正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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東京書籍の教科書が酷過ぎると話題に・日本へ連行し働かせた・土地を奪った・日本語を強制的に教えた
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「保守速報」で、東京書籍の教科書について取り上げていた。

【絶望】東京書籍の教科書があまりにも酷すぎると話題に 工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工

私も10年近く前、当時中学生だった姪っ子の東京書籍の歴史教科書に目を通したことがある。

その東京書籍の歴史教科書の記述は、古代史から現代史に至るまで嘘出鱈目のオンパレードだったので、ついつい時間をかけて添削してしまったことを思いだす。

「保守速報」の記事でも様々な問題点が取り上げれているが、飽くまで氷山の一角に過ぎず、もっと注意深くじっくり見ればおそらくこの何十倍何百倍もの嘘出鱈目が今でも東京書籍の歴史教科書には記述されているはずだ。

では、東京書籍の教科書の一部を紹介して、反論しておく。

https://twitter.com/okada014/statuses/458547074359779328
丘田‏@okada014
. 東京書籍の教科書はダメだなしゃあしゃあとウソが書いてある ★東京書籍の中学公民教科書 43ページの13行目以降の部分 @gyutaso . pic.twitter.com/KEpAKCff2h
【絶望】東京書籍の教科書があまりにも酷すぎると話題に
19:05 - 2014年4月22日



>「1910年の日本の韓国併合による植民地統治の時代に、日本への移住を余儀なくされた人たちや、意思に反して日本に連れてこられて働かされた人たちとその子孫も多くいます。これらの人たちは、民族の誇りを守り、さまざまな分野で活躍しています。しかし、就職や結婚などでの差別が亡くなっていません。また、日本国籍を持たないため、選挙権や公務員になることなども制限されています。日本で生まれ生活していることやその歴史的事情に配慮して、人権保障を推進していくことが求められています。」


ツッコミ所満載だ!

東京書籍は「1910年の日本の韓国併合による植民地統治の時代に、日本への移住を余儀なくされた人たちや、意思に反して日本に連れてこられて働かされた人たちとその子孫も多くいます。」と記述しているが、そんな人たちは居なかった。

「徴用」はあったが、「強制」ではなく、「国民の義務」であり、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。

―――――
1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は90年に日本で出版した手記(『朝鮮人徴用工の手記』河合出版)の中で、新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、「女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いている。
―――――


徴用によって炭鉱や工場などで重労働をさせられた人数は、朝鮮人よりも日本人や台湾人の方が遥かに多かった。

また、命令で泣く泣く朝鮮に赴任して行った日本人の方が、命令で日本に赴任した朝鮮人よりも遥かに多かった。

「なぜ朝鮮半島出身者が今でも多く日本に居るのか?」といえば、それは朝鮮人が日本に密航(密入国)して来て違法に日本に住み着いているからだ。

朝鮮人は、自らの意思で日本に密航し、自らの意思で日本に残り、「帰れ」と言われても帰らない連中だ。

もちろん「強制連行」なんて一切無かった。

外務省の資料は昭和34年7月11日付で、徴用で日本に来て日本に留まっている245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいないと結論付けている。


上記外務省の昭和34年(1959年)7月11日付資料は、朝日新聞1959年7月13日付の記事となり、ネット上では良く見かけ、拙ブログでも過去に何度か掲載している。

大半、自由意思で居住

大半、自由意思で居住
外務省、在日朝鮮人で発表
戦時徴用は245人

1959年7月13日 朝日新聞

在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、 いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。

一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
 残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
 また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。

一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
 現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
(昭和34年7月13日 朝日新聞)



このネット上でお馴染みの朝日新聞1959年7月13日付記事が、2010年3月1日放送のテレビ朝日「たけしのTVタックル」(是か非か外国人参政権・日韓併合と強制連行の真偽&在日差別の現実、国境マル秘危機)で取り上げられた!
TVタックル大半、自由意思で居住
大半は本人の自由意志で在留
2010年3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」

さらに念のため付け加えると、当時は、日本に滞在せず、朝鮮半島に帰ろうと思えば簡単に帰ることが出来た。
―――――
マッカーサー元帥のGHQは「在日」の韓国人・朝鮮人の"帰国(引揚げ)"に過剰なほどの支援をなした。
すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供した。

日本の官僚に対して「全員帰国を達成せよ」と厳しく命じた。

つまり、現在の在日韓国人・朝鮮人とは、このとき、たとえ政治的に差別されようとも"外国人"として日本に残った方が経済的に有利であるとか、日本の方が相対的に好きとか、の自由意志を頑なに貫き、GHQの「好意」を断固拒絶したもの、およびその子供や孫たちである。

