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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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今年も大変お世話になりました。来年もよろしくおねがいします。良いお年を!サイドミラーの裏側に蜂の巣

写真は、今年の夏、蜂たちが私の車のサイドミラーの裏側に作った蜂の巣です。

蜂に刺されました。



シュシュー( ・_・)r鹵~<巛巛巛






今年もあと2日を残すところとなりました。

今年1年、皆様には大変お世話になりました。

これが今年最後の記事となります。


「くつろぐブログランキング」も、もう少しで1位だったのですが、もう時間です。


来年、また元気でお会いしましょう。

良いお年を!



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パキスタンの核管理がテロ組織アルカイダなど過激派の手に落ちる恐れ・その前にパは核放棄できるのか?・南アフリカの核放棄・核保有国の核管理はどのようになっているか?kanazawa_sanetokiさん

パキスタンの核管理が、過激派の手に落ちる恐れも

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071229-00000042-jij-int


パキスタンの核管理に懸念=過激派の手に落ちる恐れも-米専門家
12月29日15時0分配信 時事通信

 【ワシントン29日時事】ブット元首相暗殺でパキスタンの政情不安が深まる中、米外交・軍事専門家の間では、パキスタンの保有する核兵器の管理状況を懸念する声が強まっており、国際テロ組織アルカイダなど過激派の手に落ちる「最悪のシナリオ」もささやかれている。

 米議会調査局が最近まとめた報告書によれば、パキスタンは60発前後の核弾頭を保有。運搬手段としては弾道ミサイルのほか、米国から供与されたF16戦闘機などがある。

 米国防総省スポークスマンは28日、「パキスタンの核兵器システムに変化が生じたと見る根拠はない」と述べ、現時点で核兵器の管理に問題はないとの認識を示した。
――――――






ブット元首相暗殺で混迷の度を深めるパキスタンの核兵器が国際テロ組織アルカイダなど過激派の手に落ちる危険性が高まるようだと、核放棄も検討されるかもしれない。

ただ、この場合、どのような情勢の変化で危険性の高まりを判断するのか非常に難しいので、現実にパキスタンが核放棄をするのは至難の技だろう。



古今東西、いったん核兵器を保有した国家が核兵器を放棄した例は一つしかない
(北朝鮮の核放棄はない)



1990年~1991年に南アフリカ共和国が行ったのだが、その理由の一つは、「白人政権のデクラーク大統領が、黒人政権への核の引き渡しを嫌い放棄を決定、核の解体を開始したからだ」といわれている。



南アフリカが核兵器を放棄した理由は地域情勢などにもよる。

南アフリカの場合、北の隣国アンゴラにはソ連の指示でキューバ兵五万人が展開、東の隣国モザンビークには親ソ政権ができていたので核武装した。

しかし、1989年、アンゴラからキューバ軍が撤退を開始し、続いてモザンビーク、アンゴラが複数政党制に移行した。

冷戦終結がもたらした地域情勢の変化が見られた頃、間近に迫った黒人を含む初の自由選挙、その後の黒人政権誕生をにらみ、黒人政権に核兵器を持たせないとの判断によって核兵器は1991年に放棄された。


●関連記事

南アフリカは一度保有した核兵器を、なぜ放棄したのか?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4539642.html










この機会に核保有国の核管理について書いておきたい。

核保有国の核管理がどのようになっているかについては、Yahoo!掲示板に数年前にあったkanazawa_sanetoki2004さんの投稿が私には大変参考になった。






kanazawa_sanetoki2004さんは、今まで私のこのブログに沢山のコメントをお寄せ下さいましたが、最近、ついにご自身のブログを開設しました。

kanazawa_sanetoki2004さんのブログ
日本核武装
http://blogs.yahoo.co.jp/kanazawa_sanetoki2004





核武装に関して非常に詳しい方なので今後楽しみです。




下記がその数年前の投稿です。
(関係ない部分を一部省略。投稿者は、kanazawa_sanetoki2004さんですが、当時は別のHNで投稿していました)

――――――
Yahoo!掲示板
トップ > 生活と文化 > ニュース、時事問題 > 国内ニュース > 日本は核武装すべき?




