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麻木久仁子vs大桃美代子、衝撃不倫騒動・大桃がツイッターで「元夫が麻木久仁子さんと不倫をしていた」・共にバカサヨ!共倒れ希望・「日本と朝鮮半島2000年―第8回豊臣秀吉の朝鮮侵略」出演の大桃、「池上彰の戦争を考えるSP」出演の麻木
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麻木久仁子(左)と大桃美代子
麻木久仁子(左)と大桃美代子

麻木久仁子vs大桃美代子、衝撃不倫騒動

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101220-00000015-ykf-ent

知的は痴的?麻木久仁子vs大桃美代子、衝撃不倫騒動
夕刊フジ 12月20日(月)16時57分配信

 タレントの大桃美代子(45)が19日深夜、自身のツイッター上で、元夫とタレントの麻木久仁子(48)が不倫していたことを暴露し、ネットを通じて芸能界に激震が走っている。大桃は昨年11月に離婚。麻木は4年前に離婚しており、現在も独身生活を続けている。大桃の離婚の原因が麻木にあった可能性もあり、テレビで人気の美熟女2人を巻き込んだ壮絶な愛憎バトルが注目される。

 オンナとして許せなかったのか。深夜の“つぶやき”が思わぬ泥仕合に火を付けそうだ。

 大桃は19日午後11時2分、こうつぶやいた。

 「今年嬉しかった事は、Twitterを始めて色々な方と出会えたこと。ショックだったのは、元夫が麻木久仁子さんと不倫をしていた事がわかったこと。先輩として尊敬していたのに、ショック どうして 辛い」

 泣き顔の顔文字も添えられている。続けて午後11時55分には、「少し、遠くにいってきます。人生はいろいろな事があるものです」と、休養や引退をにおわせる記述も。“覚悟のつぶやき”だけに、穏やかではない。

 大桃は2003年6月、仕事を通じて知り合った制作会社のディレクターと結婚したが、6年後の昨年11月に離婚。離婚の原因については明かしていなかった。

 一方の麻木は2006年3月に作曲家の松本晃彦氏と夫婦間のすれ違いを理由に離婚。現在も独身だ。

 大桃は18日、麻木のツイッターに向かって「フォローしてくれない理由がわかってしまいました」と書き込んでおり、この時点で元夫の不倫に感づいていたようだ。

 結婚、離婚歴だけでなく、知性派ながらバラエティーもこなすマルチな才能で幅広い層に人気がある点でも、大桃と麻木は非常に似ている。

 大桃は新潟県出身。成徳短大卒業後、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)でOL勤務をしていたが、1年足らずで退職。

 テレビ番組のアシスタントを務めるようになり、1990年には、テレビ朝日系「金子信雄の楽しい夕食」で、女優、東ちづるの後を受けて2代目アシスタントに抜擢された。その後、NHK「クイズ日本人の質問」にレギュラー出演。芸能活動のかたわら、1996年に東京外大外国語学部ポルトガル語学科に入学。2000年に卒業している。

 麻木は東京都出身で、学習院大中退後、芸能界デビュー。1988年にフジテレビ系「オールナイトフジ」の司会に抜擢されたのをきっかけにバラエティーに進出。クイズ番組で抜群の頭の回転の良さを発揮し、最近は社会派ジャーナリストの顔も見せている。

 大桃と麻木は2007年に農林水産省の「農林漁業再チャレンジ支援」イベントに参加し、ツーショット写真を披露していたが、人知れぬ深くて大きな溝があったのか。

【“不倫”名指しされた麻木久仁子、所属事務所は大混乱】

 大桃の所属事務所は夕刊フジの取材に、「事実関係を確認中。プライベートで海外に行くという話は聞いている」と説明した。

 一方、麻木の所属事務所は「担当者から連絡させます」と答えたが、一方的に“不倫”と名指しされたことに混乱している様子だった。麻木自身は20日午後2時現在、ツイッターの更新はなく、沈黙を保っている。


http://twitter.com/omomo_miyoko/status/16493684769951744
今年嬉しかった事は、Twitterを始めて色々な方と出会えたこと。
ショックだったのは、元夫が麻木久仁子さんと不倫をしていた事がわかったこと。
先輩として尊敬していたのに、ショック(´Д` )どうして(ToT)辛い

