正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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在日「天皇制は無責任体制!責任は転嫁される。虐殺する側は『上からの命令』と釈明」崔善愛の妄言
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ヘイトスピーチは命の問題~在日ピアニスト崔善愛さん「天皇制は無責任体制!責任は転嫁される。虐殺する側は『上からの命令』と釈明」
在日ピアニスト崔善愛
戦時中、「上からの命令で仕方がなかった」という釈明は、虐殺する側に共通する。
ドイツのワイツゼッカー大統領が、歴史を直視して戦争責任を自覚するよう求めた有名な演説に比して、日本での動きはあまりにも弱い。
そこに天皇制の無責任体制を見いだす。
責任は他人に転嫁され、拡散し、消えていく。国家が起こす戦争も、災厄に矮小化され、忘れ去られる。
たった100年の歴史さえ分からないのに、簡単に未来を語れるのか
殺される側の一人の人間として恐怖を覚えている。
ヘイトスピーチは命の問題


http://www.labornetjp.org/news/2016/0310hayasida
ヘイトスピーチは命の問題~在日ピアニスト崔善愛さん
2016-03-10 23:06、レイバーネット  林田英明

ヘイトスピーチは命の問題~在日ピアニスト崔善愛さん「天皇制は無責任体制!責任は転嫁される。虐殺する側は『上からの命令』と釈明」
*語りの合間にピアノを演奏する崔善愛さん=北九州市小倉北区で 2016年2月7日

 たおやか――。ひと言で評するなら、そうなる。在日韓国人3世のピアニスト、崔善愛(チェ・ソンエ)さん(56)の語りと演奏は、心に真っすぐ入ってくる。だが、心の内奥は平穏ではなかった。2月7日、北九州市小倉北区で開かれた第21回崔昌華記念北九州人権集会に参加した40人は、善愛さんが昨夏発刊した『十字架のある風景』(いのちのことば社)も手にしながら聴き入った。

●支配と管理の指紋押捺拒否

 善愛さんにとって崔昌華(チォエ・チャンホァ)さんは父にあたる。朝鮮戦争の惨禍から逃れるべく日本に渡ってきた。だから善愛さんは、生まれも育ちも日本である。高校まで過ごした小倉が古里であり、原風景が著書にのぞく。父が牧師の傍ら、人権活動に没頭する姿に距離を置いて見ていたのは自然かもしれない。中学生の頃、父に「いつになったら帰化するのか」と問いかけてもいる。「帰化」つまり日本国籍を取得することに抵抗はなかった。14歳になって初めて外国人登録証を手にする際の指紋押捺も「当然」と思い、強く生きていこうと気持ちを切り替える。真面目に勉強し、働いて周囲に認められればいいと考えていた。

 ところが、被差別部落の友人の告白に加え、六つ下の妹が初めての押捺に強い拒絶反応を見せたことで目覚める。「自分も本当はイヤだった」。差別を我慢することは、差別を繰り返すことにつながる。21歳の時、善愛さんは父や妹らと指紋押捺拒否を実行する。脅迫の手紙や電話が届いても、裁判での意見陳述に揺らぎはない。誰にでも分かる言葉で「私たちにできるのは、痛いといって表すだけです。その痛みに気づいてもらうために指紋押捺を拒否しました」「私は日本がどんな国であっても、私をどんなに苦しめても、日本は私が最も愛し、なつかしく思う国です」と訴えた。実のところは、父の闘いや在日の歴史を自分の中ではまだ消化できておらず、父の感情論にくみしえないままの決断だった。名前を常に朝鮮語読みすることと、日本人との結婚を許さないことの2点を厳命してきた父に対して「そんなに日本がイヤなら朝鮮に帰ったら」と、まるで脅迫状と同じような言葉を父に向けた、と振り返る善愛さんは、父や民族を理解できない負い目も意識しながら、とにかく一歩を踏み出した。支配と管理の差別を自ら打ち破るために。

