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岡田克也の妄言と奴隷根性・韓国の修正に「外相抗議せず」北にも“おわび・韓国政府の意図的「返還」修正は日韓基本条約関連協定に違反・韓国併合談話「過ちに素直に謝罪は当然」・日韓併合に過ちなど何も無い・勉強もせず妄想語る岡田外相
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岡田克也外相
史上最低の岡田克也外相

韓国の条約違反の「返還」修正に「外相抗議せず」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100813-00000604-san-pol

菅談話「露呈する悪循環」、韓国の修正に「外相抗議せず」北にも“おわび
8月13日23時4分配信 産経新聞

 岡田克也外相は13日の記者会見で、日韓併合100年にあわせた菅直人首相の談話の中で朝鮮半島由来の文化財を「お渡しする」とした表現を、韓国政府が意図的に「返還」に修正していたことについて、「韓国政府内の対応なので、コメントしない」と述べ、抗議しない考えを表明した。一方で、菅談話の趣旨が北朝鮮にも及ぶと語り、北朝鮮に補償要求の言質を与えるなど、懸念されていた「謝罪外交の悪循環」が早くも露呈した。

 昭和40(1965)年の日韓国交正常化に伴い、文化財を含めた韓国の請求権は消滅しており、「持ち主に返す」という意味の「返還」はあり得ない。だが、韓国外交通商省の報道官は「不法に搬出された文化財が元の場所に戻ってくる場合、『返還』が自然な表現」と修正を正当化した。

 菅内閣は談話発表にあたり、賛否が分かれていた民主党内では十分な議論をせず閣議決定し、韓国側の要望は最大限尊重した。そこまで神経を使った「お渡し」という表現で、日本側が尽くしたという「誠意」は、韓国側にあっさりと踏みにじられた。

 岡田氏は、菅談話の趣旨が「朝鮮半島にも及ぶ」とも語った。その対北朝鮮外交では苦い経験がある。

 平成2年9月に訪朝した自民党の金丸信元副総理と社会党の田辺誠副委員長(いずれも当時)は、朝鮮労働党との間で戦前の植民地支配と戦後45年間の「損失」について謝罪と補償を認める共同宣言に署名した。北朝鮮は宣言を根拠に補償を強く求めるようになり、日朝交渉の障害の一つになった。

 岡田発言は、この「失敗」の二の舞いになりかねず、相手への「過剰な配慮」による「安易な言葉」が、再び日本外交の停滞を招きそうだ。



>岡田克也外相は13日の記者会見で、日韓併合100年にあわせた菅直人首相の談話の中で朝鮮半島由来の文化財を「お渡しする」とした表現を、韓国政府が意図的に「返還」に修正していたことについて、「韓国政府内の対応なので、コメントしない」と述べ、抗議しない考えを表明した。


韓国政府がやっていることは、財産・請求権を相互放棄した1965年締結の日韓基本条約関連協定に違反しているのだから、「韓国政府内の対応なので、コメントしない」では済まされない。

岡田克也がやっていることは単に相手の言いなり(奴隷)になっているだけで、外交でも何でもない。

靖国参拝に関する小泉総理との党首討論で「中国、韓国の許しを得たんですか? 得てないでしょ?」と奴隷根性丸出しの妄言を吐いた岡田らしい対応だ。


岡田克也代表は小泉総理に「中国、韓国の許しを得たんですか? 得てないでしょ?」と発言した





韓国併合談話「過ちに素直に謝罪は当然」 岡田外相
http://www.asahi.com/politics/update/0813/TKY201008130338.html
韓国併合談話「過ちに素直に謝罪は当然」 岡田外相
2010年8月13日23時7分、朝日新聞

 岡田克也外相は13日の記者会見で、韓国併合100年をめぐる首相談話について、「日本政府として何も言わないことは、あり得ない選択だ。過ったときに素直に謝罪することは当然だ」と述べた。また「自分の国に誇りがあるなら、自分の国を他国に置き換えたときどうなのか、そのぐらいの想像力はもつべきだ」とも強調した。

 宮内庁が保管する古文書「朝鮮王室儀軌」などの引き渡しについて「おそらく条約という形になる」と説明。国会審議については「なるべく全会一致となることが望ましい。丁寧に進めていく必要がある」と述べた。




>岡田克也外相は13日の記者会見で、韓国併合100年をめぐる首相談話について、「日本政府として何も言わないことは、あり得ない選択だ。過ったときに素直に謝罪することは当然だ」と述べた。


百歩譲って、過ったときには素直に謝罪するとしても、日本は何も過ったことはしていない。

過ったことをして謝罪すべきは、マニフェストを殆ど実行できないお前ら民主党政権と、竹島を盗んでいる韓国の方だ。

岡田克也は、マニフェスト違反で国民に謝罪し、竹島のことで韓国に「謝罪しろ」と言え!