大桃美代子
omomo_miyoko
大桃美代子


「農林漁業ことはじめ~新しい人生に、いま再チャレンジ!」の記者会見に出席した、タレントの麻木久仁子さん(左)と大桃美代子さん(右)
「農林漁業ことはじめ~新しい人生に、いま再チャレンジ!」の記者会見に出席した、タレントの麻木久仁子さん(左)と大桃美代子さん(右)



私は、麻木久仁子と大桃美代子の2人については、共に「反日バカサヨ」という評価をしている。


まず、大桃美代子は、2009年11月29日午後10時~11時29分に放送したNHK教育【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】に出演していた。

その番組で、大桃美代子は、韓国に行き、韓国人から「秀吉軍に虐殺された」とする頭蓋骨を見せられ、「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」と発言した。


2009.11.29NHK秀吉の朝鮮侵略の大桃美代子


このNHK教育【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】では番組タイトルの他番組内でも盛んに【豊臣秀吉の朝鮮侵略】を強調したが、秀吉軍の半数が朝鮮人だったという絶対に欠かしてはならない重要な事実を全く説明しなかった。

実際には、秀吉軍は【虐げられた朝鮮民衆の解放軍】として迎え入れられ、秀吉軍の半数が朝鮮人だった。

ところが、番組では戦死したという女子供のドクロ(頭蓋骨)を引っ張り出して秀吉軍の虐殺だけをひたすら演出していた。

しかし、朝鮮支配階級の女子供を殺害したのは、当時彼らに恨みを持って秀吉軍に参加した朝鮮人だったと考えるのが自然だ。

秀吉軍の半数が朝鮮人だったことを隠蔽し、頭蓋骨まで放映して秀吉軍による女子供を含めた大量殺害ばかりを強調したNHKの演出は悪質極まりない。

そこで大桃美代子は馬鹿だから、すぐに騙されて、「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」などと言ったのだ。

これだけなら、大桃も、NHKや韓国人に騙された被害者という見方をする人も居るかもしれない。

しかし、大桃の場合、【大桃美代子ブログ 韓流への道】 などというブログまでつくって韓国に媚び諂っているのだ。
大桃美代子ブログ 韓流への道

大桃美代子ブログ 韓流への道
http://yaplog.jp/o-momo/


【はじめに】

このブログは私が大好きな韓国の情報をたくさん紹介していこうと思っています。

なんで韓国とおもうかも知れませんが、実は私、2005年の4月から7月まで韓国に短期留学していたんです。

韓国ドラマブームで、韓流スターにインタビューする機会があったのですが、そのときに一言も韓国語を話すことが出来ずほとんど通訳さんと話すような形だったのが悔しくて、韓国語を勉強したいーと思ったのがきっかけです。

韓国流好きな人もそうでない人もぜひぜひ読んでくださいね!



日本の芸能界では、韓国に媚び諂うと仕事が増えるという悪い風潮があるようだ。

大桃もNHKの反日極左から、そこを見込まれ、【ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回 豊臣秀吉の朝鮮侵略】に出演させてもらい、韓国に行って韓国人から頭蓋骨を見せられ、期待に応えて「倭軍の行為がそこまでだったと思うとショックですね」と発言したのだろう。


頭蓋骨


●関連記事

NHKに電凸!秀吉の朝鮮侵略
【ETV特集シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第8回豊臣秀吉の朝鮮侵略】に抗議
秀吉軍の半数が朝鮮人だった事を隠蔽し、朝鮮人による女子供虐殺を日本人の仕業に演出
「倭乱」呼称を使用
李舜臣と亀船は最近の韓国の小説やドラマを垂れ流し
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3660.html

(一部抜粋)


朝鮮民衆が秀吉軍に参加して明軍&朝鮮支配階級軍を相手に戦った事実は、秀吉の朝鮮出兵について述べる際には欠かすことの出来ない重要事実なのだが、NHKはそのことについて全く説明しなかった。

