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パチンコをやめた理由は?「時間やお金の無駄と気づいた」が最多「もうやりたくない」86%・このまま絶滅しろ!・売上は30兆円超から20兆円未満へ・漫画家うすた京介「パチンコ屋なんかこの世から無くなれ」
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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1203/02/news051.html
パチンコをしなくなった理由は? 
[Business Media 誠]2012年03月02日 13時46分

今後、パチンコをしたいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。全国の男女に聞いたところ「今後もしたい」は13.2%、「したいとは思わない」が86.8%だった。マイボイスコム調べ。

あなたはなぜパチンコ(パチスロを含む)を止めたのですか? 過去にパチンコをしていたが、現在はしていない人にその理由を聞いたところ「時間やお金の無駄だと気づいた」(38.8%)と答えた人が最も多いことが、マイボイスコムの調査で分かった。次いで「興味がなくなった、飽きた」(28.1%)、「試しにやってみただけ」(21.1%)、「パチンコ・パチスロをするのにお金がかかる」(18.9%)、「お金に余裕がなくなった」(18.4%)と続いた。

 男女別に聞いたところ、男性は「時間やお金の無駄だと気づいた」「興味がなくなった、飽きた」、女性は「試しにやってみただけ」と答えた人が目立った。またパチンコ・パチスロのいずれか一方を現在もしている人(どちらか一方は中止した人)では、「勝てなくなった」という理由が多くみられた。

パチンコをしなくなった理由(出典:マイボイスコム)
パチンコをしなくなった理由(出典:マイボイスコム)

 パチンコをしたことがない人に、その理由を尋ねると「時間やお金の無駄だと思う」(47.7%)と「興味がない」(43.6%)が多い。このほか「ギャンブルは全般的にやらない」(31.0%)、「店内の環境(タバコの煙や騒音など)が悪そう」(29.0%)、「客層が悪そう」(22.0%)、「勝てそうにない」(20.8%)と答えた人も多かった。

パチンコをしたいと思っている人

 今後、パチンコをしたいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。全員に聞いたところ「今後もしたい(まあを含む)」は13.2%、「したいとは思わない(あまりを含む)」が86.8%。「したい」と答えた人を男女別でみると、男性では20~40代、女性では30代でやや多い。また現在パチンコをしている人で「今後もしたい」のは8割、パチスロのみでは5割。だが、パチンコをしたことがない人でみると、4%にとどまった。

パチンコの利用意向(出典:マイボイスコム)
パチンコの利用意向(出典:マイボイスコム)

 パチンコをしない人に、あなたにとってパチンコとは? と聞いたところ「ギャンブル性の高い大人の娯楽。のめり込むと簡単には抜け出せなくなる世界」(男性22歳)、「昔のパチンコと違い最近のパチンコはギャンブル性が強くよく考えながら遊ぶべきだと思う」(男性57歳)、「なくてもよいもの。でもトイレを借りやすいのであるとうれしい」(女性36歳)といった声があった。

 一方、パチンコをする人にも聞いたところ「リーチアクションなど、楽しめるし興奮もするが、やっぱり稼げなければ意味がない」(男性41歳)、「暇つぶし、気軽に楽しむもの」(男性27歳)、「麻薬に近い。トータルでみれば負けのほうが多いのに、たまの勝ちが忘れられない」(女性28歳)などの意見があった。

 インターネットによる調査で、全国の男女1万3557人が回答した。調査期間は2月1日から5日まで。



>今後、パチンコをしたいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。全国の男女に聞いたところ「今後もしたい」は13.2%、「したいとは思わない」が86.8%だった。


非常に良い傾向だ。

平成8年まで、30兆円超の売上を誇っていた朝鮮玉入れ(パチンコ)も、平成22年にはついに20兆円を下回った。


パチンコ売上
パチンコ売上


参加人口も、平成7年の2,900万人から平成22年には1,670万人まで減少している。
パチンコ参加人口
パチンコ参加人口
出典http://www.nichiyukyo.or.jp/condition/index.php


このまま絶滅してほしいものだ。





>あなたはなぜパチンコ(パチスロを含む)を止めたのですか? 過去にパチンコをしていたが、現在はしていない人にその理由を聞いたところ「時間やお金の無駄だと気づいた」(38.8%)と答えた人が最も多いことが、マイボイスコムの調査で分かった。


