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植村隆の娘が勝訴「従軍慰安婦捏造記者の娘」と名前と写真・8月4日:朝日新聞「宇和田日記」捏造
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記者会見する、従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆氏=9日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ
誰がどう見ても捏造記事だったのに、「捏造ではない」などと記者会見で言い張る元朝日新聞記者の植村隆=2015年1月9日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ

【裁判】元朝日新聞記者の長女の名誉を毀損 ツイッターに「従軍慰安婦捏造記者の娘」と名前と写真を投稿した男性に賠償命令…東京地裁

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160803-00000107-asahi-soci
元朝日記者長女を中傷、男性に170万円支払い命令
朝日新聞デジタル 8月3日(水)20時24分配信

 元朝日新聞記者の植村隆氏(58)の長女(19)が、ツイッターで自身への中傷や写真を投稿されて精神的苦痛を受けたとして、投稿した関東在住の40代男性に170万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が3日、東京地裁であった。朝倉佳秀裁判長は「未成年への悪質な人格攻撃だ」として、請求通りの全額を支払うよう男性に命じた。

 判決によると、男性は2014年9月、ツイッターで、当時高校2年生だった長女の氏名や写真とともに中傷する内容の投稿をした。男性は事実関係を争わず、判決は「植村氏が朝日新聞記者時代の慰安婦報道をめぐってバッシングを受けている中で、長女の氏名などを投稿した」と認定。ツイッターの拡散性の高さなども考慮し、「高校生だった長女の恐怖と不安は耐えがたいものだった」として、慰謝料は長女側の請求分を上回る200万円に相当する、と述べた。

 長女側は、米ツイッター社や男性が使ったプロバイダーに対し、発信元の情報を開示するよう求める訴訟などで男性を特定。今年2月に提訴した。

 判決について長女は「ネット空間で利己的な欲求のために誰かを攻撃し、プライバシーをさらすようなことをやめさせる契機になってほしい」とのコメントを出した。長女側の弁護団は「無関係な家族へのネット上の攻撃が許されないことや、匿名の投稿でも特定できるケースがあることが、改めて示された」と判決を評価した。



>判決によると、男性は2014年9月、ツイッターで、当時高校2年生だった長女の氏名や写真とともに中傷する内容の投稿をした。


そのツイッターは、次のようなものだった。
「朝日新聞従軍慰安婦捏造の植村隆の娘、A高校2年植村○○が、高校生平和大使に選ばれた。詐欺師の祖母、反日韓国人の母親、反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド。将来必ず日本に仇なす存在になるだろ
アカウント名「@anubis717」
「朝日新聞従軍慰安婦捏造の植村隆の娘、A高校2年植村○○が、高校生平和大使に選ばれた。詐欺師の祖母、反日韓国人の母親、反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド。将来必ず日本に仇なす存在になるだろう」
(高校名A、長女の名前○○は実名)

元朝日記者の長女、SNS中傷訴訟に勝訴





>男性は事実関係を争わず、判決は「植村氏が朝日新聞記者時代の慰安婦報道をめぐってバッシングを受けている中で、長女の氏名などを投稿した」と認定。


植村隆の慰安婦に係る記事が捏造でなければ、娘の名前や写真が紹介(公開)されても何の問題もないはずだ。

「世紀のスクープ記事」を書いた敏腕記者の娘として鼻高々で堂々としていれば良い。

娘の名前や写真が公開されて困るのは、やはり植村隆の記事が捏造だったと認めているようなものだ。

植村隆の娘は、相手の男性がツイッターをアカウントごと削除して裁判官にも全面的に謝罪して和解をしようとしたにもかかわらず容赦しなかった!

なお、この娘の祖母が詐欺師で、母親が反日韓国人であることは、紛れもない事実だ。


▼植村隆の1991年8月11日付け朝日新聞記事や金学順の証言などの食い違いなどについて▼

●1991年8月11日付け朝日新聞に、植村隆が【「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存している】とスクープ記事

朝日新聞・植村隆記事
1991年8月11日【朝日新聞】
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり
女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。…
女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。…


↓ ↓3日後↓ ↓

1991年8月14日、ソウルで、金学順が実名・顔出し会見【真実を証言】
91年8月14日の実名・顔出し会見
その記者会見で、金学順は、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(キーセン養成学校)に売られていった。三年間の検番生活を終え、検番の義父に連れていかれた所が、支那の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」などと証言した。
△真実△

つまり、植村隆は、1991年8月11日付け記事を書いた時点において、金学順を騙して支那に連れて行ったのが朝鮮人養父だったことを知りながら、そのことを記事には一切書かず、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存している……十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。…】と書いたのだ!

