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チベット「戦場のような風景」あちこちに治安部隊・チベット亡命政府「平和的な抗議デモに当局が多数の武装車両を投入、発砲し死者100人」・20世紀まで一度も支那(漢民族)に支配されていないチベットの歴史


チベットのあちこちに治安部隊

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000110-mai-cn


<チベット>あちこちに治安部隊…商店で略奪や焼き打ちも
3月15日22時8分配信 毎日新聞

 【成都(中国四川省)西岡省二】中国チベット自治区への空の玄関口である成都の空港には15日、区都ラサの暴動から空路逃れてきた外国人らがあふれ、暴動の生々しい様子を証言した。

 「きのう(14日)ホテルにいた時、すごく大きな音を聞いた。現場は見ていないが、自動小銃の音だったと思う。催涙弾も撃たれたようで、外にいた人が苦しそうな顔をしていた」。ラサから仲間と成都に逃れた米国ボランティア団体の女性はこう証言する。

 女性によると大規模暴動が起きた14日、街中に数十台の装甲車が繰り出し、治安部隊がいたるところに配置されていた。あちこちで乗用車が焼かれ、商店では略奪や焼き打ちも見られた。主要道路のいたる場所で燃え続ける乗用車から黒煙が上がり、戦場のような風景だったという。

 また、ラサ中心部にある寺院などは閉鎖され、市民らは外出を禁止されたという。

 15日午前の様子については「前日とは一転して街中は静かだった。あらゆる道路に治安部隊が配置され、厳重に警戒していた」と証言。治安当局は暴動の拡大をひとまず阻止したようだ。
――――――






15日、チベット亡命政府は、武装警察による抗議デモへの発砲で、死者が約100人に達したとする声明を発表した。

抗議行動は、平和的なデモとして始まったが、当局が多数の武装車両を投入、群衆への発砲を始めたとされる。

一部の警察官は僧侶に変装してデモ隊の制圧に当たり、これがデモ隊をさらに挑発する格好となり警察車両の焼き打ちにつながったという。

「暴動」という呼び方には違和感を覚える。






●チベットの歴史


支那によるチベット支配は、人類史上稀に見る悪逆暴虐の侵略だ。

チベットは、20世紀まで一度も、支那(漢民族)に支配されたことはない。

逆に、唐の時代に、唐とチベットの間で戦争があり、唐が負け、長安の都がチベット軍に占領された事があり、その時、支那は講和の条件として文成公主というお姫さまを差し出した(支那はこの時の恨みを晴らしているのかもしれない)。


とにかく、チベットは歴史的には20世紀まで一度たりとも支那(漢民族)に支配されたことがなかった。

チベットは、モンゴル人の元朝と満州人の清朝には支配されたが、それはモンゴル人や満州人が支那やチベットなどを支配したのであって、漢民族がチベットを征服したわけではない。


20世紀になって、ようやく支那(漢民族)は、満州人の清朝からの独立を達成した(辛亥革命)。

その際、満州人の清朝に支配されていたチベットやモンゴルも、支那(漢民族)と同じように、清朝からの独立を宣言した。

ところが、そのとき支那は、満州人の清朝が支配していた外国(チベットやモンゴル)までをも、支那の領土と言い出した。

これは、まさに、泥棒の論理だった。

ペマ・ギャルポさんは「そんな、おかしな主張が通るのなら、ビルマはインドの領有を宣言できる。両国はともに大英帝国の一部であったから」と言っている。

これは、日本のケースに喩えると、日本から独立した台湾が『朝鮮や南洋群島は台湾の領土だ』と言うのと同じことであり、正常な国では思いつかない言い分だ。

支那は、そのメチャクチャな理屈で、満州・内モンゴル・チベット、東トルキスタンを侵略した。

そのような支那の侵略は、支那事変によって中断されたが、戦後、共産支那によって再び本格的に再開された。

そして、支那はチベットを侵略した後、インドにまで行き、印支戦争を引き起こした。

更に共産支那は、ビルマにも入り込み、今もビルマの軍事政権を動かしている。

昨年9月にビルマ(ミャンマー)で起こった僧侶や住民による反政府デモも、支那のやり方(容赦のない武力弾圧)で鎮圧された。

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http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25782658.html








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http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26259774.html

(一部抜粋)


1951年 共産支那の人民解放軍がチベットに侵攻(侵略)、現地民数百万人を大虐殺



30年以上が経ち、1987年9月と10月、さらに1988年3月、ラサでデモが続発した。

これらのデモを弾圧した共産支那は、この後1988年12月に胡錦濤をチベット自治区の書記(総督)に就任させ、胡錦濤はチベット大虐殺を始めた。

1988年12月から4年間で、約20万人のチベット大虐殺を指揮したのは胡錦濤だった。

胡錦濤はこの大虐殺を江沢民(実際は?小平か)に認められて出世し、今日の国家主席の地位に上り詰めた。




胡錦濤はチベット虐殺の張本人だった!







