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(韓国語)
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■『日本の韓国統治に関する細密な報告書』 ~ 容認しがたい挑発的主張を記載
(訳注:原著はアレン・アイルランド(Alleyne Ireland)の "The New Korea"(1926))
毎日経済(韓国語)
普通の韓国人が読んだら同意したくない内容が多い本だ。しかし1900年前後における極東の植民地統治を研究したアメリカの行政学者が、実証資料を土台に見た日本の植民地政策は、それなりの意味を持っている。
この本は第一章から、韓国人にとって決して同意できない挑発的な主張を展開する。「多くの資料を収集して調査した結果、筆者は、従前の王朝時代や同民族から支配を受けたいかなる時代よりも、植民地支配を受けている今の韓国の統治のほうがずっと良いと判断する。」
「どうしたらこんな主張を展開できるのか?」と怒る人は、丹念にこの本を最初から最後まで読むべきだ。こうした本が「彼らが見た私たち」というシリーズの一つとして出版されること自体が、私たちの社会がそれほど自由になった証拠だと言える。
こんな挑発的な主張を展開している本を紹介すべきか否かしばらく悩みもしたが、通念と違う少数意見を聞いてみることも意義があると思った。当時の日本と韓国に滞在した経験を持ち、韓国だけではなくイギリスやポルトガルが主導した植民地統治を見比べた学者なら、広い視点で問題を見ることもできるはずだ、という期待感を持って読めば良い。
著者は、私たちの常識や歴史知識とは違って、1920年前後に「韓国国民の全般的な生活条件が驚くほど改善しており、韓国の繁栄ぶりは注目に値する」という主張を展開している。悪辣な日帝統治について私たちが学んだ歴史的事実から見れば、著者の主張は真実とは隔たりがあることが分かる。 この本は、果たして私たちの学んだ真実がどれほど客観的資料によって裏付けうるかを提示している。今日の我が国社会の基礎となっている行政組職から予算制度に至るまで、日帝がいかに導入していったかが一つ一つ紹介されている。
一つの興味深い事実は、1918年に466校だった韓国の小学校が、1922年になると890校に増え、政府支出も183万5000円から1330万9000円へと8倍にも増えていることだ。1918年を基準に見ると、教育費のうち韓国人の負担は10%で、残りは政府補助金が充当されたという。もちろん、政府補助金がどこからどのようにして捻出されたのかは確かではない。ただ、朝鮮総督府が「少なくとも3ヵ村あたり1つの学校を」という基準で学校増設を推進した点は印象的だ。
こんな断片的な事実だけから、日本の韓国植民地支配が苛酷ではなかったと主張することは誰も出来ない。
しかし、「苛酷な日帝統治」という主張と同時に、このような統計資料にも関心を持つ必要がある。
監獄行政に関する資料も興味を引く。李朝政府の監獄をこう評している。「李朝時代の監獄は、大多数の東洋諸国の監獄と同じく、説明しがたいほど無残だ。衛生設備は不足で、収監者に対する虐待は頻繁だったし、すし詰め状態はほとんど信じられないほどだった。」
これに対して日帝統治開始以後の監獄の状況について著者は、「毎年監獄が増えて条件が改善した結果、少なくとも大型化された監獄は他の国の監獄に匹敵する状態にあり、アメリカ国内の大部分の監獄よりずっと良い状態だった」と指摘する。
著者が、日本の初期統治に対し友好的な見方をする主な原因は何だろうか。李朝末期のような腐敗と無能が持続するかぎり、韓国人か自らの運命を切り拓くことは出来ない、と仮定するからだ。しかし大多数の韓国人は、日本の侵略が無かったならば朝鮮は自らを変革して近代化の道を歩むことができた筈だと信じている。
この点については韓国人であれば誰であれ少数意見を述べるのは困難と思われるが、少数意見があるならおそらく著者の見解と同じになろう。
論争的な主張を記してはいるが、外国人が私たちをどう見ていたのかという観点から、推薦に値する本だ。
―――――
>1918年に466校だった韓国の小学校が、1922年になると890校に増え、政府支出も183万5000円から1330万9000円へと8倍にも増えていることだ。
事実だ!
