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共産党の小池晃「私の顔をみてほしい。暴力革命の党に見える?」・警察庁「暴力革命の日本共産党」
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http://www.sankei.com/politics/news/160421/plt1604210030-n1.html
「私の顔をみてほしい。暴力革命の党に見える?」共産・小池晃書記局長が主張
2016.4.21 17:20更新、産経新聞

衆院北海道5区補選で、推薦した池田真紀氏の応援演説をする共産党の小池晃書記局長=21日、北海道北広島市(清宮真一撮影)
衆院北海道5区補選で、推薦した池田真紀氏の応援演説をする共産党の小池晃書記局長=21日、北海道北広島市(清宮真一撮影)

 共産党の小池晃書記局長は21日、同党について「警察庁としては現在においても『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」とする答弁書を閣議決定した安倍晋三政権に対し、「共産党は一度も暴力革命という方針を決めたことはない」と主張した。北海道北広島市で行った衆院北海道5区補欠選挙の応援演説で語った。

 だいたい、志位(和夫)委員長とか、私の顔を見てほしい。暴力革命の党に見えますか? 極めて平和的な人間だ」とも訴え、「根拠のないデマを打ち返していこう」と声を張り上げた。



>「だいたい、志位(和夫)委員長とか、私の顔を見てほしい。暴力革命の党に見えますか?」


日本共産党の志位和夫や小池晃の顔を見ると、暴力革命の党に見える!
日本共産党 志位和夫委員長(左)、小池晃



平成16年(2004年)に発行された警察庁資料「警備警察50年」は、【暴力革命の方針を堅持する日本共産党】と大見出しを掲載し、日本共産党暴力革命の方針を堅持していることについて説明している。

警察庁発行資料「警備警察50年」
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/index.htm
PDF資料第2章の①より抜粋

暴力革命の方針を堅持する日本共産党

警察庁発行資料「警備警察50年」 PDF資料第2章の①より抜粋 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
警察庁発行資料「警備警察50年」 PDF資料第2章の①より抜粋 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
警察庁発行資料「警備警察50年」 PDF資料第2章の①より抜粋 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
警察庁発行資料「警備警察50年」 PDF資料第2章の①より抜粋 暴力革命の方針を堅持する日本共産党
警察庁発行資料「警備警察50年」
暴力革命の方針を堅持する日本共産党




日本共産党をはじめとする共産主義者たちは、全員が漏れなく暴力革命を目指す殺人テロリストだ。

多くの日本人は日本共産党にも自由に活動する権利があると勘違いしているが、日本共産党は「殺人テロ」(内戦)によって「暴力による独裁支配」の実現(共産主義革命)を目指しているテロ集団だ。


「共産主義革命」=「殺人テロ」=「暴力による独裁支配」

共産主義は、個人の金融資産や土地などの「私有財産」の所有を認めず、人民の私有財産を全て没収する。

これを「弱者への思いやり」と勘違いして共産主義に傾斜していった人々が、世界のあちこちで共産主義を実現させ(大量殺戮を実行し)、それぞれの国全体を奈落の底に突き落としていった。

ロシアや支那や北朝鮮やカンボジアなどで共産主義を実現するために、資本家や地主などは大量に殺された。

つまり、共産主義者は殺人テロリストであり、共産党は殺人テロリスト集団だ。

日本では、ロシアなどと違って天皇陛下がほぼ全ての国民から敬愛されていたことや、特高警察の活躍などによって、共産革命が実現するほど共産主義者が増大しなかった。

しかし、日本共産党だってチャンスがあれば、資本家や地主などを大量殺戮し、全国民の私有財産を没収したのだ。

現在のアメリカや韓国、戦前・戦中の日本は、共産主義者(殺人テロリスト)を厳しく取り締まった。

共産主義者(殺人テロリスト)を野放しにしている今の日本は異常だ。


Japanese Communists Rioting in 1949 (日本共産党の暴動)
■動画
Japanese Communists Rioting in 1949 (日本共産党の暴動)
https://www.youtube.com/watch?v=FaoujVbP4xw