面白い事をいう人出て来たアル。


>核兵器を持て持てというけれど、この核兵器を管理する体制が日本には整っていないよ。


現在日本は残念ながら核武装していないアル。
だから体制が整ってなくて当然アル。
核武装する時に整えれば良い事アル。



>私が管理したら、すぐ「ぼたん」押してしまうよ。


君がボタンをいくら押しても発射されないので安心するヨロシ。

この際だから書き込んどくが「ボタン」さえ押せば核ミサイルが発射されると思い込んでいる人が多いアル。

それは間違いアル。

核兵器はいつでも発射できる状態には実はなっていないアル。
そんな事をしたら危なくてしかたないアル。

「核戦争になりそうだな~」と政治家が思ったら準備命令が最初に出されるアル。
それから発射する仕度にとりかかるアル。
だから、呆けた爺が言うように異常な指導者がボタンを押しただけでミサイルが発射される事はあり得ないアル。

例えば、
この時点でB-52などはALCMを抱えて飛び上がるアル。
しかし、予め決められた空域で準備命令が
攻撃命令に切り替わるまで果てしなく旋回を繰り返しているアル。
勝手に空域を外れると最悪友軍機に撃墜されるアル。

攻撃命令が出て、初めて信管を入れ爆発させられる状態になるアル。
そうして敵国方面へ飛んで行くアル。

潜水艦も概ねこんなもんだと思っとくヨロシ。

その他、別々の命令系統から発射命令を受けた別々の士官が別々の離れた部屋で別々なキーを回す二重鍵等偶発的核戦争が起きないように管理されているアル。

日本の官僚は一部国民が言っているほど馬鹿では無いアル。
こういうシステムを作れと政治家が期限と予算を出せばちゃんと作ってくるので安心するヨロシ。
それでも管理が不安だというのなら、アメリカに見てもらうヨロシ。

アメリカも偶発的核攻撃は恐れているアル。
親切に見てくれるアルヨ。
なんたってソ連にも教えてやっていたくらいアル。
核攻撃決定や開始の管理プロセスを明らかにしておく事は周辺諸国をして安心させる事のできる一つの方法アル。

――――――








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福田と温家宝の会談直後に行った共同記者会見での「誤訳」で福田の顔色が一変・「台湾独立に反対する」と「台湾独立を支持しない」の違い・台湾が支那だという大嘘・焦点のガス田問題は合意は得られず問題先送り


福田の最低限の仕事

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071229-00000904-san-pol


「誤訳」で福田首相の顔色一変 日中首脳会談
12月29日11時26分配信 産経新聞

 北京の人民大会堂で28日行われた福田康夫首相と温家宝中国首相の首脳会談。直後の共同記者会見で「台湾独立」に対する表現をめぐり、福田首相が顔色を変える一幕があった。「(独立を)支持しない」という福田首相の発言を温首相が説明。これを会場で日本語に訳した通訳が「独立反対を表明した」と強い表現に「誤訳」したためだ。会見中に、すぐ資料を取り寄せた福田首相は自らの発言が「支持しない」だったと改めて説明するはめに。台湾問題の微妙さが改めて浮き彫りになった瞬間だった。(北京 酒井充)


 日中首脳による初の共同記者会見は予定の20分間を25分もオーバーする熱の入ったものになった。両国友好の大切さを訴える温首相。だが、それまでの温和な笑顔を引き締め、台湾問題を切り出した。そして会場に通訳の日本語が響いた。

 「福田首相は台湾独立に反対するとの立場を順守、厳守していくことを表明した」

 その声に、温首相の右隣に座っていた福田首相が凍り付いた。温首相に気付かれないように右手の人さし指で、目の前の記者席にいた外務省の藪中三十二外務審議官に「資料をよこして」とサイン。福田首相の手元に資料が滑り込んだ。

 中国側メディアの質問に一通り応えた福田首相は、最後に「台湾についても、私から日本の立場を申す」と切り出した。受け取った資料に目を落としながら、慎重に「2つの中国という立場はとっていないし、台湾の独立も支持していない」と語り、「独立反対」という表現を「支持しない」に修正してみせた。

