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台湾船による日本領海侵犯「極めて遺憾」・10隻で尖閣諸島の魚釣島周辺へ事故の抗議か・尖閣諸島は日本国固有の領土・馬英九の「中華民国の領土」は大嘘・支那(中華民国)も日本領と認識し感謝状に明記
「極めて遺憾」 台湾船の領海侵犯


町村氏「極めて遺憾」 台湾船の領海侵犯
6月16日11時54分配信 産経新聞

 町村信孝官房長官は16日午前の記者会見で、台湾の抗議船「全家福6号」と巡視船3隻が同日朝に日本の領海内に侵入し、尖閣諸島・魚釣島周辺を航行したことについて、「再三警告したにもかかわらず、領海侵犯が発生したことは誠に遺憾だ」と述べ、不快感を示した。
 町村氏は「尖閣諸島は、わが国固有の領土だ。今回の事態で地域の平和が乱されてはいけない。冷静に対応することが必要だ」と述べ、台湾側に冷静な対応を求めた。領海侵入の要因となった日本の巡視船と台湾遊漁船の衝突事故については、「(遊漁船が)沈んだのは双方に問題があったという認識だ」と述べた。





この事件に関しては、そもそもの発端である6月10日未明の沈没事故に関して、今でも疑問が残っている。

当初は、「台湾漁船は、日本領海に侵入し、日本の海保の巡視船に追跡されるとジグザグ航行で逃げようとし、巡視船に追い付かれた際に急に右側に方向転換したため、巡視船と衝突した」と報じられた。

それならば、どう見ても非は一方的に台湾漁船にある。

そして、台湾漁船は、海保によって全員救出されたのだから、謝罪し、感謝すべきだった。

それなのに台湾側が日本を非難していたので、私は驚いていた。

ところが、昨晩、第11管区海上保安本部(那覇)が、「巡視船が船名を確認しようと遊漁船に近づいた行為は正当だったが、接近の仕方に過失があった。結果として遊漁船を沈没させ、船長にけがをさせたことは遺憾だ。」と述べて謝罪し、賠償する考えがあることを明らかにしたので驚いた。

昨晩の記者会見の内容は、当初の報道とは違ってきている。

当初の報道どおりなら、海保には全く非がなかったはずだが、当初巡視船は嘘の報告をしていたのか?

海保は、その辺のことをきちんと明確にするべきだ。



ただ、いずれにせよ、馬英九(台湾総統)は12日、「釣魚台(尖閣の支那語名)は中華民国の領土である」と述べたが、これは悪質な大嘘だ。

尖閣諸島は、歴史的にも、国際法上も、日本固有の領土であることが明らかだ。

日本は1895年1月、再三にわたる現地調査のうえ、尖閣諸島がどこの国にも属していないことを確認し、沖縄県に編入した。

尖閣諸島は、日清戦争後の下関条約に基づいて日本が割譲を受けた台湾、澎湖諸島に含まれていない。

サンフランシスコ条約で日本が放棄した領土には含まれず、1972年の沖縄返還まで、米国の施政権下に置かれていたが、支那や台湾がそのことに異議を唱えたことはなかった。

支那や台湾が領有権を主張し始めたのは、石油など海底資源が取りざたされた1970年代以降であり、その主張にマトモな根拠は何にもない。


尖閣諸島が、日本の「沖縄県八重山郡」に在ることを支那(中華民国)政府が記述した1920年の感謝状まである。
●関連記事
尖閣諸島が日本の領土である根拠や証拠・1920年に支那政府は感謝状の中で尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記
(一部抜粋)

下の写真こそ、支那(中華民国)が、尖閣諸島を日本領土であると認めていた証拠だ。






【写真説明】保管されている「感謝状」の写し。中国が尖閣諸島を日本の領土と認知していたことを裏付けている
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/syasin.htm

尖閣は「日本領」中国すでに認識 大正9年 漁民救助の感謝状に明記
1996/09/23, 産経新聞

 日本が実効支配する東シナ海の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権について、中国当局が日本固有の領土であることを公式に認めていたことを裏付ける史料が、沖縄県石垣市役所に保管されていたことが二十二日までに明らかになった。領有権をめぐっては、中国、台湾などから対日批判が高まっているが、この史料が中国や台湾の主張を崩す有力な資料として注目される。

 史料は中華民国九年(一九二〇年、大正九年)五月二十日、中華民国駐長崎領事が中国漁民救助に対する「感謝状」として、当時の沖縄県石垣村(現、石垣市)村民に贈ったもの。 内容は「中華民国八年(大正八年)の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順氏ら三十一人が遭難し、日本の尖閣列島(現、尖閣諸島)にある和洋島(魚釣島のこと)に漂着した。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、皆元気に生還することができた。こうした看護は感謝に堪えず感謝状を贈る」というもの。

 領事氏名の馮冕(ひょう・めん)の下に「華駐長崎領事」の公印と年月日の上に「中華民国駐長崎領事印」とある。

 注目されるのは、この漁船が遭難した当時、中華民国政府の外交当局が、感謝状の中で尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している点。

 この点について沖縄の歴史を研究、編さんしている財団法人「沖縄協会」(本部・東京都千代田区)は、「このころまでに、中国が領有権の主張をした事実がないことはもちろん、むしろ積極的に尖閣諸島を日本領と認めていた何よりの証拠」と説明、第一級の史料価値があるとしている。

 石垣市在住の元同市助役で郷土史家の牧野清氏(八七)によると、感謝状は玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の通訳で女性の松葉ロブナストさんら計四人に贈られた。現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、同氏の長男、冨田孫秀氏が今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。

 同市の話では、中国人らが魚釣島近海で遭難しているのを当時、同島でカツオ漁を営んでいた古賀氏が見つけて救出。八重山島庁(当時)、石垣村役場が総出で救援活動を行った、という。遭難者の中には女性や子供も数人ずつおり、漁業を専業とする海上生活者だったとみられている。

 石垣市では、市史編集室で保管しているが、近く一般に公開する方向で検討している。
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