そりゃそうだ。

時間と金の無駄遣いと気が付くのが遅ければ遅いほど人生損をする。






>今後、パチンコをしたいと思っている人はどのくらいいるのだろうか。全員に聞いたところ「今後もしたい(まあを含む)」は13.2%、「したいとは思わない(あまりを含む)」が86.8%。


これも良い傾向だ。

是非このまま絶滅してほしいものだ。

パチンコがこの世から無くなれば良いと考えている人は少なくない。

漫画家のうすた京介もその一人だったようで、最近ツイッターで「もう本当パチンコ屋なんかこの世から無くなればいいのに」「心の底から嫌いです」と呟いて話題となった。

うすた京介
うすた京介

http://news.livedoor.com/article/detail/6317274/
漫画家うすた京介さんのパチンコ業界へのTwitter発言がネット掲示板で話題に
2012年02月27日14時50分
提供:トピックニュース

27日、漫画家のうすた京介さんが「もう本当パチンコ屋なんかこの世から無くなればいいのに」「心の底から嫌いです」とツイッター上で発言したことが、ネット掲示板で話題になっている。

うすた京介さんは、「週刊少年ジャンプ」でギャグ漫画を発表している人気漫画家。そのうすたさんが27日の深夜に、自身に関するツイッター上で他のユーザーからのコメントをに返信する形で“パチンコ屋嫌い”を告白したのだ。

うすたさんはさらに「テレビCMとかばんばんやるようになって憎しみすら覚えます。あんなに子供の事故とか起きてるのに…」「人間がギャンブルにはまるのは仕方ないけれど、パチンコは敷居が低すぎてあまりに手軽に人生狂わされる」と、パチンコ店への憎しみをツイートし続けた。

ユーザーからの「今パチンコ屋で働いて生活しているので、その発言は悲しい」というコメントには「一生懸命働いてる人の事を悪く言ってるんじゃないです」と伝え、「深夜の戯言だと思ってください…」とも添えている。

ツイート後、しばらくして「炎上しそうで怖いな…消していい?」と断った上で、自ら発言の一部を削除し、現在は該当ツイートは閲覧することができなくなっている。だが、うすたさんの発言が記録された画像を一部ユーザーがネット掲示板に公開したことで、今回話題が広がったようだ。

このツイートを受け、ネット掲示板には「よく言った。応援する」「正論だよ。発言消さずに、もっと堂々としてたらいいのに」など、うすたさんのツイートに賛同する書き込みが相次いだ。さらに「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…」「個人の発言でビクビクしなきゃならんって現実が一番狂ってるわ」「もしかして集英社に怒られる前に消したんか」など、ツイートを削除した経緯を訝しむ声も上がった。



>うすた京介さんは、「週刊少年ジャンプ」でギャグ漫画を発表している人気漫画家。

――――――――――
パチンコorパチスロ化された主なジャンプ連載作品
・北斗の拳
・花の慶次
・キン肉マン
・シティーハンター
・キャッツアイ
・魁!男塾
・聖闘士星矢
・ハイスクール!奇面組
・ハレンチ学園
・侍ジャイアンツ
――――――――――






>このツイートを受け、ネット掲示板には「よく言った。応援する」「正論だよ。発言消さずに、もっと堂々としてたらいいのに」など、うすたさんのツイートに賛同する書き込みが相次いだ。さらに「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…」「個人の発言でビクビクしなきゃならんって現実が一番狂ってるわ」「もしかして集英社に怒られる前に消したんか」など、ツイートを削除した経緯を訝しむ声も上がった。


「週刊少年ジャンプ」は集英社のマンガ雑誌だが、集英社といえば、2月21日付当ブログ記事で取り上げた「韓国の話題を無理やりねじ込んだ」女性ファッション雑誌「MORE」の出版社だ。

かなり集英社は朝鮮半島に蝕まれていると思われるので、今後の集英社がうすた京介に制裁を加えないか監視する必要がある。

うすた京介
うすた京介

うすた京介「ピューと吹く!ジャガー 」(少年ジャンプ)
「ピューと吹く!ジャガー 」少年ジャンプ(集英社)