 台湾独立への日本の姿勢は「反対」なのか「支持しない」なのか-。この2つは外交上、大きな違いがある。

 「親中派」と言われる福田首相だが、言葉の使い分けにはこだわってみせた。親日感情が比較的強い台湾と日本は長く良好な関係にあり、欧米諸国とは事情が違う。日本は昭和47年の日中共同声明以来、「台湾が中国の領土の不可分の一部であるとの中国の立場を十分理解し、尊重する」と表現するにとどまり、「独立反対」の言葉は慎重に避けてきたからだ。

 首脳会談後、外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長は記者団に「『支持しない』と『反対』とはニュアンスが異なる。強度に違いがあることは日本人なら理解できるだろう」と話した。

 台湾の陳水扁総統は来年3月の総統選と同時に「台湾の名義での国連加盟」の是非を問う住民投票を計画している。米仏は「反対」の立場を鮮明にしているが、福田首相は「反対」とは口にしなかった。ただ、中国外務省の劉建超報道官は会談後の会見で「日本が台湾問題で行った立場を評価する」と述べた。

 「質問を受けた以上のことを申し上げたかもしれないが…」。福田首相は会見の最後にこうとおどけてみせたが、日本の首相として最低限のラインは守った。
――――――






私は昨日の昼、福田と温家宝の会談直後に行なった共同記者会見をNHKで観ていて上記の様子を観ていた。

確かに最初、温家宝の発言が、「福田首相は台湾独立に反対・・・」という風に通訳されていた。

私は、「福田め!やりあがった!」と思った。

しかし、その直後に福田の表情が映され、何となく焦っていたように窺えた。

更にその後福田は、台湾問題について従来からの日本政府の立場を述べた。

まー確かに、この点で福田は最低限のことは確りやったといえよう。

上記の産経新聞の記事では、通訳が誤訳したと述べられているが、本当だろうか?

てっきり私は、温家宝が意図的に「福田首相は台湾独立に反対・・・」と発言したのかと思っていた。


●関連記事

支那が「日中共同文書」から都合の悪い部分を削除して国内メディアに公表させる
外交文書も偽造、捏造か
温家宝の原稿省略読み事件
呉儀副首相のドタキャン事件
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28274661.html






いずれにせよ、そもそも、「台湾が支那の領土の不可分の一部である」という支那の主張に根拠らしい根拠はない。

●関連記事

台湾は支那ではない
【台湾が支那だという大嘘】
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3655176.html








その上、現在の台湾は、自分たちで選挙を行なって総統などを選出し、自分たちで作った法律を持ち、自分たちの軍隊を持ち、自分たちで外交を行なって多くの国々と国交を結んでいる。

それなのに、この期に及んで台湾国民が住民投票を行なうことに関して、他国が、「反対」したり(欧米)、「支持しない」と言ったり(日本)するのはどう考えても内政干渉だ。





焦点のガス田問題は、何ら具体的な合意は得られず、問題先送りとなった。

日本政府は、愚かなのか、それとも分かっていて茶番劇を演じているのか不明だが、いい加減にしろ!

どうして日本側の海域で早く開発を始めないのか?

日本国民の苛立ちは増すばかりだ!


(--X)イライラ

●関連記事

日支首脳会談でガス田開発や温暖化問題などが焦点に
交渉では解決しない
東シナ海のガス田問題は、日本が日本側の海域で開発を進める(掘る)以外に方法はない
いい加減に学習しろ!アホ!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28787630.html

ガス田開発、溝埋まらず
日支外相会談後、高村正彦「(ガス田問題で)突っ込んだやりとりがあったが、前進があったとは言えない」
唯一の解決策は、日本が東シナ海のガス田の試掘を開始(独自開発の着手)すること
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28003857.html

戦略的互恵関係は「名ばかり」
2国間懸案の東シナ海ガス田開発問題や人工衛星破壊実験問題で支那へ不信感
温家宝訪日など話し合いは無駄
二階俊博は消えろ!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/14096505.html








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日本に戦争責任なし!

