中山前国交相が政界引退へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081003-00000125-jij-pol
中山前国交相が政界引退へ=問題発言影響か、4日表明
10月3日18時50分配信 時事通信
自民党の中山成彬前国土交通相(65)=衆院宮崎1区選出=は3日、次期衆院選に出馬せず、今期限りで政界を引退する意向を固めた。4日に宮崎市内で記者会見し、正式に表明する。中山氏は先月24日に発足した麻生内閣で国交相に就任。しかし、成田空港反対闘争や日教組などに関する問題発言の責任を取り、在任5日目の同28日に辞任した。引退理由については衆院選への影響を考慮したとの見方や、選挙で勝機を見いだせないためと指摘する声が出ている。
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中山成彬前国交相が政界から引退する。
・゜・(´Д⊂ヽ・゜・
実に残念だ。
自民党宮崎県連は、中山前国交相が辞任した直後から次期衆院選での中山議員の公認取り消しを検討していた。
その選挙区から東国原宮崎県知事の出馬が取りざたされている。
おそらく東国原知事には次期総選挙への出馬の意向があり、自民党宮崎県連などはそれを察知し、中山議員の公認取り消しを決定しつつあるのではないだろうか。
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中山氏公認申請白紙含め協議 きょう自民県連
2008年09月29日、宮崎日々新聞
中山成彬国交相=衆院宮崎1区=の辞任を受け、自民党県連(緒嶋雅晃会長)は中山氏の次期衆院選への公認申請を白紙に戻すことも含め、29日に緊急役員会を開いて候補者選考委員会の選考結果の扱いを協議する。
投票での公認申請決定直後に辞任し、選考委員から「地元の意向をあらためて確認したい」と再投票を求める声が上がっているためだ。
これに対し、中山氏は引き続き公認を得たい意向を示している。
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このように、中山議員は引き続き国会議員として日教組などと戦いたかったのだ。
しかし、自民党宮崎県連(あるいは麻生首相か古賀選対委員長辺り?)が、東国原知事の擁立と中山議員の公認取り消しに動いたのではないだろうか。
東国原知事が自民党から立候補すれば、本人が当選確実な上に自民党全体への宣伝効果が期待できるため、自民党としては万々歳だ。
一方の東国原にしても、そろそろ気楽な永田町の国会議員になって、東京で面白可笑しくヤリタイのだろう。
ただ、東国原も悪くはないが、神発言を連発して日教組に宣戦布告した中山前国交相の代役は務まらないだろう。
返す返すも、我々日本人は、かけがえのない惜しい国会議員を失った。
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ところで、最近、東京新聞が無知丸出しの記事を書いていた。
何と、東京新聞は、天皇陛下の「ゆかり発言」を根拠に、日本は単一民族ではないと述べているのだ。
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2008/10/01, 東京新聞
こちら特報部 『単一民族』発言 繰り返すタカ派(上) “シーラカンス” うっかり本音
(一部抜粋)
現首相の麻生太郎氏も総務相時代の05年10月15日、福岡県太宰府市での式典で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」とスピーチした。
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(一部抜粋)
ところで、天皇陛下は2001年12月の記者会見で「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べられた。この「ゆかり発言」は皇室と朝鮮半島の血縁関係に言及したものとも、日韓交流の古さへの言及とも受け止められた。
それなのに「単一民族だ」と繰り返す保守政治家たちに、「ゆかり発言」との整合性を気にする様子はなく、学者らからは「都合よい部分のつまみ食い」との評も。
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>この「ゆかり発言」は皇室と朝鮮半島の血縁関係に言及したものとも、・・・
(・・。)は??
東京新聞、馬鹿じゃないの!
こんな記事を書いている東京新聞の記者たちのレベルは低過ぎる。
桓武天皇の生母の先祖は百済王だが、その百済王は日本人が朝鮮半島に渡って即位したのだ。
当時朝鮮半島は倭国の勢力圏(倭の一地方)に入っており、日本人が朝鮮半島に渡来して百済王になっていた。
天皇朝鮮人説の嘘の証明
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28650373.html
(一部抜粋)
「大和朝廷=もと朝鮮人」説が大嘘であることの証明
391年、倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった(広開土王碑)
7世紀まで朝鮮は九州などと同様に倭国の一部だった。
百済の文斤王がなくなり、天皇は昆支王の五人の子の中で、二番目の末多王が、幼くとも聡明なので、内裏へ呼んだ。親しく頭を撫でねんごろに戒めて、その国の王とし、武器を与え、筑紫国の兵五百人を遣わして国に送り届けた。これが東城王である。…
『日本書紀』雄略紀
(廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王、以昆支王五子中、第二末多王、幼年聡明、勅喚内裏。親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。仍賜兵器、并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。…)
こうして479年、東城王(末多王)が百済王に即位したが、この即位も倭国(天皇)によって決められたことが判る。
『日本書紀』武烈四年条(502年)には、この東城王(末多王)の暴虐が記され、武寧王即位が記されている。
「是歳、百済の末多王、無道して、百姓に暴虐す。国人、遂に除てて、嶋王を立つ。是を武寧王とす。」
こうして、百済王に「武寧王」が即位したのだが、「武寧王」も九州(佐賀県)生れの倭人だった。
このとき百済王に即位した九州生れの「武寧王」の約2百年後の子孫が和乙継(やまとのおとつぐ)で、その娘が高野新笠で、その子供が桓武天皇(在位781~806年)となったのだ。
663年、倭国は、「白村江の戦い」で、唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島に有していた勢力圏を失ってしまった。
百済王族は日本列島に亡命し、それ以降は大和朝廷の単純な手下となった。
桓武天皇の在位期間(781~806年)、桓武天皇の命令を受けた百済王の子孫たちは、東北地方(陸奥)の征服を何度も試みたが、大惨敗を繰り返した。
つまり、百済というのは昔から倭国の一地方であり、百済王は天皇によって決められ、日本(九州など)生れの東城王(末多王)や武寧王などが即位していた。
日本に戻って来た武寧王の子孫は、全員6~7世紀に来ていた。
武寧王(日本人)の約2百年後の子孫の一人が和乙継で、その娘の高野新笠が桓武天皇の生母だったということ。
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