●関連記事

版権パチンコのネタが枯渇し、加熱する版権争奪戦
超人気アニメ『ドラゴンボール』は各社が打診したが、原作者の鳥山明氏が首を縦に振らない
パチンコ(朝鮮玉入れ)産業の憂鬱
業界もパチンカスのように版権パチンコの依存症に
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3737.html
(一部抜粋)


>「北斗の拳」のパチスロ機が累計60万台の大ヒットとなり、ブレークの火付け役となった。


私は「北斗の拳」の大ファンで、単行本を何度も繰り返し読み、多くの台詞を暗記したほどだった。

それだけに「北斗の拳」がパチンコになってしまった時はショックだった。





>「超人気アニメ『ドラゴンボール』は各社が打診したが、原作者の鳥山明氏が首を縦に振らない」とあるメーカー幹部は語る。


さすが鳥山!

鳩山とは違う!


(コピペ)
―――――――

鳥山「この前もパチンコ会社からドラゴンボールで作らせてくれってきましたよ(笑)
   でも、きっぱりと断りました」


─なぜですか?
鳥山「私は自分のキャラクターが、パチンコという大人の賭博に使われるのが我慢ならないんですよ。
   漫画を大人の賭博に使って、お金のために誇りを捨てる人たちがたくさんいる」


─たとえば誰ですか?
鳥山「誰でしょう?(笑)たくさんいるじゃないですか。
    私は絶対に、パチンコに作品を売ったりしませんよ。
    だってそうでしょう、自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」

―――――――

偉い!

鳥山明氏
鳥山明氏

ドラゴンボール
ドラゴンボール

素晴らしい!




こうして見ると、この点に関して小林よしのりは恥を知るべきだ。

小林よしのりは、自分の漫画のキャラクター『おぼっちゃまくん』をパチンコにしてしまった。


小林よしのり
小林よしのり

『おぼっちゃまくん』
パチンコ『おぼっちゃまくん』

小林よしのりは、
「身を持ち崩すような毒もパチンコにはあるかもしれないが、それこそ自己責任だ
と自己責任論を展開した。

また、批判に対しては、
「ネット右翼は、商売を汚いことだと見なす社会主義的な体質がある。」

「パチンコひとつでガタガタ言っているような匿名のカスなど眼中にない!」
と反論した。

どうやら小林はパチンコを立派な商売と見なしているようだが、とんでもない。

パチンコ屋(朝鮮玉入れ屋)やパチンカスらが行っている換金行為は違法行為であり、犯罪だ。

犯罪をしているのだから自己責任では済まされないし、批判に対して「社会主義」だとか「匿名のカス」との反論はお門違いも甚だしい。







パチンコの問題点【まとめ】

1.毎年、多くの子供たちがパチンカスによって車中で蒸し焼きにされている。

2.パチンコ依存症は医学的にも認められている病気である。

3.パチンコ屋やパチンカスが行っている行為は違法であり、パチンコ屋やパチンカスは犯罪者である。警察関係者が業界団体や業界企業に天下りしているから野放しにされているだけであり風営法23条に明確に抵触している。

4.在日朝鮮人がパチンコ屋で稼いだ資金が北朝鮮を支えている。

5.パチ屋の入り口からパチンカスを見ると、まるで養鶏所の鶏のようだ。朝鮮人の家畜そのものである。

6.マスコミは、パチンコ産業から巨額の広告宣伝費を受け取っているため、事実を滅多に報道しない。

パチンコCM




「朝鮮玉入れ屋(パチンコ屋)は絶滅しろ!」

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テーマ:パチンコ - ジャンル:ギャンブル

河村市長の本音は全面否定。「規模は別として虐殺があった」ことを認めるのが第一歩【共同通信】小池新・旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」が証言を集めた結果でさえ「数千人規模の虐殺があったことは否定できない」
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小池新 共同通信
嘘出鱈目と悪質な印象操作のオンパレード!共同通信の小池新

http://www.47news.jp/47topics/himekuri/2012/02/post_20120228135134.html
47NEWS(共同通信)
▽南京虐殺と2人の監督 

