったとして非難される東拓の金利は、1933年には8%、1935年には6%と低下している。
資本が不足している植民地では一般に金利が高いのが普通であって、インドでは月に20%といった金利さえ存在したことを考えると、東拓の金利は借り手にとって著しく有利なものといえよう。


「韓国・朝鮮と日本人」若槻泰雄著








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