FC2ブログ
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
201007<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201009


8月6日広島で核武装誓う・予想以上のことを体験した数々の出来事・平和記念式典、本照寺、原爆ドーム、原爆慰霊碑のマジキチ碑文とパール博士・広島平和記念資料館(広島原爆資料館)・マジキチ反戦反核デモ行進・【8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!】
↓忘れずに、最初にクリックお願いします。↓

人気ブログランキングへ




8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!


8月6日、広島市で1日を過ごした。

まず、朝は早起きし、7時半頃平和記念公園に到着した。


8時ちょうどから始まった平和記念式典には毎年出席する日本の総理大臣の他、米代表が初参列したり、潘基文が国連事務総長として初めて出席したりして話題となっていた。

私が平和記念式典の中で特に強い印象(違和感)を受けたのは、広島市長の秋葉忠利の「平和宣言」と、こども代表の「平和への誓い」だった。

広島市長の秋葉忠利は「平和宣言」で、【非核3原則の法制化】と【核の傘からの離脱】を日本政府に強く要求すると宣言していた。

調子に乗るな!

非核3原則なんて日本国民にとっては、強い武器を持つことを妨害し安全保障を脅かすための足かせでしかない。

秋葉忠利は、その日本の足かせを法制化してより強固なものしようというのだから、正気の沙汰とは思えない。

また、秋葉は「核の傘からの離脱」というが、普通「アメリカの核の傘から離脱する」といえば「日本が自主核武装する」ことだと思う。

しかし、秋葉の場合には、【非核3原則の法制化】と【核の傘からの離脱】を同時に強く要求しているのだから、日本国民の生命財産を危険に晒す無責任極まりない要求だ。

それと、こども代表の「平和への誓い」だが、小学6年生の男女2人による劇団風のお芝居には違和感を禁じえなかった。

あれはどう見ても演出家がついて長期間にわたって猛練習させたことは明らかだったし、「争いが絶えないから笑顔になれない」、「この地球を笑顔でいっぱいにするためにヒロシマの願いを世界へ未来へ伝えていくことを誓います」という誓いの内容も子供離れしていた。

私には反日左翼が子供を悪用しているようにしか思えなかった。


「平和の誓い」
(最後の方だけ少し抜粋)

どうしたら争いがなくなるのでしょうか。どうしたらみんなが笑顔になれるでしょうか。
ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。
悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。

次は、ぼくたちの番です。
この地球を笑顔でいっぱいにするために、
ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、
伝えていくことを誓います。

平成22年(2010年)こども代表

広島市立袋町小学校6年  高松樹南
広島市立古田台小学校6年 横林和宏



韓国人国連事務総長の潘基文の話は、やたら長かった。

一方、米国のルース駐日大使は、参列しただけで、挨拶も献花も何もしなかった。


平和記念式典



約1時間の平和記念式典が終了後、私は、先日コメント欄で「おっさん」さんに教えて頂いたパール博士の碑文が入った石碑が存在する本照寺を訪れてみた。

1952年にパール博士が広島を訪問した際に、パール博士から原爆被災者に相応しいお言葉を頂き石碑にした。


激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む

1952年11月5日  ラダ・ビノード・パール




本照寺の次に私は、世界遺産「原爆ドーム」に行った。

テレビか何かの収録のために山本晋也監督が訪れていた。


原爆ドーム



その後私は、再び平和記念公園に入ったら、「原爆の子の像」(サダコの鶴)があり、そこでTBSが何かやっていた。

サダコの鶴TBS


その100mくらい奥の方では朝鮮人たちが沢山集まって何かやっていたので行ってみると、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前で朝鮮の民族衣装を着た朝鮮人たちが何かやっていた。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑

私は「チェッ、いつ作ったのか知らないが、『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』なんてあるのか…ところで、こいつら何をしているんだ?」と思いながら見つつ写真を撮ったら、SP風の男が私に近付いて来て「ご遠慮下さい!」と言ってきた。

私は「チェッ、朝鮮人どもが写真を撮られるとマズイことをしているのか…」と思って気分が悪くなったが、時間の無駄なのでその場を去り、「原爆慰霊碑」に向かった。


原爆慰霊碑

この原爆慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というマジキチ碑文が刻まれている。

原爆慰霊碑


この原爆慰霊碑に立ち寄った皆はその「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というマジキチ碑文に向かって手を合わせてお祈りをしているが、私はその碑文が読めるその位置でのお祈りは拒否させて頂いた。

このマジキチ碑文に関しては、1952年にパール博士が来日されたときの挿話があるので以下に掲載する。


原爆慰霊碑と博士の追悼詩

 (1952年)11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。

 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」


 このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。

 このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。

(略)


子孫のため、歴史を明確に正せ

1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。

(略)

「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。

 わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。

『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著



上記のとおり、パール博士は原爆慰霊碑のマジキチ碑文慨嘆された。

その後、パール博士から原爆被災者に相応しいお言葉を頂き石碑にしたのが、上述した本照寺の石碑ということだ。


パール博士がその翌日11月6日、広島高裁における歓迎レセプションで訴えたとおり、誤った歴史は書き換えなければならない。


したがって、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というマジキチ碑文が刻まれている広島原爆慰霊碑は出来るだけ早く撤去しなければならない。



次に、私は、「広島平和記念資料館」(広島原爆資料館)を訪れた。

訪れてみて初めて知ったが、入館料は大人50円だった。

タダ同然で多くの人に入館して見学してもらおうということなのだろうか。

私が広島平和記念資料館に入って間もなく気に障ったことは、大東亜戦争の経緯を紹介しているコーナーで、「南京大虐殺」や「朝鮮人中国人強制連行」に関してパネルで説明されていたこと。

もう、「アホ!」としか言い様がない!

