正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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野中広務が「南京大虐殺を後援会員から聞いた」と講演・南京事件71周年集会・南京を訪れた際に後援会員から「女子供を百数十人殺した」と聞いた・12月13日は南京陥落記念日・南京大虐殺は大嘘(犠牲者数0人)


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野中広務の後援会員が「殺した」と告白

http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121301000404.html

後援会員が「殺した」と告白 南京占領71周年で野中氏
2008/12/13 17:56、共同ニュース

 旧日本軍の中国・南京占領から71年になる13日、市民団体が「南京事件71周年集会」を東京都内で開き、野中広務元自民党幹事長が講演で、1971年に後援会の人たちと南京を訪れた際、日本軍兵士だったという1人が「女子供を百数十人も殺した」と告白したエピソードを紹介した。
 「子どもと教科書全国ネット21」など主催で、約300人が参加した。
 野中氏の講演によると、後援会員は南京を占領した部隊の一員。野中氏らと訪れた城壁の近くで突然倒れ「体がガタガタ震え、地の底に引き込まれる気持ちになった。やってはならない(ことをした)中にいた当時を思い起こし、居たたまれなくなった」と説明。

 この後援会員は「占領した市内の点検を命じられ大きな土塀の家を調べたところ、中は女子供ばかりだった。上官に報告すると、『その中に便衣隊(民間人を装った軍の部隊)がいるんだ。皆やっちまえ』と言われ、目をつぶって、恐らく百数十人を全部殺してしまった」と話したという。
 野中氏は「規模は分からないが、異常で非人間的な事態があったことを、その人を通じ知ることができた」とし「国の将来を思う時、歴史に忠実でなければならない」と訴えた。
―――――





12月13日は、南京陥落71周年の記念日だ。

1937年のこの日、日本軍が蒋介石政府の首都南京を陥落させた。

日本は、南京戦の前にも後にも和平を提案したが、蒋介石は日本が大幅に譲歩した和平条件を蹴って戦争を継続した。

この南京戦で、日本軍による虐殺があったというのが所謂「南京大虐殺」だ。

しかし、この「南京大虐殺」は、【?当時の戦時プロパガンダ、?戦後の東京裁判、?1970年代に始まった朝日新聞のキャンペーン】による虚構だったことが判明している。

●関連記事
高森アイズ-南京大虐殺 へのソボクな 3つの疑問 - はじまりはいつも朝日
いつ誰が創作したのか?
南京大虐殺はウソのバトンリレー(国民党→GHQ→朝日新聞)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/29804223.html






>この後援会員は「占領した市内の点検を命じられ大きな土塀の家を調べたところ、中は女子供ばかりだった。上官に報告すると、『その中に便衣隊(民間人を装った軍の部隊)がいるんだ。皆やっちまえ』と言われ、目をつぶって、恐らく百数十人を全部殺してしまった」と話したという。



これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

案の定、野中は、この後援会員の氏名も所属部隊も述べていない。

匿名証言の証拠力はゼロだ。


●関連記事
南京虐殺は嘘59
ニセ証言者たち(これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/10763888.html
(一部抜粋)

質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか。

回答6:
そのとおりです。

証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。






次に、野中の後援会員のこの証言部分には、すぐに判る嘘が少なくとも2つある。


まず、日本軍が南京を占領する前に、南京に残った約20万人の善良な市民は全て安全区に避難していた。

したがって、この野中の後援会員がいうように、「日本軍が占領した市内の点検をしたら大きな土塀の家の中に女子供ばかり百数十人居た」などということは有り得ない。

●関連記事
南京虐殺は嘘2
人口からの考察2(全員避難)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5514089.html
(一部抜粋)

12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令

南京市長や支那軍司令長官の命令に逆らって一般市民が危険な場所に残っていた筈がない。

(略)
12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。




また、安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われており、野中の後援会員が言ったような話はない。

どうしても本当だと言い張るなら、その後援会員の氏名と所属部隊を明確にするべきだ。

●関連記事
南京虐殺は嘘78
兵民分離(便衣兵摘出)作業に間違いはなかった
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12257289.html
(一部抜粋)

日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。

 また、兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。

 「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」




●まとめ



1937年12月13日以前に南京に残った市民は全員が安全区に避難しており、安全区以外に南京市民は誰一人として居なかった。

安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

安全区に居た15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは、南京に長期間滞在したにもかかわらず、誰も1度も日本軍による南京市民虐殺を目撃しなかった。

現地(南京)に居た日本軍(憲兵隊など)に通報された虐殺事件も全くなかった。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、このことは、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されていた。

日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件の軍法会議にかけられていたが、それでも「虐殺」事件は全くなかった。

日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。

戦後暫くして自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。








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