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朝鮮は清の属国!韓国が日本に教科書修正を要求・大東亜戦争のアジア解放意義・朝鮮は支那の属藩・慰安婦は売春婦・古代より文化は日本から朝鮮に伝播・秀吉軍は解放軍・閔妃暗殺犯は朝鮮人・竹島は日本領で韓国が不法占拠
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迎恩門 清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。
写真は「迎恩門」
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。



http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1319569958/
【韓国】「朝鮮は清の属国?」~韓国政府、日本に修正を要求[10/25]
■ 『朝貢』を従属関係と記述
■ 慰安婦・明成皇后など削除
■ 来年4月から使用予定
■ 民間団体も積極参加
―――――――――――
25日の独島の日を迎え、『独島領有権主張』など日本の各種の歴史歪曲に対して国民の関心と警戒が高くなっている中、『朝鮮は清の属国』と表現するなど捏造記述された日本の中学校歴史教科書使用に対し、政府と市民団体が大々的な『民・官合同阻止運動』に乗り出した。

既に去る8月に該当の教科書に関した日本の各地域の教育委員会の採択は終わったが、来年4月に該当の教科書が各学校で使われる前までに教科書を修正するというのが政府と市民団体の計画だ。

政府の関係者はこの日、ヘラルド経済との電話で、「政府は6月、太平洋戦争をアジア解放戦争と美化、朝鮮と清の朝貢体系を従属関係と記述、 慰安婦関連記述の省略、古代史部分の中で韓半島を通じて文化を受け入れた内容を削除、壬辰の乱の関連内容のうち『侵略』の単語の不使用など、19種類の教科書にある126項目の修正を求める“修正要求書”を送った」とし、「独島領有権を主張する12種類の教科書から40項目、歴史歪曲事項では7種類の教科書から86項目に対しても修正を要求をした」と明らかにした。

歴史関連市民団体であるアジアの平和と歴史教育連帯(以下、歴史教育連帯)も去る7月、日本政府に壬辰の乱を『朝鮮出兵』と説明したり、明成皇后殺害や朝鮮の慰安婦など、一部の歴史的事実を記述しなかったことに対して修正を要求したと同日明らかにした。

ヤン・ミガン歴史教育連帯運営委員長は、「日本政府に修正要求案を伝達した時、受けないを『受ける』形にだけしてきた」とし、「出版社など民間を相手に直接会うなどの活動を併行して、来年(教科書が)印刷が行われる前までに努力を傾ける」と話した。

しかし過去にも政府は日本の歴史教科書検定通過の度に修正を求めたが、日本政府は一部の誤りだけを修正してきて、今度の修正要求書が受け入れられるかは未知数だ。

去る2001年には35件の修正要求事項のうち4件だけを受け入れて、2005年には35項目の修正を要求したが全て受け入れなかった。また別の政府関係者は、「まだ(教科書の)印刷の前だから韓・日両国の市民団体などと共に修正のために努力する」と伝えた。

一方で去る3月、日本政府の検定を通過して来年の4月から使われるすべての中学地理教科書と、公民(一般社会)の教科書には、『独島は日本領土』という内容が記述された。独島領有権の主張をする教科書は合計12種類で、このうち扶桑社の公民教科書など3種類は『韓国が独島を不法占拠している』と言う内容が載せられた。

特にこれらの教科書にはこのような主張の他にも、『清は朝鮮を属国と見なした』、『清は朝鮮の要求によって属国を保護するという理由で出兵した』などと、清と朝鮮の関係を巧にみ歪曲している事が分かった。

これに対して北東アジア歴史財団の関係者は、「このような内容を記述する事で、“朝鮮は元々日本の属国であり、日本が日清戦争で勝利することで初めて朝鮮が自主国となった”と誤った認識を広める事が出来る」と指摘した。

ソース:NAVER/ヘラルド経済(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=016&aid=0000400219



>政府の関係者はこの日、ヘラルド経済との電話で、「政府は6月、太平洋戦争をアジア解放戦争と美化、朝鮮と清の朝貢体系を従属関係と記述、 慰安婦関連記述の省略、古代史部分の中で韓半島を通じて文化を受け入れた内容を削除、壬辰の乱の関連内容のうち『侵略』の単語の不使用など、19種類の教科書にある126項目の修正を求める“修正要求書”を送った」とし、「独島領有権を主張する12種類の教科書から40項目、歴史歪曲事項では7種類の教科書から86項目に対しても修正を要求をした」と明らかにした。


