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NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
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20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
平成30年8月15日放送NHKスペシャル「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造!
NHK「ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出し、敗北!」



https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180815
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
NHKスペシャル
ノモンハン 責任なき戦い
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
総合 2018年8月15日(水)
午後7時30分~8時43分

20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」

20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」
79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかし軍は、現場の将校には自決を強要した一方で、作戦を主導した関東軍のエリート参謀たちはその後復帰させ、同じ失敗を重ねていった。

今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。映像と証言から迫る。



>79年前、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件。ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。


これはNHKによる非常に酷い捏造(歴史偽造)だ!

NHKは「ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した」、「敗北」などと述べ、日本がノモンハン事件で大惨敗したことにしている!

実際の放送でも、日本が多数の死傷者を出して大惨敗したと繰り返し放送した。
NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」

しかし、NHKは、ソ連軍が出した死傷者の数を殆ど放送していない!

実際には、ノモンハン事件では、日本の死傷者は17,405名で、ソ連の死傷者は25,655名

実はソ連軍は、日本軍を遥かに上回る死傷者や兵器の損害を出して負けていたのだ!

ノモンハン事件の原因となった国境紛争についても、日本は負けてなどいない。

ノモンハン事件当時、ソ連は「ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千~5万5千名」などと発表したため、日本軍を含めた日本側はソ連軍の損害が非常に少ないと思い込み、「勝たずに負けたのかもしれない」と評価していた。

しかし、当時のソ連側の発表は戦時プロパガンダに過ぎず、実際にはソ連軍は日本軍の死傷者を遥かに上回る死傷者と兵器の損害を出していた!

ノモンハン事件におけるソ連側の大損害については、ソ連崩壊に伴う公文書公開で1998年に判明している。

NHKの歴史偽造は、許し難い!

NHKは、当該NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の中で、何度も「新たに発掘した資料や音声データ」などと強調しているが、それらは全てソ連崩壊に伴うソ連の公文書が公開されてソ連の大惨敗が明らかになる以前の日本軍将兵のインタビューなどだった。
20180815NHK「ノモンハン責任なき戦い」で歴史偽造「ソ連の大量近代兵器に日本は2万人の死傷者出し敗北」

NHKは、ソ連軍が日本軍を遥かに上回る大損害を出していた極秘事実を示す、ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々と公開されたソ連の公文書については完全無視している!

以下、『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)より。

第二次ノモンハン事件の開戦地点は、ソ連側の唱える国境線からでも20キロ入った満州国の将軍廟であり、ソ連軍の侵入であったのを注意せねばならない。日本軍はソ連軍を追い払い、そのまま終らせる積もり増強もせずにいた所、大損害を受けたソ連軍は、(外蒙確保のため、停戦に持ち込むために)いかなる犠牲も払えとのスターリンの命令で8月20日に日本軍に大攻勢をかけたのである。

日本側の増援軍が終結した頃に停戦になった。ソ連はソ連の唱える国境線を確保できず、東南部ではむしろ日本軍が進出していたが、その回復をせず、ソ蒙相互援助条約を遂行せずに停戦に応じて、9月15日、日ソ協定を結ぶと、2日後にはポーランド侵略を開始した。

ノモンハン事件でソ連側は、ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千~5万5千名と発表したため、日本軍の大敗と信じられたが(当時の日本軍の参戦者は延3万以下で5万もの損害が出るはずがない)、これはスターリンの粛清を恐れたソ連の将軍達が誇大の勝利と過小の損害を必要とし、常に実数の2~3倍の損害を与え、ソ連の損害は僅少と報告したからである。

しかし、実情は全く違う。
ソビエト体制の崩壊による公文書公開でソ連側の大損害が判明した。


損害状況  戦死    負傷    合計
日本軍 8,741名 8,664名 17,405名
ソ連側 9,703名 15,952名 25,655名

(ソ連側損害は最新の数字、『ロシアの記憶』モスクワ軍事出版社、1998年による)

『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)






>情報を軽視した楽観的な見通しや、物量より優先される精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。


いや!

情報を「軽視」どころか【完全無視】しているのは、NHKだ!

ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々と公開されたソ連の公文書について完全無視しているくせに、ふざけたことを言うな!






