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反日映画「アンブロークン」(アンジェリーナ・ジョリー監督)公開・捕虜の扱いに関する歴史の事実
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12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」
12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」

http://www.sankei.com/column/news/141222/clm1412220006-n1.html
アンジーの「反日映画」を見た 「日本軍の残虐さ」は?
2014.12.22 、産経新聞

「アンブロークン」の撮影現場で指示を出すアンジェリーナ・ジョリー(AP、ユニバーサル映画提供)
「アンブロークン」の撮影現場で指示を出すアンジェリーナ・ジョリー(AP、ユニバーサル映画提供)

 25日から公開される米女優、アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン(原題)」をロサンゼルス郡トーランス市の先行上映会で見た。実在した元五輪選手の米軍人、ルイス・ザンペリーニ氏が旧日本軍の捕虜になり虐待を受けるが、終戦とともに生還するというストーリー。

 原作の小説には「捕虜たちは焼かれ、人体実験で殺され、人食いの風習で生きたまま食べられた」などと虚偽のストーリーが「真実」として記述されており、日本では反日映画だとして公開しないよう求める運動も起きているらしい。

 映画にはそうした行為を連想させるシーンはなかった。ただ、ザンペリーニ氏が捕虜になり、虐待やひどい仕打ちを受ける場面は約1時間続いた。多くの観客がため息をつき、隣席の白人女性は涙を流した。

 映画のテーマは「許し」だという。だが、ザンペリーニ氏がどう許していったのかがいまひとつ伝わってこなかった。長野五輪の聖火ランナーとして参加したこと以外に、彼の戦後の描写がほとんどなかったからだ。彼は今夏、97歳で他界した。「病室で大好きなすしをとり、両親の祖国イタリアの曲を聴いて逝った」と彼の息子は教えてくれた。映画が「日本軍の残虐さ」を言いはやす勢力に利用されないことを願うばかりだ。(中村将)



>25日から公開される米女優、アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン(原題)」をロサンゼルス郡トーランス市の先行上映会で見た。実在した元五輪選手の米軍人、ルイス・ザンペリーニ氏が旧日本軍の捕虜になり虐待を受けるが、終戦とともに生還するというストーリー。


アメリカにおいても日本においても北朝鮮の金正恩の暗殺を題材にしたコメディ映画「ザ・インタビュー」が12月25日から米国の一部映画館で上映開始されたことが注目を集めている。
ザ・インタビュー

しかし、アンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」も同じ日に上映が開始されている。
アンジェリーナ・ジョリーが監督した第2次世界大戦をテーマにした映画「アンブロークン」 (Unbroken、中国語名「堅不可摧」)
12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」





>原作の小説には「捕虜たちは焼かれ、人体実験で殺され、人食いの風習で生きたまま食べられた」などと虚偽のストーリーが「真実」として記述されており、日本では反日映画だとして公開しないよう求める運動も起きているらしい。


(参考)

http://ameblo.jp/channelcrara/entry-11889776550.html
アンジェリーナ・ジョリー反日映画「アンブロークン」は日本で公開するの?日本には人肉食文化はない!
2014-07-06 13
(一部抜粋)
12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」
Unbroken (アンブロークン)公式予告より

『Unbroken』 Laura Hillenbrand (著)
『Unbroken』 Laura Hillenbrand (著)
原作によりますと・・
p502
Thousands of other POWs were beaten,burned,stabbed,or clubbed to death,shot,beheaded,killed during medical experiments,or eaten alive in ritual acts of cannibalism.

POW Prisoner of war 戦争捕虜
訳)
何千もの他の捕虜が殴り殺され、焼き殺され、突き殺されたか、叩き殺されて、射殺され、首を切られ、生体実験の間に死んだか、人食いの儀式行為において生きたまま食べられました。

p503
the Japanese massacred all 5,000 Korean captives on Tinian,
訳)
日本人はテニアンで5,000人の韓国人捕虜を虐殺した。

■カニバリズム・人喰いの風習は日本にはありません!
中国大陸には伝統的に人肉文化がありますが・・


■大東亜戦争で、日本軍はテニアン島で米軍との戦いで破れましたが、当時朝鮮人は日本軍だったのに、捕虜とはどういう意味でしょうか?