●「太平洋戦争をアジア解放戦争と美化」について

特に美化しているわけではないが、「自由社」と「育鵬社」は「太平洋戦争」のことを「大東亜戦争」と併記している。

当時正式に使われた「大東亜戦争」が正しい名称であり、当時の戦争の意義が分かり易いし、「太平洋戦争」はGHQが「War Guilt Information Program」(WGIP=ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝工作・洗脳工作)のために占領中に使用した言葉だ。

大東亜戦争は基本的にはアジア解放戦争というよりも日本の自衛戦争だったのだが、日本の自衛とアジア解放は表裏一体であり、日本は実際にアジア解放のために様々な事を実践した。

―――――――――
ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。

ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。

ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。・・・」

バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
「・・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」

グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)
・・・インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で三十年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。 インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。

アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
・・・日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
―――――――――





●「朝鮮と清の朝貢体系を従属関係と記述」について

朝鮮が清の属国・属藩だったことは紛れもない事実だ。

朝鮮は、663年の「白村江の戦い」で唐の力で日本の勢力圏から脱した時点から、1895年の日清戦争後の下関条約が締結されるまで、1200年以上に亘り歴代支那帝国の属藩だった。

証拠は笑える程たくさんある。


明の属国朝鮮 朝貢属国!1602 日本海(Sea of Japan)「坤輿萬國全図」、制作Matteo Ricci、北京。
朝鮮が明の属国だった証拠!
「朝鮮」…「朝貢属国」

1602 日本海(Sea of Japan)
「坤輿萬國全図」、制作Matteo Ricci、北京。




大清国属 高麗国旗
朝鮮が清の属国だった証拠!
大清国属高麗国旗

(大清国に属する高麗の国旗)




土下座碑 ホンタイジに土下座する仁祖(銅版)
「土下座碑」
ホンタイジに土下座する仁祖(銅版)




迎恩門 清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門。ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。
「迎恩門」
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた。




日清戦争後に清から独立したために建てられた「独立門」。その前に「迎恩門」の石柱が残っている。
「独立門」
日清戦争後に清から独立したために大韓帝国が建てた。
その前に「迎恩門」の石柱が残っている。




★下関条約で、【清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス】という文言になった理由

1200年以上に亘り、朝鮮は支那の属藩・属領だった。
しかし、当時、日本は、朝鮮がこのまま沈みかけている清朝の属領のままでは日本にとっても危険だと考えたために清朝の支配から切り離そうとした。
だから、日朝修好条規で、日本は朝鮮の自主独立を承認し、清朝の宗主権を否認した。

―――――――
日朝修好条規

1876年(明治9年)に日本・李氏朝鮮間に締結された条約。
日本は条規中に、「朝鮮国は自主の邦にして日本と平等の権を保有せり」と表現し、李氏朝鮮を諸外国に先駆けて「独立国」として承認、清朝の宗主権を否認した。
―――――――


ところが、清朝はそんなことはお構いなしにいつまで経っても朝鮮を属領・属藩にし続けた。
日本がせっかく朝鮮を「独立国」として認めたのに、清と朝鮮の関係に変化はなかった。

1894年6月6日、清国公使、陸奥宗光外相に、朝鮮国王の要請に応じ属邦保護のため出兵する旨を通告
陸奥外相、朝鮮を清国の属邦とみとめずと抗議

朝鮮の内部にも、儒者などを中心に「小中華」を自負し、「独立なんてとんでもない、いつまでも小中華として支那の属領・属藩であり続けるべき」という連中が大勢いた。

だから、日清戦争後の下関条約では、「獨立自主ノ國タルコトヲ確認」という文言になったのだ。

―――――
下関条約
1、清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス
(清朝の朝鮮に対する「宗主権」放棄=朝鮮独立の承認)
―――――