日本共産党は「暴力革命」を標榜し、戦後の混乱期に朝鮮人と徒党を組み、多くの「殺人テロ」を実行してきた。

日 本 共 産 党 と 在 日 朝 鮮 人 
_____________________
・万来町事件(昭和27年):生活保護増額を却下された在日が集団で福祉事務所を襲撃
・木造地区警察署襲撃事件(昭和27年):日本共産党の指示で在日が起こした襲撃事件
・血のメーデー事件(昭和27年):日本共産党と在日による皇居外苑における騒乱事件
・上郡事件(昭和27年):日本の公立学校入学を巡った在日の内ゲバ暴行事件
・宇治事件(昭和27年):在日による複数の派出所占拠

・多奈川町事件(昭和27年):密造酒一斉摘発に抵抗した在日が集団暴徒化
・田川事件(昭和27年):日本人花見客と在日グループとの争いで死亡者が出た暴行事件
・大村収容所事件(昭和27年):韓国が強制送還引取拒否した在日犯罪者達が収容所内で暴徒化
・広島地裁被疑者奪回事件(昭和27年):裁判中に在日放火犯を奪還し逃走
・桜井町事件(昭和27年):旧朝連系在日よる民潭系在日への襲撃事件
・奈良警察官宅襲撃事件(昭和27年):桜井町事件検挙に反発した在日が警官宅を襲撃
・高田事件(昭和27年):旧朝連系在日による民潭&派出所襲撃事件


日 本 共 産 党 と 在 日 朝 鮮 人 

http://81.xmbs.jp/piroshigogo-222215-ch.php
■「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話(2005年)より一部を引用
ジャーナリスト 林 玲

■在日は少数民族

金天海が、戦後再建時の日本共産党で、5人の政治局員の一人であったことをみても、在日団体に対する共産党の影響力が大きかった、というよりもむしろ、日本共産党における朝鮮人の役割がいかに大きかったかがわかる。共産党が、在日団体である朝連などへの指導をぶれることなく続けられたのは、「朝鮮フラクション(支部)」を設置していたからだった。

この組織は1947年(昭和22年)1月26日、金天海のもとで、責任者に「朝鮮民衆新聞」を創刊した朴興奎、後に朝鮮総連初代議長となる韓徳銖ら6名の委員と、4名の委員候補からなっていた。敗戦直後から、在日朝鮮人の間で、子弟に対する民族教育をしたいという要求が高まっており、在日団体が自然発生的に各地につくられた。

それらをまとめ、相互扶助的な団体として、<全日本に在留する240万同胞の生命と財産を保護し、あらゆる権利を主張すべき唯一の代表機関>を宣言して、1945年10月15日に結成されたのが、朝連、在日本朝鮮人連盟であった。

当時を憶えている在日の古老たちによると、「味噌とか醤油とか木炭を配給したりして、今でいう生協のようなものだった」「隠退蔵物資を摘発して、在日の商工業者へ原材料を提供することもやっていた」という。在日朝鮮人の運命は、激動する国際情勢にゆさぶられ続けていた。第二次世界大戦の戦後処理問題討議のため、米英ソ3国の外相会議が、1945年12月、モスクワで開催された。

朝鮮については、<米ソの協議により朝鮮民族の臨時民主政府の樹立を準備し、米ソ両国は5年間の信託統治を実施する>ということが決まった。この決定は、朝鮮民族を信託統治に対する賛成、反対で二分し、南北に別々の政府が樹立されるきっかけとなる。朝連は信託支持であり、一方の反信託側は、46年10月に民団(在日朝鮮居留民団)を結成。それ以降、在日団体は二分されることになった。

1949年(昭和24年)3月27日、朝連は他団体とともに大阪の扇町公園で、吉田内閣打倒人民大会を開催する。大会後、デモ隊と警察官が衝突し、重軽傷者は16人にのぼった。同年6月11日には、朝連の参加する公安条例反対共闘委員会が、皇居前広場におよそ5万人もの参加者を集めて大規模集会を開催する。朝連の活動は活発だった。

日本政府は朝連を恐れるようになっていく。その年の9月8日、朝鮮民主主義人民共和国建国1周年の前日、朝連を強制的に解散させる。団体等規制令に抵触したという理由だが、背景には、冷戦の進行、中国大陸で共産党政権樹立という状況があったのである。