日韓併合は双方の合意の上で条約を締結して成立した。

日韓併合論というのは、ずっと以前から日韓双方で議論されていたことだった。

日本側にも賛成派と反対派がいたし、同じように韓国側にも賛成派と反対派がいた。

日本側においては、陸奥宗光、曾禰荒助、竹越興三郎などは明確に反対していたし、伊藤博文もかなり消極的だったことは有名だし、井上馨や原敬も伊藤と同じだったようだ。

一方、長州閥の桂太郎、山縣有朋、寺内正毅などは、併合推進派だった。

対する韓国側においても、賛成派と反対派は割れていた。

李容九や宋秉女Zなどが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」が強く併合を推進したし、総理大臣の李完用を始めとする閣僚の約半数が「推進~容認」派だった。

一方、それまで朝鮮民衆に塗炭の苦しみを与え、私利私欲を貪っていた皇帝高宗や両班や儒者たちは反対していた。

1909年に日本で併合が閣議決定したものの、併合の時期について、曾禰荒助は「就任時伊藤、桂と三者会談にて、5、6年様子を見て」と合意していた。

ところが、その1年以内に韓国側のほうで大きな変化があった。


本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。
2001.08.27 中央日報



また、一進会は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。

「韓日合邦を要求する声明書」

 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。 
 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
 それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。

1909年 12月4日  一進会(百万の朝鮮人会員)




しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。

それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。

ただし、明治天皇の意向もあり、曾禰荒助の更迭はならず、従って併合の正式決定はならなかった。

その間韓国では次第に併合に賛成する者が増え、西北学会も賛成に転じ、大韓協会も賛成派と反対派に分裂する事となった。

1910年3月末に至るも曾禰に辞職の意思無く、このまま放置もままならないので、遂に寺内を後任に内定し、寺内を病気見舞いに行かせ、因果を含め辞表を出させることになった。

曾禰が辞表を出したのは5月30日で、直ちに後任には寺内が任命された。

寺内は、日本国内での意見調整、列強各国に併合についての合意を取り、7月15日ようやく東京を発ち、7月23日ソウル入りした。

ソウルに入ったものの寺内は黙ったまま何ら方針を示さず、半月余りたった。

8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。

ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。

この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。

これにより1910年8月22日の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。

日本が謝罪するような過ったことは何一つしていない。


 1894年7月29日、韓国駐在シル米代表は次のように書いている。

 ・・・日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民の平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識階層である官僚の多くが歓迎している。米にも異論はないと思われる。

(中略)

 日露戦後、米は「事実の論理」(ロジック・オブ・イベンツ)を認め、韓国から代表を引き揚げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルトに訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否。
「その後の3年間の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称讃をかち得るような改善が数多く実現した」と書いた米の歴史家もいる。


 1917年、ランシング米国務長官と日本の石井菊次郎元外相の間で交わされた協定で、米は特に韓国と中国に於ける日本の特権を認めた。
ランシング長官は次のように確認している。

 合衆国政府と日本は、領土的近接が国家間に特別な関係を構成することを認める。したがって、合衆国政府は日本が中国に、特に日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。

 こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。

もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。
日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。

国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。
しかも、その原則は日本がつくった ものではない。
欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。

第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それにうながされて行動したのだ。
日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくのである。

1907年、韓国皇帝はハーグの第2回万国平和会議(当時の平和愛好国の会議)に抗議しようとしたが、皇帝の特使は発言の機会を与えられなかった。
そして皇帝は退位に追い込まれた。

 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。
パールハーバー以前は、日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。
トリート教授によれば、日本は「・・・一つひとつの手続きを外交的に『正しく』積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。


