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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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映画「杉原千畝」は嘘物語・「政府に背き」は嘘・日本政府はユダヤ人難民へのビザ発給を許可していた
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「杉原千畝 スギハラチウネ」予告
■動画
「杉原千畝 スギハラチウネ」予告
https://www.youtube.com/watch?v=A5XcUyLqdAw
http://www.sugihara-chiune.jp/

戦後70年を経て明かされる真実の物語
「政府に逆らうつもりですか?」
「全てを失うことになっても、ついて来てくれるか?」
彼はなぜ、政府に背き、「命のビザ」を発給し続けたのか?
あなたはまだ、本当の杉原千畝を知らない。



映画の宣伝ポスターでも、同様に次のとおり述べている。

「杉原千畝 スギハラチウネ」ポスター
ひとりの日本人が、世界を変えた――。
激動の第二次世界大戦下
日本政府に背き
命のヴィザを発行し続け
6000人にのぼる
ユダヤ難民を救った男の
真実の物語




>戦後70年を経て明かされる真実の物語
>「政府に逆らうつもりですか?」
>彼はなぜ、政府に背き、「命のビザ」を発給し続けたのか?
・・・
>日本政府に背き
>命のヴィザを発行し続け



この映画の予告動画やポスターを見ると、日本政府は当時リトアニアの日本領事館に副領事(領事代理)として勤務していた杉原千畝らに対して、「ユダヤ人に通過ヴィザを発給するな」と命じていたことになる。

日本政府・外務省がユダヤ人への通過ヴィザを禁じていたことは、果たして「真実」「事実」なのか?!

結論から言えば、NOだ!

当時の日本政府・外務省は、ユダヤ人避難民への通過ヴィザ発給を禁じてはいなかった。

この映画は「真実の物語」どころか、当時の日本政府を悪者に仕立て上げるための反日プロパガンダ「虚偽の物語」だ!

日本政府・外務省(有田八郎外相及び松岡洋右外相)は、杉原千畝が勤務する在リトアニア(カウナス)領事館を含む全欧州の在外公館に対し、通過ヴィザ発給に際して守るべき大原則を厳格に指示はしていたが、避難民へのヴィザ大量発給を訓令違反と見做したことも断じてない。

そもそも、外務省のノンキャリア組の職員で、小国のリトアニア領事館でも、副領事(領事代理)に過ぎなかった杉原千畝に、外務省の訓令に違反してユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給するほどの権限はなかった。

有りえないことが、仮に外務省のノンキャリア職員だった副領事(領事代理)の杉原千畝が、日本政府・外務省の訓令に違反し、独断でユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続け、難民をシベリア鉄道経由で日本の港湾に殺到させたとしたら、外務省は間違いなく杉原千畝を即刻懲戒免職にしたはずだ。

しかし、実際には、杉原千畝は、戦後まで外務省職員として懲罰無しで勤務を続けた。

在リトアニア日本領事館副領事、杉原千畝
――――――――――
【杉原千畝氏の略歴】
明治33(1900) 
  岐阜県加茂郡八百津町に生まれる
大正 8(1919)年
  早稲田大学高等師範部英語科予科終了 英語科本科入学
  外務省留学生試験合格 外務省入省
  外務省ロシア語留学生として満洲ハルビンへ
(中略)
昭和12(1937)年
  二等通訳官として在フィンランド公使館勤務
昭和14(1939)年
  副領事(領事代理)として在リトアニア領事館勤務
昭和15(1940)年
  日本経由で第三国に渡航目的のユダヤ人難民に通過査証発給

  在プラハ(プラーグ)総領事館勤務(総領事代理)
昭和16(1941)年
  在ケーニヒスベルク総領事館勤務(総領事代理)
  一等通訳官として在ルーマニア公使館勤務
昭和18(1943)年
  三等書記官として在ルーマニア公使館勤務
昭和22(1947)年
  帰国 外務省退職
――――――――――



杉原千畝は、37歳で二等通訳官、39歳で副領事(領事代理)、41歳で一等通訳官、46歳で3等書記官となった。

ノンキャリア職員で40歳の副領事が、政府の訓令に背いて勝手にユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けることなど不可能だし、やったら即刻懲戒処分にされていた。

杉原千畝が戦後になって日本に帰国後、外務省を退職したのは、ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給したからではなく、大東亜戦争の敗戦によって日本が占領下で外交権を失い、外交官の仕事はなくなり、外務省職員が大量にリストラされたからだ。

では、当時の日本政府・外務省のユダヤ人避難民に係る訓令(通達)などは、どのようになっていたのか?

松岡洋右外務大臣が来栖三郎駐独大使に宛てた、昭和15(1940)年7月23日付「猶太(ユダヤ)避難民二対スル通過査証取扱方注意ノ件」と題した訓令は、次のとおり。

最近欧州方面ヨリ本邦経由米国大陸諸国渡航ノ猶太避難民多数アリ 現ニ日本郵船伯林支店ニテ之等避難民ノ本邦米国間ノ輸送ヲ引受ケタル者ノミニテモ六百名ニ上リ(中略)之等ノ者ニ対シテハ行先国ノ入国許可手続ヲ完了セシ者ニ非サレハ通過査証ヲ輿ヘサル様取扱方御注意アリタシ
最近、ヨーロッパから日本経由でアメリカ大陸へ渡航するユダヤ人が多数おり、日本郵船ベルリン支店が引き受けたユダヤ人避難民だけでも600名にも上ったが、これら避難民に対する日本通過ヴィザは、行先となるアメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了していない者については発給しないように取扱いに注意しろ