朝連解散後、日本共産党は民族対策部(民対)を設置する。民対は前身の朝鮮人部と同じく、主として在日党員で構成されていた。朝鮮戦争勃発の翌年の51年(昭和26年)1月、在日朝鮮人統一民主戦線(民戦)が結成される。民戦は議長団の一人に民団の副団長である李康勲が加わるなど、当初は何とか統一戦線であろうとした。

李康勲は、熱烈な民族独立運動家で,
“北朝鮮支持”は決して口にしなかった人物である。しかし、結成から3年後の1954年(昭和29年)、李康勲は、<民戦は民族団体ではなく、日本共産党の尖兵>という声明を発表して民戦を離脱する。

実際、民戦は“オモテ”の顔としては日本国内の在日朝鮮人組織の統一戦線であったが、“ウラ”の顔としては、共産党の民族対策部の指導下にあった。そのため、活動に参加した朝鮮人党員の多くは、1951年2月の4全協(第4回全国協議会)で決定された“武装闘争”の前面に立つことになり、大きな犠牲を出してしまう。

なぜ、多大な犠牲を払ってまで“在日朝鮮人”は、共産党の“武力闘争”の方針に積極的に従ったのか。
実は、4全協では在日朝鮮人を、戦時下の日本政府にならったのかどうか、<日本のなかの少数民族>と規定したのである。この規定では、在日朝鮮人は外国人ではないことになる。つまり日本革命をなし遂げることなくしては、在日問題は何一つ解決しない、とされたのである。

■大量だった在日の逮捕者

その年の8月19日、共産党第20回中央委員会総会で、『日本共産党の当面の要求――新しい綱領』、いわゆる51年綱領の草案が提出された。51年綱領は、平和革命の可能性を全面的に否定し、4全協で採択された軍事方針を正当化し、山村工作隊活動や火炎ビン闘争を展開する極左冒険主義方針の根拠となった。

綱領草案は、10月16日の第5回全国協議会(5全協)で採択された。『日本共産党の60年』や『日本共産党の70年』など公式の党史は、極左冒険主義や軍事方針は当時の、“徳田球一書記長を中心とした分派”がやったこととして、責任を回避している。

しかし、分派闘争、内部の勢力争いにうつつをぬかしたのは、徳田、宮本顕治(のちに書記長、中央委員会議長)などひと握りの幹部たちだけであった。朝鮮人党員を含めて大部分の党員は、共産党の方針を正しいと信じて、身の危険をかえりみず忠実に参加したのである。

共産党の軍事方針のもとで、いくつもの騒乱事件が起きた。1952年(昭和27年)の5月1日、第23回メーデーで、デモ隊と警官隊とが衝突したいわゆる“血のメーデー事件”がある。戦後、皇居前広場は“人民広場”と呼ばれ、たびたび集会場として使われてきたが、その日、政府は使用禁止とした。だが、メーデー参加者たちは広場に突入。在日朝鮮人はデモ隊の先頭で警官隊に対峙した。

この事件では在日朝鮮人から多くの逮捕者(1232名中130名)が出た。広場になだれ込んだ2万人のうち、5000人が在日だったといわれる。その年、大阪で起きた吹田事件(6月25日)、名古屋の大須事件(7月7日)でも、多数の逮捕者が出た。吹田事件の在日の逮捕者は250名中92名。大須事件では、269名中150名が在日だった。

こうした騒乱事件の多発に対し、大須事件直後の7月13日、民戦中央本部は、実力闘争偏重を批判する。第一線の実行部隊が朝鮮人である場合が多かっただけに、切実だった。
一方、日本共産党は、12月中旬になっても全国軍事会議を開催し、武装闘争と日常戦闘との結合を強調するなど、極左冒険主義は改めそうになかった。



小池晃は「共産党は一度も暴力革命という方針を決めたことはない」と主張したが、真っ赤な嘘だ!



昭和63年(1988年)、平成24年(2012年)に亡くなった「ハマコー」こと浜田幸一衆院予算委長(当時)は、テレビ放映中の予算委員会で、宮本顕治共産党議長を「殺人者」と呼んだ!

