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「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答・鳩山由紀夫絶句・南京大虐殺記念館の館長の鳩山への説明は大ウソ!反論できる・人口は当時20万人で、犠牲者数は0人だ
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Z20130117GZ0JPG00058000100017日、中国江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」を訪れ、頭を下げる鳩山元首相。左端は幸夫人(共同)

「犠牲者数は?」「人口は100万超で犠牲者数は30万人 これは誰にも反論できない数字」南京大虐殺館訪問の鳩山、館長回答に絶句

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130118-00000013-rcdc-cn

「犠牲者は何人?」南京大虐殺記念館を訪問の鳩山元首相、館長の回答に絶句―本日の中国TOPニュース
Record China 1月18日(金)13時16分配信

鳩山由紀夫元首相が南京大虐殺記念館を訪問し、参観中に何度も手を合わせる姿が中国メディアによって報じられた。被害者の遺体が遺棄されたという“万人坑”を参観した際には、「これは本当の遺体か?」「犠牲者の数は
17日、鳩山由紀夫元首相が南京大虐殺記念館を訪問し、参観中に何度も手を合わせる姿が中国メディアによって報じられた。被害者の遺体が遺棄されたという“万人坑”を参観した際には、「これは本当の遺体か?」「犠牲者の数は何人だったのか?」との質問をしたという。

2013年1月17日、鳩山由紀夫元首相が、南京大虐殺記念館を訪問した。日本の首相経験者としては3人目の訪問で、およそ2時間あまりの滞在時間に何度も手を合わせ、黙とうする姿が中国メディアによって報じられている。被害者の遺体が多く遺棄されたという“万人坑”を参観した際には、「これは本当の遺体か?」「犠牲者の数は何人だったのか?」との質問をしたという。現代快報の報道。

この日、漆黒で身を包み、夫人を伴って厳粛な面持ちで館内を参観した鳩山元首相。犠牲者らの遺影や遺骨、銅像や石碑の前で幾度も手を合わせ、参観後には「友愛和平」と書をしたためた。そこには「鳩山“友”紀夫」と自身の名を記したという。

1937年の南京事件を記録する記念館。3500点の写真と3300点の史料、140本の映像資料に加え、日本人兵士による25件の証言、1万4000人分に上る犠牲者や生存者などの個人資料が展示されている。

中には、多くの犠牲者の遺体が棄てられたという“万人坑”から掘り出された遺骨も展示されており、鳩山元首相は「これは本当に遺体なのですか?」と思わず質問。“万人坑”はもともとは池だった場所で、そこに7層にものぼる遺体が次々と重ねられ、土をかぶせられたと館長の説明を受けると、しばし絶句したという。また、鳩山元首相は「当時の南京市の人口と南京事件の犠牲者数は?」とも問いかけた。館長が、東京裁判や南京軍事法廷の判決で示された数字として「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答する場面も見られた。
(翻訳・編集/愛玉)



>被害者の遺体が多く遺棄されたという“万人坑”を参観した際には、「これは本当の遺体か?」「犠牲者の数は何人だったのか?」との質問をしたという。


昨日の記事でも述べたが、遺体は本物でも、それは日本軍による虐殺の犠牲者の遺体ではない。

東大出てるんだから、少しは考えろ!
馬鹿!





>2013年1月17日、鳩山由紀夫元首相が、南京大虐殺記念館を訪問した。日本の首相経験者としては3人目の訪問で、およそ2時間あまりの滞在時間に何度も手を合わせ、黙とうする姿が中国メディアによって報じられている。


鳩山由紀夫の前に首相経験者として訪問したのは、海部俊樹と村山富市だ。

また、菅直人は、首相になる前の2002年に訪問している。


要人見学者
海部俊樹、田邊誠、村山富市、野中広務(1998年)、菅直人(2002年)、古賀誠(2006年)、鳩山由紀夫(2013年)





>1937年の南京事件を記録する記念館。3500点の写真と3300点の史料、140本の映像資料に加え、日本人兵士による25件の証言、1万4000人分に上る犠牲者や生存者などの個人資料が展示されている。


昨日の記事でも述べたとおり、写真は全て偽造写真や、南京大虐殺とは無関係な写真だ。

史料や映像資料も、同様に、全て偽造や日本軍による虐殺とは無関係だ。

THE FAKE OF NANKING
■動画
THE FAKE OF NANKING - 1
http://www.youtube.com/watch?v=4LbVeadjSbo