 映画監督山中貞雄が日中全面戦争で入営したのは、1937(昭和12)年8月末。遺作「人情紙風船」が公開された日だった。「『人情紙風船』が遺作ではチトサビシイ」という言葉を残して戦場へ。そして、山中を見送った親友の小津安二郎も、毒ガス部隊員として翌月召集される。2人の部隊はいずれも、当時の中国国民党政府の首都・南京を目指した。山中の部隊は南京攻略戦に加わり、小津の部隊は間に合わなかった。

 2人は翌年、南京近郊で1度だけ再会する。そのときの2人の心中を想像する。上海から南京へ進攻する間、日本軍は各地で、小規模だが南京虐殺と同様の行為を起こしている。2人の映画監督は、自らは手を下さなかったとしても、それを現認したことは間違いない。小津が従軍中に記した「創作ノート」にも、現場に居合わせたとしか思えない、中国人老女の殺害行為が書かれている。戦場の現実を前に、2人が交わした言葉は少なかっただろう。

 河村名古屋市長の「南京大虐殺はなかったのではないか」という発言が波紋を広げている。中国側の反発に、市長は「30万人規模の大虐殺はなかったという趣旨だった」と釈明したが、発言は撤回していない。そもそも、本音は「全面否定」だったように私には思える。

 この問題は既におおよその決着がついている。旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」が証言を集めた結果でさえ「数千人規模の虐殺があったことは否定できない」だった。残された問題は①被害者の規模がどのくらいか②中国人が便衣(普段着)兵だった可能性②指揮系統に基づく命令があったかどうか―などだろう。日中共同研究でも、規模について意見対立は残ったが、大筋で見解は一致したはずだ。

 父親の体験を基に市長が持論を展開した心情は分からないではない。しかしいま、行為自体を否定することに、ほとんど意味はない。30万人ならいけないが、数千人ならいいのか。日中間で意見交換をすべきだというのなら、まず「規模は別として虐殺があった」ことを認めるのが第一歩ではないのか。

 山中は戦病死。小津は生き残って、戦後数々の名画をつくった。戦場について語ることはなかったが、遺作に至るまで、作品には戦争の影が強く感じられる。戦争の悲惨は長く、さまざまな形で残る。事実を直視したうえで、過去を検証すべきだと思う。(2012年2月28日 47NEWS編集部 小池新



>そして、山中を見送った親友の小津安二郎も、毒ガス部隊員として翌月召集される。


小津安二郎が南京戦後の支那事変に参加したことは知っているが、「毒ガス部隊員」というのは初めて聞いた。

これは、共同通信の小池新のミスリードだ

小津安二郎が支那事変のことで「特殊弾射撃」「特殊筒放射」などと書いていたから、共同通信の小池新は小津が「毒ガス部隊員」だと書いているのだろう。

しかし、当時は既に毒ガス部隊などとは無関係に世界中の軍隊が毒ガス兵器や化学兵器を保有していたわけであり、禁止されていたのは保有ではなく使用だった。

そして、1925年のジュネーブ議定書で禁止されていた違法毒ガスや違法化学兵器を使用したのは支那軍だった(関連記事)。

日本軍が使用したのは「あか」など使用が禁止されていない暴動鎮圧剤の類だけだった。

日本軍も、使用禁止の化学兵器を持ってはいたが、最後まで使用はしなかった


共同通信の小池新の書き方は悪質な印象操作だ。






>上海から南京へ進攻する間、日本軍は各地で、小規模だが南京虐殺と同様の行為を起こしている。


そんな事実はない。

共同通信の小池新は、「ある」と言うなら、根拠を示せ!

日本軍が上海から南京へ進行する前に、支那軍が上海から南京に遁走しながら民衆から食糧などを奪って民家などを焼き払った。


【支那軍による清野作戦(焦土戦術)】

支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

上海~南京、また、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。

南京戦の前後も、支那軍や盗賊による強奪に伴い殺害も発生した。

▼根拠▼
――――――――――
1937年
ラーベ
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。

第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し・?ホ・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。

