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米国は日本の過ちを正せ!日本は極右主義に進んでいる!李明博がクリントン米国務長官に要請・韓国外相、日本で独島広報を準備『なぜ歴史的、地理的、国際法的に韓国領土なのか』説明する・竹島が日本領土の証拠大公開
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竹島が日本領土の証拠大公開
竹島は日本固有の領土
竹島=歴史的にも国際法的にも地理的にも日本領土の証拠を大公開


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120913-00000009-scn-kr

「米国は日本の過ちを正せ」、韓国大統領が米国務長官に要請
サーチナ 9月13日(木)11時28分配信

 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は9日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加していたクリントン米国務長官と非公式で対面し、「日本が極右主義に向かっている」と述べ、日本の過ちを正すよう米国に呼びかけた。中国メディアの環球時報(電子版)が12日付で報じた。

 李大統領は「日本は極右主義に向かっている。北東アジアの平和のため、日本は右翼主義を捨てるべきだ」と述べ、米国には日韓関係を急いで仲裁するのではなく、日本の間違いを指摘してほしいと伝えた。

 ヒラリー国務長官は記者団に対して、APEC会議期間中に日韓首脳と別々に会談し、領土問題に関して冷静さと自制を保つように促すと話していた。

 李明博大統領の発言に対し、記事には「発言を支持する」といったコメントが多く寄せられた。一方で、「日本は米国のイヌである以上、米国が日本に言い聞かせることはないだろう」といった意見や、「米国の価値観そのものが間違っているのに、どうして日本を正すことができるだろう」といった意見も寄せられていた。



>韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は9日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)に参加していたクリントン米国務長官と非公式で対面し、「日本が極右主義に向かっている」と述べ、日本の過ちを正すよう米国に呼びかけた。


日本は戦後に占領軍(アメリカ)から押し付けられた占領憲法を何一つ変えずに守り通し、非核3原則まで言い出し、防衛予算も極端に低く抑えている。

李明博はアメリカに向かって何を以て「日本が極右主義に向かっている」と言っているのか?

李明博がクリントン米国務長官に「日本が極右主義に進んでいる」と述べたことに関しては9月11日(火)頃にも時事通信などが報じていたが、どうやら李明博ら韓国人は日本が竹島の領有権を主張していることを以て「日本が極右主義に進んでいる」と訴えているようだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012091100804
韓国外相、日本での「独島」広報を準備=大統領「日本は極右主義に」

 【ソウル時事】ノルウェーを訪問中の李明博大統領に同行している金星煥外交通商相は11日、オスロで記者団に対し、日本政府が同日、島根県・竹島(韓国名・独島)問題の新聞広告を掲載したことについて「非常に遺憾だ」と述べた上で、「韓国政府は、日本国民を対象に『なぜ歴史的、地理的、国際法的に韓国領土なのか』を説明する準備をしている」と、日本での広報活動に力を入れる考えを示した。大統領府が発表した。

 一方、聯合ニュースによると、大統領府関係者は、李大統領が9日のクリントン米国務長官との会談で「日本が極右主義に進んでいる。東北アジアの平和のため日本が極右的な態度を捨てなければならない」と伝えたことを明らかにした。 

 金氏は、日本の竹島領有権の主張に対し、「国際社会に対しても、なぜ独島が韓国領土なのかを説明するよい契機だとみなしている。われわれが作った資料を読めば、韓国領土だと十分に理解できる」と強調。「日本と協力する部分があれば協力するが、領土や歴史問題は妥協できない」と語った。(2012/09/11-20:00)



読売新聞などの報道によれば李明博は9月5日に日本に詳しい韓国人有識者5人を大統領府の朝食会に招いて竹島の領有権問題について「これ以上騒いで刺激しない方が良い」と述べたそうだが、騒がずにはいられないようだ。

また、韓国の金星煥外交通商相は、「韓国政府は、日本国民を対象に『なぜ歴史的、地理的、国際法的に韓国領土なのか』を説明する準備をしている」と、日本での広報活動に力を入れる考えを示したが、これは非常に興味深い。