多くの人は、「じゃあ、1910年8月に日韓併合する前はどうだったのか?」が気になると思う。
日韓併合直前の官立・公立小学校は合わせて100校ほどだった。
しかも、「大韓帝国」が自前でつくった小学校は、1905年に韓国が日本の保護国になった後に日本が先導して設置した公立小学校よりも少なかった。
ところが、韓国の中学用歴史教科書(国定)は、「1905年以後、普成、養正などをはじめ数多くの学校が建てられ、1910年頃には全国の学校数が5000余となった」と大嘘を記述している。
さて、1910年に約100校だった朝鮮の小学校は、日韓併合後、日本からのカネによってどんどん増設された。
1911年度は136校、1912年度107校、1913年度に22校……を増設して、併合直前の100校は1915年には410校と4倍になった。
そして、冒頭の記事で述べられているように、1918年に466校、1922年に890校に増えた。
1943年には、官立・公立の小学校(当時は「国民学校」と称されて6年制)は4271校となった。
就学児童は日本人98,169人、朝鮮人1,940,026人となった。
これだけの数の小学校が殆ど朝鮮総督府時代に建設された。
(以上、主に『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本』中川八洋著を参照)
【朝鮮の小学校】
1910年 100校
1915年 410校
1918年 466校
1922年 890校
1943年 4271校
公立普通学校(朝鮮の小学校)の経費は住民に負担させたが、1942年度、「朝鮮学校費令」に基づく朝鮮人の住民負担は1戸平均、年1円48銭で、在朝鮮日本人の負担は20円30銭という極端な逆差別だったようだ。
>監獄行政に関する資料も興味を引く。李朝政府の監獄をこう評している。「李朝時代の監獄は、大多数の東洋諸国の監獄と同じく、説明しがたいほど無残だ。衛生設備は不足で、収監者に対する虐待は頻繁だったし、すし詰め状態はほとんど信じられないほどだった。」
>これに対して日帝統治開始以後の監獄の状況について著者は、「毎年監獄が増えて条件が改善した結果、少なくとも大型化された監獄は他の国の監獄に匹敵する状態にあり、アメリカ国内の大部分の監獄よりずっと良い状態だった」と指摘する。
事実だ!
朝鮮における拷問や監獄の変遷について紹介しよう。
●李氏朝鮮時代(日韓併合前)
併合前の朝鮮は地獄だったといってよい。
玄永燮
両班たちが国を潰した。
賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
『血の涙』李人稙(1862-1916)
李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して、
「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」
『悲劇の朝鮮』スウェーデン人 アーソン・グレブスト
●日本の保護国(統監統治)時代
李氏朝鮮時代の拷問は酷かったが、1905年に日本の保護国となり、統監統治が始まると朝鮮においても日本と同じようにすぐに拷問は廃止された。
朝鮮での拷問禁止は島村忠次郎(1907年、水原の京畿道地方裁判所の「法務補佐官」)が在職中に伊藤博文統監に申し入れて法令となった。
1908年の法令改正によって拷問した取調官は3年以下の懲役と定められた。
これにより、長年続いていた朝鮮での残虐な拷問は廃止となった。
●日韓併合(日本統治)時代
併合前は「1坪に15~16人」詰め込んでいた監獄だったが、1910年の後半には「1坪当りの収監者数を5人以内」にし、1922年頃には「約2.9人」まで大改善された。
これによって囚人はいつでも横になって寝る事が可能になった。
●現在(おまけ)
凍土の狂気が続く金正日強制収容所
「ネズミを焼いて食べ、シラミのわいた毛布で寝る、死ぬよりつらい」
<木から線路に落ちた栗を拾おうとトロッコを止めた運転手(収容者)を、警備員が射殺した。撃たれた運転手は死んでもまだ栗をしっかり握りしめていました。ある時、男の収容者が空腹に耐えかね、雄牛のテール(尻尾)でつくった鞭を口に入れたら、たまたま警備員に見つかった。彼は叩かれたうえに、便所の腸内寄生虫を食べさせられ、2日後に息を引き取った。悲惨な話は山ほどあります。牛の糞の中に潰れていない豆があると、みんな我先に奪い合います。死人が出ると着ていた服を取り合い、生きている者が着る。人間の住むところではなかった>
(脱北者)
「韓国人は史実を直視しろ!」
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