 結果は敗訴と再入国不許可。特別永住資格を剝奪される。ピアノの勉強のため渡米した善愛さんに法治国家は厳しい態度で臨んだが、全国に広がった押捺拒否の動きが2000年の制度撤廃に結びついたことを思えば、勝ち取った果実は小さくない。何よりも善愛さんにとって、無用な我慢に別れを告げて、自己の生き方をはっきり見いだした闘いだった。渡米と同時に起こした再入国不許可取り消し訴訟は一部勝訴を経て特別永住権を取り戻す。なお、指紋押捺拒否裁判のほうは、最終的には昭和天皇死去に伴う恩赦を拒否するも免訴となった。

(中略)

 戦時中、「上からの命令で仕方がなかった」という釈明は、虐殺する側に共通する。しかし、日本とドイツの違いを挙げるならば、「お父さんはあの時どこにいて何をやったのか」と若者が親を告発して世論を動かしてきた点である。1985年、ワイツゼッカー大統領(当時)が「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と歴史を直視して戦争責任を自覚するよう求めた有名な演説に比して、日本での動きはあまりにも弱い。善愛さんは、そこに天皇制の無責任体制を見いだす。責任は他人に転嫁され、拡散し、消えていく。国家が起こす戦争も、災厄に矮小化され、忘れ去られる。日本の近代化以降を振り返っても、その歴史の評価さえ心もとない。例に挙げたメモリアルクロスだけでなく、遺跡や屍は埋もれたままだ。善愛さんは「たった100年の歴史さえ分からないのに、簡単に未来を語れるのか」と語気を強める。安倍晋三首相がしきりに説く「戦後レジームからの脱却」も「戦前レジームへの回帰」と見抜いていた。 善愛さんは、殺される側の一人の人間として恐怖を覚えている。隣人を変容させてしまう純化政策がもたらす惨状。ポーランドと在日の歴史は別物とは思えない。だからこそ善愛さんは話したいのだ。それを乗り越える手段に、内奥の声や感情を一気に表現できるピアノがあった。世界各地の音楽祭や国内外での演奏活動は、善愛さんを善愛さんたらしめるのだろう。

●日本に住む人の良心を信じて

 昌華さんには「日本を愛したい、日本人の良心を信じたい」という強い願いがあったと善愛さんは振り返る。日本国籍を取得することなく一生を終えたが、その人生を少しずつ理解できる経験と年齢を重ねてきて思う。同様に日本国籍を申請しなかったのは、民族の誇りを取り戻そうと葛藤の日々を送った父の姿をそばで見てきたからだ、と。裁判を通して法務省や日本政府の朝鮮人蔑視の感情が総体として伝わってくる。晴れやかな気持ちで日本国籍を取得できない限りは、韓国語も話せない在日としてあるがままアイデンティティーを探し求めて生きていくしかない。『十字架のある風景』の冒頭で善愛さんは血を吐く思いでこう記す。

 「日本社会に『在日』が存在することが、諸悪の根源であるかのような空気すら生まれた。いや、空気だけではない、『ヘイトスピーチ』が蔓延するこの国で、その矛先が自分に向かないようにと祈りながら生きている人が、どんなに多いことだろう。自分の家族のルーツを隠すことでしか生き延びられない。そして、隠してしまう自分の弱さを恥じ入る」

 一方、在特会初代会長、桜井誠氏は『大嫌韓時代』で「在日という異常な反日国家の国民が、この日本に50万人以上も存在しているという現実に、ようやく日本人は向き合おうとしている」と高らかに闘争宣言を記している。観光マナー欠如や犯罪者、強硬な対日国家政策の一部をもって50万人の在日を丸ごと敵視してどうしようというのだろう。通名(日本名)使用が“特権”だと思い違いをする前に、葬儀ですら大半が本名を名乗れない現実を知ってほしい。ヘイトスピーチを命の問題と深刻に考える善愛さんだが、それでも希望を捨てずにこう語る。「自分の思いを受け止めてくれる人たちに何年もかかって出会えた」。この国に住む人たちの良心が、排外主義をきっと打ち破ると信じている。私は善愛さんの良き隣人となれるだろうか。