竹島は『歴史的、地理的、国際法的に韓国領土』ではないことが明白だからだ。

いったい、何をどう説明すれば、竹島が韓国領と言えるのか興味津津!
((o(^-^)o))わくわく



この機会に、竹島は歴史的にも国際法的にも日本の領土だということを完璧に再確認しておこう!
―――――
1618年
幕府が鬱陵島での独占的漁業権・林業権を、鳥取藩(米子)の町人大谷家と村川家に許可
鬱陵島へ渡る途中の寄港地として、また漁猟地として竹島を利用

1656年
幕府は松島(現在の竹島)に対する渡航を許可

1696年
幕府は鳥取藩主に対し、鬱陵島への渡海を禁止

1905年
1月28日
日本政府はの閣議において同島を正式に竹島(旧名・松島)と命名し、島根県隠岐島司の所管とする旨決定
2月22日
島根県知事は島根県告示第40号をもってその内容を公示
島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。
【これに対して韓国からは何一つ抗議はなかった】

隠岐国四郡の官有地台帳への登録
漁業取締規則によるアシカ漁業の許可
仮設望標の設置
知事の視察

1906年
島根県第3部長らの現地実態調査
韓国がこの島に「独島」と名付ける

1951年
アメリカが「竹島は日本領」と、韓国大使に最終回答

7月19日
サンフランシスコ平和条約の草案起草過程において、韓国大使(ヤン)から米国務長官へ書簡
一、大韓民国政府は、第二条a項の「放棄する」という語を、「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、ドク島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対するすべての権利、権原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。

8月10日、日本が放棄すべき地域の1つに竹島を明記するよう要求した(7月)韓国政府に対し、米国は、竹島は「朝鮮の一部として取り扱われたことがなく」、「かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」として、明確に韓国側の主張を否定した(8月「ラスク書簡」)。

1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定した。
【サンフランシスコ平和条約】
・1951年9月8日版(最終版) 日本は済州島、巨文島、及び、鬱陵島を放棄すること。
【日韓の間にある島々のうち、日本が、権利、権原及び請求権を放棄する「済州島」「巨文島」「欝陵島」の3島を明記。「竹島」(独島、アンクール岩)は、日本領であることが国際的に再確認】


1952年
1月18日
韓国大統領李承晩、海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)により竹島の領有を主張
4月28日サンフランシスコ平和条約発効
―――――


このように、竹島は、「歴史的」にも、「国際法的」にも、明らかに日本の領土だ。

更に、「地理的」にも、明らかに日本の領土だ。

韓国は、戦前も戦後も、韓国の領域には竹島がないことを地理の教科書などに記載していた。

1899年『大韓地誌』 (大韓帝国の最初の地理の教科書)
1899年『大韓地誌』 (大韓帝国の最初の地理の教科書)には、「大韓帝国の領域は、北緯33度15分~42度25分。東経124度30分~130度35分。」と書いてある。
竹島は東経131度52分だ

韓国の教科書どおり、「東経130度35分までが韓国領」なら、「鬱陵島までが韓国領」となり、竹島は韓国領にならない。

1947年『朝鮮常識問答』(韓国の常識Q&A)
また、大東亜戦争後の史料で、1947年『朝鮮常識問答』(韓国の常識Q&A)には、「韓国の領域は、東経124度11分~130度56分23秒」と書いてある。
竹島は東経131度52分だ

やはり、韓国は、戦後になっても、竹島を韓国の領土とは認識していなかった。



先月、当ブログに次のようなコメントを頂戴した。

――――――――――
質問です!!

竹島問題で今日「キャスト」という報道番組で中島岳志北海道大学教授が韓国側主張をドヤ顔で述べていました。

これに対する直接の反論を特に管理人様にお聞きしたいのですがよろしいでしょうか?

