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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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Nスペを見て言っておきたいこと・米国は日本と支那の和平努力を妨害し、日本に支那からの撤兵を要求・支那人爺に「日本軍はここを焼き払った」と証言させたが、嘘の可能性大で、仮に事実でも例外・支那軍の清野作戦(焦土作戦)
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2011年1月16日(日)【NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム】
【NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム】2011年1月16日(日)

NHKスペシャル
2011年1月16日(日) 午後9時00分~9時49分
日本人はなぜ戦争へと向かったのか
第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム
2011.1.16NHKスペシャル




前回の1月9日放送の【第1回“外交敗戦”孤立への道】に関する1月10日の拙ブログ記事でも述べたが、一昨年のNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」や、昨年のNHKスペシャル シリーズ「日本と朝鮮半島」と比べると、NHKの反日度がパワーダウンして露骨な捏造や偽造は少なかったが、それでも番組を見て言っておきたいことはあった。

以下に問題点を指摘する。

今回も、前回の1月9日放送の【第1回“外交敗戦”孤立への道】と同様に、満州事変に至る過程や背景など(張学良や支那の悪事)を全く説明しなかった。

同じく、北支分離工作についても、前回同様に支那の悪事については一切触れなかった。

しかし、これらのことは、前回1月10日の拙ブログ記事で説明したので、今回は省略する。


今回、新たにツッコミを入れたいのは、次に述べる主に2カ所だ。

1つ目は、支那事変当時、アメリカが日本に対して支那からの撤兵を要求したことについてだ。


ナレーション
――――――――――
1937年に日中戦争が始まって2年、大陸に派遣された兵士の数は60万人から100万人に拡大していました。
・・・
しかし、組織の膨張に戦費はひっ迫。
さらに侵略戦争だと非難するアメリカからの撤退要求
軍務局は危機感から、ついに派遣軍の縮小を検討し始めます。
・・・・・
しかし、一斉に反発の声が上がります。
現地、中国大陸の司令官たちからでした。
最前線の司令官に就任していた岡村寧次が意見書を送りつけました。
積極的な武力行使こそが、戦争の早期解決に絶大な効果を発揮する。
2011.1.16NHKスペシャル
2011.1.16NHKスペシャル

実力司令官にとって多くの部下を取り仕切る彼らにとって人員削減は受け入れられない措置でした。
・・・・・
1939年11月
ついに現地軍の大物も動きます。
陸軍大臣を経験した支那派遣軍総参謀長の板垣征四郎が帰国。
縮小どころか、増派を訴えました。
・・・・・
一方、アメリカは中国からの撤兵を進まないことを理由に通商条約破棄を通告してきます
(以上ナレーション)
――――――――――


上のナレーションでは、アメリカが日本に対して支那からの撤兵を要求していることが2回も述べている。

NHKは何気なくサラッとナレーションで述べたが、これは非常におかしいことだ。

どうして日本と支那の戦争にアメリカが首を突っ込んだのか?

支那事変は、支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもなかった。

にもかかわらず、米英は、そのような暴虐支那に対して大々的にカネや武器を支援し、日本に対しては経済制裁を行なうなど理不尽な行動をとった。

支那事変が始まると、長年日本を敵視していた米国や、満州事変後の日本を警戒した英国が、正当な理由なしに蒋介石支援と日本非難を開始した。


―――――
1937年10月1日、吉田駐英大使ロンドンでの記者会見
「5日に行われる【反日大会】の司会をカンタベリー大主教が引き受けたので抗議の書簡を送った。大主教は、支那側の逆宣伝による根拠なき作り事を何ら確かめもせず受諾している」

―――――

1937年10月2日、中外新聞
ロンドン発1日同盟
支那軍の全面的敗退に狼狽した支那側のデマ宣伝はいよいよ露骨を加えてきた…ロンドン駐在支那大使館では毎日のように日本軍を中傷する記事を流して、英国民の反日気勢を煽っている。
その上在支外国通信員を動かす等の間接方法をも併用、絶体絶命、泣き落とし政策で英国民の同情を得んと必死になっている。従って日本側の反駁ないし抗議はともすれば無視されがちである。
…外人目撃者のいない場所に関しては、今なお…デマが行われている。
(略)