戦争責任はソ連・支那・米国・英国などにありました。

南京大虐殺なんて嘘っぱちのでっち上げです。

日本軍が虐殺した南京市民はゼロ(0人)です。

正しい歴史認識の普及と、国益最優先の外交と、日本の核武装の実現を目指してブログを始めました。




「日本国民の生命と財産と自由を守る核武装!」



日本国民の生命と財産を守り、日本国民の権利と利益を最大限に追求します。

売国奴(国賊)は許しません。

絶対反対!北京五輪!

「維新政党・新風」を応援しています。





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南京の真相を語った90歳代勇士たち・【正論】70年目の証言に拍手やまず 拓殖大学教授・藤岡信勝・第十六師団長中島今朝吾中将の陣中日記(中島日記)の「捕虜ハセヌ方針」に関する考証・捕虜の虐殺もなかった

【正論】70年目の証言に拍手やまず 拓殖大学教授・藤岡信勝
2007.12.28 産経新聞

■南京の真相を語った90歳代勇士たち

 ≪中国の展示館12倍に拡大≫

 改装工事が進められていた中国の「南京大虐殺記念館」が、南京陥落70年に当たる12月13日、新装公開された。今年の1月、来日した中国社会科学院の研究者が、大虐殺「30万」は「政治的な数字」であり、学術的なものではなかったと発言したことなどから、一部に「30万」を引っ込めるのではないかとの観測もあったが、そうはならなかった。

 反対に展示床面積は12倍、写真は6倍に増えた。資料面でも本腰を入れて収集し、未来永劫日本を糾弾する材料にする中国側の決意に、いささかのゆるみもないことが明らかになった。

 私は最近、機会があるごとに、「5つの数字で学ぶ南京事件入門」という即席の授業をしている。その授業で課す最初の問題は、「中国共産党の指導者毛沢東は、その生涯で何回、南京事件について日本を非難したか」というものである。答は「0」回。すなわち、ただの1回も毛はこの件で日本を非難したことがなかった。反対に、南京攻略戦の半年後、延安で行った「持久戦論」の講義のなかで、「日本は包囲は多いが殲滅(せんめつ)は少ない」といって、日本の戦争下手を批判したほどだ。

 次に「20万」という数字。これは、南京陥落時の市民の数である。ところが、1週間後も20万、2週間後も20万という具合に、人口は一向に減っていない。逆に1カ月後には、25万に増えているのである。「30万」虐殺されたのなら無人の廃虚になっていなければならない。


 ≪住民の略奪はあり得ない≫

 こうした論点を含む公開質問状を、4月に来日した温家宝首相に提出した。もちろん返答はない。公開質問状を出したのは「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長)という有志13人からなる会である。

 この会が主催して、去る12月6日、東京の九段会館で「南京陥落70年国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という集会を開いた。旧日本軍の将兵として南京の地を踏んだ人たちによるナマの証言を聞こうという企画である。ほとんどが90歳代の高齢の方々が全国各地から5人、上京してくださった。以下、印象的な証言のいくつかを紹介する。

 国民党軍は安全区の中立性を侵し、トラック50台分の武器を隠匿し、軍服を脱いだ兵士が安全区の中に大量に潜伏していた。これらの敗残兵を掃討しなければ戦争は終わらない。証言者の喜多留治氏は金沢第7連隊の一員としてこの掃討作戦に参加した。事前に連隊長から受けた注意事項は次のようなものだった。

 (1)外国権益への留意(2)住民に対する配慮(3)放火失火の厳重注意(4)将校指揮の部隊でのみ実施(5)無用の他の部隊の進入禁止(6)捕虜は1カ所に収容し食糧は師団に請求せよ。

 掃討は命令どおり将校指揮のもとに行われ、個人が団体行動を逸脱し住民を略奪することなどあり得なかった。この一部始終を見ていたはずの外国人から全く非難の声が上がらなかったのも当然であると納得できた。


 ≪目からウロコ落ちる思い≫

 南京進撃中の日本軍は速度が速く、補給が追いつかなかった。そこでやむなく食糧を現地調達に頼らざるを得なかった。敦賀歩兵第18旅団の斎藤敏胤氏は、軍の指令に基づき徴発も秩序正しく行ったと言う。軍の指令は次のようなものだった。

