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「日本は韓国のお蔭で発展したのに」「日本のお蔭で朝鮮が独立した」・日本の教科書に韓国人が反論
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「迎恩門」朝鮮王が支那皇帝の使者を迎える際に土下座以上に屈辱的な【三跪九叩頭の礼】をさせられていた場所で、朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。
「迎恩門」(上)と「土下座碑」(右下)
「迎恩門」は、朝鮮王が清国皇帝の使者を迎える際に土下座以上に屈辱的な【三跪九叩頭の礼】をさせられていた場所。
この「迎恩門」で朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150525-00000029-rcdc-cn

「日本のおかげで朝鮮が独立した」、日本の教科書に反論=「こういう発言は劣等感から来ている」「日本は韓国のおかげで発展したのに…」―韓国ネット
Record China 5月25日(月)12時8分配信

2015年5月24日、韓国・オーマイニュースによると、韓国の市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯(アジア歴史連帯)」が、日本の検定を通過した中学校社会科(歴史、公民、地理)教科書18種を入手し、歴史研究者と一緒に分析を行った。

アジア歴史連帯は国内外の教科書の歴史歪曲を正すために活動する韓国の市民団体。記事によると、日本のある教科書は、「合併後に設置された朝鮮総督府は、植民地政策の一環として、朝鮮の鉄道、灌漑(かんがい)施設を作るなどの開発を行い、土地調査を実施した。このような近代化によって農地から追い出された農民もいた。そのほかにも、朝鮮の伝統を無視した複数の同化政策を推進し、日本人に対する朝鮮人の反感は強かった。しかし、36年の朝鮮統治で、人口は2倍になり、耕作地も大幅に増加した」としている。

記事は「多数の農民の小作人化、海外移住の増加を説明しているが、土地調査事業が近代化のためのものであることを述べ、植民地近代化論を示している」「2005年以降、日本政府は韓国と中国の歴史歪曲是正要求を巧みに回避しながらも、自分たちの立場を教科書に表わしている」としている。

この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。

「日本に期待する方が間違っている」
「韓国の広い心で、アジア平和のために我慢しよう」

「百済のおかげで発展しながら、その事実を隠している。朝鮮通信使節団の教えと交流の事実も大きく語っていない。韓国が学問や文化の師だったにもかかわらず、恩知らずにも侵略までしておいて、今度は日本のおかげで韓国が独立したと言うのか」

「中国から独立させたというような議論があるが、中国は韓国を属国にはしたが、合併までしなかった。ある程度の自治権を認めてくれたが、日本は完全に朝鮮民族をなくし、日本人にしようとした。日本のやったことの方がひどい」

「日本人がこのように発言するのは、自身の劣等感からではないか?」
「日本が朝鮮を独立させたのではなく、米国が朝鮮と中国を日本から独立させたのだ」
「歴史を垣間見るとき、日本人より、むしろ昔の朝鮮人の方に憤りを感じる」

「韓国が共産国家になっていないのは日本のおかげだ」
「認めるべきは認めよう。私たちは日清戦争以前、長い間、中国の属国だった」
「述べている事実は間違っていないように思う」
(翻訳・編集/三田)



>「百済のおかげで発展しながら、その事実を隠している。朝鮮通信使節団の教えと交流の事実も大きく語っていない。韓国が学問や文化の師だったにもかかわらず、恩知らずにも侵略までしておいて、今度は日本のおかげで韓国が独立したと言うのか」


まず、「日本が百済のお蔭で発展した」という主張は事実ではない。

韓国人や一部の日本人は、よく「百済時代に仏教を日本に伝えた」と主張することがある。

しかし、仏教は百済の文化でも朝鮮の文化でもなく、インドで生まれた文化であり、百済には支那(東晋)経由で伝わっていたに過ぎない。

仏教の伝来

日本へは6世紀に、百済の聖明王から欽明天皇に仏教が伝来したとされている。

しかし、6世紀の百済は日本(倭国)の勢力圏(属領)だったので(説明記事)、百済王は天皇の手下に過ぎなかったのだから、「百済時代は朝鮮が日本に文化を教えた」という言い方も正しくない。

実態を正確に表現すれば、「日本の支配下にあった百済の聖明王は、インド発祥で支那(東晋)経由で百済にも伝わっていた仏教について、欽明天皇にお伝え申し上げた(報告した)。」ということになる