●「慰安婦関連記述の省略」について

中学校の教科書に軍隊相手に荒稼ぎした売春婦のことを記述するなんて非常識だから削除は当然。




●「古代史部分の中で韓半島を通じて文化を受け入れた内容を削除」について

古代、日本が朝鮮半島を通じて文化を受け入れた例は殆どない。

そもそも古代においては、朝鮮半島は日本の勢力圏であり、古来より先進的な文化や技術は、日本から朝鮮半島に伝わった。


★勾玉

勾玉とは縄文時代極初期より伝わる日本固有の装身具で、朝鮮半島へも伝播した。

韓国で多量の縄文系遺物が出土する「東三洞貝塚」からは縄文前期のものと同様のケツ状耳飾が出土している。

現在朝鮮半島で見つかっている勾玉の大部分が日本からの交易品であり、新羅の王冠にも勾玉が使用されているのも注目したい。

勾玉の材料となる翡翠自体東アジアでは日本の糸魚川でしか産出されず、その美しい翡翠で作った勾玉は支那や朝鮮半島の権力者達を魅了してきた。

縄文時代中期の長者ヶ原遺跡からは、ヒスイの大珠や勾玉、加工道具、工房跡などが続々と出土され、6000年前の世界最古の勾玉文化が実証された。

勾玉
勾玉



★土器

土器は、日本最古の土器(1万6500年前)がほぼ世界最古の土器と考えられている。

大平山元1遺跡(青森県外ヶ浜町)の日本最古(世界最古の可能性も)の土器
大平山元1遺跡(青森県外ヶ浜町)の日本最古(世界最古の可能性も)の土器



★鉄器

鉄器も、日本から朝鮮半島に伝わった。

日本最古の鉄器は、福岡県糸島郡二丈町の石崎・曲り田遺跡の住居跡から出土した紀元前3~4世紀の板状鉄斧(鍛造品)の頭部とされている。

後漢書・東夷伝によると、辰韓について『倭、馬韓並從市之。凡諸貿易、皆以鐵爲貨』という記述が見られる。

倭人は、朝鮮半島南部が三韓に分立していた時代から、朝鮮半島に行っており、鉄を貨幣のように用いて交易していた。

韓国で2世紀頃の製鉄遺跡が発見されたが、この地域の墓からは弥生時代の倭国製の土器のみが発掘された。


石崎曲り田遺跡から出土した日本最古の板状鉄斧
福岡県糸島郡二丈町の石崎曲り田遺跡から出土した板状鉄斧



★水田稲作技術

水田稲作技術は、朝鮮半島から日本列島に伝播したのではなく、日本列島から朝鮮半島に伝播したことが確定している。

水田稲作技術が日本から朝鮮半島に伝播したとする理由は主に2つ。1つは遺伝子工学の研究の成果で、もう1つは支那政府機関が20年以上かけて行った品種の調査だ。この2つが決定打になり朝鮮半島経由で日本に米が伝来した可能性がなくなった。

まず、近年、炭素14年代測定法によって、日本の稲作の方が朝鮮半島よりかなり古いことが判った。日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明した。
これに対し朝鮮半島では水稲栽培は1500年程度前までしか遡れない。

次に、米には品種特性を決定づける遺伝子が7種類ある。

稲作の発祥地とされる支那では、NO.1からNO.7まですべて揃っている。

日本の場合、古代から現代に至るまで日本で発見された遺伝子は温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの特有遺伝子2種類しかなく、それぞれNO.1とNO.2としよう。

朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.1だけは存在しない。これは気温が低いと存在できない遺伝子のため支那北部より北では存在できないためだ。
この辺の事情は「栽培稲に関する種生態学的研究」(松尾孝嶺著)に詳述されている。

往来が盛んになればなるほど、多くの種類の遺伝子の米が入る確率が高まるが、日本には2種類しかなく、これが稲作開始の初期から広く分布したため、米の伝来はごく限られた地域から限られた回数しか伝来していないと考えられる。

日本の米の起源と推定される支那南部の地域は熱帯ジャポニカも温帯ジャポニカも同時に存在しているので、両者を1品種ずつ持ってきたと考えられる。

往来回数が多くなると別遺伝子品種が紛れ込む可能性が高くなるので、古代人が遺伝子選別技術を持っていない限りはこの地域だけから流入したと考えるしかない。

一方、朝鮮半島の米はNO.2からNO.7までの6種類が揃っているが、NO.2の遺伝子が70%を占めるので、米が朝鮮半島に導入された初期段階でNO.2の遺伝子が多く伝わっていなければならない。
日本から2種類の米が朝鮮半島に伝播したものの、NO.1の温帯ジャポニカ種は朝鮮半島に根付かずNO.2の遺伝子のみが広まり、そこに支那大陸から米が入ってきて、NO.2の遺伝子を持つ米と交雑したと考えると朝鮮半島の米の遺伝子の説明が付く。