このようなデタラメ、反日プロパガンダ映画を許していいのでしょうか!



人食いの風習は、日本にはない。

日本でも幕末の大飢饉の時に死んだ家族の肉を食べて生き長らえた記録があるそうだが、「風習」としては全くない。

人食いを「風習」としてきたのは、支那人だ。


支那では、「文化」「風習」として唐の時代から20世紀まで、人肉は、犬肉や豚肉と同じように市販されていた!

特に、唐末に戦乱が激化した時には、犬や豚など他の動物の肉あるいは米よりも、人肉の方が安かった。
―――――――――
 時の政府は医学と「忠孝仁義」という伝統倫理のイデオロギーを結合させ、食入を奨励した。

しかも食用人間の飼育や兵糧としての「乾尸(屍)」、「塩尸」が歴史に登場し、市場では人肉の公然販売も開始された。

まさに食人の全盛期である。
こうした事実は『唐書』『新唐書』や『清史』といった正史だけでなく、『資治通鑑』『続資治通鑑』『明紀』、そしてアラビア商人が書いた『シナ・インド物語』、マルコ・ポーロの『東方見聞録』などでも知ることができる。

 ではなぜ唐の時代から人肉が公然と市販されるようになったのか?
 その原因を、私は唐末の戦乱の激化と貨幣経済の発達にあると見る。

 私の研究では、まず唐以後に各大都市で販売された人肉はたいてい、犬や豚など他の動物の肉、あるいは米より安かった。

たとえば 『資治通鑑』中の「唐紀」によると、九〇二年の西京鳳翔城の肉市場では、一斤当たりの価格が人肉で百銭、犬肉で五百銭だった。

というのは、争乱や飢僅の影響で家畜の値段や米価が高騰したのに比べ、人間のほうはいくらでも確保できるため、自然と人肉の価格が下がったというわけだ。


 また男の肉は女の肉より安かったようだ。
顧山貞の『客滇述』では、一六四七年当時の四川では「男の肉が一斤七銭で、女の肉は一斤八銭で市販されている」とある。

黄文雄著『日中戦争は侵略ではなかった』

―――――――――



ようやく20世紀中頃になって、一応、支那共産党は、儒教や人肉食文化を批判していたようで、『人民日報』『解放軍報』などの支那共産党の新聞にはいたるところに「儒教=人食い」の文字が躍っていた。

その後、支那でも「人食い」は違法とされたが、つい何十年か前まで普通に存在していた人肉食文化(風習)は簡単にはなくならず、今も支那では闇で「人食い」が行われている。

●詳細記事
人食い支那人が捕鯨を非難できるのか?!・支那サイトで「日本の犬(日本人)め、鯨食べないと死ぬのか!」「日本人という残酷種族がいる限り、多くの動物が絶滅」・ネズミ、ネコ、イヌ、サルなどを食べる他、人肉食文化がある支那・支那人は赤ちゃんを食べるな!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3675.html

(一部抜粋)
支那の人肉食文化
――――――――――
「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自国シナ文化・由来の大嘘と言う事が分かる。

シナ史とは人肉食史か

・シナ史に。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。紀元前1100年、殷の紂王、伯邑考をスープにして父親にたべさせた。
・618年、朱粲「酒を飲んだ後の人間の味はちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
・882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。一日ごとに数千人をも食べた。(『唐書』黄巣伝)
・902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
・1126年、人肉市場では一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
・1587年「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
・1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。四川大虐殺では人口600万が1万8000人に。
・1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1~3ドル。12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
・1965年、文化大革命。白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。百余の死体が香港に漂流して有名に。
・現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が強壮の為に食べられている。---人肉宴会が行われた毛沢東大革命