自ら"外国人"の値を選択したのが故の「在日」であり、その子孫である。
それなのに"外国人"として扱われることを「差別」と称するのは、詐欺そのものだろう。

『歴史を偽造する韓国――韓国併合と搾取された日本』中川八洋著
―――――




●証拠資料
―――――
吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。

朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。

--中略--

さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂

(田中宏「在日外国人」より)

―――――

22-衆-法務委員会-23号 昭和30年(1955年)06月18日
法務委員会委員長 世耕 弘一(世耕弘成参院議員の父)

○小泉純也政府委員

 神近先生(社会党)がおっしゃいましたように、日本に住まいたい者を住まわせて、韓国に帰りたい者は返す、こういうふうに参りますと事は最も簡単で、いろいろの難問題が漸次解決をするのでありますが、問題はそう簡単でなく、極端かもしれませんけれども、六十万と推計をせられる朝鮮_人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても大した言い過ぎではない。

一方向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。そしてこちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けないというところに、人道問題だけでは解決しない大きな国と国との外交問題と申しますか、もう入国管理局だけでは手に負えない大きな外交問題となってここに横たわっておるのは、私が申し上げるまでもなく、御理解をいただいておると思うのであります。

ですから、要するに、こちらは国際的ないわゆる紳士としての態度をもって韓国に接しましても、韓国の方は、紳士的でないとは申しませんが、御承知の通り李承晩ライン、その他漁船の拿捕の問題、こちらから、密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない、こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇切丁寧にしなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。

これを大まかに考えますと、一体日本のためにやらなければならないのか、日本国民の血税の犠牲において、韓国人をまず第一義として大事にしてあげなければならないかというようなところまで、考え方によっては行く問題であると私は思うのであります。

小泉純也(小泉純一郎の父)政府委員はこのとき法務政務次官


【要約】

六十万と推計をせられる朝鮮_人のうち、日本から母国に帰りたいという者は一人もいないといっても言い過ぎではない。

向うからは、入れれば、それこそ手段方法を選ばず、命がけでも密航をして、方法さえつけば怒濤のごとくどんどん入ってくる。

こちらから強制送還をしようといたしましても、韓国の政府がこれを容易に受け付けない

密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、その送還を容易に受け付けない


―――――

衆議院 - 第022回国会 法務委員会 - 23号 昭和30年06月18日」の国会答弁

○椎名(隆)委員

朝鮮人は戦勝国といっていばりにいばり抜いておる。

これは日本があまり待遇をよくするから、朝鮮人の連中は、向うで食うに困ったならば日本に行った方がいい、日本に行きさえすれば待遇がいい、日本に行きさえすれば生活ができるというようなところからどんどん入ってくるのじゃないかと思うのであります
―――――



実際に、在日朝鮮人には、戦後になってから日本に密入国して来た者が非常に多い。

これについても2010年3月1日放送テレビ朝日「たけしのTVタックル」で取り上げてくれた!
TVタックル外国人参政権、朝鮮人は戦後も大量密入国
「TVタックル」朝鮮人は戦後も大量に日本に密入国

戦後も大量の朝鮮人が日本への密入国を続けた大きな原因の1つに、いわゆる「済州島4.3事件」がある。

済州島で1948年4月3日、米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した島民(北寄りの共産主義者が多かった)が武装蜂起したことをきっかけに、韓国軍や警察などによる一連の島民虐殺事件が起きたが、この事件の際、3万人から6万人の島民が虐殺され、4万人以上が日本に逃れたという。

その後も長年に亘って島民(共産主義者)に対する弾圧は続き、1948年には28万人だった済州島の人口が、1958年には3万人に減少してしまい、かわりに在日朝鮮人が大幅に増加した。

密航




〓〓 まとめ 〓〓

●日韓併合以降、200万人以上の朝鮮人が自由意思で日本へ渡航した
 ※「日帝の差別や虐待のせいで朝鮮に住めなくなった」というのであれば、日本に来るのはおかしい

●戦時徴用は、日本人(内地人)や台湾人には1939年から終戦までの6年間適用したのに対し、朝鮮人には1944年9月から1945年3月までのたった7ヶ月間しか適用しなかった。

●戦時徴用で日本に渡航したのは約22万人
 ※そもそも徴用は国民の義務であり、当時は「強制連行」や「強制徴用」とは言わず、「強制連行」「強制徴用」などと言い始めたのは戦後何十年も経ってからだ。