支那大陸にはすべての遺伝子が満遍なくあるので、特定の種類の遺伝子だけを多く朝鮮半島に伝えるのは無理だ。

また、朝鮮半島の水稲栽培は、九州北部と栽培法が酷似していることや、遺伝子学的に日本の古代米に支那大陸から入った米が交雑した米が多いことなどから、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へ伝わったことが判明した。支那政府の研究機関でも調査が進み間違いないという結論だ。

支那大陸から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」。日本の各所に点在するRM1-b遺伝子。 支那大陸では多くの品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島ではRM1-b遺伝子を持
支那大陸から日本へ稲作が直接伝来した裏付けとなる「RM1-b 遺伝子の分布と伝播」。日本の各所に点在するRM1-b遺伝子。
支那大陸では多くの品種に、RM1-b遺伝子を持つ稲が見付かったが、朝鮮半島ではRM1-b遺伝子を持つ稲は見付からなかった。

●詳細な関連記事
日本から朝鮮半島への米の伝播について
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html




以上が紀元前から日本列島にあった文物や技術などが、その後朝鮮半島へ伝播した主な事例だ。



紀元後になっても、先進的な文化や文物は、常に日本列島から朝鮮半島へと伝播した。

というか、古代においては7世紀まで、朝鮮半島は日本の支配地だったのだから当然だ。


『百済本紀』
397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする
399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる
402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明)
403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう
405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子)人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる
406 晋に朝貢
409 倭国の使者が夜明珠を送る 厚く礼遇する(夜明珠の意不明)



政治的に大和朝廷(倭国)の勢力圏におかれていた朝鮮半島は、文化的にも日本の強い影響を受けた。

新羅・百済はみな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びに之を敬仰し、恒に使ひを通はして往来せしむ。

(新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。)

『隋書 列傳第四十六 東夷 倭國』





★前方後円墳

日本の前方後円墳が3~5世紀に作られたのに対し韓国の前方後円墳は5~6世紀に作られた。

さらに韓国の前方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見された。


「仁徳天皇陵」(全長486m)
画像は「仁徳天皇陵」(全長486m)
5世紀


仁徳天皇陵は、三段で構成された墳丘と三重の濠が巡らされている日本最大の前方後円墳で、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大古墳の一つといわれている。

その遺物は長持形石棺から、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿、葺石や埴輪などがあり、埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬形、家形などが出土している。東側の造出しから須恵器の甕が出土した。

ボストン美術館には本古墳出土と伝えられる細線式獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されている。

全長約486m、後円部径約249m、高さ約35m、前方部幅約305m、高さ約33m 

Spec Sheet  全長(Length) 全幅(Width) 全高(Height)
仁徳天皇陵  486m 300m 35m
ギザのピラミッド 229m 229m 147m
秦の始皇帝陵 245m 340m 53m



韓国の月桂洞1号墳 全長46.5mの前方後円墳
画像は「月桂洞古墳」(全長46.5m)
5世紀後半から6世紀中葉に作られた韓国の代表的な前方後円墳


日本と韓国の前夫後円墳に関する分かり易いサイトの魚拓
http://megalodon.jp/2008-1025-1447-29/bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=111940&tab=five




●「壬辰の乱の関連内容のうち『侵略』の単語の不使用」について

秀吉軍は虐げられた朝鮮民衆の解放軍として迎え入れられた。

多数の朝鮮民衆が倭軍(秀吉軍)に従軍した。

平壌の役で、明軍が斬ったのは、「首級半ば皆朝鮮の民」だった。

―――――――――
「人心怨叛し、倭と同心」
「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」
『宣祖実録』

「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」
『鶴峯集』金誠一

日本軍は朝鮮上陸後わずか二十日間で首都漢城を占領した。
快進撃の背景には日本軍を解放軍として迎えた朝鮮民衆の支援もあったのだ。
『秀吉が勝てなかった朝鮮武将』貫井正之

景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ。
李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。
それが歴史の史実だ。
『龍を気取る中国 虎の威を借る韓国』黄文雄

『宣祖実録』によれば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったという。
また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったという。
また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、火をつけたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。
宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある。
『日韓・歴史克服への道』下條正男
―――――――――



すなわち、「朝鮮の支配勢力(第14代宣祖王とその取巻き両班・軍隊)=明の手先勢力」の圧政から開放を願っていた当時の朝鮮民衆が、支配をアジア広域に広げようとした秀吉の政策と利害が一致し利用した。

