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真珠湾攻撃=自存自衛の戦いの口火・12/7Pearl Harbor=日本時間12月8日・米国の侵略と対日嫌がらせの歴史、パールハーバーへの謀略・1924年「絶対的排日移民法」、1941年8月1日「対日石油全面禁輸」、東條内閣の和平努力など
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真珠湾攻撃
真珠湾爆撃を行う九七艦上爆撃機と九九式艦上爆撃機


12月7日(真珠湾時間:日本時間12月8日)は真珠湾攻撃記念日だ。

アメリカの日本に対する嫌がらせの歴史、日本の和平努力と自存自衛の戦いについて振り返ろう。



我々は十年一日の如く…日本に嫌がらせをした。

『アメリカ外交50年』ジョージ・ケナン著(1951年)




ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。

そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。

ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))




ドール:・・・ルーズベルト大統領はアメリカ国民に「攻撃を加えられた場合を除いて」外地での戦争に息子たちを送りはしないと繰り返し保証していた。

ところが、彼は同時にチャーチル首相に何とかして我々の国を持ち込もうと約束していた。

彼は首相に「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」と語っているのです。


ヒルダー:大佐、もう一度繰り返して頂けませんか。


ドール:よろしい。

ルーズベルト大統領は言いました。

「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。

『操られたルーズベルト』カーチス・B・ドール著(ドールは大統領の娘婿)=“My Exploited Father-in-Law”By Curtis B Dall(1968年)




(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。

P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)




「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」

「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。」

『昭和天皇独白録』文藝春秋



―――――
1898年、日本の抗議にもかかわらず、米国が謀略によってハワイ王国を併合
1899年~1903年、アメリカ・フィリピン戦争。米国がスペインから独立させたフィリピンを植民地に。

1919年、日本は国際連盟規約宣言の中に人種平等の原則(人種差別撤廃条項)を挿入することを提案し、17票中11票の賛成を得たが、委員長ウィルソン大統領(米)は、「斯かる決議には全員一致を要する」との理由で拒絶。
1922年、アメリカ最高裁が「黄色人種(日本人)の帰化権はない」と判決。すでに帰化した日本人の権利まで剥奪できるとした。

1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。


●1939年
3月、米国は、支那が軍用機や発動機を購入のために1500万ドルを借款
7月26日、米国が日米通商航海条約を破棄
●1940年
1月4日、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 
6月5日、米国が工作機械の対日輸出を禁止
7月31日、米国が航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
9月26日、米国が屑鉄の輸出を全面禁止
9月25日、米国が重慶政権に2500万ドルの借款
11月3日、米大統領が重慶政権に更に5000万ドルの追加借款
12月2日、米国が蒋介石の重慶政府に一億ドルの借款供与

●1941年
3月31日、ルーズベルト大統領が提出した武器貸与法案が成立。米海軍が護衛する輸送船団により連合国へ武器供与を開始
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
7月25日、在米日本資産を凍結
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日、真珠湾攻撃

―――――
アリゾナ
1941年12月7日、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ



大東亜戦争は日本が生きるために行なった戦争だった。

日本は何も悪いことをしていなかったにもかかわらず、石油の輸入が出来なくなってしまった。

米英蘭の3カ国が日本に「石油を売らない」と言うことは、日本に「死ね」と言うのと同じことだった。

日本がハル・ノートを呑んで支那や満州から撤退したら、日本列島では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んだだろう。

更に、当時は国家生存の条件とされていた大国の地位を失い、小国に転落すれば、いつソ連や米国の植民地にされてもおかしくなかったし、ましてやアジア諸国の独立なんて何十年・何百年後に実現したか分からない。

英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になった。

1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争でポーランド人が失った命は人口の0.4%にあたる約13万人だった。