>作家・司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念した、この戦争。


司馬遼太郎は朝鮮のことを「堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国」と主張し、日本を徹底的に悪者扱いした大馬鹿マジキチ作家だった。(詳細記事
司馬遼太郎は朝鮮のことを「堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国」と主張し、日本を徹底的に悪者扱いした大馬鹿マジキチ作家だった

そんな大馬鹿マジキチ作家の司馬遼太郎がノモンハン事件について日本をぼろ糞に貶して「日本人であることが嫌になった」と述べたのは当たり前のことだろう。






>今回NHKは、ロシアで2時間に及ぶソ連軍の記録映像を発掘。4Kで精細にスキャンした映像を「AIによる自動カラー化技術」で鮮やかに着色し、戦場の実態を現代によみがえらせる。さらに軍の判断の経緯が証言された、150時間を超える陸軍幹部の肉声テープも入手。


ソ連軍の白黒記録映像をNHKがカラーに修正しただけで大喜びするNHKはアホ丸出しだ!

NHKがアピールしている「150時間を超える陸軍幹部の肉声テープ」については前述したとおり、ソ連崩壊に伴い1998年以降に続々とソ連の公文書か公開される以前の日本軍将兵のインタビューに過ぎない。

ノモンハン事件当時のソ連は「ソ連軍の損害9284名、日本軍に損害は5万2千~5万5千名」と嘘を発表したため、日本軍を含めた日本側はソ連軍の損害が非常に少ないと思い込み、「勝たずに負けたのかもしれない」と評価していた。

ところが、当時のソ連側の発表は、日本の「大本営発表」より酷い戦時プロパガンダに過ぎず、実際にはソ連軍は日本軍の死傷者を遥かに上回る死傷者と兵器の大損害を出して大惨敗していたのだ!






>敗北はどのようにして隠され、失敗は繰り返されたのか。


敗北したのは、日本ではなく、ソ連だった!

ソ連は、死傷者の数でも大惨敗し、兵器の損失でも大惨敗し、ノモンハン事件の原因となった国境紛争についても勝てなかった。

ソ連こそが敗北を隠していたのだ!

NHKは、ソ連が敗北(大惨敗)を隠していたことについて調査して放送しろ!

歴史を偽造して日本国民を騙すNHKの捏造番組は、本当に許し難い!






>ソ連軍が大量投入した近代兵器を前に、日本は2万人に及ぶ死傷者を出した。


もう一度、上記の部分について反論する。

上述したとおり、実際の死傷者の数は、日本が17,405名で、ソ連が25,655名

以下では、NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の中で何度も強調された「ソ連軍が大量投入した近代兵器」というのも真っ赤な嘘だったことについての説明を掲載する。

NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」
NHKの番組宣伝画像

飛行場に着陸する飛行第64戦隊所属の九七式戦闘機 甲。ノモンハンは見渡す限りの草原地帯のため、前線では特に飛行場というものは造成せず、せいぜい背の高い草を刈り込んだ程度の「簡易飛行場」を転々と移動しつつ
飛行場に着陸する飛行第64戦隊所属の九七式戦闘機「甲」

以下、『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)より。

優秀な日本機

 日本軍の戦闘機は優秀で緒戦の(1939年)5月20~23日までにソ連機5機を撃墜し、その後の6日間(5月26~31日)でもソ連機175機を撃墜してソ連空軍を撃滅した。これに恐慌を来たしたソ連側は飛行士に戦闘禁止を命令した。日本の飛行機を見たら逃げるように指導し、専ら、日本機のいない時に地上攻撃に来たが、日本機に遭遇すると、その後も数十機単位で撃墜されている。

 「ソ連機が1段50機の3段構え、合計150機で来ても日本機が数機ではダメだが、20機も行けば逃げた」(中尉、河添〔阿部〕武彦氏)。

 事実、5月28日は60機対18機で戦い42機を撃墜している。その他80機対9機で戦い篠原機だけで6機を撃墜とか、6月27日は篠原機だけで11機を落としている。

 当初、日本側は5月13日、飛行第24戦隊19機しか配備せず、9機ずつ4交替で飛び、場合により別の9機が応援に賭け付けたもので、ソ連側は一度に日本機を30機とか、45機を撃墜したなど空戦記で発表しているが嘘である(ジューコフは6月22日から26日までに日本は64機を失ったと書いたが、日本側の記録では日本機の損失は7機である)。

 ソ連戦闘機のイ15は羽布張りの複葉機で速度が遅く、イ16号は金属製といわれるが羽布張りもあった。運動性能は鈍重で、いずれも日本戦闘機の軽快な運動と熟練した技術に抵抗できなかったので、欧州からスペイン内戦に参加した飛行士と、イ15を改造した1153(チャイカー鴎)を大量投じた。これは、8ミリ銅板をイ15の座席の背当板とタンク囲いに使い、引込脚にし、大エンジンをつけたもので外観は同じ羽布張りの複葉機だった。