ハマコーの「宮沢賢治(宮本顕治)は人殺し」発言は、問題発言とされ国会は紛糾しハマコーは衆院予算委長を辞任した。

衆院予算委で宮本顕治共産党議長を「殺人者」と発言した浜田委員長(中央)に詰め寄る正森成二氏(左)=1988年2月6日撮影毎日新聞
衆院予算委で宮本顕治共産党議長を「殺人者」と発言した浜田委員長(中央)に詰め寄る正森成二氏(左)=1988年2月6日

しかし、宮本顕治共産党議長が殺人トロリストだったことは、紛れもない事実だ。
宮本顕治
宮本顕治

▼「宮沢賢治(宮本顕治)は人殺し」発言▼

1988年、浜田幸一委員長が、衆院予算委員会で、テレビ放映中継下での共産党議員の質問中、宮本顕治共産党議長を殺人者呼ばわりし紛糾、騒然となった。(結局ハマコーは予算委長を辞任)

「私が言ってるのは、宮沢賢治君が人を殺したといっただけじゃないですか。何が悪いんですか?!」

宮本顕治を宮沢賢治とを言い間違えたのはハマコーらしいが、「共産党」=「殺人テロ集団」という指摘は事実だ。

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≪祖国を蝕む内なる敵を斬る!≫

 民商や共産党に入るということは破防法指定容疑団体の構成員になるということ、つまりオウムの信者になるのと同じことなのだ。
それ故に破防法を目の敵にする左翼陣営がオウムの破防法適用に対して、一致団結して反対を唱えたる所以である(498頁)。

 平成5年に共産党議長の不破哲三が『日本共産党に対する干渉と内通の記録』という著書を出版している。
これは宮本顕治が野坂参三派を攻撃するために、つまり共産党内部抗争の材料として出版されたものだが、この本には野坂や志賀義雄ら共産党の幹部の多くがソ連共産党のスパイとなり、ソ連から活動資金を支給されクレムリンの指示に従って活動していたその事実が詳しく書かれている。
これはまさに不破自ら語るに落ちたというべき珍書であり、日本共産党がソ連の対日工作部門であった事実を証明するものである
日本を仮想敵国とする外国から数百億円もの裏資金を貰って自国政府の転覆を企図する、この共産党の行為は死刑に該当する刑事犯罪ではないか
高校や大学でオルグされて民青に入り街頭で「自衛隊イラク派遣反対の署名をお願いします」と叫んでいる馬鹿学生たちは、この不破による共産党売国史のカミングアウト(暴露本)著書を読んだことがあるのだろうか(499頁)。

 共産主義国のまさに縮図のような事件の代表例は、やはり日本共産党革命左派所属の永田洋子らが起こした連合赤軍の群馬県榛名山アジト「12名リンチ殺人」であろう。
永田や森恒夫ら幹部の意見には全て無条件で「意義なし」と答えさせられ、少しでも幹部の気にいらない言動を取った者は「革命意志が足りない。共産主義戦士の自覚がたりない」とされて死ぬまで殴られた。
もしも幹部に対して疑問を呈したら「公安のスパイだ」と決め付けられ殺害された。

こうして12名を殺害した残党がかの「浅間山荘」へと向ったわけだが、この榛名山アジトがそのまま国家規模になった国がソ連・中共・北朝鮮等々なのである。
すなわち日本共産党員が目指す国のことだ。

これは観念論ではなく、共産党の頂点に長らく君臨した宮本顕治議長はリンチ殺人で逮捕されたことのある人物であり、殺人犯を党首に戴く政党なんて共産党だけなのである。
この宮本のリンチ殺人について共産党は「党と社会進歩をめざす闘争の正しい前進を防衛するためにおこなった正義の闘争」(昭和51年1月8日・日共中央委員会)としている。
殺人を「正義の闘争」と断じる政党は日本においては共産党だけである
(500頁)。

 オウムが革命による日本支配を計画していたように、共産党もまた一度は「武力革命による政権転覆」を呼号したテロ政党であり、その違いはサリンを使ったか火炎瓶を使ったかだけにすぎない(512頁)

深田匠著『日本人の知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』


『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』深田匠著(2004)
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左:「さよならパヨク 」千葉麗子著(2016/4/16 )
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:「余命三年時事日記2」余命プロジェクトチーム著(2016/5/16)


左:カゴメ ふくしま産トマトジュース食塩無添加 スマートPET 720ml×15本
中:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6
右:「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」村田春樹著(2015/10/20)


「日本共産党の志位和夫や小池晃の顔を見ると、暴力革命の党に見える!」

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