●戦後、GHQの命令で朝鮮人の帰還事業が日本政府の支出で行なわれた。
 ※つまり、朝鮮に帰りたい人はアゴアシ付きで帰国出来た。

●その結果、日本に残った朝鮮人は210万人中60万人だった。

●その日本に残った60万人のうち、戦時徴用で来日した数は245人のみだった。
 ※彼らは自分の意志で日本に残った。
 ※また、GHQの命令による帰還事業が終わった後も、彼らの自由意思による帰国を日本政府は禁止していない。
 ※更に、1959年~1984年には北朝鮮への「帰国事業」も行われ、朝鮮総連が在日朝鮮人に対して「地上の楽園」への帰国を盛んに奨めたが、それでも大半の在日朝鮮人は頑なに日本に残った。


    1945年当時日本に居た朝鮮人  1959年当時日本に残っていた朝鮮人
全体    210万人            61万人
徴用     22万人          たった245人






それと、東京書籍の教科書は、「日本国籍を持たないため、選挙権や公務員になることなども制限されています。」と記述しているが、外国人が余所の国の選挙権や公務員になることが制限されるのは当たり前だ。

日本人だって、韓国などの外国では選挙権を持っていないし、公務員になることもできない。

日本で、外国人が選挙権を持ったり公務員になったりすることは、日本国憲法に違反する。

しかし、実際には、在日外国人だけは、日本で公務員になっている。

例えば、大阪市には、201名の外国籍職員がいる!

http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/cmsfiles/contents/0000223/223079/15.pdf
大阪市における外国籍の公務員の採用について

1外国籍の職員の状況
大阪市には、201名の外国籍職員(韓国187名、朝鮮10名、中国3名、英国1名)が在籍。 (平成24年5月1日現在)



また、Wikipediaによると、大阪府教育委員会と大阪市教育委員会は、1975年から国籍条項を撤廃し、在日韓国人を中心とした在日外国人の教員採用を行ってきており、2006年には大阪府全体で外国人現職教員が初めて100人を超えたという。

内訳は、韓国・朝鮮101人、支那3人、台湾1人。

大阪府の外国籍教師は全国でも群を抜いた人数となっている(2006年時点で次に多い兵庫県が19人)。【関連記事








もう一つ、今度は、東京書籍の小学6年生の社会教科書からだ。

https://twitter.com/akynon/statuses/468033393133768706
祝☆安定政権!‏@akynon
“@fuwari_kitten: 小学6年生の社会教科書(東京書籍)。 pic.twitter.com/MVSHRGdL7M” 教科書に書いてあったらそう思うわな。
【絶望】東京書籍の教科書があまりにも酷すぎると話題に
23:20 - 2014年5月18日



>「併合後、日本に土地を奪われた朝鮮の人々は、仕事を求めて日本や満州に渡っていきました。そして安い賃金で鉱山などの危険な仕事につきました。」


併合後に、日本が朝鮮人の土地を奪ったという事実はない。

両班こそが土地強奪の犯人

「日帝」による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝七奪」のひとつとして数えられている。よく言われる例は、日本人が小高い丘にのぼってあたりを見渡し、土地を指さして手当たりしだい良田を奪っていったという話だ。しかし、これはおそらく両班時代の「土地強奪」から連想して日本人に罪をなすりつけたものであろう。
ダレ神父は「朝鮮事情」(1874年)のなかで両班の土地強奪の実態を次のように述べている。『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない』
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班をモデルにしてでっちあげられた作り話である。そもそも、日本とは法治国家である。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。

・不毛の地を開拓した日本農民
李朝末期には土地の所有権はほとんど両班や地主の手にあり、字の読めない小作人はもともと土地など持っていなかった。
日本人は朝鮮の農民が一顧だにしなかった不毛の地を開墾し、僻地の干拓を行なっていたのだ。交通不便な地に行く場合は、汽車から降りると家族全員で馬の背に乗り、荷物を牛車に載せて遠く離れた土地までえんえんと行く。行った先に待っているのは、耐乏生活と厳しい農地開拓である。
この日本人の地道で真面目な努力によって、朝鮮半島は数千年来の農耕国家では考えられないほどの農業改革を経ることができたのである。それもこれも、すべて日本人の手によって実現したことなのだ。

黄文雄(台湾人)


(参考)

 私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。
「どうしてそれらの土地を耕さないのか」ときいたところ、「耕せぱ耕すほど、税を取られるだけのことだ」という返事があった。
「朝鮮の悲劇」 F.A .マッケンジー(カナダ人ジャーナリスト)



日系第一の地主ともいうべき国策会社"東拓"(東洋拓殖株式会社)の所有耕地面積は、最大のときでも朝鮮の総耕地の4%にすぎなかった。(中略)東拓は朝鮮農民から土地を購入して、これを日本からの農業移民に分譲することをその主たる業務として発足したのであるが、日本移民の成績がかんばしくなかったこともあり、総督府は大正後半以降、同会社の土地買収を認めなくなった。(中略)また、農民に対し貸付を行ない、その元利の返済がないことを理由に担保の土地を奪ったとして非難される東拓の金利は、1933年には8%、1935年には6%と低下している。資本が不足している植民地では一般に金利が高いのが普通であって、インドでは月に20%といった金利さえ存在したことを考えると、東拓の金利は借り手にとって著しく有利なものといえよう。