 ジューコフのいうイ16の改良型も座席とタンクを8ミリ鋼板で囲ったものだった。新鋭高速のイ16などと書く者もいるが、実態は違う。旋回性能は悪く、速度も上らなかった。

 日本の戦闘機は全金属製の97式戦闘機で高速ながら旋回性能に優れ、旋回半径は約78~86米、これは英国やドイツ機の110~140米より優秀であり、「1旋廻半でソ連機の真後ろに追尾することができた」(少年航空兵第4期生、児玉敏光、当時19歳)。

――――――――――

航空隊の戦果

 戦果、ソ連機1464機を撃墜・爆砕。

 (参考)ソ連の戦闘機は1930年、イギリス機のコピー、イ5、480馬力、最高時速295キロに始るもので、これを改良して1933年(昭和8)、イ15型とした。

 次表からソ連がいかに、高速、軽量化に努力し、失敗したかが分かる。ソ連エンジンは高空での性能が悪かった。戦場で6種類の戦闘機が使用され、目まぐるしく改造したが成功せず、結局、設計技師ポリカルポフは解任された。

戦闘機 馬力 最高速度 5千米上昇 重量kg
イ15 400-700  360km/h  8分  1880 複葉機 上翼はガル型
イ15-bis 750  371km/h      1735  同  上翼は直線型
イ153  1000   430km/h      1440  同  上翼はガル型、引込脚
イ16   480   360km/h       1485 単葉機 木金混合製 
量産型   775   450km/h 6.5分 1535 単葉機 木金混合製
イ16-24型 1600 470km/h  5分  2059 単葉機 木金混合製
97戦(日本)750-870 460km/h 5分  1110 単葉機 全超々ジェラルミン製

 ソ連機は空気抵抗を無視したずんぐりした機体で、旋回性能が悪かった。低速度のイ15を下方に囮に使い、上方には2段にイ16やイ153を置き、3機1組の編隊を組んだが、これはチームプレーを必要とし、高度の熟練を要したためソ連飛行士には難しかった。日本の戦闘機の方が早いので一撃離脱するには速力不足だったし、技術不足で、空中戦になると敗勢で、すぐ逃走した(捕獲したイ16を調査すると、最高速度は370kmだった。公称より低いのがソ連の武器である)。

 しかし、少数機の日本飛行士は毎日数回の飛行を行うため後半に疲労困憊し、休養を必要とし、また、飛行機も稼働率が落ちた。「黄塵のための弁の磨耗多し、人は居るが機がない」とある。

 一番のネックは、ソ連側は満州国領土内を頻繁に飛行し、爆撃したが、日本機にはソ連領内への積極的飛行が制限されていたことで(6月28日、大陸指第491号)、偵察や爆撃も大々的にできなかった。これは7月20日の「事件処理要綱」でさらに強く制限され、現地の兵は損害を被り迷惑したのである。

――――――――――

戦車

 日本軍はソ連戦車・装甲車を7月の左岸作戦で430台以上を破壊炎上した(ソ連側は配備した数字を446台としているので、96%以上を撃滅した事になる)。ソ連側は損害を60台と発表しているが、嘘である。しかし、ソ連側も大損害を受けたことを認めている(後に戦車旅団長ヤコヴレフ少将は戦死)。

 その後も日本軍はソ連戦車を破壊し続けた。「1千米以内に入れば日本軍の速射砲は百発百中だった」(軍曹前田義夫氏「ノモンハン戦」御田重宝著)。高射砲では1千5百米でもソ連戦車を破壊した。また、火炎瓶を恐れてソ連戦車は600米以内に入って来なくなった。

 ソ連の装甲車に至ってはフォード製で機関銃でブスブス貫通した。今日でも小口径銃の貫通弾痕のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、この報道にソ連軍との注がなく、また、ソ連軍の放置戦車をアサヒグラフ(平成11年5月14日号)は日本軍戦車とデタラメな注記をしている。後期でも手榴弾や火炎瓶、擲弾筒で戦車が破壊炎上したのが報告されており、後期には無効だと強調するのは疑問である。日本軍の無能を述べんとする意図的なものを感じる。後期の苦戦は弾丸がなくなり、大砲が破壊されたからである。

 ソ連軍には当時、近代装備がなかった。防弾鋼板も自国製がなく、英国の造船所が軍縮で捨てた鋼鉄板を買って戦車に貼ったものである。空軍やトラック積載部隊など台数が多いだけで質的には近代的とは言えなかった。