秀吉軍は虐げられた朝鮮民衆の解放軍として迎え入れられた。

多数の朝鮮民衆が秀吉軍に従軍したため、秀吉軍の半数が朝鮮人だった。

―――――――――
「人心怨叛し、倭と同心」
「賊兵の数、半ばは我国人というが、然るか」
『宣祖実録』

「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」
『鶴峯集』金誠一

日本軍は朝鮮上陸後わずか二十日間で首都漢城を占領した。
快進撃の背景には日本軍を解放軍として迎えた朝鮮民衆の支援もあったのだ。
『秀吉が勝てなかった朝鮮武将』貫井正之

景福宮などの焼失は、大部分の韓国の観光案内板によれば、「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の兵によるもの」と書かれているが、それは嘘だ。
李恒福の『白沙集』によれば、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。
それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。
ことに奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った。
それが歴史の史実だ。
『龍を気取る中国 虎の威を借る韓国』黄文雄

『宣祖実録』によれば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、明軍が朝鮮軍支援にかけつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったという。
また、江戸時代末期に日本で書かれた『征韓偉略』によれば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったという。
また、韓国の教科書には「文化財の被害も大きかった。景福宮が焼け、実録を保管した書庫が消失した」と書かれているが、火をつけたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。
宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火をほしいままにしたのであり、「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある。
『日韓・歴史克服への道』下條正男
―――――――――












次に、大桃の旦那を寝取っていた麻木久仁子の方は、2010年8月15日報道テレビ東京で、8月15日午後7時から3時間放送した【池上彰の戦争を考えるSP~戦争はなぜ始まり、どう終わるのか~】に出演した。

そこで、麻木久仁子は、一生懸命知ったかぶりをして「昔の日本は悪かった」ことをアピールしようとしていた。



麻木久仁子の発言
「民間人にまで『生きて虜囚の辱めを受けず』っていうものを押しつけたってことは、これはもう言い訳の全くきかない過ちの一つだと思いますね。女の人や子供たちまでね自決を強いることになったというのはもう。」



しかし、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は飽くまで陸軍だけの示達であり、民間人にまで押しつけた事実はない。

『戦陣訓』は、1941年1月に陸軍省によって示達されたことからも分かるように、支那事変における陸軍の行動規範を示したものであり、海軍や日本国民への教育ではない。

当時、支那軍は、負傷や投降して捕まえた日本兵を捕虜として保護することは全くなかった。

支那軍は、捕まえた日本兵を「反戦兵士」にする極僅かな例外を除いて全員惨殺した。

支那軍に捕まった日本兵全員があまりにも惨たらしく虐殺されていたので(日清戦争の時も同様だった)、陸軍は「戦陣訓」の中で「生きて虜囚の辱を受けず」と示達したに過ぎない。

最近「沖縄集団自決」問題などもあってマスコミを中心に、あたかも「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」を民間人にまで押しつけたような作り話が流行っていて麻木久仁子と同じように勘違いしている人が多いが、そんな事実はない。

「戦陣訓」で列挙した件(兵隊のタテマエ)は沢山有り、「生きて虜囚~」はその一つに過ぎず、実際に支那大陸で戦っていた兵士ですら殆ど知らなかった。
このことは、司馬遼太郎はじめ多くの識者や旧陸軍兵士が証言している。

サイパン島や沖縄などで、多くの民間人が自決したのは、アメリカ軍が惨たらしく日本人民間人を虐殺し、そのことをサイパン島や沖縄の民間人も知っていたからだ。

麻木久仁子は、もっと勉強してからテレビでヘラヘラ発言すべきだ。



2010.8.15池上彰の戦争を考えるSPの麻木久仁子
2010.8.15池上彰の戦争を考えるSPでの麻木久仁子


麻木久仁子の発言
「東条内閣総辞職ということは、もやはこれまでという事ですよね。ところがポツダム宣言まで更に1年かかるということは何をやっていたんですか?」



このまるで「日本は和平を全く考えずに無駄に多くの人命を失わせた」と言わんばかりの麻木久仁子の質問に対して、池上彰はマトモに回答せず誤魔化していたが、事実は次のとおり。