英国は、支那が流すデマを何ら確かめもせず垂れ流し、香港は英国から支那への武器輸送基地になっており、10月に英国は毒ガス弾を含む大量の武器を支那に与えた。

アメリカは、日本と支那が和平工作を行うと、支那に「戦争をやめるな!支援するから戦争を続けろ!」と指示して戦争をやめさせなかった

以下は、その一例


1938年12月18日、汪精衛(汪兆銘)は日本と講和しようと重慶脱出した。
汪精衛は、蒋介石と違い、"これ以上国民を苦しめるべきでない"という考えで、特務機関に命を狙われながらも近衛首相の呼びかけに応じた

――――――――
汪精衛(汪兆銘)は重慶を出る時「蒋介石と話をつけている。建前として蒋介石が抗戦を担当し、汪精衛が講和を担当する。うまく行けば講和に移る」と言っていた。

汪精衛は東京で近衛と会って、その真意を確かめてから1939年5月8日上海に帰り、蒋介石に『これで私の役目は終わった。本番は貴方に頼む』と打電した。

ところが、この時、既に事情が異なっていた。
米国が蒋介石に「軍事物資の援助をするから」と言って講和を止めさせた。
米国の意向を無視してまで講和は出来ない。
結果、汪精衛は裏切り者にされた。


胡蘭成(汪精衛の側近)著『日本及び日本人に寄せる』を要約
――――――――

汪精衛(汪兆銘):左と、蒋介石:右
汪精衛(汪兆銘):左と、蒋介石:右

米国は、蒋介石に対し、「講和をするな。支援するから戦争を続けろ!」と言って戦争をやめさせなかった。

そして、米国が支那に軍事物資の援助を開始すると、英国もビルマなど日本が手の届かない所から支那への軍事援助を再開した。

米国は、日本と支那を和平工作を徹底的に妨害して、支那に戦争を続けさせておいて、日本に対しては「戦争をやめろ!支那から撤兵しろ!」と理不尽な圧力をかけていた


一旦、戦争が始まってしまうと、現地が安定するまで占領軍は撤退できない。

このことは、つい最近もイラクで米軍が7年以上に亘って増派しながら駐留したことでも証明されている。

2003年3月に米国が始めたイラク戦争は、翌4月にはバグダードを攻略したものの、イラク駐留米軍はその後も増派され、イラク駐留米軍が撤退したのは7年以上が経過した2010年8月だった。

イラク戦争のイラク駐留米軍は7年以上撤兵できなかった。

イラク戦争のイラク駐留米軍は7年以上撤兵できなかった
イラク戦争のイラク駐留米軍は7年以上撤兵できなかった。

始めたのも続けたのも支那だった支那事変における日本軍の支那駐留は、イラク戦争における米軍のイラク駐留と違って、侵略性の全くない自衛行動だった。


したがって、支那事変の時に、アメリカが日本に支那からの撤退を要求したことは、何から何までおかしな話で理不尽極まりないことだった。

「NHKスペシャル」は、このような理不尽極まりないアメリカの日本に対する支那からの撤退要求を無批判に垂れ流している。

「NHKスペシャル」は、アメリカが日本と支那の和平努力を妨害して台無しにしていたことを完全無視し、アメリカが日本に対して支那からの撤退を要求したのは当たり前のようにサラッと述べるから狡猾(悪質)だ。









そして2つ目は、支那人爺に取材して、「日本軍が家を焼き払った」と証言させたことについてもツッコミを入れておく。

2011.1.16NHKスペシャル
2011.1.16NHKスペシャル
支那人嘘吐き爺「日本軍はここを焼き払ったんです


支那事変で支那人たちの家を焼き払ったのは、日本軍ではなく支那軍だ

そもそも日本軍には支那人たちの家を焼き払うという作戦や習慣はなかった。

一方の支那軍は、自分たちが敗走した後にそこを占領する日本軍に利用させまいとして、支那人たちの家を徹底的に焼き払った。

日本軍も余ほど特殊な事情があった場合は家を焼いたこともあったかもしれないが、支那事変で焼かれた家の99.9%以上は支那軍によって焼かれた。

それにもかかわらず、わざわざNHKは支那人爺に「日本軍に家を焼き払われた」と証言させ放送で使うのだから、悪質だ。



●清野作戦(焦土作戦)