中島岳志「一番のポイントは日本の韓国に対する植民地支配がどこからスタートしたのか、が議論になるんですね。
日本が国際社会に復帰するときにサンフランシスコ平和条約を結びましたが、そこで日本は近代の戦争によって獲得した、
あるいは植民地支配をしていた領土についてはこれを返還しますと約束している訳ですね。
ですからどこから植民地支配がスタートしたのかって事がすごい重要で、韓国側はどう見てるかというと
1905年がすごい重要な年で前年から日露戦争が始まっていたんですね。1905年の秋にポーツマス条約を結ぶんですけれども
実はその条約を結ぶ前に日本は竹島を領有しているんですが、1904年の段階で韓国に対する実質上のある種の支配みたいなものは
日本は一定程度進めているんですね。そして第一次日韓協約を結びました。これによって韓国の外交権の一部を日本は奪っているんですね。人事権を奪っている。
植民地支配はそこの時点でかなりの部分進んでいると。ですから日本が植民地支配で獲得した領土については返還するとするならば
竹島もその中に入るんじゃないですかという主張が韓国の中にはある訳ですね。」

これで話は終わりです。正当性があるのかどうかも言わずに話題が変わりました。
管理人様にブログで取り上げて頂けたら嬉しいです。検索してすぐ見つかるからです。こちらでも構いませんが返答頂けますでしょうか?

2012/08/21(火) 23:39:50 | URL | 質問者 勉強中 #- [ 編集 ]

――――――――――
coffeeさん初め複数の方々、お答え頂きありがとうございます。

自分も竹島は日本領土だと感じてはいますが、少しまだ完全には納得出来ない箇所があります。
確かに、日本はもっと昔から漁に使ったり幕府の使用許可が出たりしていたようですが、一応念のために国際法に沿って組み入れたという1905年が最も重要なポイントではないですか?
そしてそれに異議を唱えにくい政治状況であったと反論されたらどう答えたらいいのでしょうか?


またアメリカはアメリカで大韓帝国が異議を唱えにくい状況など知らない、ラスク書簡で日本領土だと返答しようと、アメリカが国際法ではない。
それによって国際法的に日本領土と決定する訳ではないと反論が来たらどうでしょう?
この二点についてはどうですか?

2012/08/23(木) 11:38:58 | URL | 質問者 勉強中 #- [ 編集 ]
――――――――――


「1905年に日本が国際法に則り公式に竹島を領有した時、大韓帝国は日本に支配されていて異議を唱えることが出来なかった」と主張をする者がいるそうだ。

しかし、領土問題でも異議を唱えにくい政治状況なんて日韓にはなかったのが実情で、実際には当時の日韓の外交交渉でも大韓帝国はいろんな事に散々異議を唱えていた。
▼当時の日韓外交交渉▼
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/24220334.html


それと、上述したとおり、その1905年よりも6年前の1899年の大韓帝国の地理の教科書に竹島が大韓帝国の領土ではないこととして記述されていたのだ、1905年の政治状況なんて全く関係ない!

以上、竹島は、歴史的にも、国際法的にも、地理的にも、完全完璧に日本の領土だ!


以下には、上で挙げた1899年『大韓地誌』 (大韓帝国の最初の地理の教科書)と日韓併合終了後1947年『朝鮮常識問答』(韓国の常識Q&A)の他にも山ほどある「竹島=日本領」の証拠を列挙する。

日本の資料は勿論だが、日韓併合前の朝鮮に資料やヨーロッパなど第三国の資料、日韓併合終了後の朝鮮の資料など証拠は山のようにある。
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竹島は<東経131度52分>,北緯37度15分に位置する島。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=371425&l=1315201 (←ダブルクリックで経緯度表示)

http://farm3.static.flickr.com/2338/2402097537_4f066620f8_o.jpg
竹島は<東経131度52分>,北緯37度15分に位置する島。
竹島は<東経131度52分>に位置する島

http://farm3.static.flickr.com/2253/2402927066_bb5066ccac_o.jpg
竹島は<東経131度52分>,北緯37度15分に位置する島。
竹島は<東経131度52分>に位置する島


★は韓国側の史料
☆は日本・韓国以外の史料


NO.  年次   著者    著書       韓国の東限<東経>

(1) 1874年 シャルル・ダレ「韓国の教会の歴史」 130度50分☆
http://farm3.static.flickr.com/2060/2456952488_fa4daf5def_o.jpg
(1) 1874年 シャルル・ダレ「韓国の教会の歴史」 130度50分☆


(2) 1876年 瀬脇寿人「鶏林事略」  130度35分
http://farm3.static.flickr.com/2348/2456952650_bcec987380_o.jpg
(2) 1876年 瀬脇寿人「鶏林事略」 130度35分


