昨日12月23日は、「天長節」(天皇誕生日)であり、各地でお祝い行事が行われた。
天皇陛下の御誕生日を心よりお祝い申し上げます。
一方、12月23日は、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)において1948年、「いわゆるA級戦犯」7人の処刑が行われた日でもある。
アメリカをはじめとする戦勝国は、見せしめと、当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の誕生日にケチをつけるためにわざわざ12月23日を選んで処刑を決行した(ちなみに起訴は昭和天皇の誕生日だった)。
巣鴨拘置所には終戦後、延べ約4,000人の「戦犯」が収監された。
「戦犯」のうち、所謂「A級戦犯」は、「占領軍によって法律にはなかった罪を問われて有罪にされてしまった無実の人々」だ。
A級戦犯はそれまで法律になかったのに占領軍が戦後つくった(でっち上げた)「平和に対する罪」で有罪とされ、B級戦犯は以前から有った「通例の戦争犯罪」で有罪とされ、C級戦犯は占領軍が戦後つくった(でっち上げた)「人道に対する罪」で有罪とされた。
したがって、「A級戦犯」と「C級戦犯」に関しては、全員が100%無罪だった。
「A級戦犯」は約200名いたが、28名が1946年の昭和天皇の御誕生日に起訴され、うち7人が1948年当時の皇太子殿下の御誕生日に死刑に処された。
「B級戦犯」と「C級戦犯」は巣鴨のほか横浜、上海、シンガポール、マニラ等々各地で合計約5,600人逮捕投獄されたが、うち約1,000人が死刑に処された。
巣鴨拘置所では60人の「戦犯」の死刑が執行されたが、そのうち実際には完全に無罪だった所謂「A級戦犯」の7人は1948年12月23日に執行された。
巣鴨拘置所の跡地内には、現在「池袋サンシャイン60」が建っている。
「サンシャインシティー」の横にある小さな公園(東池袋中央公園)の片隅に石碑(平和の碑)があるが、ここが処刑場だったところだ。
石碑には『永久平和を願って』と書いているだけなので、普通の人は何のことか全く分からない。
石碑の裏に刑執行のことが小さく書いてあるそうだが、普通は誰も見ない。
当初、石碑に書かれた語句は、『戦争裁判の遺跡』とされていたが、反日左翼連中が「戦争美化だ」「戦犯の顕彰につながる」とわめき訴訟を起こしたために『永久平和を願って』という意味不明の語句に変更されたという。
昨日12月23日、ここで、不法極まる東京裁判において絞首刑となられた東條英機大将等七烈士と大東亜戦争で不当に処刑せられた殉国烈士の霊を慰める追悼式が挙行された。
私は以前、2回ほどここに来たことがあるが、12月23日の追悼式に参列するのは初めてだった。
追悼式は午後2時からだったが、私は午後1時50分に到着。
既に多くの人々が集まっていた。
追悼式が始まる前に個人的に石碑の前で手を合わせ祈った。
普段は誰も気がつかないような小さな公園の片隅にある石碑だが、12月23日には追悼式の前から多くのお供え物が置かれ線香が焚かれていた。
普段の「平和の碑」
2009年12月23日14時、追悼式前の「平和の碑」
14時になり、追悼式が始まった。
「君が代」を斉唱し、皇居に向かって黙祷
「青年日本の歌」を斉唱し、東條英機大将等七烈士と大東亜戦争で不当に処刑せられた殉国烈士を追悼する黙祷
参列者たちにあいさつしている東條英機大将の孫の東條由布子氏
東条英機の遺言
―――――
開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。
天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。
東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。
日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。
戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
―――――
以上が昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において、教誨師の花山信勝師の前で東条英機が朗読した遺言の摘要である。
『秘録 東京裁判』清瀬一郎著(中央公論新社)より抜粋
●関連記事
東条英機の遺言(全文)
昭和23年12月22日夜、死刑執行(12月23日零時)数時間前
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/10164261.html
私は《巣鴨刑務所処刑跡追悼式》の後、渋谷に移動し、【外国人地方参政権 絶対阻止!街頭宣伝活動 】と【NHK「JAPANデビュー」に抗議する街頭宣伝活動】に参加した。
渋谷のハチ公前での街宣
【東京都渋谷区】外国人地方参政権 絶対阻止!街頭宣伝活動
【東京都渋谷区】外国人地方参政権 絶対阻止!街頭宣伝活動
【東京都渋谷区】外国人地方参政権 絶対阻止!街頭宣伝活動
午後3時半頃、ハチ公前から「NHKスタジオパーク」の出入り口付近に移動して街宣
NHK「JAPANデビュー」に抗議する街頭宣伝活動
NHK「JAPANデビュー」に抗議する街頭宣伝活動
NHK「JAPANデビュー」に抗議する街頭宣伝活動
終了は、午後5時頃だった。
NHKに対する抗議活動は、12月31日にもあるそうだ!
↓応援クリック↓よろしくお願いします。
∧_∧
( ・∀・) よろしく
( ∪ ∪
と__)__)