第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める

第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。

ミニー・ヴォートリン
12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。


12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。
――――――――――



共同通信の小池新は、根拠も示さず、いい加減な出鱈目ばかり書いている。





>小津が従軍中に記した「創作ノート」にも、現場に居合わせたとしか思えない、中国人老女の殺害行為が書かれている。


小津安二郎がわざわざ「創作ノート」と称しているにもかかわらず、共同通信の小池新は事実であるかのように述べている。

本当に悪質な印象操作だ。






>河村名古屋市長の「南京大虐殺はなかったのではないか」という発言が波紋を広げている。中国側の反発に、市長は「30万人規模の大虐殺はなかったという趣旨だった」と釈明したが、発言は撤回していない。そもそも、本音は「全面否定」だったように私には思える。


日本軍が南京で虐殺をした事実は全くないのだから、「全面否定」して当然だ。





>この問題は既におおよその決着がついている。旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」が証言を集めた結果でさえ「数千人規模の虐殺があったことは否定できない」だった。


これも嘘!

この記事は、共同通信の小池新の嘘出鱈目と悪質な印象操作のオンパレードだ!

私が2月27日付当ブログ記事で既に詳しく説明したとおり、旧陸軍将校の親睦団体「偕行社」の結論は「数千人規模の虐殺があったことは否定できない」ではなく、【南京市民虐殺=0人、不法な捕虜処断=0人~800人】だ!

共同通信の小池新が述べているのは、1985年編纂の『証言による南京戦史』(偕行)に書かれていた「支那兵の不法処理の疑いのあるものの推定」か、あるいは南京戦に参加せずに板倉由明などの説を鵜呑みにした加登川幸太郎が述べたことだ。

「偕行社」の結論は、南京戦に参加した執筆担当者の畝本正己(元防衛大学校教授)が1988年発行の『南京戦史』(偕行)で述べた「不法殺害の可能性があるのは捕虜処断最大約8百人」だ。

何が何でも「南京大虐殺」「南京事件」があったことにしたい共同通信の小池新のような反日左翼は、決まって、資料や証言を更に整理し検討した後の1988年の『南京戦史』を無視して自分たちに都合の良い1985年の『証言による南京戦史』ばかりを持ち出す。


●偕行の認識(再掲載)

偕行は1984年~85年に南京虐殺は「幻か否か」について会員の証言を集め、1985年に『証言による南京戦史』を編纂した。

執筆担当者の畝本正己が、集めた証言や資料を基に日本軍による支那軍不法処理の疑いのある被害者数を推定した。

私の結論は3月号記述のとおり、「ホントウの数は解らない。強いて言えば、不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは三千~六千」と推定した。その根拠を述べる。
(省略)
『偕行』1985年5月号P8


南京戦に参加した畝本正己の集計では、不法処理の疑いがあるのは3千~6千人、全て便衣兵を含む兵士であり、虐殺と断定できないとした。


その後、畝本正己は、資料、証言を更に整理し検討し、1988年に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、【うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみ】と結論している。

いずれも、日本軍による南京市民虐殺は0人だったとの認識だ。

『南京戦史』偕行社出版
『南京戦史』偕行社出版

●偕行の結論(1988年『南京戦史』)
南京市民虐殺=0人
不法な捕虜処断=0人~800人




だが、南京戦を知らない編集責任者の加登川幸太郎は、畝本の他に非軍人研究家の板倉由明の見解も参考にしてしまった。

板倉は一般人の殺害もあったとし、不法処理の被害者数を13000人と推定した。

そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。板倉由明氏の集計されたものである。
同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。
『偕行』編集部(加登川)


つまり、板倉は、捕虜の半分、一般人死者(スマイス調査の城内+江寧県)の1/3を不法殺害とした。

このような算定方法は板倉の他に秦郁彦も採用したが、全く根拠のない馬鹿丸出しの方法だ。

そもそもスマイス調査(スミス調査)が出鱈目のインチキなのだ。

スマイス調査(農村部)の出鱈目ぶりは、次に示す『ミニー・ヴォートリンの日記』の「句容県」に関する記述との対比だけでも明らかだ。

『南京事件の日々――ミニー・ヴォートリンの日記』
12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。


つまり、支那軍の「焦土(清野)作戦」によって、1937年12月6日には既に句容は無人と化していたのだ。

ところが、スマイス調査では、句容で日本軍が8530人を虐殺したことになっている。

――――――
【スマイス調査・南京地区における戦争被害】
句容県
住民総数 227300人
死因・暴行の総数 8530人(男6700・女1830)
――――――


このように句容では日本軍による虐殺が0人だったにもかかわらず、スマイス調査は8530人虐殺という出鱈目な数字を計上しており、スマイス調査を南京大虐殺の資料とすることが出来ないことは明白だ。

それにもかかわらず、加登川は板倉由明らの見解を基に大量(3千~1万3千)の不法処理を「中国人民に深く詫びるしかない」と述べたため、偕行会員の中から激しい不満の声が上がった。

加登川が採用した出鱈目な数字や、その出鱈目数字を根拠に謝罪したことは、南京事件を事実とする根拠とはなり得ない!



