正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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【右方向に頭悪いブログ】とやらへ・北支分離工作、通州事件の犯人、上海戦などの正しい歴史認識
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4月19日付け当ブログ記事【村上春樹「日本は周辺国が納得するまで謝るべき」「侵略した大筋は事実」・安倍談話に謝罪を促す】で、支那事変について説明したところ、コメント欄にて【右方向に頭悪いブログ】と名乗る者から「このブログは頭が悪い」とか「アホ管理人」などと散々罵倒された。

【右方向に頭悪いブログ】と名乗る者が当ブログや私に対して「このブログは頭が悪い」とか「アホ管理人」などと貶したのは、支那事変についての次の記述に対してだった。


━━━━━━━━━━
支那事変は、支那共産党が日本軍を銃撃して盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。

━━━━━━━━━━

上記の部分に対して、【右方向に頭悪いブログ】と名乗る者から、コメント欄にて「このブログは頭が悪い」とか「アホ管理人」などと散々罵倒された。

私に間違いがあれば指摘してくれることは大歓迎だが、コメントの内容を良く読むと、【右方向に頭悪いブログ】と名乗る者は、あまり頭が良くないアホだった。

コメント欄を読んだ人が勘違いすると良くないので、【右方向に頭悪いブログ】なる者の間違いについてはきちんと指摘し、反論し、正しい歴史い認識を共有したい。

上述した支那事変に関する私の記述に対して、【右方向に頭悪いブログ】君は、次のような反論(批判)コメントをしてきた!


――――――――――
被害を誇張したりの中韓も擁護はしないが、
このブログも逆方向に頭悪い。

アホ管理人「日本は何度も”争い止めよう”と言ったのに、相手が一方的に」



「日中戦争(当初は事変)」

中国・満州停戦後の非武装地帯に抗日勢力が入ったりする。
日本・華北に分離工作で、領土や関税権を侵害。北京議定書とズレた増派駐留。
中国・抗日救国の気運。停戦中に事件@。
日本・通告を出し、華北で占領行動(@直後に通州事件)。チャハル作戦の認可。
中国・上海租界駐留の日本軍攻撃。  ←☆これを始点にしたい低脳ウヨが多すぎ☆
日本・首都追撃戦。(南京~重慶)


@発端の盧溝橋は、挑発の域を出ない謎発砲に対し、日本側の戦闘前進で衝突のグレー事件。
@日本人虐殺の通州事件の犯人は中華民国軍では無い。日本の傀儡(冀東)所属の寝返り。

2015/04/19(日) 20:27:09 | URL | 右方向に頭悪いブログ #NZQiNEV. [ 編集 ]

――――――――――

――――――――――
被害を誇張したりの中韓も擁護はしないが、
このブログも逆方向に頭悪い。

アホ管理人「日本は何度も”争い止めよう”と言ったのに、相手が一方的に」



【華北分離工作】

日中戦は盧溝橋から語られる場合が多い。
しかしその前に、日本は中国領に分離工作を仕掛けてた。


「満州停戦後の境界に抗日勢力が入った」とかが理由だが、明らかに行きすぎ。

領土を分断させて政権を作る(しかも関税破りの拠点に)
現地勢力に寝返るように軍事恫喝。
その中の一つに綏遠事件がある。

中国軍と衝突する現地勢力に武器を供与したり、
関東軍の人間が参謀として加わり、作戦も直接指揮したり。
つまり盧溝橋の前から、日本人は中華民国への軍事衝突を仕掛けてたのである。

2015/04/19(日) 20:28:54 | URL | 右方向に頭悪いブログ #NZQiNEV. [ 編集 ]

――――――――――



>このブログも逆方向に頭悪い。
>アホ管理人「日本は何度も”争い止めよう”と言ったのに、相手が一方的に」



「アホ管理人」とは私のことのようだ。





>中国・満州停戦後の非武装地帯に抗日勢力が入ったりする。
>日本・華北に分離工作で、領土や関税権を侵害。北京議定書とズレた増派駐留。



頭が悪くてアホなのは、【右方向に頭悪いブログ】と名乗っているオマエだ!