「韓国・朝鮮と日本人」若槻泰雄著







>日本語を強制的に教えれた朝鮮の子どもたち


日韓併合によって朝鮮が日本となったのだから、学校で日本語を教えたことは当たり前のことであり、「強制的」もヘッタクレもない。

日韓併合前の殆どの朝鮮人は、日本語どころか、朝鮮語さえも教えられていなかったから、全く読み書きできなかった。!

日韓併合前の朝鮮人は朝鮮語も教えてもらっていなかったが、日韓併合後の朝鮮人は朝鮮語と日本語の2つの言語を教えてもらえるようになったのだ。

日本は、日韓併合前から、朝鮮人が朝鮮語の読み書きが出来るように尽力した。

例えば、日本人(福沢諭吉)が初めて漢字ハングル混合文を考案してハングル活字を作り、日本人(井上角五郎ら)が1886年に初めて漢字ハングル混じりの新聞『漢城週報』を発行した。


漢字ハングル混じりの新聞
画像は日韓併合時代の漢字ハングル混じりの新聞


併合した当時は、朝鮮人が作った辞書も全くなかった。

19世紀末に仏と露と英によって粗末な朝鮮語辞典が作られたようだが、本格的な『朝鮮語辞典』は1920年に日本人(朝鮮総督府)によって完成された。


日本の国立国会図書館にある「朝鮮語辞典」:朝鮮総督府編(大正九年〔1920〕3月30日発行)の初版
日本の国立国会図書館にある「朝鮮語辞典」:朝鮮総督府編(大正九年〔1920〕3月30日発行)の初版
画像は日本の国立国会図書館にある「朝鮮語辞典」:朝鮮総督府編(大正九年〔1920〕3月30日発行)の初版


ちなみに朝鮮人が自ら初めて作った朝鮮語辞典は1939年だったようだ。


朝鮮の学校では、1930年代にも、日本人が作った国語辞典『朝鮮語辞典』で朝鮮語の勉強が続けられていた。


日韓併合時代の朝鮮語の教科書「普通学校朝鮮語読本」
日韓併合時代の朝鮮語の教科書「普通学校朝鮮語読本」
日韓併合時代の朝鮮語の教科書「普通学校朝鮮語読本」
画像は日韓併合時代の朝鮮語の教科書「普通学校朝鮮語読本」


日韓併合時代の朝鮮語の教科書、ハングルを教えていた証拠
日韓併合時代の朝鮮語の教科書、ハングルを教えていた証拠
日韓併合時代の朝鮮語の教科書、ハングルを教えていた証拠
画像は日韓併合時代の朝鮮語の教科書「高等朝鮮語及漢文読本」


日韓併合時代の朝鮮語の授業
日韓併合時代の授業
「日本がハングルを学校で教えた」



以上のように、日韓併合後の朝鮮では、朝鮮語と日本語の授業が両方行われるようになった。

併合前の朝鮮人は、朝鮮語さえ教えられていなかったのだから、雲泥の差だ!

「日本語を強制的に教えた」とする東京書籍の教科書は、悪意に満ちている!


1940年頃になると学校で「朝鮮語」の授業がなくなったのは事実だが、普段の会話等はもちろん朝鮮語で行われた。

その証拠に、日本語普及率は終戦時でも朝鮮では20%だった。(台湾では70%)

ちなみに、英国によるインド統治は約200年もの長期におよんだが、1921年時点で、識字率8.2%(文盲率91.8%、英語理解率2.4%)だった。

日本は朝鮮の言葉を奪ったどころか、朝鮮に朝鮮語を与えて普及させたのだ。

――――
●まとめ
日韓併合前の朝鮮人は、朝鮮語も教えられていなかった。
併合前から福沢諭吉や井上角五郎らの日本人は、朝鮮語の読み書きが出来る朝鮮人を増やそうと尽力した。
併合後、ようやく本格的に、朝鮮の学校でハングルを使って朝鮮語が教えられるようになった。朝鮮語と日本語の2つの言語が教えられるようになった。
朝鮮最古の国語辞典『朝鮮語辞典』は、1920年に朝鮮総督府(主に日本人)が作った。
朝鮮の学校では、1930年代にも、日本人が作った国語辞典『朝鮮語辞典』で朝鮮語の勉強が続けられていた。
1940年頃になると学校で「朝鮮語」の授業がなくなったが、普段の会話等は朝鮮語で行われた。
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