>結果は敗訴と再入国不許可。特別永住資格を剝奪される。


特別永住資格は権利ではなく飽くまで資格ではあるものの、現実問題としては途轍もない「在日特権」となっている。

在日外国人は決められた年数ごとに在留許可申請をすることになっているが、在日韓国人と在日朝鮮人だけには「特別永住資格」という在日特権が与えられているため、子々孫々まで日本に居座ることが容認されてしまっている。

これが「法の下の平等」に反する特権(差別)であることは明白だ。


そして、日本の法律では、犯罪を行った外国人については、裁判で有罪が確定し刑期が終了すると国外追放することになっているが、1970年以降、在日韓国人と在日朝鮮人だけは誰一人として犯罪事案を理由に国外追放となっていない!

在日韓国人については韓国政府との間に1965年に結ばれた日韓基本条約の付帯協定「在日韓国人の法的地位協定」によって、内乱罪や麻薬事犯などの重大犯罪以外では韓国に強制送還できないことになっている。

しかしながら、麻薬事犯や懲役七年以上の重大犯罪と規定される事犯で有罪となった在日韓国人と在日朝鮮人も、1970年以降は誰一人として強制送還されていない!

日本は法治国家ということになっているが、歴代日本政府は在日韓国人と在日朝鮮人に対してのみ、法律を無視した「在日特権」を認めて、在日犯罪者たちを野放しにしている。






>21歳の時、善愛さんは父や妹らと指紋押捺拒否を実行する。脅迫の手紙や電話が届いても、裁判での意見陳述に揺らぎはない。誰にでも分かる言葉で「私たちにできるのは、痛いといって表すだけです。その痛みに気づいてもらうために指紋押捺を拒否しました」「私は日本がどんな国であっても、私をどんなに苦しめても、日本は私が最も愛し、なつかしく思う国です」と訴えた。
>(略)
>結果は敗訴と再入国不許可。特別永住資格を剝奪される。ピアノの勉強のため渡米した善愛さんに法治国家は厳しい態度で臨んだが、全国に広がった押捺拒否の動きが2000年の制度撤廃に結びついたことを思えば、勝ち取った果実は小さくない。何よりも善愛さんにとって、無用な我慢に別れを告げて、自己の生き方をはっきり見いだした闘いだった。渡米と同時に起こした再入国不許可取り消し訴訟は一部勝訴を経て特別永住権を取り戻す。なお、指紋押捺拒否裁判のほうは、最終的には昭和天皇死去に伴う恩赦を拒否するも免訴となった。



在日韓国・朝鮮人らについても、平成4年(1992年)までは、当たり前のこととして、「犯罪防止指紋捺印」(指紋登録)が行われていた。

在日韓国人によって「指紋押捺拒否運動」という有りえないトンデモ運動が始まったのは、昭和55年(1980年)だった。

【犯罪防止指紋捺印廃止】は、昭和55年(1980年)に在日韓国人が「犯罪者でもないのになぜ指紋を取られなければならないんだ」と主張した記事が朝日新聞に掲載されたことにより、人権団体の抗議が始り、平成5年(1993年)に廃止された経緯がある。

元「救う会」会長で現代コリア研究所所長だった佐藤勝巳氏から聴いた話だが、在日韓国人どもによる指紋押捺拒否運動は、当初は在日韓国人たち(民団)が団結意識を高めるために始めた運動に過ぎず、まさか本当に指紋押捺を拒否できるようになるとは考えていなかったそうだ。

それが、朝日新聞をはじめとする反日マスゴミや一部の国賊政治家どもが、理不尽極まりない不当な指紋押捺拒否運動を支援したために、あれよあれよのうちに廃止が実現してしまった。

韓国では今でも、満17歳以上の全国民に指紋押捺が義務付けられているにもかかわらずだ!