 戦果
 ソ連戦車 800台以上を破壊
 日本戦車  29台の損害


 日本戦車の欠点のみ記述され、五味川氏は「日本戦車の戦闘性能はソ連戦車に較べて劣っているから対等に渡り合って勝ち目なく技能を尽くしても苦戦は避けられなかった」とあるが、間違いで、ソ連戦車の欠点を知らず、また技能ははるかに日本戦車兵に及ばなかったのを知らず、ソ連戦車は戦車決戦に敗れているのを知らないのである。日本の戦車はソ連軍の脅威として有効的で、論より証拠、

 ソ連の戦車と対決して、66台を撃破、日本側損害なし。

飛行機は26機を落とし、その他、大砲、人員に多くの損害を与え、良くソ連軍を牽制し、日本戦車のいる所には近寄らなかった。

 ソ連戦車は大砲を使い、機関銃はほとんど使用せず、また、互いに衝突するほど運転する視界も悪かったため、容易に接近できて火炎瓶で炎上させた。日本兵士は戦車に上り、戦車砲や機関銃を打撃し、これで照準を狂わせ使用不能にしたが、日本兵士が苦労したのは間違いない。

 ソ連戦車には走行しながら射撃をする技術がなく、射撃するために停止したので、そこを日本軍に砲撃されて破壊された(日本戦車は行進射撃の訓練をしており、7月4日の戦車戦では12台の敵戦車を破壊し、敵は退却した。日本の損害0)。大砲の観測手は必ず赤い馬で現れたり、羊群が来たので見ると羊皮を被った観測手が紛れているという時代離れした思考だった。大砲は毎日同じ位置を砲撃し、日本兵に笑われている。そして、日本兵の苦労のみを伝え、ソ連側が大損害を受けて恐怖した事実を見逃している。

 富永信氏(「ノモンハン孤立兵の遺書」農文協-氏は東京帝国大学卒の一等兵)

 「敵砲弾はかなり正確に飛んでくるが、不発弾があり、私たちの周囲では敵砲弾による被害は非常に少なく、私たちは日ごろからソ連の戦力を過小評価していたので、敵の兵器は数量だけで質は粗製濫造による粗悪なもので威力がないのだと解していた」
(ソ連機が70個の爆弾を落としたが半数近くが不発の記録もある。草葉大尉「ノロ高地」に眼前50センチに同時に落下した砲弾が2発がともに不発だった記述がある。筆者も垂直に落下している現存の不発弾を見ている)。

 「その夜私はやはり部隊に遅れないようにただ歩いて停止し、走って停止して、前進を続けただけだった。陣地に引揚げると敵はトラックで来た。こちらが進めば後方から砲撃で日本の前進を阻み、こちらが引揚げると又侵入して来る」「進めば敵は退くと思った。参謀がそう思ったのも無理ない」と、かなり見くびって油断していた。参戦者は一様に「負けたとは思わない」と語っている。

 外人は日本兵士の銃剣による刺殺と日本刀に非常な恐怖を抱いており、砲弾で日本兵の進出を防いだ。「我銃剣突撃には絶大なる恐怖心を持ちあるものの如く、我にして巧みに敵の不意に乗じ突撃するか、側背に進出せば悲鳴をあげて潰走するを常とす」(歩72戦闘詳報)。白兵戦は日本の一戦力だった。後にソ連も銃剣術を採用した。

 日本の公刊戦史は例外で、外国の公刊戦史は常に勝利の栄光のみを記し、損害や敗戦の実情などは書かないものであるから、ソ連の公刊戦史をそのまま信用するのは危険である。

ノモンハン事件6・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・露、大戦の歴史見直しを拒否
『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)
『ノモンハン事件の真相と戦果 ―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)


●詳細記事
ノモンハン事件1・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1580.html
ノモンハン事件2・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1579.html
ノモンハン事件3・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だ・『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・第2次大戦見直しに反発=ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1578.html
ノモンハン事件4・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン戦場日記』ノモンハン会=編(新人物往来社、1994年)・第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年-ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1576.html
ノモンハン事件5・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・第2次大戦見直しに反発=ロ大統領
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1575.html
ノモンハン事件6・壊滅的打撃を受けたのは関東軍ではなくソ連軍だった!『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)・露、大戦の歴史見直しを拒否
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-1574.html
ノモンハン事件7・少数の日本軍・バルト三国とソ連の不可侵条約締結・三国軍事同盟とノモンハン事件・『ノモンハン事件の真相と戦果―ソ連軍撃破の記録―』小田洋太郎・田端元共著(有朋書院、2002年)
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