ところが、1941年、ドイツとソ連の戦争が始まり、ポーランドで独ソ両軍が死闘を繰り広げたら、ポーランドは人口の20%が死ぬという悲劇に見舞われた。


つまり、ポーランドでは、戦争で抵抗した際に死んだ人数は人口の僅か0.4%だったが、戦争をしない弱小国家になったら死んだ人数が人口の20%にまで上ったのだ。

アイルランドやポーランドの例でも判るように、戦争をするよりも小国に転落する方が遥かに悲惨な目に遭うのがこの世の現実だ。

当時の日本じゃなくても、座して死を待つくらいなら、力尽くでも石油を確保しようとするのが当然だ。




―――――
【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い60~66東条内閣の和平努力】

62、激怒、安堵、絶望、喝采
(一部抜粋)

 (1941年11月)二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。 東京裁判において東郷は、


 「ハル・ノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。
 また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。
 さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。
 ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。もしハル・ノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。

従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。」


63、自衛のための自殺
(一部抜粋)

昭和十六年十二月一日、御前会議は「もはや開戦やむなし」という出席者全員の賛成によって我が国の対米英蘭開戦を決定した。翌二日午後二時四十分、杉山元参謀総長は、サイゴンの寺内寿一南方軍総司令官に「大陸命第五六九号(鷹)発令あらせらる、日の出はやまがたとす、御稜威の下切に御成功を祈る」と打電し、同日午後五時半、山本五十六連合艦隊司令長官は、ハワイ作戦のため択捉島の単冠湾を出撃し(十一月二十六日)、太平洋を東航中の我が海軍空母機動部隊に「新高山登れ一二〇八」を打電し、遂に日米和平交渉は終止符を打たれた。

連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。


 「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。


 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
―――――




■動画
凛として愛(4/7)
http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs
凛として愛(5/7)
http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q



【動画の要約】

1937年、支那事変
1937年~、米英ソなどによる蒋介石支援
1940年~、米国による対日経済制裁
1941年
4月、日米交渉開始
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣が発足、「帝国国策遂行要領」を白紙還元し、和平努力
11月、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

日本海軍の軍令部総長の永野修身大将は、その決断を次のように語っている。
「政府の陳述によれば、米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂を喪失する民族永遠の亡国である。たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」

アメリカ陸軍スチムソン長官の日記
「ハワイで我々を攻撃したことで、今やジャップは問題の全てを解決してくれた。これで全米国民が危機感を覚え、一致団結の機運が生まれた。」





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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

TBS収録で小学生大ケガ!<MBS>バラエティー番組『くらべるくらべらー』C大阪選手と小学生100人のサッカー試合収録中、小3男児が骨折・不祥事続くTBSの原因はもはや不運ではない
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くらべるくらべらー
『くらべるくらべらー』

<MBS>バラエティー番組収録中、小3男児が骨折

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101206-00000073-mai-soci

<MBS>バラエティー番組収録中、小3男児が骨折
毎日新聞 12月6日(月)19時49分配信

 毎日放送(MBS、大阪市北区)は6日、同社制作のバラエティー番組「くらべるくらべらー」(水曜午後9時、系列28局ネット)の企画「Jリーグの選手と子ども100人が試合をしたらどんなスコアになるのか」の収録中に、小学3年生の男子児童(9)が全治3カ月の左ひじ骨折のけがをしたと発表した。

 収録は5日に堺市内のグラウンドであり、セレッソ大阪の選手11人とセレッソ大阪サッカースクールなどに通う小3、小4の児童100人が参加。セレッソ側のゴール前に児童が殺到し、転んだ男子児童が他の児童に左腕を踏まれたらしい。

 11年1月26日の放送は未定で同社は「誠に遺憾で、けがをされた小学生やご家族に心からおわびします」としている。




毎日放送(MBS)は、TBSの系列会社で、この『くらべるくらべらー』という番組はTBS系列で全国放送している番組だ。

水曜日の21時からの番組というと、TBSにとって「魔の水曜日」と呼ばれ1日の最高視聴率が1ケタは当たり前の曜日となっていて、しかも21時からといえばあの『アイリス』と同じ時間帯だ。