孔子は人肉を乾燥させて常時携帯し賞味していたくらいである。薬を買えない貧しい若者が滋養を付けさせるために自分の股を切り裂いて病身の母親に喰わせたという孝子の“股割り孝行”は有名な故事。
――――――――――

現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が強壮の為に食べられている。---人肉宴会が行われた毛沢東大革命





>映画にはそうした行為を連想させるシーンはなかった。ただ、ザンペリーニ氏が捕虜になり、虐待やひどい仕打ちを受ける場面は約1時間続いた。多くの観客がため息をつき、隣席の白人女性は涙を流した。


歴史の事実を述べると、日本軍が米軍などの連合軍捕虜に対して、虐待やひどい仕打ちをした事実は少ない。

少ないとはいうものの一部に捕虜虐待があったことも事実だ。

日本軍の場合、連合軍捕虜の監視などには、多くの朝鮮人軍属が担当した。

したがって、連合軍捕虜を虐待した数少ない事例についても、主な犯人は朝鮮人軍属だった。

――――――――――
私がくすくす笑い始めたのは、ちょうど私たちの目の前に一人の日本人【注】が立った時だった。彼は「笑ったのは誰だ」と怒鳴って訊いた。このヤップ(Jap)はまさに悪魔のような奴だった。日本の現人神天皇のために直立しているときに笑うとは神聖の冒涜である、と彼は烈火の如く怒った。

 私は、もうこれでやられてしまうと観念した。恐怖に震えながらも、私は名乗り出なければならぬと思った。さもなくば、ほかの笑わなかったかもしれない人々が犠牲者となるだろう。私が名乗って前に引き出されたとき、私は目がくらくらして、周囲のすべてが回り始めるのを感じた。恐怖のために耐えがたくなった私の周りを、さまざまな色がぐるぐると、しかもだんだん急速に回転するのだ。ヤップが私を殴り始めたのを記憶に残っている最後の情景として、私は大きな暗い穴に落ち込んでしまった。

バンコン(収容所の所在地)で一緒だった少年の一人、ディック・ポットが私の側に立っていたのだが、彼は後にこう語った。

「ひとつの盗難事件が判明した後、夜中に点呼があった。そのときレオは僕の斜め前に整列していた。レオは笑ったようだ。するとそれを理由に一人の日本警備兵【注】が、(例によって)鉛を詰めたホッケースティックのような棒で、殴って回った。僕もこっぴどくやられた。レオは、列から引き出されると、もうめちゃくちゃに殴られて、全く正気を失った。そう見えた。彼はその後病院へ運ばれたのだが、私にはレオが回復することはもはやないだろうと思われた。」

【注】
「一人の日本人」と「日本警備兵」は同一人物。この男はマツザワ ゼンユーという名を持つ朝鮮人の軍属らしい。彼は些細なことでもすぐホッケースティックで、シャツを剥ぎ取った上半身や耳を打った。オランダ人の間では「ホッケースティック」のあだ名で呼ばれていた。

(別の日本警備兵に関する【注】
これは多分M.W.デ・ヘールという五十二歳のオランダ人である。この男性は食べ物を「密輸」したということで一九四五年五月、キムラ セイコンという朝鮮人軍属から太い棒で全身を五十回ほど殴られ、肋骨が何本か折れ、八日間独房に入れられた。しかもはじめの三日間は食物も全然与えられなかった。恐らくはこの虐待がもとで、デ・ヘールは六月十六日にカンプの病院で死亡した。このキムラは「殴り屋ヤン」と仇名されるほどカンプ収容者に対して多くの残虐行為を働き、裁判の結果一九四六年十月十一日に死刑となった。日本兵の中で、カドワキ サカエ軍曹だけは例外で、唯一のよき日本人であったとバンコン収容所の記録に特記されている由。

