正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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「日本に侵略された東南アジアまで日本支持に=アジアで孤立した韓国と中国」韓国紙・世界史無知
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「日本に酷い目に遭った東南アジア諸国が日本を支持するとは驚愕…韓国・中国が孤立する!何とかしないと」…韓国紙

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=80012&type=
アジアで孤立した韓国と中国=侵略の被害受けた東南アジアまで日本支持に―韓国紙
Record China 12月4日(水)14時4分配信

f9b08257-sアジアで孤立した韓国と中国=侵略の被害受けた東南アジアまで日本支持に―韓国紙
2日、韓国紙・朝鮮日報中国語版は記事「日本はなぜ過去36年間にわたり、一貫して東南アジアに好意を示してきたのか」を掲載した。韓国や中国と同じ、日本の侵略の被害を受けた東南アジア諸国まで日本支持に回ったことを衝撃と評している。写真はマニラ。

2013年12月2日、韓国紙・朝鮮日報中国語版は記事「日本はなぜ過去36年間にわたり、一貫して東南アジアに好意を示してきたのか」を掲載した。

日本の集団的自衛権解禁問題。韓国は強く反発しているが、多くの国から「背後からの一撃」を食らわされたことは否定できない。中国を牽制するための「不沈空母」として日本を使いたい米国についてはまだ予想できた。米国が韓国ではなく日本を選んだのは残念とはいえ、衝撃というほどのことではない。日本のもう一つの同盟国であるオーストラリアや日本の軍事的影響力が及ばない欧州連合(EU)の賛同も理解できないわけではない。

しかし韓国や中国と同様に日本に侵略された経験を持ち、いまだに従軍慰安婦問題を抱えているフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国が日本を支持したことには驚愕(きょうがく)した。アジアにおける中国、韓国の孤立を意味しているからだ。

韓国政府関係者は、南シナ海問題において日本の力を借りるためだとASEAN諸国の態度を分析する。だがそれだけではない。日本の東南アジアへの接近は36年前から始まっていたのだ。1977年、福田赳夫元首相はフィリピンで「日本は軍事大国にはならない。政治、経済、社会文化の領域でASEAN諸国と心からの友人になりたい」と発言した。この福田主義は将来の中国台頭をにらみ、東南アジアとの絆を確保する狙いがあった。ODAや投資、さらにはポップミュージック、漫画、映画、ファッション、寿司、ラーメンなどのソフトパワーまで動員して、東南アジアの人々の心をとりこにしたのだ。

安倍首相はこの福田主義を見事に完成して見せた。昨年12月の就任から1年足らずの間に、ASEAN10カ国すべてを訪問したのだった。世界3位の経済体・日本の外交に韓国が遅れをとるのは仕方がないのかもしれない。だが、朴槿惠政権誕生から1年という時間を無駄に使ってしまった韓国の政界や指導者たちに、日本のような30~40年先を見据えた戦略的判断力があるのだろうか、心配させられる。



>しかし韓国や中国と同様に日本に侵略された経験を持ち、いまだに従軍慰安婦問題を抱えているフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国が日本を支持したことには驚愕(きょうがく)した。アジアにおける中国、韓国の孤立を意味しているからだ。


まず、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国が「いまだに従軍慰安婦問題を抱えている」などということはない。

韓国以外で、「いまだに従軍慰安婦問題を抱えている」国なんてない。

先日、朝日新聞が【慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」】という見出しの記事を掲載したが、朝鮮人慰安婦の証言と同じく、全く証言の裏付けもなく信憑性がない。

http://www.asahi.com/articles/TKY201311270675.html
慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」
2013年11月28日05時00分、朝日新聞

 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。
テント
日本軍のテントで何度も辱められたと証言したベッチェさん。家族にも捨てられ、未婚だという=7月18日

慰安婦
イパティマンさんは、日本の大手企業の工場で働いていたところを連行されたと証言した。 「毎日10人ほどの日本人がやって来た」と話した=7月21日



テントは、軍隊において進軍中の夜営に簡易的に使用したものであり、テントの慰安所を設置したということはない。

朝日新聞は、7月に取材して証言を取ったのに、どうして今頃(11月28日)まで記事にしなかったのか?!

朝日新聞は、何らかの裏付けを探していたのだろうが、証言の裏付けは何もなく、11月28日になって裏付けない証言のみの記事に踏み切ったのだろう。






次に、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国が「韓国や中国と同様に日本に侵略された経験を持ち」という記載も事実に反する。

日本は韓国と条約によって併合をしたのであり、したがって戦争も侵略も有り得ず、日本が韓国を侵略した事実はない。

12月4日は、くしくも大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」が「韓日合邦を要求する声明書」を提出した日にあたる。

朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。

日本は日清戦争後の1985年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。

日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。

結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。

「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。
「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々

大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
――――――――――
「韓日合邦を要求する声明書」

 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。 
 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
 それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。

1909年 12月4日  一進会(百万の朝鮮人会員)