『アイリス』の呪いかもしれない。

TBSやMBSには既に朝鮮人が多数う蔓延っていることもあり、速やかに廃業するべき。


くらべるくらべらー


最近、またTBSの不祥事が連発している。

まず、11月27日放送TBS『世界ふしぎ発見!』にキムタクことSMAPの木村拓哉がゲストで登場し、見事パーフェクトを達成させた【やらせ】について述べた。

クイズや一般常識が苦手(「でじる」事件や「いけのおと」事件で有名)な木村拓哉が、TBS制作の実写映画版『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の公開直前に一人だけパーフェクトを達成したのだから、「やらせ」だったことは間違いないだろう。


次に、12月1日、TBSは、夕方の報道番組『Nスタ『』で、「市川海老蔵さんを殴ってけがをさせた疑いで警視庁の逮捕状が出ている容疑者の身柄が確保された」と虚偽報道し、夜のニュース番組で訂正した。


そして今回の「小学3年生全治3カ月大ケガ事件」だ!

TBS絡みでは、過去にもタレントなどが頻繁に怪我をしており、もはや単なる不運では済まされない。

怪我を覚悟のお笑い芸人なら兎も角、今回は小学3年生の男子児童(9)が全治3カ月の大ケガを負ったのだから、特に深刻だ。



●TBSによって怪我や病気の被害が発生した事例

2001年10月16日
モーニング娘。の新メンバー紺野あさ美(14)が、TBS『うたばん』の大玉ころがしゲーム収録中に事故にあい、右ひざ上を6センチ切るケガをし、12針の縫合手術を受けた。
http://oops-music.com/info/view_news.html?nid=2508

2002年3月30日
TBS「オールスター感謝祭'02」の生放送中に、俳優の三田村邦彦さんが、170キロのピッチングマシーンの投球を14メートルの距離でキャッチするという島田紳助発案の企画にチャレンジさせられ、軟球がキャッチャーマスクのすき間から三田村の左目を直撃する惨事に。TBSは何食わぬ顔で生放送を続行。
http://choco.2ch.net/news/kako/1017/10174/1017487561.html

2002年5月5日
「筋肉番付」の収録中、出演していた男子大学生2人が相次いで頚椎(けいつい)損傷などの重傷を負ったが、収録は続行された。東海大3年の伊佐拓哲さん(20)はその後も胸から下が麻痺したままの四肢麻痺の状態が続く。
http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_05/g2002050707.html

2006年5月6日
TBSの健康情報番組「ぴーかんバディ!」で紹介した白インゲン豆ダイエットを試した視聴者から苦情が殺到。激しい嘔吐、下痢などの健康被害が出たのは、TBSに6月18日までに連絡があっただけで1,149件。104人が入院。
http://www.j-cast.com/2006/06/28001931.html

2006年8月28日
女性たち一般参加者らが運動能力と体力を競う「KUNOICHI」の収録中に、一般参加者の1人が感電して病院で手当てを受ける事故があったが、TBSは事故について総務省や警察、消防当局に通報していなかった。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_09/g2006091301.html

2007年3月上旬
「新SASUKE2007」の収録でブラックマヨネーズの小杉竜一が左肩を脱臼する事故がありながら、TBSが事故を公表せず、警察当局にも通報していなかった
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007040203.html
「新SASUKE2007」の収録で、一般の男性出演者ら計5人が骨折などの重軽傷を負っていたにもかかわらず、TBSはその際に警察に届けず、公表もしていなかった。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/952741.html

2007年4月25日
江口ともみがTBS収録事故で腎臓摘出手術を受ける大ケガ
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007042603.html

2008年2月29日、
生放送した特別番組「オールスター感謝祭 超豪華! クイズ決定版」で、出演したお笑いコンビ次長課長の河本準一が、右肋骨を骨折
http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_03/g2008033120_all.html

2009年2月12日
夜7時ごろ、滋賀県内に在住する関係ない女性の自宅に、TBSの「2時ッチャオ」の番組スタッフが押しかけ、TBSの女性リポーター打上順子が被害女性の指をドアに挟んでケガをさせた。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-1485.html