原爆投下は歴史の事実だが、南京大虐殺はフィクションのプロパガンダだ。

せっかくの原爆に関する貴重な資料館なのに、そこで嘘っぱちのでっち上げである南京虐殺を事実であるかのように説明したら、原爆に関する貴重な多くの資料まで値打ちが下がってしまう。

広島平和記念資料館は、猛省し、改めなければならない。


―――――――
●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿 ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.政府の認識 ×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)


●原爆投下
1.犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料 ○あり
3.政府の認識 ○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)
―――――――


「広島平和記念資料館」(広島原爆資料館)


それでも私は気を取り直して原爆被害などの資料を比較的時間をかけて見学した。

「広島平和記念資料館」(広島原爆資料館)を見学し終えた時の私の感想は、「今後また被爆しないために、日本は核武装を急がなければならない!」だった。

これこそがこの資料館を見終えた者の正常な感覚だ。

2007年8月6日付ブログ記事で紹介したエピソードが面白いので再掲する。

被爆者を水戸黄門の印篭にした日本の非核・反核運動の神通力の崩壊。このことを考えるとき、いつも私はあるTV番組を思いだす。1998年。インド・パキスタンの核開発動向が世界を揺るがしていたときの画像。NHKのニュースだったか特番だったか私にとって印象的なシーンが放映された。

反核を訴える日本の大学生がパキスタンとインドで廣島-長崎の被爆写真展を開催し、インドとパキスタンの市民に直接反核を呼びかけた活動の紹介。私はその時のパキスタン人の男性のコメントが今でも忘れられない。

悲惨ですね。
この(被爆して背中一面に火傷を負った)男の子はどうなったのでしょうか。
この、死んだわが子を抱きかかえた婦人はどんな気持ちだったでしょう。
私は核武装には今まで賛成ではなかったのですが、この写真展に来て気持ちが変わりました。私は自分の家族をこんな目にあわせたくはない。ですからパキスタンは核を持つべきだと思います。第二次世界大戦の時に日本も核兵器を持っていたら、こんな悲惨な目にはあわなかったでしょうからね。今日はどうもありがとう
、と。

このコメントを聞いていた東京から来たボランティアの女子大生は、自分の主張や世界観が世界のそれとあまりにも隔たっている現実を突きつけられ泣くこともできず、しばし呆然と立ち尽くしていた。

でもね、先進国の都会から来た大学生のお嬢さん、このパキスタンの方の感想が世界の常識というものだよ。蓋し、核兵器に善悪を問うのは間違いなのである。少なくとも、日本の反核論者の「核兵器=悪」の価値判断は普遍的ではない。




私が「広島平和記念資料館」の見学を終えたのは、午後2時半頃だった。

すぐに昼食を食べ、広島市の中心部を散策したが、田母神講演会までは時間が余ったので、アーケード街にあるインターネットカフェに入って時間つぶしをしようと思った、その時だった!


鐘や太鼓や奇声などが異様なほど喧しいデモ行進が近付いて来たのだ!

物凄い人数の機動隊が、そのデモ行進を取り囲んでいる。

どうやら反戦反核団体のデモ行進だ。

反戦平和を訴えるはずのデモ隊だが、なぜか機動隊と頻繁に小競り合いを繰り返し、酷い時には取っ組みあっている。(爆笑)

横断幕で田母神講演会を非難し、シュプレヒコールや音頭で「田母神帰れ!」「田母神帰れ♪」と、田母神氏を罵倒していた。

それにしても、デモ隊に対する機動隊の警備ぶりは異常なほどだった。

よほどの過激派(活動家)が参加していた反戦反核デモ行進だったのだろう。

とにかく鐘太鼓や掛け声や音頭の音量やリズムが異常であり、それには地元広島の商店街に居合わせた人々も恐れおののいていた。


8.6反戦反核平和団体デモ行進「田母神帰れ」



ネットカフェで時間をつぶした後、【8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!】が開催されるリーガロイヤルホテル広島へと向かった。

会場となったリーガロイヤルホテル広島のロイヤルホールは、かなり広いホールだったが、たちまち満席となり、多くの人が立ち見となった。

高田純・札幌医科大学教授から「支那が行った核実験でシルクロードがいかに汚染されているか」の緊急提言を頂いた後、田母神俊雄・第29代航空幕僚長からは「日本の平和とをいかに守っていくか」「国力と国益をいかに守っていくか」の講演を聴いた。

勿論、結論は「日本は核武装が必要だ」だ。

私は、既に東京や横浜などで田母神俊雄・第29代航空幕僚長の講演を3回くらい聴いたことがあるが、今回も新しい話題や情報があり、非常に充実した講演会だった。

8.6田母神講演会 ヒロシマの平和を疑う!


2時間以上の講演会だったが、あっという間に終わった感じだった。

広島の被爆者や2世3世たちが中心となって設立した「平和と安全を求める被爆者たちの会」が企画・協力した田母神講演会は大成功だった。


2010年8月6日に私が広島で体験した出来事は、日本の核武装の必要性を改めて認識させてくれた貴重な財産となった。

私は、広島や長崎こそが、日本の核武装実現の中心となるべき地だとも思った。

今日は、これから江田島(江田島海上自衛隊・旧海軍兵学校など)と呉市(大和ミュージアム・呉市海事歴史科学館など)を観光する。





「日本は絶対今後また被爆してはならない!」

と思う人は、↓クリックお願いします。↓

人気ブログランキングへ



  ∧_∧
 ( ・∀・) よろしく
 ( ∪ ∪
 と__)__)

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

copyright © 2021 Powered By FC2ブログ allrights reserved.