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NHK「日本の重慶爆撃は都市に継続的な無差別爆撃した史上初の例!だから米国は日本中を空襲した」
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【NHKスペシャル】「本土空襲」は日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容に非難殺到。NHKはどこへ向かっているのか。
【NHKスペシャル】「本土空襲」は日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容に非難殺到。

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NHKスペシャル 170812 2017年8月12日 本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~
■動画
NHKスペシャル 170812 2017年8月12日 本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~
https://www.youtube.com/watch?v=esVrn4qiaok&t=17m25s

(17:25~)

本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル) 5011 2017.8.12作成
■動画
本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル) 50:11 2017.8.12作成
https://www.youtube.com/watch?v=A6i72C4_rxk&t=17m25s

(17:25~)

NHKのナレーション
ルメイ少将は、空襲(東京大空襲)の翌日、こう宣言しました。
「私は約束する。もしジャップがこの戦争を続ける気なら、奴らにはすべての都市が完全に破壊される未来しか待っていない。」


ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には、何があったのか?
日本軍がそれまでに中国で行った爆撃。
1938年から日本は当時国民政府の臨時首都だった重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。
焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。

都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。
日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。

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>NHK
>ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には、何があったのか?
>日本軍がそれまでに中国で行った爆撃。
>1938年から日本は当時国民政府の臨時首都だった重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。
>焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。
>都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。
>日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。



8月12日放送のNHKスペシャル「本土空襲 全記録」は、アメリカが日本の民間人を大虐殺したというアメリカの戦争犯罪を特集するものだと思っていたので油断して生放送を見なかった。

ところが、NHKは、アメリカによる戦争犯罪である日本本土の都市への無差別空襲についてのNスぺの中に、日本軍による重慶爆撃についての悪質な大嘘説明を挿入して日本批判していた !

油断も隙もあったもんじゃない!

NHKは「重慶を長距離爆撃機で200回以上空襲。焼夷弾を使った攻撃で10,000人以上が犠牲になりました。」と放送したが、10,000人以上の犠牲者は日本軍が意図せざる誤爆や火災や防空壕の中での窒息死などによるものだ!

NHKは「都市に継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。日本への爆撃は当然だと見る空気がアメリカにはあったのです。」と放送したが、完全な虚偽報道だ!

重慶爆撃は住民の殺害を目的とした無差別爆撃ではないし、支那軍が重慶市街に相当数の対空砲台などの軍事施設を置いた割には犠牲者数は驚くほど少なかったし、この重慶爆撃が「日本本土の都市への無差別爆撃は当然だと見る空気があったアメリカにはあった」というNHKの主張についても全く根拠が示されていない!

上記は、アメリカによる日本への無差別爆撃(民間人大虐殺=戦争犯罪)を正当化するために後から考えられた出鱈目な言い訳に過ぎない。

これを如何にも真実であるかのようにナレーションで述べるNHKの洗脳工作は、極めて悪質だ


アメリカ軍による日本本土への空襲は、多くの場合、都市での一般住民の大量殺害を目的とされ、意図して民間人大虐殺が行われた!

例えば、東京大空襲は、B29の先発部隊が40平方キロメートルの周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して猛火の壁を作ってその中に東京の住民を閉じ込めて逃げられないようにした後、その円の外側から内側を塗りつぶすように約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市民には超低空のB-29から機銃掃射を浴びせられた!

その結果、一晩にして約10万人の犠牲者が出た。


一方、日本軍による重慶爆撃は、飽くまで支那軍や支那軍の軍事施設を目的に行われた。

重慶爆撃が飽くまで支那軍や支那軍の軍事施設を目的に行われたため、犠牲者は1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった!

重慶で1万1889人が巻き添えになって犠牲になってしまった最大の要因は、支那軍が市街地に防空砲などの軍事施設をおいていたことだった!

約5年間で1万1889人という犠牲者数は、支那軍が市街地の市民居住区に多数の軍事施設をおいていた割りには、非常に少ない!