●さらに、金学順は1991年12月に補償を請求して提訴。裁判所に提出した略歴↓
――――――――――
1924年:吉林省(満州)に生まれる。
1926年(2歳):母と共に平壌(現在の北朝鮮)へ移住 。
1939年(15歳):40円で妓生を養成する学校の養女に、そこから妓生巻番(妓生養成学校)に通う
1941年(17歳):卒業するが年齢が足りず妓生になれず、養父に中国ならお金が稼げるだろうと、養父に連れられ平壌から中国へ汽車で行く。
北京に到着町中で日本軍将校に呼び止められ「朝鮮人だろ、スパイではないか?」と姉さんとトラックに乗せられる。夜中ついた空き家で将校に犯される。翌日、お姉さん共々慰安所に。
――――――――――

1939年(15歳):40円で妓生を養成する学校の養女に、そこから妓生巻番(妓生養成学校)に通う

東京会見で号泣演技の金学順91年12月
1991年12月、東京会見で号泣演技する金学順
朝日新聞の植村隆は、吉田清治のストーリーにそって「女子挺身隊として連行された」などと、明らかに事実と異なる記事を書いたが、担当弁護士だった福島瑞穂らは訴状に「養父に連れられ北京に到着後、日本軍に呼び止められトラックに乗せられ連れて行かれた」とストーリーを修正した。
朝日新聞の植村隆は吉田清治のストーリーにそって「女子挺身隊として連行された」と明らかに事実と異なる記事を書いたが、福島瑞穂らは訴状に「養父に連れられ北京に到着後、日本軍に呼び止められトラックに乗せられ連れて行かれた」とストーリーを修正した

原告団長は粱順任(ヤン・スニム)=植村隆の義理の母親(妻の母)、原告代理人は、福島瑞穂、高木健一、林和男など(関連記事





>ツイッターの拡散性の高さなども考慮し、「高校生だった長女の恐怖と不安は耐えがたいものだった」として、慰謝料は長女側の請求分を上回る200万円に相当する、と述べた。


裁判長の朝倉佳秀が「慰謝料は長女側の請求分を上回る200万円に相当する」と発言したことは、公正中立な立場で裁判をしていないことを証明するようなものだ。

原告である植村隆の娘は一般の個人に対する慰謝料としては異例の高額となる170万円の損害賠償をふっかけたにもかかわらず、裁判長の朝倉佳秀は勝手にが「慰謝料は長女側の請求分を上回る200万円に相当する」と発言し、異例の高額170万円の満額を認めることについて正当化した形だ。

このように、日本の裁判所(裁判官)については、反日左翼側の肩を持つ傾向が際立っている!

例えば、つい先日、同じ慰安婦に係る訴訟でも、逆の立場の研究者や議員ら約2万5千人が朝日新聞の従軍慰安婦報道について「誤った事実を広め、日本国民の名誉を傷つけた」として慰謝料と謝罪広告の掲載を求めた訴訟では朝日新聞を勝たせた!

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H94_Y6A720C1CC1000/
慰安婦報道巡る訴訟、朝日新聞が勝訴
2016/7/29 1:17、日本経済新聞

朝日新聞の従軍慰安婦報道をめぐり「誤った事実を広め、日本国民の名誉を傷つけた」として、研究者や議員ら約2万5千人が朝日新聞社に1人1万円の慰謝料と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、原告の請求を棄却した。同社が勝訴した。