日本と支那は、満州事変について、1933年5月31日に締結した「塘沽協定」によって、支那も満州国を承認した上で、終結させている。

にもかかわらず、その後も支那が、条約違反や権益侵害や満州再侵略などを繰り返したから、日本はそれらに対処したんだよ。






>中国・抗日救国の気運。停戦中に事件@。
>日本・通告を出し、華北で占領行動(@直後に通州事件)。チャハル作戦の認可。
>中国・上海租界駐留の日本軍攻撃。  ←☆これを始点にしたい低脳ウヨが多すぎ☆
>日本・首都追撃戦。(南京~重慶)



この辺で【右方向に頭悪いブログ】君が何を言いたいのかイマイチ分かり難いが、おそらく【右方向に頭悪いブログ】君は、「日本は何度も”争い止めよう”と言ったのに、相手が一方的に」 というのは違う』と主張したいのだろう。

まず最初に言っておきたいのだが、【右方向に頭悪いブログ】君は「上海租界駐留の日本軍攻撃」と述べているが、上海で支那の大軍が包囲攻撃した相手は日本軍(僅かな海軍)だけではない。

上海で支那の大軍が包囲攻撃したのは、日本人居留民(一般民間人)だ!

そして、支那軍は、上海のホテルやデパートなどを何度も爆撃して、支那人や日本人以外の多数の外国人までをも大量殺戮した。

支那は、「日本軍がやった!」と虚偽宣伝して、日本を悪者にするために、罪のない大量の支那民間人や外国人を殺害したのだよ。


「中国・上海租界駐留の日本軍攻撃」とか言っているようじゃ、【右方向に頭悪いブログ】君は上海戦のことを何も分かっていない。

もし、上海爆撃について勉強する気があるなら、次の雑誌で私が詳しく説明しているよ。


歴史通増刊」【歴史を見ればこの国の正体がわかる 雑誌】(2015/1/21)
■佐々木益荒男…反日宣伝を狙った支那軍の人民虐殺(P183-195)



本題に戻ろう。

支那軍は、盧溝橋で戦闘を始め、北支で何度も停戦協定を破って戦争を継続し、突然大軍を以って上海に戦線を拡大させたが、日本軍によって上海から追放された後も戦争の継続を決意していた。

日本軍が南京に進軍しなかった場合、支那軍は南京や武漢で態勢を整え、また上海や北支に反撃したはずだ。

分かりやすく説明すると、次のとおり。

日本軍は、上海で大苦戦を強いられた。

ようやく上海戦が終わった後にも、蒋介石は、11月6日にトラウトマン駐支ドイツ大使から伝えられた日本の和平案に応じる気など端からなかった。

蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に公言した。

11月20日の「遷都宣言」でも、
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」
と言っていた。

蒋介石は日本が大幅に譲歩した和平案を悉く蹴っており、日本軍が進撃の手を緩めれば、すぐに反撃しようとしていたことは間違いない。

――――――――――
●1937年
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の和平条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
12月10日、南京を包囲された支那軍が日本の降伏勧告を無視
南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかける。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず。
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る。
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明。
――――――――――






>@日本人虐殺の通州事件の犯人は中華民国軍では無い。日本の傀儡(冀東)所属の寝返り。


【右方向に頭悪いブログ】君は、やはりレベルが低い。

支那保安隊が日本人居留民を大虐殺した最大の原因が支那国民党の南京政府の御用放送局(南京放送)によるデマ放送であり、保安隊が国民党軍(支那軍)に寝返るための日本人大虐殺だったので、支那軍による大虐殺といって良い。


【7月27日頃、北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース】

日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。


日本軍を撃破した支那軍(宋哲元軍=29軍)が、冀東防共自治政府(通州)に攻め込んで来れば、今まで親日だった支那保安隊は漢奸として処刑される。

そこでの支那保安隊の連中は、日本人を大虐殺し、親日の冀東防共自治政府の殷長官を捕らえ、これを手土産にして北京の宋哲元へ馳せ参ずることを決意した。

通州大虐殺事件の原因については、事件の2日前にあった日本軍による保安隊への誤爆や、事前に国民党と保安隊に密約があった計画的犯行など、今でもいろんな説があるが、最大で直接の原因が支那の蒋介石政府の南京放送によるデマ報道だったことは間違いない。

支那保安隊の連中は、日本人大虐殺を手土産にして意気揚々と支那軍(宋哲元軍=29軍)が居ると思い込んでいた北京へと向かった。

ところが、そこにいたのは支那軍(宋哲元軍=29軍)ではなく、実際には日本軍だった。

日本軍による誤爆が原因なら、支那保安隊が日本人を大虐殺した後に日本軍の居る北京に向かうわけがない。

北京に居るのが支那軍(宋哲元軍=29軍)ではなく日本軍だと知った支那保安隊の連中は慌てて逃げたが、日本軍に捕まった。

中島顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まいた。

しかし、「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ。」と止められ、結局、支那保安隊の連中は収容もされず城外に放置されただけとなった。

理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない。」という事だったが、支那保安隊の連中は後に移動して支那軍に加わった。

これが当時の日本軍であり、お人好しぶりは今の日本人と変わらない。

支那保安隊の連中が通州で大虐殺した日本人を手土産に北京に行ったことは、事件の直接の原因が【支那国民政府の南京放送のデマ報道】だったことを裏付ける。

通州事件地図





>【華北分離工作】
>日中戦は盧溝橋から語られる場合が多い。
>しかしその前に、日本は中国領に分離工作を仕掛けてた。



【華北分離工作】というのは、「梅津・何応欽協定」→「土肥原・秦徳純協定」→冀東防共自治政府設立などのことかな?