つまり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していたのだ。

「行先(最終目的地)の入国許可手続を完了していない者には通過ヴィザを発給するな」という訓令は、当たり前過ぎるほど当たり前の訓令だ。

上映中の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」などで「真実」とする【日本政府・外務省は、同盟国ナチス・ドイツへの配慮からユダヤ人避難民へのヴィザ発給を禁止していた】というのは、悪意に満ちた反日プロパガンダ(虚偽の物語)だ。

日本政府は、行先(最終目的地)の入国許可手続を完了したユダヤ人避難民には日本通過ヴィザを発給していたのであり、杉原千畝が通過ヴィザを発給したことは政府・外務省の指示に従った領事館の副領事の業務に過ぎなかった。

実際に、松岡洋右外務大臣からのユダヤ人難民に係る訓令(通達)に対して、在リトアニア領事館の副領事だった杉原千畝は「日本政府が条件とした手続き未了の避難民についてはウラジオストクで乗船を拒否してください」と意見を具申していた!

当国避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト当館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ現在唯一ノ通過国タル我査証方願出ル者アリ而モ我査証ハ蘇側ニ於テモ米国方面出国手続上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ 確実ナル紹介アル者ニ限リ浦塩乗船迄ニ行先国上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金ヲ本邦へ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査証シ居ルニ付右手続未了ノモノニ関シテハ至急浦塩ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ
リトアニアの避難民の中には、近辺に中南米諸国の大使館や領事館がないとし、日本の領事館もリトアニアからの引き揚げが切迫していることを見越して唯一通過する日本のヴィザを願い出る者があり、しかもソ連としても米国方面への出国手続きを絶対条件としているなどの事情斟酌を考慮し、確実な身元紹介がある者に限って、ウラジオストクでの乗船までに行先国の上陸許可を取り付け、しかも日本以遠の乗船券を予約し、所持金については極端な為替管理のため、海外資金を日本へ送金手配する場合、敦賀にも予め手配する必要があることを承知すると申告して実行することを条件として通過ヴィザを発給しており、この手続を完了していない者についてはウラジオストクにて日本行きの乗船を拒絶するように取り計らって頂きたい。



以上のとおり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していた。

リトアニア領事館の副領事(領事代理)だった杉原千畝は、日本政府・外務省(松岡洋右外相)の訓令に従ってユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けた。

日本政府が杉原千畝に対して「ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給するな」と命じていたとする映画「杉原千畝 スギハラチウネ」は、日本政府を悪者に仕立てあげるための「虚偽の物語」(反日プロパガンダ)だ!


杉原千畝の美談を捏造する人たち、歴史をフィクションに書き換えるNHK
■動画
杉原美談を捏造するユダヤ、歴史をフィクションに書き換える在日・NHK
https://www.youtube.com/watch?v=5pDaEKFVa_I



【参考】
映画「杉原千畝スギハラチウネ」は、反日プロパガンダの改訂版だ!
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/57248877.html
杉原千畝を題材にしたウソ映画
http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20151204/1449210595
杉原千畝神話の虚実  
http://oira.sumera-ikusa.com/index.php?%BF%F9%B8%B6%C0%E9%C0%A6%BF%C0%CF%C3%A4%CE%B5%F5%BC%C2



また、日本としては、杉原千畝「命のビザ」を発給する2年前の1938年に、関東軍の東條英機参謀長樋口季一郎少将たちがドイツの抗議に逆らって大量のユダヤ人難民を救出していた!
東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。
東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。

樋口季一郎
樋口季一郎

日本は国家ぐるみで、一貫してユダヤ人難民を救出したというのが歴史の真実だ!

杉原千畝が日本政府に背いてユダヤ人避難民を救出したのではない。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7f7148f64ad2b9f3545a8fbe7705f58f
「ユダヤ製国家日本」 ラビ・マーヴィン・トケイヤー (著)
我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機


◆西洋諸国ではなく日本がユダヤ難民に扉を開いてくれた

関東軍司令部は昭和13年(1938年)1月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第4項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。

東條と、樋口と、安江が2万人以上のユダヤ人難民を窮状から救ったのは、『日本のシンドラー』として有名になった、杉原千畝リトアニア駐在領事代理が首都のカウナスで昭和15年(1940年)7月から9月にかけて、『生命のビザ』を発行して、6000人以上のユダヤ人難民を救った、その2年以上も前のことである。

3人の日本軍将校と、杉原が、ユダヤ人を救った時には、アメリカや、イギリスをはじめとする諸国が、ユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。もし、このころにこれらの西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたとしたら、その後、数百万人のユダヤ人が、ナチスによって虐殺される運命から逃れることができたことだろう。ところが、日本は扉を開いたのだった。


◆ドイツの抗議を一蹴した東條

オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の『J』を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の『ダビデの星』の縫い取りをつけることを、義務づけていた。

難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。

この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。

樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。

◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象

日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。

日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。

サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で2万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か100人にみたなかった。

東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。

◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!

日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。

先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。

「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)


「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)




左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/17)予約注文
中:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)
右:『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』富田安紀子著 2015/5/15


左:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 低塩 スマートPET 720ml×15本
中:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 食塩無添加 スマートPET 720ml×15本

右:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6

「杉原千畝は政府に背いてない!」

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