――――――――――



しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。

それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。

1910年8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。

ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。

この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。

これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。

(上)日本統治前、(下)日本統治中
(上)日本統治前、(下)日本統治中

日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

併合後のソウル
併合後のソウル




また、「日本が中国に侵略」をしたという事実もない。

1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した。
北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。

そのときに列国と清国と結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。
――――――――
北京議定書
北京-山海関の12の要地における外国軍の駐屯
――――――――


この「北京議定書」は、英・米・仏・露・独・墺・伊・白・西・蘭・日の11カ国と締結され、外国の軍隊が支那に駐屯し、支那の警察の役割を務めることになった。

今日本では「日米安保条約」による合意の上で米軍が日本に駐留しているように、20世紀前半には「北京議定書」による合意の上で日本を含む列国が支那に駐屯していた。

支那が「北京議定書」による合意の上で支那に駐屯していた日本軍や支那在住日本人を攻撃したために、1937年に支那事変が始まった。

支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。








そして、「フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国が、日本に侵略された」ということも韓国人の妄想と言って良い。

韓国では、偉大なるウリナラの歴史は教えるが、世界史は基本的に教育していない。

したがって、韓国人は、世界史について、全くと言って良いほど無知だ。

フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシアの4カ国のうち、フィリピンだけは日本側とアメリカ側に割れ、中にはアメリカ軍に加担して日本軍と戦った事実がある。

しかし、タイ、マレーシア、インドネシアは、日本と共に大東亜戦争を戦った。

東南アジアで唯一日本軍と戦ったフィリピンでさえ、「日本に侵略された」ということには該当しない。


■フィリピン■

ジョジョ・P・マリグ=フィリピン人。ジャーナリスト。
この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。
私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。
とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は尊敬すべき”英雄”だと思います。
またカミカゼ・アタックを決断した大西瀧治郎中将も本物の”武士”です

ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。
当時、白人は有色人種を見下していました。
これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。
神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう。
神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。
これは私から日本の若者たちへのメッセージです…


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
Japan On the Globe
地球史探訪:満洲 ~ 幻の先進工業国家
傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以上の中国人がなだれ込んだ理由は?

(抜粋)

完成後に見学に訪れたフィリピン外相は、次のような歓声を発したという。

『フィリッピンは、スペイン植民地として350年、アメリカの支配下で40年を経過している。だが、住民の生活向上に大きく役立つものは一つも作っていない。満洲は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか』



330 :名無しさん@13周年:2013/12/04(水) 20:28:36.62 ID:3F9FswFv0
フィリピンで・・・ 「日本が!!」反日を演出する中国華僑と中国・韓国とプロパガンダ(デマ)を流す在日マスコミ連中・・・・

【フィリピン】 フィリピン人は親日です フィリピンは470年間もの植民地時代に「中国人華僑」に全ての土地農地が奪われた

フィリピンは470年間もスペインそしてアメリカによる植民地でした。スペインの殖民地時代から運営は中国人華僑が行う共同運営の植民地でした。スペイン時代に農地は全て中国人の所有物として取り上げられ、フィリピン人はただの奴隷と扱われました。管理者の中国人華僑はフィリピン人を残虐に殺しては住民を押さえ込む残酷な殺しが全土で行われました。470年もの間に推定2000万人以上が殺されています。このように中国人に対する憎しみは歴史的に半端でありません。アメリカの植民になっても中国人華僑との共同運営でした。
アメリカは徐々に一部のフィリピン人に行政をやらせるようにしました。しかし、農地や商売は全て中国人華僑が所有し、中国人がフィリピンを奴隷として扱い、残虐な殺しと迫害は続きました。これに対してフィリピン人による大暴動がしばし全土で起きていました。「反華」、「排華」、「反中国」の根強い恨みとなっています。つまりチベットと同じことが中国人華僑により470年も行われていました。

日本軍が来て一番最初に喜んだのは現地フィリピン人でした。米国を追い出し、470年も植民地経営していたいた中国人華僑を追い出し、農地も土地も取り戻してくれ解放してくれました。フィリピン国民を奴隷から解放してくれたのが日本でした。

戦後は再びアメリカの統治となり、中国人華僑が支配すると、中国人による残虐な殺害と迫害の暗黒が始まりました。本当に独立出来たのは、アメリカからフィリピン人に行政や司法が全て移り、中国人華僑を追い出せるようになってからです。本当に長い中国人華僑による弾圧と虐殺の歴史でした。

フィリピンで反日運動しているのは、植民地経営をしていた中国人華僑が反日運動を、中国政府と一緒にやっているだけです。中国人華僑は反日ですが、フィリピン国民は日本に対しては親日です。

http://nandakorea.sakura.ne.jp/img/daitoua_2.jpg  ←日本軍を称えるフィリピン共和国独立記念日の飾り
フィリピン
 「EAST ASIA CO-PROSPERITY」= 意味は「大東亜共栄圏」
  "日の丸"下でアジア大共栄圏の夢が懐かしいという飾り