日本は1944年7月に東条内閣が倒れた後、和平に向けて動いた。
1945年2月には日本の和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されていた。
さらに日本政府は1945年5月にも降伏の打診をしていたし、これもアメリカの新聞で報道されている。
それは、日本軍部の全面降伏、支那で占領した全ての地域の放棄を求めたカイロ宣言を受け入れるというものだった。
日本はソ連などを仲介にして和平を申し出ていた。
戦争がもっと早く終わらなかった理由は、アメリカが日本の和平打診を無視したり黙殺したりしていたからだ。
アメリカは、日本に原爆を投下したかったし、日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰したかったから、日本の和平打診を黙殺したり無視したり、ポツダム宣言の降伏勧告の内容を意図的に曖昧にしたりした。


2010.8.15池上彰の戦争を考えるSP


●関連記事

池上彰の戦争を考えるSP~戦争はなぜ始まり、どう終わるのか~
明らかな間違いがあり電凸&手紙
柳条湖事件は支那事変の始まりではない
上海を攻撃したのは日本ではなく支那
戦陣訓を民間人に押し付けていない
日本の戦争終結努力を無視するな
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3945.html

(一部抜粋)


━━━━━━━━━━
〒105-8012
テレビ東京
「池上彰の戦争を考えるSP」宛て



拝啓
8月15日19時から放送した「池上彰の戦争を考えるSP~戦争はなぜ始まり、どう終わるのか~」を拝見しました。
その中に明らかに事実に反する間違いがあったので申し上げます。
出来れば間違いの訂正を放送して頂ければ幸いです。

(中略)

それと、麻木久仁子は「民間人にまで『生きて虜囚の辱めを受けず』っていうものを押しつけたってことは、これはもう言い訳の全くきかない過ちの一つだと思いますね。女の人や子供たちまでね自決を強いることになったというのはもう。」と発言しました。
しかし、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は飽くまで陸軍だけの示達であり、民間人にまで押しつけた事実はありません。
近年「沖縄集団自決」問題などもあってマスコミを中心に、あたかも「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」を民間人にまで押しつけたようなデマが流布され、麻木久仁子のような勘違いしている人が多いのですが、そのような事実はありません。
サイパン島や沖縄などで多くの民間人が自決したのは、アメリカ軍が惨たらしく日本人民間人を虐殺し、そのことをサイパン島や沖縄の民間人も知っていたからです。
ゲストの麻木久仁子の発言なので間違ってもしょうがないかもしれませんが、池上彰が間違いを正すとか、それがなければ編集でカットすべきでした。

それから、私が気付いた最後の間違いは、麻木久仁子「東条内閣総辞職ということは、最早これまでという事ですよね。ところがポツダム宣言まで更に1年かかるということは何をやっていたんですか?」という質問に対して、池上彰が「つまり一旦始めた戦争を終わらせるのはなかなか難しいですね。特に負けている戦争というのは、ここでやめてしまったらこれまで犠牲になった尊い命が無駄になるという発想をするわけです。」と解説したことです。
日本は、1944年7月に東条内閣が倒れた後、和平に向けていろいろと動いていました。
このことは、米戦略爆撃調査の「日本の戦争終結努力」と題する報告書(米戦略爆撃調査報告)などに述べられています。
1945年2月には和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されていましたし、3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実です。
さらに、日本政府は1945年5月にも降伏の打診をしていましたし、このことはアメリカの新聞でも報道されています。
日本はソ連などを仲介にして和平を申し出ていたのです。
戦争がもっと早く終わらなかった理由は、アメリカが日本の和平打診を無視したり黙殺したりしていたからです。
アメリカは、日本に原爆を投下したかったし、2度と戦争ができなくなるまで日本を叩き潰したかったため、日本の和平打診を黙殺したり無視したり、ポツダム宣言の降伏勧告の内容を意図的に曖昧にしたりしたのです。
したがって、池上彰の解説(麻木久仁子の質問に対する回答)は間違っています。
この番組のテーマが「戦争はなぜ始まり、どう終わるのか」なのですから、具体的な日本の戦争終結努力を説明しないのは酷い手落ちです。

(以下略)

敬具

〒1●●-0●●● 東京都●●区●●7-●-●
●●●●

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以上、麻木久仁子と大桃美代子の2人は、共に反日バカサヨと言って良い。

今回は大桃が、麻木が大桃の旦那を寝取っていたことを暴露し、大桃は海外へ逃避行?

麻木は沈黙しているそうだが、2人ともお茶の間から消えることが日本にとっては良さそうだ。





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