このように、侵略と大虐殺、人権弾圧を繰り返している支那で「平和の祭典」を開催させてはならない。


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チベット暴動で「死者80人」情報も 滞在日本人ら保護


<チベット>暴動で「死者80人」情報も 滞在日本人ら保護

3月15日11時50分配信 毎日新聞

 【北京・大谷麻由美】中国チベット自治区の区都ラサで14日発生したチベット仏教僧らによる大規模な暴動で、国営新華社通信は15日、「10人の死亡が確認された」と報じた。暴動は14日夜に沈静化し、市内は平静を取り戻したという。一方、米政府系の「ラジオ自由アジア」は、ラサ市民の話として死者数は80人以上に達するとの見方を伝えた。地元武装警察は日本人旅行者3人含むラサ滞在中の外国人580人を保護した。日本人を含む外国人に負傷者はいないという。

 同自治区政府のシャンパプンツォク主席は15日、「これはテロだ。われわれは(人に向けて)発砲してない」と語り、武力鎮圧を否定した。新華社によると、当局者は「地元警察は武力を行使しないよう命じられたが、デモ隊を解散させるためにやむを得ず一定量の催涙弾を発射し、威嚇射撃を行った」と述べた。

 ラジオ自由アジアによると、ラサ市内には暴動鎮圧のために数百の装甲車両が出動し、群集に向かって発砲したという。市民の一人は「あちこちで衝突があり、死者数は80人以上に達するのではないか」と証言したが、詳細は不明だ。

 新華社によると、死亡したとされる10人は「いずれも罪のない市民で焼死した」という。ホテル従業員、商店主の各2人が含まれている。犠牲者はチベットで活動する漢族の可能性がある。僧侶については触れていない。

 新華社によると、自治区当局者は動乱について「ダライ・ラマ一派が組織し、念入りに計画、画策したという十分な証拠がある」と指摘し、インドに亡命中の同仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の支持者らが起こしたと断定した。

 中国当局は8月の北京五輪への影響を最小限に抑えるため、早期に事態収拾を目指す構えだ。だが、首謀者を「ダライ・ラマ一派」と指摘したことで、ダライ・ラマ支持者が反発を強めそう。僧侶や市民を一層刺激する可能性もある。


【英仏米の報道】チベットでの抗議デモを、中国政府が武力弾圧








ペマ・ギャルポさんは、「(1951年から始まった)支那の侵略の結果、犠牲になったチベット人は120万人にものぼる。ナチスがユダヤ民族の絶滅を企てたように、中国もまたチベット人をこの世から抹殺しようとしたのである」と言っている。

そして 「彼らは、鉄砲を持って勝手に人の国に入り込んできた厄介者に過ぎない」 とも言っていた。


以下は、ペマ・ギャルポさんの手記『新潮45』平成八年九月号(中国のチベット百二十万人大虐殺)より。

●裕福な人は公衆の面前で処刑された。

【およそ百人の人々が公衆の面前で銃殺されることになった。処刑される事になった人々は、貧民から搾取したとして告発されていた。集会では中国人から金をもらっていた多くの貧しい階級の人々が群集の中に入り、群集に対して「もし、裕福な者の処刑に賛成しないならば、その者も銃殺される」と触れ回った】

中国は、チベット人同士の信頼関係を根底から覆すために、密告制度と人民裁判を導入。
子供たちは、集会の場で、両親の罪を糾弾し、親は子供の罪をあげつらわなければならなかった。

52歳の農民は裕福な男たちが磔にされるのを見るよう、中国人に命じられた。
25人の男たちが磔にされ、その下で火が燃やされた。火は男たちの体に燃え移った。
さらに、彼は、24人の人の目に釘が打ち込まれて殺されるのを目撃した。