在日韓国人どもは喜びもしたが、それ以上に驚いたという。

その後、味を占めた在日韓国人(民団)や在日朝鮮人(総連)は、以前にも更に増して、折に触れ、「ミンジョク差別ニダー!」と叫びながら、在日特権の要求をエスカレートさせていった。


▼犯罪防止指紋捺印廃止▼
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指紋押捺拒否運動

在日朝鮮人は1947年5月に外国人登録されることになったが、
1.当初より外国人登録証の偽造・売買が多かった
2.韓国からの密入国が多かった
3.北朝鮮からの工作員潜入があった
という3点の状況から本人確認の一番確実な指紋が必要となり、1952年に指紋制度が実施された。

昭和55年(1980年)に在日韓国人が犯罪者でもないのになぜ指紋を取られなければならないんだと主張した記事が朝日新聞に掲載された。
以後1980年代に在日韓国人の間で外国人登録証の指紋押捺を拒否する運動が盛んとなった。
指紋押捺は外国人登録法第14条に明記されている義務であり、拒否者には逮捕者が出るなどの緊張した状況になった。
この問題は平成2年(1990年)5月の盧泰愚大統領の訪日の際に取り上げられて外交問題にまで発展し、最終的に平成3年(1991年)1月の海部首相訪韓時に調印された日韓覚書で2年以内の指紋廃止が決定し、拒否運動も終息した。
結局平成5年(1993年)1月より指紋押捺は廃止された。

――――――――――


その後、さらに、平成11年(1999年)には永住者、特別永住者だけでなく全ての外国人に対して撤廃された。

しかし、平成19年(2007年)、改正出入国管理・難民認定法により、日本に入国する16歳以上の外国人に指紋採取と顔写真の撮影に応じることを義務付けられた。(関連記事

だが、その際にも、在日韓国・朝鮮人ら特別永住者は対象外とした。

このように、在日韓国・朝鮮人だけ差別(特別優遇)するのはおかしい。


韓国では殺人やレイプや窃盗などが非常に多いため、満17歳以上の全国民は住民登録する際、両手のすべての指の10指紋を登録することが義務付けられている。

韓国の住民登録証(裏に指紋が押印)
韓国の住民登録制度 裏に指紋が押印 ICチップに指紋情報を入れる
ICチップに指紋情報を入れる
ICチップに指紋情報を入れる

しかし、在日韓国人は韓国籍であるにもかかわらず、韓国に10指紋の登録をしていない。

更に、日本にとっては外国人であるにもかかわらず、やはり指紋を登録せずにいる。


こんな馬鹿な話があって良いのか?!

どうして密入国や密航して日本に住みついた連中に限って韓国でも日本でも指紋採取が免除されるのか?!

ふざけるな!!






>戦時中、「上からの命令で仕方がなかった」という釈明は、虐殺する側に共通する。しかし、日本とドイツの違いを挙げるならば、「お父さんはあの時どこにいて何をやったのか」と若者が親を告発して世論を動かしてきた点である。


日本は、ドイツのような虐殺をやっていない!

上からの命令も何もない!

だから、仕方なくも何も、そもそもそんな虐殺をやっていない!






>1985年、ワイツゼッカー大統領(当時)が「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」と歴史を直視して戦争責任を自覚するよう求めた有名な演説に比して、日本での動きはあまりにも弱い。


過去に目を開き、歴史を直視すると、日本はドイツのような虐殺をしていないし、戦争責任についても日本にはないことが、良く分かる。

――――――――――
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(ドイツ連邦共和国 第6代大統領)
wikipedia
1985年5月8日の演説に対する評価
1985年5月8日の連邦議会での演説の中の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳)という有名な一節は、演説が行われた当初は特に注目されていなかった。
この一節を日本で最初に見出しにしたのは、岩波書店の雑誌「世界」1985年11月号で、朝日新聞も同年11月3日にコラムで取り上げている。
岩波書店はさらに、1986年2月に演説全文を掲載したブックレット、1991年には単行本を出版している。