カール・クロウ(Carl Crow、1884年 - 1945年)
カール・クロウ(Carl Crow、1884年 - 1945年)
カール・クロウ(1884~1945)という反日で支那と親密な米国人ジャーナリストがいた。

当時、いわゆる「21か条要求」(21か条要求に係る詳細記事を最初にスクープしたとほざいていた奴だ。

このカール・クロウは、大東亜戦争中に、いわゆる「ビルマロード」を通って、重慶に何度も取材に出掛けている。

その反日米国人のカール・クロウは、その重慶取材のことを『China takes her place』(1944年)という本に書いており、それには【The city has suffered many air raids but with remarkably small loss of life】(重慶は多くの空爆を受けたが、人命が失われることは驚くほど少なかった)と記述している!
その反日米国人のカール・クロウは、その重慶取材のことを『China takes her place』(1944年)という本に書いており、それには【The city has suffered many air raids but with remarkably small loss of life

反日親支の米国人ジャーナリストが「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明記(証言)しているのだから、日本軍による重慶爆撃が米軍による日本本土空襲や原爆投下とは目的も結果も全く異なることを証明している!

このカール・クロウについては、田中秀雄氏が『正論』2011年10月号~11月号に連載している。



1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった重慶爆撃の犠牲者についても、全て日本軍の意図せざる誤爆、火災、防空壕の中での圧死や窒息死などによるものだ!

5年間に発生した1万1889人の犠牲者のうち、まず、1939年5月の2日間で3991人の犠牲者が出たが、この直接的な原因は日本軍の意図せざる火災であり、爆撃は間接的な原因だった。

次に、1941年6月5日には、「重慶防空洞惨案」、「6・5大隧道惨案」、「六五大トンネル事件」などと呼ばれる特殊な事件(国民党兵士が防空壕に鍵をかけて「毒ガス投下」デマが流れたので防空壕の中で多数の民間人が圧死や窒息死した)が発生して約2500人~4000人が犠牲となった。

『6・5隧道惨案旧跡』
重慶市の『6・5隧道惨案旧跡』

1938~1943年 重慶に日本軍の空爆があり『行了五年野蛮空襲』  1941年6月5日の晩、5時間にわたる“疲労”爆撃   防空洞に避難した住民のうち、約2500人が窒息死します  『6・5大隧道惨案』と呼ばれる事件です
1938~1943年 重慶に日本軍の空爆があり『行了五年野蛮空襲』
1941年6月5日の晩、5時間にわたる“疲労”爆撃 防空洞に避難した住民のうち、約2500人が窒息死します
『6・5大隧道惨案』と呼ばれる事件です。


http://hinode.8718.jp/chongqing_anti_cavity.html
重慶防空洞惨案 1941年6月5日

重慶市の防空壕は、主に日中戦争期に作られた。蒋介石が率いる国民党政府が首都の南京を脱出し、最終的に首都機能を重慶に移したため、日本軍は1938年から43年にかけて、重慶市爆撃を実施した。

日本軍は政府・軍施設を攻撃目標にしていたが、当時は「ピンポイント爆撃」などがおよそ不可能で、市民や民間施設に大きな被害を出した。国民党兵士が防空壕に鍵をかけて避難した人を10時間以上閉じ込めたため、約1万人が窒息死するなどの「間接的な大量死事件」もしばしば発生した(1941年6月5日)

中国国民党兵士が防空壕に鍵をかけた為に、一般市民の、1151人の子供を含む9992人が亡くなった。

重慶の町の中心部 銀行の前に地下鉄の入口の様に、入口が有ります。
重慶の町の中心部 銀行の前に地下鉄の入口の様に、入口が有ります。


https://mokuou.blogspot.jp/2011/07/1619416110.html?m=0
昭和16年(1941)6月1日~10日 重慶爆撃 重慶隧道大惨案

6月5日
・重慶隧道大惨案。

夜、日本軍機による3波の夜襲。防空洞内大量窒息死事件、数千人(2,500)死亡。

国民党政府「大隧道窒息事件審査報告書」。
「当日、この随道に避難してきた人は、普段と比べ極めて多かった。なかでも婦人と子供の数が普段より多く、また避難者の荷物が多かったのも特徴である」
較場口隠道の最大定員は6555人であるが、少なく見積もっても倍以上の避難民を収容と推定。
押し合いへし合いの状況の下、出入り口の泥濘が靴や草鞋に付いて持ち込まれたため、滑り易く足元を踏ん張るのが覚束なくなる。
更に、換気用通風機が故障。毒ガス投下に、出入り口付近の人々は奥へ奥へと詰める。

犠牲者数はいまなお不明。
当局の調査委員会は、死者992人と発表するが、当時でもこの数字は信用されず。

カール・マイダンスの写真(十八悌口脇の石段に折り重なって倒れた男女、子供の姿)によって空襲下の悲惨事を世界に伝えた「ライフ」は、「重慶市民四千人、空襲下の防空洞で窒息死」の見出で報じる。