50歳の女性は、7人の裕福な男たちが池で溺死させられるのを目撃している。

リゴン・アムドの商人は次のように証言している。

【ある男は、立ったままの姿勢がいいか、横になった姿勢がいいかと尋ねられ、立ったままの姿勢がいいと答えた。すると、穴が掘られ、男は穴に入れられた。穴には泥が入れられ、泥は男が死ぬまで次々に押し込まれた。男の顔から眼球が飛び出すと、中国人はそれを切り取った。残りの4人は、両親が犯した過ちを詳しく述べるよう言い渡され、その後、後頭部を銃で撃たれた。脳みそが飛び散ると、中国人たちは花が咲いたようだと言った】


●一千人の僧侶が公衆の面前で処刑された。

5人の僧侶は縄で絞め殺されたが、その際、首を絞める道具として重い仏像が使われた。

また、カム地方で有名な高僧の一人であるドゾルチェン・リンポチェは、四本の杭を打たれ身動きできないようにされ、腹を上から下まで切り裂かれた。

三百人の僧侶が生きたまま焼き殺されたり、生体解剖された。

中国人は、僧侶にこう言い放った「自分の命さえ救えぬ者に、人民の命が救えるはずがない」。「奇跡が起こせるなら、みんなの前で飛んで見せろ」と高い崖から蹴落とされた僧侶もいた。

中国人は、僧院に無理やり女を入れ、経典がトイレットペーパー代わりに使われ、僧侶の一人が「やめてくれ」と頼むと、腕を切り落とされ「神がいるなら、腕を元に戻してくれるはずだ」と言った。


中国人は、宗教ばかりでなく、チベット人そのものを抹殺しようとしていた。

● 断種治療

28歳の小作人はアムド地方に派遣されてきたや7人の中国人医師たちに、頭を良くし、背を高く、体を丈夫にするための特別な治療を施すと告げられた。中国人医師は村人全員にこの治療を受ける事を命じ、背いたものは殺されると言った。

小作人は服を脱ぎ、カウチのような物の上に横になるよう言われた。・・・先端に小さな鉤状のものがつき、元の部分がハサミのように開閉する手術道具がもちだされた。そして、この道具が尿道に挿入され、小作人は痛みのため意識を失った。彼は十日間ベッドで寝ているよう言われ、処置を他言してはならないと言われた。

ドイ出身の23歳の男性の証言によれば、ドイの町に到着した30人の中国人医師団は、人々の身体を強くする治療を行なうと発表した。この男性は生殖器の検査と治療を受け、退院したあとも一ヶ月間家で寝ていた。

【この治療を受けた後、彼は性的欲望がなくなり、頭がぼんやりするようになった。同じ治療を受けた友人の一人は五ヶ月後に死亡した】

【当時17歳だった彼の妻も、二週間後に呼び出された。生殖器の検査が行なわれ、膣に空気袋のようなものが挿入され、膨らんだ。この空気袋が引き出されたときに、肉片が一緒に膣の入り口に出てきた。これに白い粉をつけられた。彼女は五日間入院し、毎日注射と錠剤を処方された。このことは夫にも言ってはならないと命じられた。彼女は家に帰ってから、夫に性的欲望がわかない事、また、月経が止まってしまった事を打ち明けた】

カルメベユル出身の29歳の小作人は、チベット人女性に対し、別の口実で不妊や堕胎のための治療が行なわれているのを、中国人医師から耳にした。そして、実際にその手術を目撃している。

【医師はその女性の腹部中央を切開した。女性の体内から取り出されたものは、黄色がかった肉片で、医師はそれを子宮だと言った】

1989年2月29日のワシントンポスト紙は次のような証言を掲載している。

【人口抑制隊は僧院の隣にテントを設営。村人たちは「すべてのチベット人女性は中絶と避妊手術を受けるために出頭するよう。出頭しなければ重大な結果を招くであろう」との連絡をうけた。拒絶した女性は強制連行され、手術されたうえ、術後の処置も受けられなかった。妊娠数ヶ月になる女性たちは胎児を摘出された。テントの横には胎児が積み重ねられ、異臭を放っていた】


●電気棒による拷問

【ある尼僧は電気の通った金属製の机の上に縛られ、胸を電気コードで巻かれた。そして、電気棒を膣内に突っ込まれて感電させられた】

ヨデン・チョウダクの証言

【88年3月5日のデモの二日後、警官が職場に来て警察へ連行された。そこには分厚い本があり私の罪状が書かれていると言った。しかし本を開けることは無かった。私が何も悪いことはしていないと訴えると、婦警が私を別の部屋に連れて行き、胸部をけった。その婦警は電気棒を私の口に触れさせた。その瞬間、口が爆発したかのように感じ、私は気絶した】