P256-258
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著







>また「自分の国に誇りがあるなら、自分の国を他国に置き換えたときどうなのか、そのぐらいの想像力はもつべきだ」とも強調した。


日清戦争後の下関条約で、日本が清国から独立させてやるまで、朝鮮は1200年間以上も支那の属藩だったのだから、自分の国に誇りなどあったわけがない。

迎恩門 清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門 ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えた

明の朝貢属国
大清国属
土下座碑
迎恩門→独立門
下関条約
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/dependency.html
その他写真
http://photo.jijisama.org/


外務大臣なら、そのぐらいの想像力はもつべきだ。

岡田は無知で想像力もなく、朝鮮人とそっくりだ。


【コラム】民族と親日
(一部抜粋)
日帝が朝鮮を併合した際、朝鮮にはこの併合を恥じる主体の民族意識がなかった。民族は民族意識と同じだ。したがって朝鮮には「民族」がなかった。
姜偉錫(月刊エマージ編集人)
2002.03.07 中央日報


岡田克也
2010年7月、岡田は「…国を奪われ、民族の自尊心を傷つけられた人々の心情をよく理解する」と妄言


日韓併合前の朝鮮が地獄だったことは、少し勉強すれば簡単に分かることだ。


【真実】


●日韓併合前

併合前の朝鮮は地獄だった日韓併合前の朝鮮人の豚犬的生活
併合前のソウル

併合前の朝鮮は地獄だったといってよい。
玄永燮


「最近朝鮮事情」明治39年(1906年) 清水書店より
(本書は衆議院議員で中国新聞社主筆でもあった荒川五郎の朝鮮視察記)

五、六人以上朝鮮人がいるうちには必ず一、二人は痘痕(あばた=天然痘が治った後、顔などに残る窪みのこと)の者がある
これは衛生の思想の無い明らかな証拠で、天然痘が流行しても種痘をしてこれを予防するなどの考えも無ければ、またその道も開けていない
だから今どき日本の内地には痘痕面(あばたづら)の人はメッタに見られないけれども、朝鮮では至る所にこれを見ることができる
しかし今では種痘も漸次広まりつつあるそうである。
朝鮮は概して飲料水がよくない上に、朝鮮人の無頓着なることは、雨が降って河川が赤濁っておっても、これを濾(こ)して用いるなどの考えは、更に無い
そこで赤痢じゃの、腸チフスなどの病気がとかく発生しやすい。
(中略)
朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ
てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む
実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。
といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る
その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。
さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る
また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる
いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている
なんと驚かしいことではないか。
塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い。


両班たちが国を潰した。
賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
『血の涙』李人稙(1862-1916)


朝鮮の両斑は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。
大両斑は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまでムチ打たれる。
両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者はだれもいない。
なぜなら両斑たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
『朝鮮事情』マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教


李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト



(上)日本統治前、(下)日本統治中
(上)日本統治前、(下)日本統治中(ソウル 南大門)


●日本の統監統治時代(保護国時代:1905年~1910年)

李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。

朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。


韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。
高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

宣教師 ラッド博士





●日本統治時代(日韓併合時代:1910年~1945年)

階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

併合後のソウル
併合後のソウル




●現在

凍土の狂気が続く金正日強制収容所
「ネズミを焼いて食べ、シラミのわいた毛布で寝る、死ぬよりつらい」 
<木から線路に落ちた栗を拾おうとトロッコを止めた運転手(収容者)を、警備員が射殺した。撃たれた運転手は死んでもまだ栗をしっかり握りしめていました。ある時、男の収容者が空腹に耐えかね、雄牛のテール(尻尾)でつくった鞭を口に入れたら、たまたま警備員に見つかった。彼は叩かれたうえに、便所の腸内寄生虫を食べさせられ、2日後に息を引き取った。悲惨な話は山ほどあります。牛の糞の中に潰れていない豆があると、みんな我先に奪い合います。死人が出ると着ていた服を取り合い、生きている者が着る。人間の住むところではなかった>
(脱北者)






>宮内庁が保管する古文書「朝鮮王室儀軌」などの引き渡しについて「おそらく条約という形になる」と説明。国会審議については「なるべく全会一致となることが望ましい。


自民党など野党は反対に回らなければならない。




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