2009年11月29日
ゴルフの石川遼選手を取材のTBSカートが観客女性4人をはねる。一人は10m以上引きずられ、左眼窩底骨折の重症。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3656.html

2010年1月19日
TBSロケで、オードリーの春日俊彰(30)が低視聴率番組「オレたち!クイズMAN」のロケ中に左足関節骨折。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3717.html

2010年12月6日
毎日放送(MBS)制作の「くらべるくらべらー」(TBS系列28局ネット)の企画「Jリーグの選手と子ども100人が試合をしたらどんなスコアになるのか」の収録中に、小学3年生の男子児童(9)が全治3カ月の左ひじ骨折のけが。


New!



上記TBSの傷害事件の中でも特に悪質な事件についてもう少し詳しい記事を掲載しよう。


http://news.2ch.net/newsplus/kako/1017/10175/1017538390.html
【TBS三田村邦彦眼球破壊事件の概要】

2002年3月30日午後8時20分ごろ、TBSの「オールスター感謝祭'02」の生放送中に、俳優の三田村邦彦さんが、170キロのピッチングマシーンの投球を14メートルの距離でキャッチするという島田紳助発案の企画にチャレンジさせられ、ボールを顔面に受け、軟球がマスクの顔面部に食い込む惨事に。

三田村さんは左目を押さえ、「目が…」(「見えない…」?)と言ったきり画面からフェードアウト。

TBSは何食わぬ顔で生放送を続行して終了

三田村さんの安否が気遣われる。


三田村邦彦






http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_05/g2002050707.html
TBS「筋肉番付事故」で、事情聴取
収録中に重傷者2人を出す
ZAKZAK 2002/05/07

 横浜市青葉区のTBS緑山スタジオで5日夜、人気番組「筋肉番付」の収録中、出演していた男子大学生2人が相次いで重傷を負った事故で、神奈川県警青葉署は7日までに、業務上過失致傷の疑いで同局番組制作部長ら関係者から事情聴取し、同スタジオの現場検証を行う方針を固めた。視聴率を上げるため、安全をなおざりにして競技を過激化させた同局の番組倫理が問われそうだ。

 調べだと、5日午後7時40分から同9時半ごろにかけ、同スタジオ内に組んだセット=写真=で障害物競技の新企画「力島(ちからじま)」を収録中、相次いで事故が起こった。水路(幅2.5メートル、深さ約1.4メートル)を巨大な球(直径1.8メートル、重さ47キロ)に乗って渡る「ロックバレー」なる種目で、京大1年の中国人留学生、衛濤さん(19)がバランスを崩し、水路に転落。病院に搬送され、頚椎(けいつい)損傷と診断された。

 収録は続行され、
傾斜15度の斜面(長さ4.5メートル)を転がり落ちてくる前出の球を受け止め、押し上げる「ロックアタック」で、東海大3年の伊佐拓哲さん(20)が球を受け止めきれず転倒、下敷きになった。伊佐さんは一時、意識不明となり、救急搬送されたが、搬送時には両足がマヒした状態だった。伊佐さんは頸椎などの損傷と診断され、入院した。

(以下略)


↓↓↓  ↓↓↓  ↓↓↓  ↓↓↓  ↓↓↓

http://www.weeklypost.com/070511jp/index.html
「■それでもTBSがトラブル続出の「筋肉プロデューサー」を重用する理由」
週刊ポスト2007年5/4・11号

(一部抜粋)

今度は当時、大学3年生だったAさん(25)が再び「力島」で頸椎損傷の重傷を負った。

「事故後、丸1年入院しましたが、今も胸から下は麻痺したままです。両足と、両手の小指側の半分が動きません。体幹も麻痺しているため、腹筋や背筋も自由に動かせません。四肢麻痺の状態です」(Aさん)


筋肉番付






http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_09/g2006091301.html
またTBS…今度は収録中の感電事故を通報せず