しかも、その後朝鮮半島では、新羅が支那(唐)に百済を滅ぼしてもらい、李氏朝鮮時代になると、仏教も滅ぼそうとして弾圧しまくった。


仏教弾圧によって打ち首になった仏像と打ち首になった仏像
李氏朝鮮時代の仏教弾圧
1番目と2番目の写真は仏教弾圧によって荒れ果てた仏国寺と石窟庵
3番目と4番目の写真は仏教弾圧によって打ち首になった仏像



「百済時代は朝鮮が日本に仏教を伝えた」という主張は、史実(実態)から余りにもかけ離れている上に、今の韓国人が誇りとする李氏朝鮮の悪行を無視した恥知らずな表現だ。

663年、日本(倭国)は、「白村江の戦い」で、唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島に有していた勢力圏を失った。

百済王族は日本列島に亡命し、それ以降は大和朝廷の単純な手下となった。

桓武天皇の在位期間(781~806年)、桓武天皇の命令を受けた百済王の子孫たちは、東北地方(陸奥)の征服を何度も試みたが、大惨敗を繰り返した。

結局、百済王の子孫たちは大惨敗を繰り返しただけで、東北地方(陸奥)の征服に成功したのは坂上田村麻呂だった。





次に、「朝鮮通信使節団の教えと交流の事実も大きく語っていない。」という主張も意味不明だ。

朝鮮通信使節団が日本に何かを教えたのか?

いったい朝鮮通信使が日本に何を教えたのか具体的の説明してほしい。

真実は、その真逆であり、朝鮮通信使が日本に様々なことを教わりに来たのだ!

平安時代も、鎌倉時代も、室町時代も、江戸時代も、朝鮮の技術水準や文化水準が日本より高かったことは一度たりともない。

水車については、朝鮮人が1429年に日本に来た時から約500年かけても実用化できなかった。

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日本の技術を学んで帰った通信使

では、日本を訪れた通信使たちは、日本でなにを見、いかに感じて帰国していたのであろうか。室町時代前期の1429年、日本にきた朴端生は、次のように復命していた。それによると「日本の農人水車の設けあり」として、学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、鍍銀(銀めっき)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉等の製造法を報告している。この時の復命では、日本の貨幣経済の実態や店舗商業の発展等にも及んだが、その中で技術に言及していたのは、渡航前に世宗から「倭紙堅靱、造作の法また宜しく伝習すべし」と、日本の技術を導入するよう命じられていたからである。
(略)
これに対して日本では、朴端生が日本を訪れる百年以上も前に、水車を利用して離宮に川の水を汲み上げた話が『徒然草』(第五十一段)に記されている。その水車が農民たちの手で取り付けられていたことを考えると、当時、日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったことがわかる。したがって、韓国の歴史教科書にあるように「技術を学ぶのに苦労していた」のは、日本側ではなくむしろ朝鮮の方であったのである。そして、この現実は後世、実学者と呼ばれた人々が日本や清との技術的格差を深刻に捉え、その導入方法に苦慮していたことでも明らかなように、近世に入っても変わりがなかったのである

『日韓・歴史克服への道』下條正男著
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朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。
金弘集
金弘集

つまり、朝鮮人は、朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。


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ある朝鮮通信使の記録

第11次朝鮮通信使節(1763~1764)の一員だった金仁謙の日本紀行文「日東壮遊歌」(東洋文庫)より抜粋

1.大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう。人家が塀や軒をつらね、その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国の中心部)の壮麗さもこの地には及ばない。」

2.名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、遠路随一といえる。中原にも見あたらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである。」

3.江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様子、橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える。」

4.京都を見ての妄想
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。」

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それだけではない。

朝鮮には、20世紀の日韓併合まで、【針】も、【樽】も、【車】も、【色の付いた衣服】も、なかった!

朝鮮で【針】【樽】【車】及び【色の付いた衣服】ができるようになったのは、全て日本のお陰だった!(詳細記事


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我が五千年の歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。
いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。
我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。
自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないであろう。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。

「朴正熙選集」-我々は今何をいかになすべきか-  
朴正熙 韓国大統領
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朴正熙
朴正熙は、朴槿恵の父。



さらに、「…今度は日本のおかげで韓国が独立したと言うのか」と韓国人は反発しているが、朝鮮が日本のお蔭で支那から独立したことは紛れもない事実だ。

上述したとおり、朝鮮は、663年の「白村江の戦い」で唐の力によって日本の勢力圏から外れた時点から、1895年の日清戦争後の下関条約が締結されるまで、1200年以上に亘り歴代支那大陸帝国(唐や元や明や清)の属藩だった。