よって、秀吉軍と朝鮮人の連合軍が、明軍と戦ったのが史実。

秀吉軍の半数は朝鮮民衆であり、明軍(一部は明の手下の朝鮮人)と戦ったのだ。






>歴史関連市民団体であるアジアの平和と歴史教育連帯(以下、歴史教育連帯)も去る7月、日本政府に壬辰の乱を『朝鮮出兵』と説明したり、明成皇后殺害や朝鮮の慰安婦など、一部の歴史的事実を記述しなかったことに対して修正を要求したと同日明らかにした。


●「明成皇后(閔妃)を殺害」について

明成皇后(閔妃)を殺害したのは、朝鮮人だ。

閔妃暗殺事件の首謀者も実行犯も日本人ではなく朝鮮人だった証拠は山ほど揃っている。


王宮に侵入したのは殆どが朝鮮人であり、夫である高宗の間近で王妃を殺害したのは朝鮮人だ。

現場に居た夫の高宗自身がハッキリと証言しているのだから絶対に間違いない!


「王妃を殺したのは、不貞の私の部下だ」と現場に居た高宗が証言
(1906年 統監代理長谷川好道韓皇謁見始末報告(國分書記官通訳并筆記))


「王妃を殺したのは私の部下(朝鮮人)だ」と、近くに居た国王の高宗が明言している。


高宗だけはなく、高宗の弟の純宗も、現場に居て、犯人が朝鮮人だとハッキリと証言している。


「国母を殺したのは、禹範善だ」と現場に居た純宗が証言。
(往電31号)(後に純宗は刺客を放ち、禹範善を暗殺)



更に、その朝鮮人実行犯の禹範善(ウ・ボムソン)自身が、「旧年王妃を弑せしは自己なり」と自白している。

「王妃を直接殺したのは、私です」と実行部隊隊長の禹範善の証言。
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)


閔妃暗殺事件\実行犯の禹範善自身が、「旧年王妃を弑せしは自己なり」と自白
禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ
『在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件』



閔妃暗殺事件\石塚英蔵書簡「野次馬」という表現
「守備隊の警護の制止を突破し、城内に侵入し、野次馬は深く建物の内部に入り、王妃に傷を負わせ、裸にし、念入りに局部の検査をし(笑いながら、また、怒りながら)、最後に油をかけて焼き殺した…」
石塚英蔵の記録

王妃ヲ引キ出シ二三ヶ処刃傷ニ及ヒ且ツ裸体トシ局部検査(可笑又可怒)ヲ為シ最後ニ油ヲ注キ焼失セル等誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ其他宮内大臣ハ頗ル残酷ナル方法ヲ以テ殺害シタリト云フ右ハ士官モ手伝ヘタリ共主トシテ兵士外日本人ノ所為ニ係ルモノノ如シ。
「朝鮮王妃事件関係資料」石塚英蔵書簡[ペン書き・法制局長官末松謙澄]


「野次馬」という表現は、日本兵には使用せず、朝鮮人に使用する表現だ。



閔妃暗殺事件朝鮮の裁判官報

閔妃暗殺事件朝鮮の裁判官報
李周會、尹錫禹、朴銑の裁判官報
朝鮮での(リ、ユン、パク、朝鮮人3人の)裁判官報に、李周會(リ・シュウカイ)が「王妃殺害を今回計画したのは、私です」と証言した記載がある。


カルネイェフ(ロシア参謀本部中佐)は、『1895―1896年の南朝鮮旅行』の章で、「1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君(国王高宗の父)がかなりの役割を演じていた。」と述べている。


以上の資料から、閔妃暗殺事件の首謀者が大院君(国王高宗の父)で、実行犯が禹範善ということが判明している。

首謀者から実行犯まで朝鮮人であり、三浦公使ら少数の日本人は少しだけ手を貸したに過ぎない。






>独島領有権の主張をする教科書は合計12種類で、このうち扶桑社の公民教科書など3種類は『韓国が独島を不法占拠している』と言う内容が載せられた。


事実だから当然の記載だ。

ちなみに、「扶桑社」は、2007年8月1日に出版子会社「育鵬社」を設立し、教科書改善の会が新たに出版する教科書の版元となっている。

現在、一般的に教科書会社としては「扶桑社」ではなく、「育鵬社」と呼ばれている。




「韓国は日本の教科書に嘘を載せろと内政干渉するな!」

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