【重慶爆撃の真実】

日本軍による重慶爆撃は、支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による日本への爆撃(東京大空襲などの都市空爆、原爆投下など)とは全く異なる。
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支那軍は、重慶市街地に防空砲などの軍事施設をおいていた。
昭和14年(1939年)5月25日の戦闘記録には次のとおり記述されている。
「この戦闘において挑戦してきた敵の4機のうち1機を撃墜したるも、市街の周辺特に江岸外人住宅付近より猛烈なる高角砲及び大型機銃の猛射を受け、わが1機もついに敵弾を受け、勇敢にも敵陣に突入して自爆した
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1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
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上記の証言以外の日本兵の証言の中には「絨毯爆撃」という言葉が用いられたりしているが、我々が東京大空襲などでイメージする絨毯爆撃とは実態は違っている。

重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937-1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、犠牲者は、1939年から1943年の約5年間で1万1889人だ。

そのうち、1939年5月の2日間で3991人の犠牲者が出たが、この直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だった。

また、1941年6月5日には、国民党兵士が防空壕に多数の住民を閉じ込めて鍵をかけ、「毒ガス投下」デマが流れたので防空壕の中で圧死や窒息死した「重慶防空洞惨案」、「6・5大隧道惨案」、「六五大トンネル事件」などと呼ばれる特殊な事件が発生して約2500人~4000人が犠牲となった。

東京大空襲は一晩で10万人を殺害したのだから、同じ時代に5年間で約1万人という犠牲者数は、重慶爆撃が無差別爆撃ではなかった証拠となる。

重慶を何度も取材した反日親支の米国人ジャーナリストのカール・クロウも「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明言している。

1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実だろうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなる。

だから、支那軍が上海で行った故意にホテルやデパートを狙った爆撃や、米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や、広島・長崎への原爆投下などと同列にするのが間違いで、それは5年間で1万人強という重慶爆撃の犠牲者の少なさが証明している。

南京戦の前にも後にも提出した日本政府の和平案を蹴って重慶に逃げ込み、その重慶の市街地から対空砲火で日本軍機を攻撃したのだから仕方がないのだ。

最初から民間人密集地を狙った支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による原爆投下や東京大空襲とはまったく異なる。

日本人大量無差別虐殺を指揮した鬼畜Rumei と MacArthur
日本人大量無差別虐殺を指揮した鬼畜Rumei と MacArthur

なお、昭和19年(1944年)7月、ルメイ少将は第20爆撃集団指令となり、重慶を根拠地としたB29爆撃機による支那内の日本軍基地及び攻撃可能圏内にある北九州の軍需工場爆撃を指揮した。

ルメイが考えたのは、限られた軍事目標ではなく、都市の主要区域全体を対象にして焼夷弾を絨毯爆撃でばらまき、文字通り無差別に徹底的に焼き払うという作戦だった。

1944年12月18日、支那軍は、米軍のB24を主体とするシェンノートの第14航空軍と合同で、支那の漢口に対して3時間に亘る十数回の波状攻撃で、500トンの焼夷弾を租界など市街地に投下した。

漢口は灰燼に帰し、殺害された住民は数万に上った。




【重慶爆撃のまとめ】

1.支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。

2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。

3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)

4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は非常に少なかった。

5.重慶を何度も取材した反日親支の米国人ジャーナリストのカール・クロウが「日本軍は重慶を多く爆撃したが、人命が失われることは驚くほど少なかった」と明言している。

6.1939年から1943年の約5年間で僅かに1万1889人だった重慶爆撃の犠牲者も、全て日本軍の意図せざる誤爆、火災、防空壕の中での圧死や窒息死「6・5大隧道惨案」などによるものだ。

7.NHKは平成29年8月12日に「日本の重慶爆撃は都市に継続的な無差別爆撃した史上初の例!だから米国は日本中を空襲した」と放送したが、視聴者を洗脳するための悪質な大嘘であり、根拠も全く示さない。


【NHKスペシャル】「本土空襲」は日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容に非難殺到。NHKはどこへ向かっているのか。

https://twitter.com/CatNewsAgency/status/896568852472938496
CatNA‏
@CatNewsAgency
NHKスペシャル「本土空襲」
アメリカが大量虐殺を決断したのは日本の重慶爆撃のせいだ、と洗脳する内容。
日本が悪いことをしたのが諸悪の根源、とする単純な歴史観を拡大再生産し続けるNHK。
憲法さえ守っていれば平和を維持できるという9条教徒が誕生する原因がここにある。

(動画)
12:07 - 2017年8月13日




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