明の属国朝鮮 朝貢属国!1602 日本海(Sea of Japan)「坤輿萬國全図」、制作Matteo Ricci、北京。
朝鮮が明の属国だった証拠!
「朝鮮」…「朝貢属国」

1602 日本海(Sea of Japan)
「坤輿萬國全図」、制作Matteo Ricci、北京。




大清国属 高麗国旗
朝鮮が清の属国だった証拠!
大清国属高麗国旗

(大清国に属する高麗の国旗)




土下座碑 ホンタイジに土下座する仁祖(銅版)
「土下座碑」
ホンタイジに土下座する仁祖(銅版)




迎恩門 清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。
「迎恩門」
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
朝鮮王が清国皇帝の使者を迎える際に土下座以上に屈辱的な【三跪九叩頭の礼】をさせられていた場所。
この「迎恩門」で朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。




日清戦争後に清から独立したために建てられた「独立門」。その前に「迎恩門」の石柱が残っている。
「独立門」
日清戦争後に清から独立したために大韓帝国が建てた。
その前に「迎恩門」の石柱が残っている。




以上のとおり、1200年以上に亘り、朝鮮は支那の属藩・属領だった。
しかし、当時、日本は、朝鮮がこのまま沈みかけている清朝の属領のままでは日本にとっても危険だと考えたために清朝の支配から切り離そうとした。
だから、日朝修好条規で、日本は朝鮮の自主独立を承認し、清朝の宗主権を否認した。

ところが、清朝はそんなことはお構いなしにいつまで経っても朝鮮を属領・属藩にし続けた。
日本がせっかく朝鮮を「独立国」として認めたのに、清と朝鮮の関係に変化はなかった。

1894年6月6日、清国公使、陸奥宗光外相に、朝鮮国王の要請に応じ属邦保護のため出兵する旨を通告
陸奥外相、朝鮮を清国の属邦とみとめずと抗議

日清戦争

朝鮮の内部にも、儒者などを中心に「小中華」を自負し、「独立なんてとんでもない、いつまでも小中華として支那の属領・属藩であり続けるべき」という連中が大勢いた。

だから、日清戦争後の下関条約では、「獨立自主ノ國タルコトヲ確認」という文言になったのだ。

―――――
下関条約
1、清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス
(清朝の朝鮮に対する「宗主権」放棄=朝鮮独立の承認)
―――――


以上のとおり、朝鮮は、日本のお陰で、支那(大清帝国)から独立できたのだ。





>「中国から独立させたというような議論があるが、中国は韓国を属国にはしたが、合併までしなかった。ある程度の自治権を認めてくれたが、日本は完全に朝鮮民族をなくし、日本人にしようとした。日本のやったことの方がひどい」


属国というのは、支那が上で朝鮮が下ということだ。

併合というのは、日本と朝鮮が1つになるのだから基本的には対等ということだ。

上述したとおり、支那の属国(属領)時代の朝鮮は、とことん惨めだった。

朝鮮王は、「迎恩門」で、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えていた。


(参考)
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朝鮮と清国の従属関係について、簡単にまとめれば、(中略)細かく定められた貢品以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜き、清国に朝貢することが義務づけられていた。
黄文雄著『中国・韓国の歴史歪曲』
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当ブログコメント欄より一部抜粋↓
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自国民をシナに献上し続けた「李氏朝鮮」250年!

250年間の毎年、『黄金1000両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭など20項目を毎年献上、毎年/キムチ女3000口を献上、
       ▲       ▲
「250年間の総合計」は何頭か答えて見ろチョン!
     ▼        ▼
「併合」を与えた日本は「謝罪」「賠償」する筋合いには全く無いのだ!日本国の与えた統治時代に建設し、空襲も受けずに残ったインフラを代償を求めずに与えてやった、。時価換算(試算)16兆円~20兆円と指摘。
     ▲       ▲
「半島キムチ」は、「清」への隷属に伏した「250年間」と、日本の保護国となった「35年間」と比較すれば、どちらが「人間」へと歩み出す基礎を与えてもらったのかそのキムチで腐った「虚言脳」で反省してみろ!


2015/03/09(月) 08:44:10 | URL | 転載 #k8mYe79o [ 編集 ]
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左:『21世紀の「脱亜論」――中国・韓国との訣別』 西村幸祐著 2015/4/2
中:『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか~ 天皇の島ペリリューでかくも勇敢に戦った日本軍将兵』井上和彦著 2015/3/12
右:『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』富田安紀子著 2015/5/15

「日本のお蔭で朝鮮が独立したことは事実!」

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