(3) 1880年 坂根達郎「朝鮮地誌」  130度45分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010308&VOL_NUM=00000&KOMA=5&ITYPE=0
(3) 1880年 坂根達郎「朝鮮地誌」  130度45分


(4) 1882年 榎本武揚「朝鮮事情」  130度50分
http://farm3.static.flickr.com/2151/2497653815_a303be8764_o.jpg
(4) 1882年 榎本武揚「朝鮮事情」  130度50分


(5) 1887年 小松運「朝鮮八道誌」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010318&VOL_NUM=00000&KOMA=10&ITYPE=0
(5) 1887年 小松運「朝鮮八道誌」  130度35分


(6) 1889年 英国百科事典「チェンバーズ百科事典(Chambers' encyclopaedia)」新版 第3巻 p.476  130度30分☆
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record200902.html


(7) 1890年 高木怡荘「外国地理」  130度
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005768&VOL_NUM=00000&KOMA=68&ITYPE=0
(7) 1890年 高木怡荘「外国地理」 130度


(8) 1891年 谷口流鶯「受験応用万国小地誌」  130度
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006089&VOL_NUM=00000&KOMA=23&ITYPE=0
(8) 1891年 谷口流鶯「受験応用万国小地誌」 130度


(9) 1893年 ラニエ・ルシアン(Lanier Lucien)「L'Asie」  129度34分☆
http://farm5.static.flickr.com/4145/5038856273_eb18d8c45b_b.jpg
(9) 1893年 ラニエ・ルシアン(Lanier Lucien)「L'Asie」 129度34分☆


(10) 1893年 永田健助 新体地理全誌(‥東経百二十四度三十分より百三十二度三十五分の間に??し其境界東は日本海に瀕し‥ )
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005891&VOL_NUM=00001&KOMA=154&ITYPE=0

(11) 1894年 岩崎茂吉「朝鮮地理圖」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40011021&VOL_NUM=00000&KOMA=4&ITYPE=0
(11) 1894年 岩崎茂吉「朝鮮地理圖」 130度35分


(12) 1894年 松本仁吉「朝鮮地誌要略」 130度
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010309&VOL_NUM=00000&KOMA=7&ITYPE=0
(12) 1894年 松本仁吉「朝鮮地誌要略」 130度


(13) 1894年 林正「新撰朝鮮国地図」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010953&VOL_NUM=00000&KOMA=7&ITYPE=0
(13) 1894年 林正「新撰朝鮮国地図」 130度35分


(14) 1894年 大田才次郎「新撰朝鮮地理誌」  130度35分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/chosenchirishi-1894/08.jpg
(14) 1894年 大田才次郎「新撰朝鮮地理誌」 130度35分


(15) 1894年 水路部(現・水産庁)「朝鮮水路誌」  130度35分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/hydrograph1894/1894-3s.jpg
(15) 1894年 水路部(現・水産庁)「朝鮮水路誌」 130度35分


(16) 1894年 足立栗園「朝鮮志」  130度36分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010294&VOL_NUM=00000&KOMA=6&ITYPE=0
(16) 1894年 足立栗園「朝鮮志」 130度36分


(17) 1894年~1897年 イザベラ・バード「朝鮮紀行」  130度33分☆
http://www.archive.org/stream/koreaandherneig02birdgoog#page/n28/mode/1up

(18) 1894年 秋山四郎「外国地誌」  130度40分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005746&VOL_NUM=00000&KOMA=16&ITYPE=0

(19) 1895年 白南奎・李明翔「士民必知」  131度★
http://www.flickr.com/photos/21594572@N08/5243075712/in/photostream/#/

(20) 1899年 玄采「大韓地誌」  130度35分★
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record_20070910.data/1.JPG
(20) 1899年 玄采「大韓地誌」 130度35分★


(21) 1899年 岩崎重三「新式万国地理」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005867&VOL_NUM=00000&KOMA=24&ITYPE=0

(22) 1900年 山上万次郎「新撰大地誌 前編(世界之部)」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005873&VOL_NUM=00001&KOMA=50&ITYPE=0