『日本軍強制収容所 心の旅』レオ・ゲレインセ自伝
『日本軍強制収容所 心の旅』レオ・ゲレインセ自伝
――――――――――



▼反日左翼のHP▼

戦後、連合国から捕虜虐待の責任が戦犯裁判で問われました。その際、責任を問われて処刑された人々のなかに、朝鮮人・台湾人が多数含まれていました。

写真集
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/framePHOTOj.html

年表でたどる
韓国・朝鮮人
BC級戦犯の歴史
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/frameHISTRYj.html#anchor716723
(一部抜粋)

1942(昭和17)年8月
朝鮮人軍属、南方(タイ・マレー・ジャワ)の捕虜収容所に配属

1946(昭和21)~1947(昭和22)年

各地のBC級戦犯裁判で、朝鮮人捕虜監視員148人に有罪判決
うち23人が死刑判決





さらに、もっと歴史の事実に踏み込んで詳しく述べると、米軍をはじめとした連合軍は、投降したり負傷したりした日本軍兵士を捕まえても殆ど捕虜にはせず、その場で惨殺することが普通だった。

米軍が、捕まえた日本人の殆どを如何に残酷に殺したかは、チャールズ・リンドバーグの『リンドバーグ第二次大戦日記』や、ジョン・ダワーの『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』や、従軍記者エドガー・L・ジョーンズの記事などに詳述されている。

連合軍が日本兵を捕虜にせず殺害しまくった例は枚挙に暇がない。

カリフォルニア大学のダワー教授はその著『人種偏見』において、連合軍側の虐殺行為を詳しく紹介している。

例えば、すでに米軍の支配下にあった島に、仲間とはぐれた日本兵を一人放ち、その兵士が身の安全を求めて狂ったように駆け出すところを銃の標的として楽しんだ。
ペリリュー島や沖縄の激戦地で、米軍兵士は日本兵の死体から手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯を漁る、死体のあいた口めがけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、「みじめな生活から逃れさせてやっただけだ」と気にもとめない、といった具合である。

太平洋地域担当の従軍記者エドガー・L・ジョーンズは、一九四六年一昭和二十一年一の『アトランティック・マンスリー』誌に、「われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置き物を作るとか、または他の骨でぺーパーナイフを作るとかしてきたのだ」と書いた。

これらの陰湿な虐殺行為は米国政府によって公認されたこともあった。

ジョン・ダワー教授はいう。


「ブーゲンビルで投降しようとして殺された負傷兵の場合のように、日本兵殺害の中には上官の命令下に行なわれたもの、あるいは少なくとも上官が事後承認を与えたものがあった。たとえば日本の輸送船を沈め、その後一時間以上もかけて何百何千という生き残り日本兵を銃で撃ち殺したアメリカの潜水艦艦長は、この虐殺をその公式報告書に記録し、しかも上官から公の賛辞を与えられている。」
『人種偏見』



■重要■
さらに、ダワー教授はこう述べる。
━━━━━━━━
「連合国側の虐殺行為は何ら罪を問われず、免責されたままだ。そして、補虜虐待について言えば、それでなくとも物資不足に喘ぎ、補虜を受け入れるだけの設備も食糧も不足していた日本側がそれでも交戦法規を忠実に守って、大量に投降してくる敵兵を捕虜にしたからこそ様々な問題が生じたのである。 」
━━━━━━━━

ジョン・W. ダワー『人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』


http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/beigunzangyaku.htm
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言
 
以下は正論00年5月号で紹介された「リンドバーグの衝撃証言」の抜粋です。
チャールズ・リンドバーグ(1902~74)はニューヨーク・パリ単独飛行や息子の誘拐・殺害事件で有名なあの彼です。
日米開戦後、彼は軍の技術顧問として南太平洋で戦闘任務についた。
この間の日記の邦訳版が昭和49年新潮社から新庄哲夫氏の訳で出版されたが現在絶版になっているものを訳者の了解を得て正論に抜粋を載せたものです。

・・・・・・・・・・・リンドバーグ日記の抜粋・・・・・・・・・・

*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。

*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。

*捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。

*将校連は尋問の為、捕虜を欲しがる。捕虜1名に付きシドニーへの2週間の休暇を出すとお触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入る。懸賞を取り消すと一人も手に入らなくなり、つかまらなかったと嘯くだけ。