この頃からこの一節が有名になり、歴史認識で韓国が日本を批判するのにも使われるようになった。


しかし、演説の3日前にコール首相とレーガン米大統領がナチス親衛隊も埋葬されているビットブルク墓地を訪れ、ワイツゼッカーもレーガンに謝意を述べている。

また演説の中には謝罪に当たるものはなく、「民族全体に罪があるということはない」「当時に子供だったり生まれていない人達が自分が手を下していない行為に対して罪を告白する事はできない」などと述べている。

伊奈久喜は、これは日本の政治家が語れば「妄言」と批判されるかもしれない内容であり、ワイツゼッカー演説は史実とは異なる「神話」になった、と述べている。
――――――――――






善愛さんは、そこに天皇制の無責任体制を見いだす。責任は他人に転嫁され、拡散し、消えていく。国家が起こす戦争も、災厄に矮小化され、忘れ去られる。日本の近代化以降を振り返っても、その歴史の評価さえ心もとない。例に挙げたメモリアルクロスだけでなく、遺跡や屍は埋もれたままだ。善愛さんは「たった100年の歴史さえ分からないのに、簡単に未来を語れるのか」と語気を強める。


どうやら崔善愛は、戦争責任が「天皇制」や先帝陛下(昭和天皇)にあると思い込んでいるようだ。

頭が悪い在日のくせに、知ったかぶりするな!

日本人ではない外国人が内政干渉するな!


先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任は全くない。

そもそも当時の天皇陛下にもそのような権限はなかった。


■「天皇主権」の実態■
――――――――――
明治憲法の第四条に、「天皇は憲法の規定に基づいて統治を行う」と定められている。これは立憲君主制の法治国家において、当前の規定である。

 そして第五十五条に、「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」と定められている。「補弼」というのは耳慣れない言葉だが、要するに「天皇といえども自分勝手に国を動かすことは出来ない。天皇が統治を行う際は、必ず国務大臣の助言や支援を得なければならない」ということだ。

 そして第三条に、「天皇は神聖にして侵すべからず」という規定があり、これは天皇の政治的無責任(無答責)を意味しているものとされている。

 と、条文上の規定は、ざっと以上のようなものだ。(なお、記述の都合上、言葉自体は作者が若干手を加えている。明治憲法の原文は、これとは違う)。

 そして問題は、これらの規定をどう解釈するかにある。
 すなわち、権力と責任の関係である。

 第一に、天皇の政治的無責任を定めた第三条の規定から、天皇は実際に権力をふるうことができない。ふるってしまえば、そこには責任が生じるからである。
 そしてそこに、「天皇は補弼により統治を行う」の第五十五条が加わる。天皇は常に国務大臣の上奏を受け入れなければならないという規定である。


 だから実際に行われるのは、「内閣がすべての決定を行い、それを天皇に上奏し、天皇はそれを裁可する」という形の統治となる。
 その内閣の決定に天皇が関与することはできない。それどころか、たとえ自分の意志に反する場合でも拒絶できないし、天皇自らが代案を立てることもできない。(ただし、意見や感想や質問としての発言ならば問題ない。冒頭の「平和を望む」という意思表示は、その一例だ)。
 これが、天皇も遵守しなければならない明治憲法の規定なのである。


 したがって、である。
 もうお分かりだろう、天皇の実際の仕事は「単にはんこを押すだけ」となってしまう。しかも、はんこを押すことを拒絶することも、実質的にはできない(「輔弼によりて統治を行う」の規定から)。
 天皇の意志は、臣下が積極的にそれを汲んで従おうとしない限り、実現されない。そして昭和においては、ほとんどそれは実現されなかった。
 これが、明治憲法下の天皇主権の実態だったのである。

