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百田尚樹の新著に朝日新聞の悪行の数々!「出版されたら朝日新聞社が発狂するかも」・宇和田日記
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百田尚樹「執筆中の『日本史』、戦後の歴史に隠された朝日新聞の悪行の数々が出てくる出てくる。朝日新聞社が発狂するかも…」

https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1024510603560243202
百田尚樹‏ @hyakutanaoki
執筆中の『日本史』、戦後の歴史に隠された朝日新聞の悪行の数々が出てくる出てくる。
これが出版されたら、朝日新聞社が発狂するかも。
でも、朝日を叩くための本ではない!日本の正しい歴史、正しい戦後を書いていたら、どうしても書かざるを得ないこと。

13:22 - 2018年8月1日



>百田尚樹‏ @hyakutanaoki
>執筆中の『日本史』、戦後の歴史に隠された朝日新聞の悪行の数々が出てくる出てくる。
>これが出版されたら、朝日新聞社が発狂するかも。
>でも、朝日を叩くための本ではない!日本の正しい歴史、正しい戦後を書いていたら、どうしても書かざるを得ないこと。



本当にそのとおりだ。

日本の歴史は、朝日新聞の悪行(歴史捏造、偽造、歪曲など)によって事実から大きく乖離している!

いわゆる「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」も、全く事実にないことを朝日新聞が捏造したり、偽造したりして創作したものだ。

百田尚樹‏が『日本史』を執筆する際に、正しい歴史事実について記述しようとすれば、朝日新聞の捏造や偽造などの悪行について言及することは避けて通れないのだ!

次の動画「朝日が作った歴史」で、朝日新聞が捏造・偽造した主な「南京大虐殺」「従軍慰安婦強制連行」などについて分かり易く解説されている。

朝日が作った歴史
朝日が作った歴史
■動画
朝日が作った歴史
http://www.youtube.com/watch?v=EoAmItpLGuE





いわゆる「南京大虐殺」については、朝日新聞が如何にして嘘っぱちをでっち上げて事実無根の歴史を捏造したのか『ゴーマニズム宣言』でも分かり易く述べられている。

実は戦後しばらくの間、「南京虐殺」は忘れられた存在だった。「大宅壮一文庫・雑誌記事索引総目録」を検索すると、占領下の昭和21年にティンパーリーの文が1回載っただけで、その後年10年間該当する記事がない。そして昭和31年に吉本隆明らが「多くの文学者が戦時下の言論活動の総括をしていない」と批判、「戦争責任論争」として一時話題になった時期に4件だけ「南京虐殺」が登場する。ちなみにそのうちの1件が先に紹介した「今井記者のニセ手記」である。そしてその後は昭和46年のー月まで14年近くもの間、1件の該当記事もない。

戦後すっかり風潮が変わり、「日本軍国主義」を告発することが正義とされる世の中になったのに、昭和31年の一時期を除けば25年もの間、「南京大虐殺」をほとんど誰も語っていなかったのだ。本当に「大虐殺」があったのなら、このような現象はありえない。

もしこのまま時が流れ、冷静に事実の検証が行なわれていれば、「南京虐殺」は『私は貝になりたい』のように、不正な戦犯裁判による占領下日本の悲劇の一つとして歴史に残っていたかも知れないのだ。ところが現実には未だに南京で大虐殺があったということが常識になっている。しかも東京裁判ですら認定できなかった「犠牲者30万人、計画的・組織的虐殺」が事実として宣伝されている。なぜそんなことが起きたのだろうか。

大宅壮一文庫によると、25年近くほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年一年間で突然12件も登場する。70年代からコトは始まったのだ。戦後四半世紀も経ってから、日本人が自ら「東京裁判」をもう一度やるような行為を始め、忘れられていた「南京」に強引に光を当て、さらに膨らませた「大虐殺」として日本国中に自ら流布した、それが今日の問題の根源なのだ。
ではその日本人とは誰か? 
「朝日新聞」である。

既に稲垣武氏、片岡正巳氏、井沢元彦氏ら多くの人が指摘し、一部は朝日新聞も認めているように、70年代前半、朝日新聞は報道機関としての立場を外れ、完全に中国に偏向していた。
常軌を逸して中国に肩入れした広岡知男社長から「たとえ事実でも中国に都合の悪いことは書くな」という趣旨の命令が出され、現実に実行されていたのである。これは裏を返せば「たとえウソでも中国に都合のいいことを書け」と言っているようなもので、実際にそのような記事も書かれていた。
70年安保を前に、佐藤.ニクソン会談で沖縄返還・日米安保強化の声明が出された際、中国政府はこれを「日本軍国主義の復活だ、日本は未だ中国の戦争被害者に謝罪していない」と猛烈に非難した。日本の「軍国主義化」など実際にはありえないことは明白で、これはその後も事あるごとに繰り返される中国の反日プロパガンダにすぎなかったのだが、朝日新聞はこれを直輸入して記事にし、大宣伝し始めたのである。