*一旦捕虜にしても英語が分かる者は尋問のため連行され、出来ない者は捕虜にされなかった、即ち殺された。

*捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。

*2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。

*爆弾で出来た穴の中に、皆、四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込み、その後でトラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。

*捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながら、お土産を取る目的。
金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。


*日本人を動物以下に取扱い、それが大目に見られている。我々は文明のために戦っているのだと主張しているが、太平洋戦線を見れば見るほど、文明人を主張せねばならない理由がなくなるように思える。事実この点に関する成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

*リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられているのを見たときだ。ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。


「孤高の鷲〈上〉―リンドバーグ第二次大戦参戦記」チャールズ リンドバーグ

「リンドバーグ第二次大戦日記〈上・下〉」 (1974年) チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ

孤高の鷲 リンドバーグ第二次大戦参戦記 上下


米軍将兵は、日本兵を惨殺した上に、日本軍戦死者の遺体を切断するなど、その死体の扱いについても非人道的だった。
吊るされる日本兵の首。(1945年ビルマ、アメリカ軍撮影とされてる)
吊るされる日本兵の首。(1945年ビルマ、アメリカ軍撮影とされてる)

日本人の頭部で遊んでいるマクファーソン中尉。アメリカ海軍魚雷艇341の甲板にて。(1944年4月30日ニューギニア)
日本人の頭部で遊んでいるマクファーソン中尉。アメリカ海軍魚雷艇341の甲板にて。(1944年4月30日ニューギニア)

■動画
アメリカ軍の戦争犯罪


http://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo



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http://girlschannel.net/topics/255886/
アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」のポスターが完成
12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」

12月25日から全米で公開されているアンジェリーナ・ジョリー監督の反日映画「アンブロークン」

735. 匿名 2014/12/18(木) 04:05:41

元在日韓国人で日本に帰化した者ですが、この映画が全世界に公開されることを多くの在日朝鮮人が喜んでいますよ。
(中国人は分かりません)

私の家族の中では帰化したのは私と弟だけで、それ以外の者は民団と親しく反日に精力的で、この映画の日本人兵の役を決める時も、民団に依頼があったと数年前に叔父が言っていました。だからMIYAVIも民団と繋がっていることは明らかですね。資金も提供してます。

日本人が世界でバッシングされ「悪人」とみなさればされるほど、在日は密航した事実を強制連行として主張しやすくなりますし、日本政府へ更なる在日優遇処置を要求しやすくなりますからね。

アメリカだけではなくイギリス、カナダ、オーストラリアなど全世界でこれから年末から正月にかけてもっと大きなプロモーションをやる予定だそうです。中国、韓国政府、また在日含め世界に散らばる中韓人が資本元になっているのでとても莫大な資金をそれに費やせるためです。

あと、この映画以外にあと数年で何本か反日の映画がハリウッドで製作されるようなので、この映画はただのジャパンバッシングの始まりとみなした方がいいでしょう。

ただの始まりです。

日本人は今のうちに声を上げてください。お願いします。

一度堕ちてしまえばその名誉を回復するには倍以上の年月がかかります。それとも無知な政治に興味もない一部の日本人は一度堕ちれば気が付くのでしょうか。日本人としてのプライドはないのでしょうか。日本人を心から憎み、悪を悪とも思わない人種がたくさん存在することを知らないのでしょうか。

日本人は人を信じすぎる、お人よし過ぎる。それは殆どの日本人の周りが日本人であるためにそうなれたのでしょう。

しかし私の場合、周りは在日だらけ、実際の在日は日本を憎悪し軽蔑し嫉妬し日々どう日本人を貶めるかどうか考えている輩ばかりだったので、この世界にはそういう卑劣で醜い奴らが多いことを私は知っています。
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▼アンジェリーナ・ジョリーの整形▼
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整形前◆13歳の時

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アンジェリーナ・ジョリー 整形検証画像
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