(23) 1901年 恒屋盛服「朝鮮開化史」  130度35分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/enlightened-1901/05.jpg
(23) 1901年 恒屋盛服「朝鮮開化史」 130度35分


(24) 1901年 玄采「大韓地誌」  130度35分★  △詳細画像未確認
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/10/1901-daehanjiji-map-of-gangwondo.html

(25) 1902年 永田健助「高等地理学講義」  131度
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005806&VOL_NUM=00000&KOMA=82&ITYPE=0

(26) 1902年 武田鶯塘「新撰世界地理問答」  130度40分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005951&VOL_NUM=00000&KOMA=26&ITYPE=0

(27) 1903年 葛生修吉「韓海通漁指針」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40034152&VOL_NUM=00000&KOMA=40&ITYPE=0

(28) 1903年 農商務省山林局「韓国森林視察復命書」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40063553&VOL_NUM=00000&KOMA=20&ITYPE=0

(29) 1904年 矢津昌永「韓国地理」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010246&VOL_NUM=00000&KOMA=6&ITYPE=0

(30) 1904年 岩永重華「最新韓国実業指針」  130度35分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/businessguide-1904/08.jpg
(30) 1904年 岩永重華「最新韓国実業指針」 130度35分


(31) 1904年 山本庫太郎「朝鮮移住案内」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40033107&VOL_NUM=00000&KOMA=14&ITYPE=0

(32) 1905年 岡部福蔵「日本民族の新發展場萬韓露領地誌」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010538&VOL_NUM=00000&KOMA=12&ITYPE=0

(33) 1905年 田淵友彦「韓国新地理」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010243&VOL_NUM=00000&KOMA=11&ITYPE=0

(34) 1905年 野口保興「世界地理」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43056167&VOL_NUM=00000&KOMA=22&ITYPE=0

(35) 1906年 農商務省水産局「韓国水産業調査報告」  130度35分 
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40034159&VOL_NUM=00000&KOMA=48&ITYPE=0


(36) 1906年 張志淵など『大韓自強会月報』第三号(光武十年七月一日発刊)  130度35分★      ←NEW!!新発見史料
http://farm6.static.flickr.com/5279/5882180336_0e2cf00817.jpg
tp://p.tl/ZHGz


(37) 1906年 玄采「大韓地誌」  130度35分★
http://farm4.static.flickr.com/3259/2855703334_e7e81d38cb_b.jpg
(37) 1906年 玄采「大韓地誌」 130度35分★


(38) 1906年 野口保興「世界大地誌」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005942&VOL_NUM=00001&KOMA=55&ITYPE=0

(39) 1907年 野口保興「世界地誌」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43056187&VOL_NUM=00000&KOMA=22&ITYPE=0

(40) 1907年 徳永勲美「韓国総攬」  130度35分  △画像なし
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/gaichi/doc/0E010338000000.html

(41) 1907年 小林杖吉「外国地理表解」  130度35分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41019026&VOL_NUM=00000&KOMA=20&ITYPE=0


(42) 1907年 「新編大韓地理」(鬱島.(中略)北緯百三十度四十五分至五十三分東経三十七度三十四分至三十一分X在)★
http://farm4.static.flickr.com/3175/2788350630_01a46be6fd_o.jpg

(43) 1907年 安鍾和「初等大韓地誌」  130度58分★
http://farm4.static.flickr.com/3025/2798762843_3a6fc7cf35_o.jpg
(43) 1907年 安鍾和「初等大韓地誌」 130度58分★


(44) 1907年 張志淵「大韓新地志」  130度58分★
http://farm3.static.flickr.com/2049/2380040909_2c2f7d3b39_b.jpg
(44) 1907年 張志淵「大韓新地志」 130度58分★


(45) 1907年 日本海軍「朝鮮水路誌」第二改版 (鬱陵嶋松島 130度53分)
http://gerrybevers.googlepages.com/1907JoseonSeaways-5.JPG

(46) 1907年 金夏鼎「大韓新地理學」 130度58分★
http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=ma_05_003_0180

(47) 1908年 安鍾和・柳瑾「初等大韓地誌」  130度58分★
http://farm4.static.flickr.com/3084/2380040945_e2e57e52a9_o.jpg
(47) 1908年 安鍾和・柳瑾「初等大韓地誌」 130度58分★