脇博人裁判長は「報道の対象は当時の日本軍や政府であり、原告ら個人の名誉が傷つけられたとは言えない」と述べた。

朝日新聞社広報部は「主張が全面的に認められたと受け止めている」とコメントした。



韓国や支那では「愛国無罪」が当たり前となっており、どんな不当なことをしても嘘を吐いても「愛国」「反日」なら無罪となる。

一方の日本では「反日無罪」が当たり前となっており、どんな不当なことをしても嘘を吐いても「侮日」「反日」なら無罪となる。

逆に日本で「愛国」言動をすると、有罪となってしまう。


結局、日本でも、支那でも、韓国でも、嘘でも何でも「反日」なら、無罪となって許され、時には英雄とされる。

だから、日本でも特アでも「反日」が圧倒的に優位な立場に立っている。








さて、8月4日は32年前の昭和59年(1984年)に朝日新聞が所謂「南京大虐殺」に係る捏造記事を大々的に掲載した日だ(宇和田日記捏造事件)

嘘を吐こうが捏造記事を書こうが反日であるならば「反日無罪」となる日本であるにもかかわらず、朝日新聞の捏造があまりにも杜撰過ぎたために朝日新聞が裁判で負けたほど酷い捏造記事だった。

ちょうど8月4日なので、この機会に32年前の朝日新聞の酷過ぎる捏造ぶりと卑劣ぶりを改めて復習し、肝に銘じておこう!


朝日新聞は、「南京大虐殺」について、昭和59(1984)年8月4日夕刊と翌5日朝刊の全国版で、「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題した記事を掲載した。

翌年の1985年12月、朝日新聞が前年1984年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明。

1986年8月、濡れ衣を着せられた都城23連隊の連隊会は、日記(宇和田日記)の内容も捏造と確信していたため、日記の保全が第1だと考え、小倉簡易裁判所に対して日記保全を申し立てた。

1986年12月、裁判所は、連隊会側の主張をほぼ認め、朝日新聞に日記を見せるよう判決。

朝日新聞は、福岡地裁小倉支部に抗告するなど、時間稼ぎ戦術を展開。

連隊会側は、本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断し、「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を全国版に載せてもらうことを朝日新聞と合意し、保全申し立てを取り下げた。

ところが、朝日新聞は、宮崎県の地方版にしか「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を載せず、全国版に載せる約束を反故にした!

朝日新聞の悪逆暴虐!極に達す!!


朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件について、未だに謝罪も記事取り消しも行っておらず、それどころか約束した「連隊は無関係」という記事の全国版への掲載すら行っていない!

朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件についても、記事取り消しと謝罪をしなければならない。



詳細記事より一部再掲載▽

▼1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件▼

朝日新聞が1970年代に突如開始した『南京大虐殺』の大キャンペーンの中でも、特に悪質だった1984年の捏造報道事件を紹介する。

鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首
「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」
「鉄嶺」は満州の都市。
張学良の配下の者が匪賊を銃殺し、見せしめとして首を切ったものと考えられ、当時この写真は満州や朝鮮などで販売されていた。

ところが、1984年8月4日、朝日新聞は、どこかでこの写真を入手し、日本軍による「南京大虐殺」の証拠写真として、とある「日記」と共にスクープ記事に掲載した!


日記と写真もあった南京大虐殺 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊

昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」
昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊
「日記と写真もあった南京大虐殺」
「悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」



しかし、やがて、写真は偽物!!

日記も、朝日新聞による加筆あるいは改竄があったことが判明した。

朝日新聞との闘い・われらの場合都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載

http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html
朝日新聞との闘い・われらの場合

都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ

吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)

「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載

 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊に5段抜きの大見出しが躍った。
 「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題されたこの記事は、翌5日朝刊の全国版にも掲載され、一大センセーションを巻き起こす。


 思えばこれが、朝日新聞との2年5ヶ月におよぶ闘いの幕開けだった。
 
(略)

 支局長「抗議の公文書、確かに受け取りました。その事ですが、「お詫び」だけはご勘弁下さいませんか。その事を記事にすれば、私は首になります」
 中山「首になる。仕方ないじゃありませんか。嘘の報道を大見出しの記事として全国版に掲載したんですから。その責任をとって首になるのが当然じゃありませんか」
 支局長「その責任は重々、感じています。しかし首になると私は困ります。私の家族のために助けて下さい。お願いします。この通りです(両手をついて頭をさげる)」
 中山「お詫びがないと、私の方が困ります。亡き戦友の御霊を慰めるのが私ども連隊会の責務ですから」
 支局長「そこのところ何とか」