当時の中国は文化大革命の真っただ中、「日本は世界征服の陰謀の第一歩として中国を侵略した」というトンデモない内容の反日偽書『田中上秦文』を『毛沢東語録』とともに大量頒布し、ありとあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行なって国内をまとめていた。その一環として「南京大虐殺」も使われていたのだが、朝日はそんなプロパガンダを直輸入し、検証もせずに大宣伝したのだ。そして反戦・反権力ブームの当時の世相がそれを後押しし、他のマスコミも追随した。それが、戦後消えていた「南京虐殺」が突然大々的にマスコミに登場した理由なのである。

この常軌を逸した朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは昭和46(1971)年8月から連載された『中国の旅』だった。執筆者は本多勝一記者。これは本多記者が中国に出かけ、中国共産党政府が用意した「証人」に聞いた話を「裏付け・検証ナシ」でそのまま掲載したものである。「裏付けナシ」という、新聞記事の常識を無視した企画が新聞本紙、週刊朝日、朝日ジャーナル、アサヒグラフなど、あらゆる媒体を使って大々的に展開、翌年には単行本化され、ベストセラーになった。

文革真っただ中、今で言えば北朝鮮政府が選んだ人に北朝鮮の国情と金正日の人柄を聞いてくるようなもので、現在冷静に読み返してみると、もう笑うしかない代物になってしまっている。なにしろ出る人出る人、口々に「生きたまま顔の皮を剥いだ」だの「肝を取り出して煮て食った」だの、中国・漢民族の伝統文化の発想にしかない残虐行為を「日本兵がやった」とする証言を延々続け、最後に「今は毛沢東主席のおかげでしあわせです」と判で押したように語るのである。当の中国政府が、文革を権力闘争による同胞2000万大虐殺を伴うとてつもない犯罪行為、と認めている現在も、なぜかこの本は出版されている。

この連載の中で「南京」も大々的にとりあげられ、中国の証言そのままに「犠牲者30万人」が改めて大宣伝された。実は東京裁判の時には南京の事件は「南京暴虐事件」などの名称で呼ばれていた。「南京大虐殺」の名が一般的になったのは『中国の旅』から後のことである。言い様によっては「南京大虐殺」は朝日新聞が作った、とも言えるのである。

『中国の旅』キャンペーンには「事実と違う」という声も多く寄せられていた。しかし朝日はその反論をすべて無視し、中国のプロパガンダである反日宣伝の物量作戦を続行した。
あくまでもこれに反論しようとする者は、今より遙かに「日本の良心」としての権威があった朝日新聞の正義の前に「日中友好の敵」「軍国主義者」のレッテルを貼られ、沈黙させられた。
「被害者の証言を疑う者は悪魔」。「従軍慰安婦」の時にも繰り返された構図である。

『ゴーマニズム宣言』




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本日、8月4日は、朝日新聞による「宇和田日記捏造事件」の日だ!

昭和59年(1984年)8月4日、朝日新聞は、ある日本軍兵士の日記を勝手に捏造(加筆あるいは改竄)し、さらに南京戦とは全く関係のない写真を「日記と一緒にあった南京大虐殺の証拠写真だ」と嘘を吐き、捏造日記と無関係写真をセットにして大スクープ記事を掲載した!


日本では嘘を吐こうが捏造記事を書こうが反日であるならば「反日無罪」となっているにもかかわらず、朝日新聞の捏造があまりにも杜撰過ぎたために朝日新聞が裁判で負けたほど酷い捏造記事だった。

朝日新聞は、「南京大虐殺」について、昭和59(1984)年8月4日夕刊と翌5日朝刊の全国版で、「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題した記事を掲載した。

翌年の1985年12月、朝日新聞が前年1984年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明。

1986年8月、濡れ衣を着せられた都城23連隊の連隊会は、日記(宇和田日記)の内容も捏造と確信していたため、日記の保全が第1だと考え、小倉簡易裁判所に対して日記保全を申し立てた。

1986年12月、裁判所は、連隊会側の主張をほぼ認め、朝日新聞に日記を見せるよう判決。

朝日新聞は、福岡地裁小倉支部に抗告するなど、時間稼ぎ戦術を展開。

連隊会側は、本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断し、「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を全国版に載せてもらうことを朝日新聞と合意し、保全申し立てを取り下げた。

ところが、朝日新聞は、宮崎県の地方版にしか「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を載せず、全国版に載せる約束を反故にした!

朝日新聞の悪逆暴虐!極に達す!!


朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件について、未だに謝罪も記事取り消しも行っておらず、それどころか約束した「連隊は無関係」という記事の全国版への掲載すら行っていない!

朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件についても、記事取り消しと謝罪をしなければならない。



詳細記事より一部再掲載▽

▼1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件▼

朝日新聞が1970年代に突如開始した『南京大虐殺』の大キャンペーンの中でも、特に悪質だった1984年の捏造報道事件を紹介する。

1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件
「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」
「鉄嶺」は満州の都市。
張学良の配下の者が匪賊を銃殺し、見せしめとして首を切ったものと考えられ、当時この写真は満州や朝鮮などで販売されていた。

ところが、1984年8月4日、朝日新聞は、どこかでこの写真を入手し、日本軍による「南京大虐殺」の証拠写真として、とある「日記」と共にスクープ記事に掲載した!