(48) 1909年 農商工部水産局「韓国水産誌」(一巻) 地理編  130度42分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka41/koreanfisheries-1909/26.jpg

(49) 1909年 農商工部水産局「韓国水産誌」(二巻) 鬱陵島編  130度54分
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka41/koreanfisheries-1909/b12.jpg

(50) 1909年 鄭寅琥「最新高等大韓地誌」  130度35分★
http://search.i815.or.kr/ImageViewer/ImageViewer.jsp?tid=co&id=3-005112-000 (7/150)

(51) 1909年 「大韓協会会報第12号‘地誌’」 130度35分★
http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=ma_02_012_0170 
http://s04.megalodon.jp/2008-0403-1948-19/db.history.go.kr/url.jsp?ID=ma_02_012_0170 [cache]

(52) 1910年 野口保興「韓国南満洲」  130度38分(注:他資料の引用も有り)
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010251&VOL_NUM=00000&KOMA=8&ITYPE=0

(53) 1911年 統監府農商工部「韓国通覧」  130度54分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010247&VOL_NUM=00000&KOMA=15&ITYPE=0

(54) 1910年 地理研究会「朝鮮新地理」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010306&VOL_NUM=00000&KOMA=7&ITYPE=0

(55) 1910年 足立栗園「朝鮮新地誌」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010305&VOL_NUM=00000&KOMA=10&ITYPE=0

(56) 1911年 三省堂・亀井忠一「朝鮮及南満洲地理教授備考」  130度54分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040250&VOL_NUM=00000&KOMA=3&ITYPE=0

(57) 1911年 井原儀「最新日本地理資料」  130度54分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006353&VOL_NUM=00000&KOMA=162&ITYPE=0

(58) 1911年 矢津昌永「大日本地理集成」  130度58分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006504&VOL_NUM=00000&KOMA=513&ITYPE=0


(59) 1912年 日韓書房編集部「最新朝鮮地誌」  130度54分
http://farm3.static.flickr.com/2072/2380876718_58d370c6a7_o.jpg
(59) 1912年 日韓書房編集部「最新朝鮮地誌」 130度54分


(60) 1912年 北垣恭次郎「小学地理教材」  130度54分
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040222&VOL_NUM=00003&KOMA=53&ITYPE=0

(61) 1915年 太白狂奴「韓国通史」  130度50分★
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record200812.html

(62) 1917年 越智唯七「新舊對照朝鮮全道府郡面里洞名稱一覽」  130度54分
http://www16.tok2.com/home/otakeshimaoxdokdox/Japan%20records/1917.NewOldKoreaplaceofnamelistUldoeasternmost.jpg
(62) 1917年 越智唯七「新舊對照朝鮮全道府郡面里洞名稱一覽」 130度54分


(63) 1918年 藤戸計太「最新朝鮮地理」  130度54分 △画像なし
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/gaichi/doc/0E010315000000.html
(64) 1929年 「朝鮮?輿勝覽」  130度58分★
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/korea-eastern-most-territory-ulluengdo-excluded-liancourtrocks/5-6.jpg?attredirects=0


(65) 1936年 朝鮮総督府「朝鮮現勢便覧」  130度56分23秒
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/binran-1935/04.jpg
(64) 1936年 朝鮮総督府「朝鮮現勢便覧」 130度56分23秒


(66) 1945年 慶北地理學會「中等地理(地理学中学校)」  130度56分★
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(66) 1945年 慶北地理學會「中等地理(地理学中学校)」 130度56分★


(67) 1947年 崔南善「朝鮮常識問答」  130度56分23秒★
http://farm4.static.flickr.com/3626/3623009801_2ecb667931_o.jpg
(67) 1947年 崔南善「朝鮮常識問答」 130度56分23秒★


(68) 1948年 崔南善「朝鮮常識」  130度56分23秒★
http://farm4.static.flickr.com/3370/3623829788_c35cc653df_o.jpg
(68) 1948年 崔南善「朝鮮常識」 130度56分23秒★

★は韓国側の史料
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いずれの史料でも、竹島が韓国領に含まれたことは一度もない。



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テーマ:竹島問題 - ジャンル:政治・経済

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