 2人の間で種々のやりとりがあったすえ、お詫びとか記事取り消しといった言葉は使わないが、全国版・地方版で連隊は南京大虐殺とは無関係との旨を報道することで、両者が合意した。
 事務局長は帰ってから連隊会の安楽秀雄会長とも相談し、やむを得ないとの承諾を得たのである。
 昭和60(1985)年2月24日、朝日地方版は「「南京大虐殺と無関係」元都城23連隊の関係者が表明」として次のように報じた。

(略)

 いささか不本意ではあったが、ともかくもこの記事で、およそ半年におよぶ朝日と連隊会の抗争に終止符が打たれるかに見えた。

 ところが、同年の6月、7月、10月と、大阪・名古屋などに住む戦友から相次いで「連隊は無関係という記事は全国版の何月何日に載ったのか」との問い合わせが事務局に殺到した。
 全国版に載せると言った朝日が約束を破るはずはない。
 この種の記事は紙面の片隅に小さく載せるのが新聞社の常道だから、もう1度よく見て下さい、と照会のたびに事務局は回答していた。
 昭和60(1985)年12月20日、"お詫び"記事から半年たったところで、意外な事実が判明した。
 この日、中山事務局長は、朝日宮崎支局に中村支局長を訪ねた。
 事件の取材で宮崎に来ていた「世界日報」の鴨野守社会部記者を伴ってである。
 中山氏はさっそく、
 「例の無関係の件、全国版の何月何日に載ったのですか」と切り出す。
 ところが支局長は言った。

 「全国版?全国版には載せてありません」
 「載せていない?それじゃ約束が違います」
 「約束した覚えはありません」
 「冗談をおっしゃってはいけません。あの日、固く約束されたじゃないですか。」
 「いや、地方版に載せるとは言いましたが、全国版とは言いません」

 そして中村局長は、「あの記事はすべて正しい。朝日新聞宮崎版に載った記事は訂正記事ではない。連隊会から抗議があった旨を載せたまでだ」と、言い放ったのである。
 中山事務局長は、

 「今からでもよいから、全国版に載せてくれませんか」と食い下がったが、
 支局長は「いや、もうこれ以上の事は朝日としては出来ません」と一蹴した。
 やむなく中山事務局長は、次のように言い残して席を立った。

 「卑怯ですねあなたは。あの時私に、1人で来て下さいと言われた意味が今になってわかりました。約束をした、しないは、当事者だけでは押し問答になりますからね」

朝日は都城23連隊との抗争はこうして再燃したのである。


 それから1週間ほどたった12月28日、朝日にとって極めて衝撃的なスクープが「世界日報」の一面トップを飾った。

 「朝日、こんどは写真悪用 南京大虐殺をねつ造」と題された記事によれば、中国人の首が転がっている例の写真、南京大虐殺の動かしがたい証拠であると朝日が大見得を切った写真は、旧満州の熱河省で撮影されたもの、と指摘されたのだ。(その後の報道で、この写真は昭和6(1931)年、当時の朝鮮で市販されていたもので、満州の凌源で中国軍が馬賊を捕らえて処刑したものと判明する)

(以下略)


1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明
1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が偽物だったと判明


関心を持たれた方は是非、全文読んで頂きたい。

朝日新聞の卑劣さが良く分かる。


朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://www.history.gr.jp/nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載




この朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件については、『「宇和田日記」(日記帳)の現物があるから信頼できる』といいうような頓珍漢な主張をしている馬鹿もいる。

しかし、この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。

騙されてはいけない。

当該事件の核心(想定)は以下のとおり。


――――――――――
1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去

1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出

戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される

・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る

1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす

1984年末、吉川正司氏は、日記の【現物】を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず

1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の【現物】は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず

1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明

1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず

1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て

1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告

1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告

連隊会は不本意なまま、朝日新聞との闘いを終えた。
――――――――――




左:「大嫌韓日記」桜井誠著 (2016/6/16)
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:「余命三年時事日記2」余命プロジェクトチーム著(2016/5/16)


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右:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6


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