ポスター





■タイ■

タイと日本は、大東亜戦争を戦った同盟国。

タイは、形式的には、日本と同様に欧米列強による植民地支配を免れた国とされている。

しかし、タイは国土の一部を割譲しており、フランスなどの植民地になる寸前だった。

日本がフランス領インドシナなどに進駐すると、タイは、日本と「日・タイ攻守同盟」を結び枢軸国として戦った。

タイは大東亜戦争中、東南アジア戦線では日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。

戦後も日本に対して友好的な交流を続けており、戦争中に設けた日本への借財を割り引くなどしている。


ククリット・プラモード 元首相
日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない





■マレーシア■

ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。



ガザリー・シャフィー(シャフェー)=マレーシア人。 元外務大臣
日本の政治家はどうしてお詫びばかりするのか。
今もT氏(自民党参議院長老)は、私に会うと一番に「過ぐる大戦において、我が国は貴国に対してご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と言うのだ。
私は思わず言ってしまった。
「どうしてそんな挨拶をするのか。
我々はペコペコする日本人は嫌いだ。
なぜサムライらしく毅然としないのか。
日本はどんな悪いことをしたと言うのか。
大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
わずか三ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。
日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。


(謝罪する日本の政治家に対して)
とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ。
責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。
『その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時にはあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか』


ウンク・アジス=マレーシア人。元マレー大学副学長。
戦争という体験によって、我々は強くたくましくなりました。
これを必要としない人もいるかもしれませんが、当時マレーシアでは、このようなはつらつとして強固な人間を育成するためには、非常に重要だったんです。
日本軍がもたらした大和魂のような考え方を持つこともです。
おそらく今の日本では、この考えは必要ないと思われているでしょうが、我が国では、独立のために、この精神がどうしても必要だったんです。
これは、戦争の心理的インパクトです。
このことがあって、我々の独立は早まりました。
だから我々はこの点を、大変感謝しているのです。






■インドネシア■

インドネシア・モハメッド・ナチール 元首相
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。


インドネシア・アラムシャ 元第3副首相
我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。


インドネシア・サンパス 元復員軍人省長官
特にインドネシアが感謝することは戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。


日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。
その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。
そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。
村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。
かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である。



プン・トモ=インドネシア人。元情報相。 昭和32年の来日の際の発言より
日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。
そして実はわれわれの力でやりたかった。


アリフィン・ベイ=インドネシア人。政治学者。ナショナル大学日本研究センター所長。
日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。
この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。
日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。
その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
日本は目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。


サイデマン・スリヨハデイブロジョ=インドネシア人。陸軍大学長、駐日大使、外務省上級大使などを歴任。
かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。
日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。
日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。
独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。
これこそ我々が白人に勝てる証明だと。


ケマル・イドリス=インドネシア人。ペタ出身。元中将。
日本精神は我々にとって一番。
なぜなら、日本精神で我々はオランダに向かったのです。
我々はこの精神を独立戦争に持ち込み、その結果、独立を達成したのです。
我々は武器はなく、たとえ竹槍で戦っても、勇敢でした。
だから我々は独立戦争の基本となった軍事能力を与えてくれたことに大変感謝しているのです。



■皇紀で記されたインドネシア独立宣言■

インドネシアの10万ルピア札にスカルノとハッタの肖像画の中央に独立宣言文が記載されている。
インドネシアの10万ルピア札にスカルノとハッタの肖像画の中央に独立宣言文が記載されている。
PRIKLAMASI.
 Kami bangsa Indonesia dengan ini menjatakan kemerdekaan Indonesia.
 Hal-hal jang mengenai pemindahan kekoeasaan d.l.l., diselenggarakan dengan
tjara seksama dan dalam tempo jang sesingkat-singkatnja.
 Djakarta, hari 17 boelan 8 tahoen 05
 Atas nama bangsa Indonesia.
 Soekarno/Hatta

年号に注目して頂きたい。05年とある。この05年とは皇紀2605年を表しているのだ。

独立宣言
 我らインドネシア人民はここにインドネシアの独立を宣言する。
 権力及びその他の委譲に関する事柄は、完全且つ出来るだけ迅速に行われる。
 ジャカルタ、(皇紀26)05年8月17日
 インドネシア人民の名において
 スカルノ/ハッタ

皇紀2605年は西暦1945年である。




オランダとの独立戦争で指揮を取った多くの日本兵は戦死しました。
インドネシアの独立に戦った日本軍への敬意として、インドネシアの独立記念日に日本軍兵士を英雄として称えています。
独立記念日に多くの「日の丸」を掲げられました。そして日本軍の軍服を着た日本兵士に扮して日本兵を独立式典に迎えました。
日本軍を英雄として称える親日国です。
現在では、このような「日の丸」や「日本軍」の服装をして行う式典はなくなりました。
日本兵を先頭に行進インドネシア
日本兵を先頭に行進
(昔の独立記念日の様子 現在ではこのような光景は見られません)

「日の丸」を掲げ称えるインドネシアの子供達
「日の丸」を掲げ称えるインドネシアの子供達



「韓国人は世界史を知らなさ過ぎる!」

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