「私的レポート・太平洋戦争」
――――――――――


このように天皇陛下に戦争を始める権限も止めるもなかったことは明白だ。

そもそも戦争を開始、継続、拡大させたのは日本ではない。


大日本帝国憲法(明治憲法)における天皇は、憲法の条規に従っている存在だった。
そして、憲法改正権があるのは帝国議会だった。

――――――――――
「…すなわちもし天皇が、国務大臣の輔弼なくして、大権を行使せらるることにあらば、帝国憲法の正条に照らして、畏れながら違法の御所為(=行為)と申し上ぐるの外なし。
故に国務大臣が、憲法上大権行使の機関たることは、帝国議会が、憲法上立法権行使の機関たると、敢えて択ぶところなきなり」として、憲法上の大権行使についてはすべて必ず国務大臣の輔弼を必要とし、輔弼なくして天皇が独断で大権を行使することはできず、敢えてそれを行なうとすれば憲法違反と言わなければならないと解説しているのである。

八木秀次著『明治憲法の精神』176頁
――――――――――


天皇独断の大権行使は憲法違反だった。

「2.26事件」と「ポツダム宣言受諾のご聖断」が天皇の大権行使だと良く言われる。

しかし、2・26事件の場合、大日本帝国憲法(明治憲法)起草当時に想定されていない非常事態で、内閣自体がクーデターにより機能していなかったので致し方ない例外処置だった。

そして、ポツダム宣言受諾にしても、決して天皇独断の大権行使ではなかった。


日本は政策決定グループ「6首脳」の全員が降伏に賛成していた。

ただ、その6人の内、3人は即刻ポツダム宣言受諾、残る3人は即刻受諾に躊躇していただけだった。
そこで彼らは天皇陛下の御聖断を仰いだのだ。
その結果、天皇陛下は、ポツダム宣言をすぐに受諾する御聖断を下されたのだ。
もしも、3対3ではなく、4人以上が交渉抜きの受諾に難色を示していたら、誰も天皇陛下の御聖断を仰ぐことはなかった。


以上、先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任が全くなかったことの証明完了!
先帝陛下(昭和天皇)


そして、そもそも大東亜戦争で悪いのは、日本ではなく、米国などの連合国だった。

支那事変は、支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。

米英は、そのような暴虐支那に対して大々的にカネや武器を支援し、日本に対しては経済制裁を行なうなど理不尽な行動をとった。

日本は何も悪いことをしていなかったにもかかわらず、石油の輸入が出来なくなってしまった。

米英蘭の3カ国が日本に「石油を売らない」と言うことは、日本に「死ね」と言うのと同じことだった。

日本がハル・ノートを呑んで支那や満州から撤退したら、日本列島では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んだだろう。

更に、当時は国家生存の条件とされていた大国の地位を失い、小国に転落すれば、いつソ連や米国の植民地にされてもおかしくなかったし、ましてやアジア諸国の独立なんて何十年・何百年後に実現したか分からない。

連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーでさえ、1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交委員会において「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と証言した。

1951年5月、マッカーサーは米上院軍事外交委員会において

大東亜戦争は、日本が生きるために行なった戦争だったのだ!





> 善愛さんは、殺される側の一人の人間として恐怖を覚えている。


帰れ!


●関連記事
「私は在日」指紋押なつ拒否の崔善愛が改めて特別永住者の在日特権を主張・「朝鮮戦争の特需」は嘘
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6035.html

指紋押なつ拒否運動(犯罪)で在日コリアンの在日特権を強奪した女性朝鮮人ピアニスト崔善愛(チェソンエ)(55)=東京=
「私は、日本人でも韓国人でもなく、在日だ」
指紋押なつ拒否運動(犯罪)で在日韓国人(朝鮮人)の「在日特権」を強奪した朝鮮人ピアニスト崔善愛(チェソンエ)=東京=



左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/19)
中:「余命三年時事日記」余命プロジェクトチーム著 (2015/12/17)
右:「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」村田春樹著(2015/10/20)


左:カゴメ ふくしま産トマトジュース食塩無添加 スマートPET 720ml×15本
中:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6
右:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)


「在日は、日本の癌!」

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