また、「日本人兵士による25件の証言」についても、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu_d_3.html
質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか。


回答6:
そのとおりです。

証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。

みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。



これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

▼例▼
東史郎

東史郎
支那のマスメディアでも盛んに取り上げられる東史郎

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い(関連記事1)(関連記事2)(関連記事3

中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた

永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明

舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×

曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された

田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状

太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった

富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた

上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

匿名・仮名証言の嘘の例
『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』というトンデモ本は匿名(仮名)の証言集だが、バレバレの嘘だらけ。
例えば、南京で強姦しまくったと証言した鬼頭久二(第16師団歩兵第33連隊 第1大隊)(仮名)は、計算すると南京戦当時11歳だったことになるが、帝国陸軍に11歳の少年兵は居なかった。


(参考)
偽造資料、ニセ証言者たち
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page049.html





>また、鳩山元首相は「当時の南京市の人口と南京事件の犠牲者数は?」とも問いかけた。館長が、東京裁判や南京軍事法廷の判決で示された数字として「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」と回答する場面も見られた。


「人口は当時100万超で、犠牲者数は30万人だ。これは誰にも反論できない数字だ」は、大ウソであり、簡単に反論できる。

確かに1937年当時、南京には100万人超が住んでいたが、8月から上海で戦争が始まり、10月になって大量の支那軍が南京に逃げ込むと、南京市民の多数は日本軍が占領した上海などに避難して出て行った。

そして、南京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜には南京の人口は20万人で、しかも、善良な市民は全員が安全区に避難していた。


まずは、南京の人口推移から。


▽1937年11月~12月の南京の人口推移▽

1937年前半「100万人超」
(支那事変勃発前)

1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)

11/27「30~40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90)

12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令

12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)

12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令

12月10日「約20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月13日「約20万」
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)


▽陥落直前の南京の人口に関する資料▽
――――――――――
安全委員会公文書【20万人の市民】
スティール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
ラーベ【20万人】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
――――――――――


以上の資料を総合してみると、12月13日、南京陥落時点の南京の人口は、【10万人から最高20万人】の間とみて間違いなく、陥落後の生存人口が約25万人(安全委員会公文書)だから人口は増えた。

■日本軍が南京を占領してからは、減るどころか逆に増えている。

そして、南京で戦闘が始まる前に、多くの市民が南京を脱出したが、そのうちの多くは日本軍が開放した上海に行っていた。

もう一度、南京の人口推移を長い期間で見てみる。


▽1937年前半(支那事変以前)~1938年9月の南京の人口推移▽
1937年前半  「100万人」
 ↓
11月初旬~11月23日 「50万人」(支那軍が南京に来て減少)
 ↓
11月27日  「30~40万」
 ↓
12月13日  「20万」
 ↓
1938年1月14日 「25万人」(日本軍が南京を占領し支那軍が南京を去ったため南京の人口が増加に転じる)
 ↓
1938年9月23日 「40~50万人」


▽1938年9月23日「40~50万人」の資料▽

『文藝春秋』P193 第十六巻 第十九號 昭和十三年十一月特別號 (1938年)
 従軍通信/上海より廬州まで/瀧井孝作
 九月二十三日。晴。南京にて。
 午前九時、特務機関に行く。大西大佐より南京施政状況の説明あり。人口は戦前は百萬そのうち二十五萬漢口に行き、二十五萬は上海に在り、五萬は香港に行き、現在は四五十萬どまりなり。



しばらく南京に戻って来なかった人々のうち、漢口に行っていた25万人は支那の政府関係者が多く、上海に行っていた25万人は一般市民だから、やはり市民は日本軍の居る上海に行っていたのだ。


以上、南京戦前に多くの南京市民が日本軍の居る上海などに脱出し、日本軍の南京占領1ヶ月後には南京の人口が増加に転じていたことを述べた。

そもそも日本軍占領後に南京の人口が増えたのだから、虐殺があった筈がないと分かる。

(参考)
人口問題
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page012.html
▽上海などに避難せずに南京に残った南京市民の全員が安全区に避難していたことを証明する資料▽
南京虐殺は嘘2 人口からの考察2(全員避難)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3365.html




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