番組「KUNOICHI」一般参加者

 女性たち一般参加者らがさまざまな競技で運動能力と体力を競うTBS系番組「KUNOICHI」の収録中に、一般参加者の1人が感電して病院で手当てを受ける事故があったことが13日、分かった。TBSは事故について総務省や警察、消防当局に通報していなかった。

 TBSによると、事故は先月28日深夜、横浜市青葉区内のスタジオで収録中に発生。一般参加の女性が競技施設の下に設置された水槽(深さ約1.2メートル)の中に落ちて、水から上がる際、照明施設に手をかけたところ感電した。

 番組スタッフらが救出し、近くの病院に車で運んだが、女性は治療を受けた後、そのまま帰宅した。原因は照明器具の不具合とアース設備の不備だったという。

 収録は事故のため一時中断した後再開し、未明まで続いたが、他の競技参加者には事故について説明していなかったという。

 TBS系では、5月に放送された健康情報番組「ぴーかんバディ!」で紹介された白インゲン豆のダイエット法について、実際に試した視聴者から激しい下痢や嘔吐(おうと)を訴える苦情が約1000件寄せられ、うち100件が入院し、総務省は行政指導としては最も重い警告を出していた。

 7月には、報道番組「イブニング・ファイブ」の旧日本軍に関するニュースの中で、内容と関係のない安倍晋三官房長官の顔写真が映し出されたとして、総務省が放送法違反としてTBSを厳重注意するなど不祥事が続いている。

 TBS広報部の話「今回、事故に遭われた方には深くおわび申し上げます。今後、さらに安全確認の徹底に努める所存です」

ZAKZAK 2006/09/13


kunoichi






ブラックマヨネーズの小杉竜一

http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/g2007040203.html
TBSまた事故隠し…ブラックマヨネーズ、収録中ケガ

 体力自慢の男性らが運動能力を競うTBS系の人気番組「新SASUKE2007」の収録で3月上旬、人気お笑いコンビ「ブラックマヨネーズ」のメンバー、小杉竜一さん(33)が左肩を脱臼する事故がありながら、TBSが事故を公表せず、警察当局にも通報していなかったことが2日、分かった。TBSは昨年も同内容の番組収録中、感電事故を起こしながら警察へ通報していなかったことが明らかになっており、安全管理と情報開示の不備が改めて問われそうだ。

 関係者によると、事故は3月3日、横浜市青葉区のスタジオで発生。ワイヤにつるされた滑車付きのロープにしがみつき、水中の浮島に飛び移る競技中、小杉さんは着地に失敗して左肩を強打し脱臼した。

 事故発生後の3日午後2時すぎ、TBS側から「けが人がいる」との通報があり、スタジオを管内とする青葉消防署が小杉さんを病院に救急搬送したという。

 番組収録は小杉さんの脱臼事故発生後、一時中断したが、その後再開。再開にあたっては、ほかの番組参加者らへの説明などはなかったという。再開後の収録は深夜にまで及んだ。

 TBS系の同内容の番組をめぐっては平成18年8月、女性が体力を競う「KUNOICHI」の収録中、感電事故が起きていたことが判明している。この際にも警察当局などに通報していなかった。感電事故を起こした番組と今回の脱臼事故を起こした番組は、同じ番組制作会社が担当していた。

 小杉さんは平成10年、吉田敬さん(33)とブラックマヨネーズを結成。17年には若手漫才師が芸を競う「M-1グランプリ」で優勝するなど、本格派お笑いコンビとして人気を得ている。

 TBS広報部の話「吉本興業と小杉さんにはすでに謝罪しており解決済み。けがは通常起こりうる範疇(はんちゅう)のもの」

ZAKZAK 2007/04/02


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http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/952741.html
【TBS】「新SASUKE」で5人重軽傷→警察に届けず公表もせず「隠蔽」
★「新SASUKE」収録で5人重軽傷
2007年4月6日、スポニチ