●餓死

チベットでは、それまで飢えと言うものは無かった。チベット語には餓死という単語はなかった。貧しかったが食べ物に困ってはいなかった。

ところが、中国軍兵士や漢人入植者が大量に来て、チベット人の主食である大麦ではなく、彼らが好む小麦を無理やり植えさせた。土壌や気候を無視した作付け転換の結果、1977年には小麦の収穫は皆無。大飢饉が襲い、チベット史上はじめての餓死者が出た。

中国は、チベット人を殺して人口を減らした後に、大量の中国人を送り込んで、中国人の人口比率を上げた。平成八年現在で中国人の数がチベット人の数を上回っている。


このように、侵略と大虐殺、人権弾圧を繰り返している支那で「平和の祭典」を開催させてはならない。

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チベットのラサで独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモ・警官隊が数人を虐殺・支那はチベットの侵略と虐殺をやめろ!絶対反対!北京五輪!


チベットで大規模デモ 数人死亡



<中国>チベットで大規模デモ 数人死亡 「銃声」情報も
3月14日20時29分配信 毎日新聞

 【北京・大谷麻由美】中国のチベット自治区ラサ市中心部で14日、独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。AFP通信は数人が死亡、負傷者も多数にのぼると伝えた。ロイター通信などによるとデモ隊は警察車両に向け投石し放火、複数の店舗にも火を付けた。在中国米大使館は「銃声が聞こえた」との情報を得た。北京五輪を約5カ月後に控え、デモ弾圧で死傷者を出したことで、中国政府への打撃は避けられない。

 米政府系「ラジオ自由アジア」は同日、目撃者の証言として少なくとも2人が死亡したと伝えた。

 報道によるとデモには300~400人が参加。デモ隊は車やバイク、バスに放火した。逮捕者は10人以上にのぼっている。人権団体の話では、僧侶の中にはハンガーストライキを始め、自殺を図って抗議する者もいるという。

 ラサでは10、11日に300~600人の僧侶らが抗議デモを実施。市中心部数カ所で火災が発生。武装警察は催涙弾を発射し約70人を拘束した。10日はダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなった1959年の中国軍によるチベット武力鎮圧から49年の記念日だった。

 中国外務省は13日、ラサで「少数の僧侶が社会動乱を起こし、チベット分離を企てた」と抗議活動の発生は認めたが「鎮圧された」としていた。

 中国は51年、チベットに人民解放軍を進駐させ、「チベット平和解放に関する協定」をチベット政権と結んだ。59年3月に社会主義化の影響を恐れた農奴主ら約2万人が蜂起したが軍に制圧され、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。

 89年3月に再び大規模な暴動がラサで発生し、当時の胡錦涛・チベット自治区書記が戒厳令を敷いた。同年、ダライ・ラマ14世はノーベル平和賞を受賞した。90年代前半にも抗議活動や僧侶の拘束が相次いだが、最近は自治区での目立った抗議活動は起きていなかった。
――――――





>中国外務省は13日、ラサで「少数の僧侶が社会動乱を起こし、チベット分離を企てた」


外国を侵略しておいて、「分離を企てた」とは、支那人らしい言い分だ。

支那の警官隊が数人を虐殺した。

他の報道ではオリンピック開催に反対する意味合いもあると報じられている。

侵略や虐殺や人権弾圧を大規模に継続している支那の首都で「平和の祭典」を開催することに反対するのは当然だ。 絶対反対!北京五輪!




チベット・ラサで暴動、死者も
3月14日BSニュース









(一部抜粋)

1951年 共産支那の人民解放軍がチベットに侵攻(侵略)、現地民数百万人を大虐殺


30年以上が経ち、1987年9月と10月、さらに1988年3月、ラサでデモが続発した。


これらのデモを弾圧した共産支那は、この後1988年12月に胡錦濤をチベット自治区の書記(総督)に就任させ、胡錦濤はチベット大虐殺を始めた。

1988年12月から4年間で、約20万人のチベット大虐殺を指揮したのは胡錦濤だった。

胡錦濤はこの大虐殺を江沢民(実際は?小平か)に認められて出世し、今日の国家主席の地位に上り詰めた。


胡錦濤はチベット虐殺の張本人だった!







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