最初の方で述べたとおり、日本と支那は、1933年5月31日に締結した「塘沽協定」によって、支那も満州国を承認した上で、満州事変を完全に終結させている。

にもかかわらず、その後も支那が、条約違反や権益侵害や満州再侵略などをやったから、日本はそれらに対処したんだよ。

なぜ【右方向に頭悪いブログ】君は、支那が行った条約違反や権益侵害や満州再侵略などについては何も言及しないのかな?

頭が悪いから?
アホだから?
反日だから?

「熱河作戦」や、いわゆる「北支分離」(梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、冀東防共自治政府設立等)に関しては、支那が行った条約違反や権益侵害や満州再侵略などについての説明も付けて以前も記事にしたことがあるが、改めて【右方向に頭悪いブログ】君に紹介するよ。

【右方向に頭悪いブログ】君は、【華北分離工作】がやたらお気に入りのようだから、大きい声を出して100回読んでほしい。

――――――――――――――
満州帝国
支那の満州侵犯と熱河作戦
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26788294.html

(一部抜粋・修正)


 遼寧省、吉林省、黒龍江省、コロンバイルなどは独立宣言をしたが、その他の地域は手つかずで残っている。
 最初、日本は支那東北辺防軍のいる錦州は攻撃しなかった。それは、政府が支那と全面戦争になることを恐れていたからだ。

 関東軍は馬賊の討伐もやっていたが、馬賊を追撃すると馬賊は錦州に逃げ込んだ。関東軍が手を出せないので、錦州が馬賊の聖域となっていた。そしてこの馬賊は支那東北辺防軍の別働隊でもあった。

 また錦州政権の存在は関東軍占領下の小軍閥の動きにも影響を与えていた。そこで、関東軍は錦州を何とかしなければならないと考え、錦州を爆撃する事にした。といっても爆撃機ではなく偵察機で、しかも人が手で持って落とすだけだが。

 したがって、たかが知れている。では何でそんなことをしたのかというと、目的は軍事効果ではなく、それによって、お目出度い政治家の頭を吹き飛ばすことにあった。

 後に日本は交渉で張学良軍を山海関の外に移動させる。しかし、これで、満州国が安定したわけではない。

 昭和7年7月17日午後1時ごろ、満州熱河省の北票から遼寧省の錦州に向かう列車が両省の境に近い南領~朝陽寺間にさしかかったところ、一隊の武装兵が停車を命じ、乗っていた関東軍嘱託の石本権四郎を拉致した。

 犯人は匪賊的に行動している抗日義勇軍の一部だった。
 熱河省は満州の一部だが、まだ関東軍は手を付けていなかった。

 満州を追われた張学良は、4万の義勇軍を熱河に送り込み反満抗日の拠点にしていた。
 そのため関東軍はこれをも一掃せざるを得なくなった。


 結局、熱河省も制圧しないことにはどうしようもないと判ったからだ。関東軍は昭和8年熱河作戦を行い、結果、本来、満州の領域である熱河省の回収にも成功した。

 この作戦では、最初、関東軍の武藤司令官は長城越えを禁じていた。ところが、支那軍が南から熱河奪還作戦を行うものだから、結局、長城の南にも行かざるを得なくなった。

 その時、関東軍は、天津・北平(北京)に迫る勢いを見せた。これは不都合だからやめさせなければならない。長城の北だけなら満州国の防衛と主張できるが、南に行くとその理屈が通らなくなる。
外国から見ると侵略に見える。
だから止めなければならない。ところが現場がなかなか止まらない。というのは支那兵を南に追いやっても、関東軍が引っ込むと、また戻って来るからだ。だから"もっと遠くへ"とやっているうちに、こうなった。しかし、これでは際限がない。

 そこで"支那軍が二度と満州を侵略できないようにと《北京北方から密雲以東、長城線から約五~六十キロの深さの河北省》を非武装地帯にする"という 塘沽協定を支那と結んで、関東軍は長城の北に引き揚げた。

 これにて、満州事変は終了した。

 しかし、支那側は納まらない。常に満州再侵略を試み、また、支那国内での排日運動を激化させる。


――――――――――――――
塘沽協定から冀察委員会まで
「梅津・何応欽協定」→「土肥原・秦徳純協定」→冀東防共自治政府設立
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26821643.html