TBSの人気番組「新SASUKE2007」の収録で3月、一般の男性出演者ら計5人が骨折などの重軽傷を負っていたにもかかわらず、同社はその際に警察に届けず、公表もしていなかったことが6日、分かった。

TBSによると、番組は一般の参加者やタレントら男性が複数の競技で運動能力を競う内容。3月3日午後2時すぎ、横浜市青葉区のスタジオで本番収録中、30代男性が水上の島に飛び移る競技「ロープグライダー」で着地に失敗し右足を負傷。救急車で病院に運ばれ、6カ月の複雑骨折と分かった。

このほか、同じ競技でお笑いコンビ「ブラックマヨネーズ」の小杉竜一(33)ら2人が脱臼、2人がねんざしていた。収録は一時中断後に続行、番組は21日に放送された。

TBSは「担当者が詳細を把握しておらず、4月2日に詳しい経緯が判明した」として、3日に事故を神奈川県警青葉署に届けた。同社広報部は「今回、事前にスタッフが安全を確認していた。収録時には安全管理責任者を必ず置くように指導している。原因は調査中」と話している。TBSでは、2002年にも類似の番組「筋肉番付」の収録で、参加した男性3人が頸椎損傷や頸椎ねんざの重軽傷を負う事故があり、番組が打ち切りになっている。


TBS怪我






http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3657.html
遼くんギャラリーなぎ倒したTBSカートは2日目にもイエローカード
2009.11.30 14:42

 男子ゴルフの石川遼(18)が出場した「カシオワールドオープン」(Kochi黒潮CC)最終日の29日、石川を取材する中継局のTBSスタッフが運転するカートが暴走し、ギャラリー4人に重軽傷を負わせた事故で、同じカートが2日目にも大会運営スタッフから、強引な運転を注意されていたことがわかった。

 2番パー3のコースで起きた惨劇。女性の悲鳴が相次いだ後、聞こえてきたのは、大会運営スタッフの「このカート、ずっとマークしていたんだ!!」という怒声だった。

 カートを運転していたのは、大会を中継するTBSが委託する制作会社の男性カメラマン。石川ら最終組の第1打を打ち終わった後、コース脇の急な下り坂のカート道を走行中に突如向きを変え、ギャラリーの中に突っ込んだ。10メートル以上引きずられた高知市の30代の女性は左顔半分の擦過傷がひどく、担架に乗せられ救急車で高知市内の病院へ。左眼窩底骨折が判明した。ほかに3人が軽傷を負った。高知県警安芸署は、業務上過失致傷の疑いで、カートに乗っていた2人や関係者から任意で事情を聴いた。

 このカメラマンはカートの強引な運転など大会運営を妨げるとして、大会第2日(27日)にも注意され、“イエローカード”を出されていたという。

 石川もテレビクルーについて「初日から気になっていた。(配慮を欠く動きで他の)グリーン上のプロから怒られたり…」と不安を覚えていた。2番ホールの事故には「あんな光景初めて見た。寒気がした。さすがに動揺した…」と青ざめていた。

 試合後、謝罪会見を開いたTBSスポーツ局の岡田浩一プロデューサーは「スタッフには無理な運転をしないよう注意していた。カメラマンはハンドル操作を誤ったと言っている」と頭を下げたが、起きるべくして起きた事故ともいえそうだ。


暴走カート





TBSはもう、放送免許を返上して、自主廃業しろ!

いったい、どれだけ多くの人々に危害を加え、迷惑をかけていると思っているんだ?!



本来なら1989年にTBSが坂本弁護士一家を殺した時点で、総務省はTBSから放送免許を剥奪しなければならなかった。

その後も、TBSは頻繁に不祥事を繰り返し、番組内容も捏造や偽造ややらせなどのオンパレードなのだから、総務省は何度もTBSから放送免許を剥奪するチャンスがあった。

にもかかわらず、総務省は嘘吐き殺人テレビ局のTBSから未だに放送免許を剥奪していない。

総務省の不作為は万死に値する。



坂本弁護士一家殺害事件




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