1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件
昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊
「日記と写真もあった南京大虐殺」
「悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」



しかし、やがて、写真は、南京戦とは全く関係の無い偽物!!

日記についても、朝日新聞による加筆あるいは改竄があったことが判明した。

1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件

http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html
朝日新聞との闘い・われらの場合

都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ

吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)

「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載

 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊に5段抜きの大見出しが躍った。
 「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題されたこの記事は、翌5日朝刊の全国版にも掲載され、一大センセーションを巻き起こす。


 思えばこれが、朝日新聞との2年5ヶ月におよぶ闘いの幕開けだった。
 
(略)

 支局長「抗議の公文書、確かに受け取りました。その事ですが、「お詫び」だけはご勘弁下さいませんか。その事を記事にすれば、私は首になります」
 中山「首になる。仕方ないじゃありませんか。嘘の報道を大見出しの記事として全国版に掲載したんですから。その責任をとって首になるのが当然じゃありませんか」
 支局長「その責任は重々、感じています。しかし首になると私は困ります。私の家族のために助けて下さい。お願いします。この通りです(両手をついて頭をさげる)」
 中山「お詫びがないと、私の方が困ります。亡き戦友の御霊を慰めるのが私ども連隊会の責務ですから」
 支局長「そこのところ何とか」

 2人の間で種々のやりとりがあったすえ、お詫びとか記事取り消しといった言葉は使わないが、全国版・地方版で連隊は南京大虐殺とは無関係との旨を報道することで、両者が合意した。
 事務局長は帰ってから連隊会の安楽秀雄会長とも相談し、やむを得ないとの承諾を得たのである。
 昭和60(1985)年2月24日、朝日地方版は「「南京大虐殺と無関係」元都城23連隊の関係者が表明」として次のように報じた。

(略)

 いささか不本意ではあったが、ともかくもこの記事で、およそ半年におよぶ朝日と連隊会の抗争に終止符が打たれるかに見えた。

 ところが、同年の6月、7月、10月と、大阪・名古屋などに住む戦友から相次いで「連隊は無関係という記事は全国版の何月何日に載ったのか」との問い合わせが事務局に殺到した。
 全国版に載せると言った朝日が約束を破るはずはない。
 この種の記事は紙面の片隅に小さく載せるのが新聞社の常道だから、もう1度よく見て下さい、と照会のたびに事務局は回答していた。
 昭和60(1985)年12月20日、"お詫び"記事から半年たったところで、意外な事実が判明した。
 この日、中山事務局長は、朝日宮崎支局に中村支局長を訪ねた。
 事件の取材で宮崎に来ていた「世界日報」の鴨野守社会部記者を伴ってである。
 中山氏はさっそく、
 「例の無関係の件、全国版の何月何日に載ったのですか」と切り出す。
 ところが支局長は言った。

 「全国版?全国版には載せてありません」
 「載せていない?それじゃ約束が違います」
 「約束した覚えはありません」
 「冗談をおっしゃってはいけません。あの日、固く約束されたじゃないですか。」
 「いや、地方版に載せるとは言いましたが、全国版とは言いません」

 そして中村局長は、「あの記事はすべて正しい。朝日新聞宮崎版に載った記事は訂正記事ではない。連隊会から抗議があった旨を載せたまでだ」と、言い放ったのである。
 中山事務局長は、

 「今からでもよいから、全国版に載せてくれませんか」と食い下がったが、
 支局長は「いや、もうこれ以上の事は朝日としては出来ません」と一蹴した。
 やむなく中山事務局長は、次のように言い残して席を立った。

 「卑怯ですねあなたは。あの時私に、1人で来て下さいと言われた意味が今になってわかりました。約束をした、しないは、当事者だけでは押し問答になりますからね」

朝日は都城23連隊との抗争はこうして再燃したのである。


 それから1週間ほどたった12月28日、朝日にとって極めて衝撃的なスクープが「世界日報」の一面トップを飾った。

 「朝日、こんどは写真悪用 南京大虐殺をねつ造」と題された記事によれば、中国人の首が転がっている例の写真、南京大虐殺の動かしがたい証拠であると朝日が大見得を切った写真は、旧満州の熱河省で撮影されたもの、と指摘されたのだ。(その後の報道で、この写真は昭和6(1931)年、当時の朝鮮で市販されていたもので、満州の凌源で中国軍が馬賊を捕らえて処刑したものと判明する)

(以下略)


1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件
1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が偽物だったと判明


関心を持たれた方は是非、全文読んで頂きたい。

朝日新聞の卑劣さが良く分かる。


朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://www.history.gr.jp/nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載




この朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件については、『「宇和田日記」(日記帳)の現物があるから信頼できる』というような頓珍漢な主張をしている馬鹿もいる。

しかし、この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。

騙されてはいけない。

当該事件の核心(想定)は以下のとおり。


――――――――――
1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去

1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出

戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される

・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る

1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす

1984年末、吉川正司氏は、日記の【現物】を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず

1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の【現物】は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず

1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明

1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず

1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て

1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告

1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告

連隊会は不本意なまま、朝日新聞との闘いを終えた。

――――――――――



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