 塘沽協定が結ばれたからといって、ハイそうですか、と引き下がる支那ではない。

執拗に満州再侵略と非武装地帯侵犯をくりかえした。

 1934年(昭和9年)11月 宋哲元の部下の馮治安の部隊が突如、熱河省を侵犯し、大灘西方20キロの断木梁という部落に進出して来た。

そこで怒った関東軍が、どこまでも追撃し宋哲元の本拠地近くまで迫った。


 困った宋哲元は、天津軍司令官梅津少将の所に泣きつき、天津軍のとりなしでやっと関東軍は追撃を止め引き返した。

 1935年5月3日、天津の日本租界で、国権報の社長胡恩傳と振報社の社長白逾桓の二人の親日分子が白昼何者かに襲撃され、命を落とす事件があった。
これについて、米公使ジョンソンは北京憲兵の関与と言っている。

 また塘沽協定で設けられた緩衝地帯には、いつのまにか匪賊がはびこり、奴らは「抗日義勇軍」を名乗って、5月24日、長城を越え熱河を侵犯した。

これもどうやら河北省主席である第51軍長于学忠が後で糸を引いていたようだ。

 便衣隊の侵入、共産党の策動などで、河北は物情騒然となってきた。

 天津軍の任務は本来《北京・山海関間の鉄道の保全、並びにこの間に居住する居留民の保護》だったが、現状ではこの任務も危うくなる。

 そこで「こんな事では困る!」と短気な酒井参謀長は、華北粛清対策案を起案紙に一気呵成なぐり書きした。

    通告

一、最近華北に頻発しつつある排日・侮日の諸現象は、方(ひと)しく塘沽協定の破壊行為たると共に、また北清議定書の精神を蹂躪するものなり、我が方はこれを明確なる対日挑戦行動と認め、条約上の権限に基づき、今後自衛上必要と信ずる行動に出るある事を通告す。

二、これを未然に解決せんが為、左記各項の即時実行を要求す。

 イ、軍事委員会北京分会、憲兵第3団、国民党本部、政治訓練所、藍衣社等の一律撤去。

 ロ、黄杰の第2師、関麟徴の第25師等、中央直系諸軍の華北撤退。

 ハ、河北省政府主席于学忠、憲兵第3団長蒋孝先、藍衣社主任劉一飛等の罷免ないし処罰。

 ニ、排日侮日行為徹底取締りの確約 

 以上

というものだ。

そして、これを北京の何応欽の所に持って行き、談判して呑ましたのが、梅津・何応欽協定だ。


 その次に、支那軍の熱河侵犯があまりにも執拗なため、6月28日、土肥原少将は断木梁侵犯なんか絶対に出来ない様にと、新たに《京綏鉄道以北の察哈爾省内に非武装地帯を設定する》という協定を秦徳純に結ばせた。

これが、いわゆる土肥原・秦徳純協定だ。



 支那は面白くない協定を耐えて飲んだがが、それで大人しくしているわけではなかった。
 次の手段として、幣制改革を打ち出した。

 これは支那の通貨を英国の通貨にリンクさせ、英国の経済と一体化させて、日本の影響力を排除しようというものだ。

これが成功し北支が経済的に国民政府のコントロール下に入れば、北支に交易の基礎を置く満州国は、重大な経済的脅威にさらされる。


 危機を感得した関東軍と支那駐屯軍は、「北支を南京より経済的に分離するしかない」と考え分離工作を始めた。
 そこで11月25日、土肥原少将は、殷汝耕を長官とする冀東防共自治政府を成立させた。


 また土肥原少将は、宋哲元に独立政権を樹立させようと、日夜腐心していたが、南京行政院は、そうはさせじと先手を打って12月11日に冀察政務委員会設置法案を満場一致で可決し、その委員長に宋哲元を任命した。

 (幣制改革を除く大部分 寺平忠輔著『盧溝橋事件』読売新聞社刊 昭和45年発行を参照)
 (幣制改革の部分は児島襄著『日中戦争』を参照)


 梅津・何応欽協定、土肥原・秦徳純協定、冀東防共自治政府設立等、これらの一連の行為を日本の北支侵略と言う人もいる。

が、そうせざるを得ない様に仕向けたのは支那だ!

 別に日本は侵略したくてそうしたわけではない。

 支那が執拗に満州を再侵略し、テロで北支の治安を乱し、意図的に日本が困るようなことを企むものだから日本が自衛策をとっただけだ。

支那が最初から友好的な態度をとっていれば起こらなかったことだ。

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