支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

支那軍は、上海~南京、また、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。

―――――
ラーベ
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。

第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し・ホ・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。

第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める

第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。

ミニー・ヴォートリン(南京)
12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。
12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。
―――――




●1938年も続いた【支那軍による焦土戦術】


英国の通信社も、蒋介石が焦土戦術を命令していたことを報じた。

昭和13年7月12日 東京朝日
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
 蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
 九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社(いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
 しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
 商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。



―――――
10月19日
支那軍は広東東方約50キロの増江の橋を爆破し増城城内を焼いて退却した。

10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。
写真集支那事変国書刊行会\P255逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士
写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」
写真集『支那事変』国書刊行会P255



10月25日
支那軍は武漢撤退の際、街を爆破する目的で全ての建物に爆弾をしかけたが、英国海兵隊員らが必死で爆弾を撤去し、支那軍がスィッチを入れた時、爆破されたのは日本人所有の家屋だけだった。


11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。
―――――

↓↓詳細↓↓

●支那軍による長沙市焼き払い

【目的は、日本軍の仕業にして宣伝するためだった】

以下、『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
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「お前たちはいったい何をしているんだ?」私は腹を決めて大声でたずねた。
「放火です、命令です」その連中は異口同音に答えた。
「敵は城内に入ったのか?」
「とっくに汨羅に迫って来ています」
火の手はますますふえる。
(略)
しかし火の手がどっと一斉にあがり、たちまちにして全市は大火に包まれた。駅に通ずる道路は両側から火に挟まれトンネルになった。
(略)
車に乗ったまま絶えず良心の呵責を感じていた。
沿道の情景はまったく目をおおうものだった。公路は避難人びとで埋まっている。子供たちを連れているもの、家財道具をかついでいるもの、泣くもの、叫ぶもの、罵るもの、ふとんをかぶったもの、老人を背負っているもの、傷ついたもの、身ごもっているもの、兵士、難民、みな入りまじってごったがえしている。警笛はひっきりなしに鳴り、車はたえまなくぶつかる。狼狽の情景はまさに形容のすべもなかった。
(略)
大火はまさに燃えさかっていた。長沙全域は火煙に包まれ、火煙の勢いは空を呑みつくさんばかりだった

「どうやら、敵は長沙には入っていないらしいな」周恩来が感慨深げにいった、「もし敵が長沙に入っていたら、きっとぎりぎりまで追って来るだろう、まったく何の動きも見せないはずがない。・・・」

(中略)

長沙に火をつけたのは、国民党が蒋介石の指図でやった大仕事だった。彼らは一度派手な手柄をたてようと、クトゥーゾフがモスクワを焼き払ったのをまねて長沙焼き払いをしでかしたのだ。しかし、残念ながら日本軍はこれを道化役にしてしまい、ナポレオンを演じに登場してはくれなかった。全市に焼け棒杭の山を残し、百余万戸の家を焼き、そればかりいまだに総数もわからぬ傷病兵や年寄り、子供、病人などの市民を焼死させた責任は、いったい誰が負うのだろうか?
行政上の処分は――18日に警備指令艷悌、警備第二連隊長シュークン、公安局長文重孚の3人が銃殺された。
長沙の人びとは真相がわからなかったので、省主席の張文白(張治中)を怨んだ。
(略)
しかし、あだはかたきに、借金は貸し主にというもので、張文白を怨むのは見当ちがいである。張文白その他の連中は蒋介石の命令を執行しただけなのだから。私たちがのちに手に入れた確実な情報によれば、張文白は12日午前9時、長沙全域を焼き払えという、蒋介石の密電を受けとったのだ。したがって、長沙の大火に関する責任は蒋介石が負うべきもので、「3個の人頭」ですら本当のところは冤罪だった。

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このように、支那事変で支那人たちの家を焼き払っていたのは、日本軍ではなく、支那軍だった。

NHKは、全く検証をせずに嘘吐き支那人爺のウソを垂れ流すな。




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