改めて『南京戦史』(偕行社・1988年)の肝心な部分をまとめると次の通り。

日本軍が撃滅・処断した支那兵は推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみというのが階行の最終結論だ。

一方、日本軍による南京市民虐殺は0人だったというのが、南京戦にも参加した執筆担当者の畝本正己の一貫した認識だ。


●偕行の結論(1988年『南京戦史』)
南京市民虐殺=0人
不法な捕虜処断=0人~800人






>日中共同研究でも、規模について意見対立は残ったが、大筋で見解は一致したはずだ。


いわゆる「日中共同研究」についても、2月24日に産経新聞が社説で否定し、2月29日付当ブログ記事で私が説明したとおり、「日中共同研究」は日本側も支那側も両方とも、日本軍による虐殺があったことを証明するマトモな資料や証拠を全く示さなかった。

何度も繰り返すが、南京で日本軍による虐殺があったと言うなら、まずは一つでも良いからその根拠(証拠、資料、写真、記録、証言、証言録など)を示さなければならない。

支那は今回の騒動でも「南京大虐殺の鉄壁の証拠が山ほど有る」と豪語していたが、未だにその「鉄壁の証拠」を提示していない。






>日中間で意見交換をすべきだというのなら、まず「規模は別として虐殺があった」ことを認めるのが第一歩ではないのか。


何で、そうなるんだよ?!


●まとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった(犠牲者0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻って来たからだ。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見も全くなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。


最後に、戦後しばらく経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。


以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による死亡事故はあったが、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。

結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。


この温情 朝日新聞、上野記者撮影 南京にて松島部隊の兵隊さんに可愛がられている支那人の子供 昭和12(1937)年12月19日撮影.
この温情 朝日新聞、上野記者撮影 南京にて松島部隊の兵隊さんに可愛がられている支那人の子供 昭和12(1937)年12月19日撮影

12月20日dec20-1 南京の街頭にて 南京住宅街にて撮影 「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より 撮影者、朝日新聞林カメラマン 支那事変写真全集(中)上海戦線南京陥落後旬日(じゅんじつ)
1937年12月20日dec20-1 南京の街頭にて 南京住宅街にて撮影 「支那事変写真全集(中)」と朝日新聞昭和12年12月25日より
撮影者、朝日新聞林カメラマン 支那事変写真全集(中)上海戦線南京陥落後旬日(じゅんじつ)にして、早くも平和の曙光に恵まれた市中では、皇軍将士と共に玩具をもてあそんでたわむれる支那の子供達


12月20か23日gaho01 南京避難民の治療の様子 「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より 撮影者、毎日新聞新聞カメラマン 南京避難民の病者治療にあたるわが衛生隊
1937年12月20か23日、南京避難民の治療の様子
「支那事変画報」大阪毎日・東京日日特派員撮影、第15集より 撮影者、毎日新聞新聞カメラマン 南京避難民の病者治療にあたるわが衛生隊




▼河村たかし名古屋市長の「南京事件はなかったのではないか」発言に対する見解▼

【支持・肯定・擁護】
産経新聞、石原慎太郎(東京都知事)、青山繁晴、山田宏(大阪市特別顧問)、田母神俊雄(元航空幕僚長)、上田清司(埼玉県知事)、青木直人

【不支持・否定・批判】
藤村修(官房長官)、大村秀章(愛知県知事)、中日新聞(東京新聞)、琉球新報、毎日新聞、日中友好協会、横井裕(外務省報道官)、橋下徹(大阪市長)、共同通信




■河村たかし市長への叱咤激励先
名古屋市役所
市長室 秘書課 秘書係
電話番号 052-972-3054 
ファックス 052-972-4105


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