 (1)徴発は司令部の目撃できる範囲で行え(2)住民のいる所では3分の1以内の徴発にとどめよ(3)住民のいないところでは鍵を壊して家屋内に入ってはいけない(4)徴発した物の明細書を残し、あとで住民の請求に応じて宣撫(せんぶ)班が代金の支払いができるようにせよ(5)帰隊後伝票と現物の照合を受けよ。

 斎藤氏は記憶に基づき日本語と中国語のペアになった伝票の書式を手書きで書いて示した。この部隊は、以上の指令を厳格に守ったのである。

 京都第16師団の輜重(しちょう)獣医少尉・稲垣清氏は、中山門手前の上麒麟門で、軍服姿の800人の捕虜を監視した。インタビュアーの役目の私は、後方部隊の輜重隊に捕虜を委ねるのは大丈夫ですかと思わず尋ねた。稲垣氏は、輜重兵に収容所の警備を任せること自体、捕虜は逃げてもよいということだと苦笑した。実際、夜間の監視を少し手薄にしたら半数が翌朝逃げていたという。

稲垣氏の所属はあの悪名高い中島今朝吾師団長の指揮下である。「捕虜ハセヌ方針」とはこれであったかと目からウロコが落ちる思いだった。

 5人の勇士が舞台の正面に並んだ時、拍手が鳴りやまなかった。「軍紀弛緩(しかん)・悪逆非道の日本軍」のイメージを根底から覆す貴重な証言の数々だった。
――――――








でハイライトした部分「捕虜はせぬ方針」について整理しておきたい。

まずは、中島今朝吾師団長の日記についての説明から。


――――――
 今から十数年前に、第十六師団長中島今朝吾中将の陣中日記が公表された。『南京戦史資料集?』によれば、その陣中日記(十二月十三日)には次のように記されていた。


一、大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタルモ千五千一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ唯彼等ガ全ク戦意ヲ失ヒゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノヽ之ガ一旦掻〔騒〕擾セバ始末ニ困ルノデ部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ

(中略)



「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之をヲ片付クル」――これが師団長の日記の一節であった。そのため、これが読むものに衝撃を与えたのである。 

『南京虐殺の徹底検証』東中野修道著
――――――





反日左翼は、中島師団による捕虜虐殺の事実など確認されていなかったのに、「捕虜ハセヌ方針」と記述されたこの日記を証拠として、日本軍が南京で捕虜を片っ端から虐殺したと宣伝した。

しかし、そもそも中島師団が確保した捕虜を殺害した他の資料がなかったどころか、中島師団が確保した大量の支那兵は殺害されずに捕虜として収容された証拠(資料)があるので、この日記を単純に日本軍による捕虜虐殺の証拠とするのことには無理があった。

中島日記の「捕虜ハセヌ方針」の記述については、今でも完全な疑問解消とまではいかないが、概ね以下のような解釈で問題ない。




――――――
(3)本当に処刑されたのか?
中島日記に関して(その一)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page028.html
(抜粋)
以上のように中島日記に記載された仙鶴門付近で確保した約7千人の捕虜は、殺害されずに南京に収容されたと考えられます。複数の史料による裏づけがあるということです。



(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
中島日記に関して(そのニ)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page029.html
(抜粋)
 では、問題の「捕虜ハセヌ方針」とは、何であったのか。三つのことが考えられる。

 まず、銃殺の方針であったという従来の通説である。しかし、銃殺が当初からの方針であったのであれば、すでに述べたように、中島師団長は「大体捕虜にはしない銃殺の方針であったから、投降兵が来るや、これを片端から銃殺しようとするのだが、千、五千、一万の群集ともなると多過ぎて、銃殺することすら出来ない」と記していたことであろう。

 ところが、陣中日記の作者は、「銃殺することすら出来ない」とは書かなかった。従って、即時処刑の方針ではなかったことになる。

 では、捕虜にする方針であったのか。しかし、これは、言うまでもなく、「捕虜ハセヌ方針」に反する。となると、残るは、投降兵の追放しかない。戦場の投降兵にたいしては、処刑するか、捕虜とする、追放するか、三つの方針しかないからである。

従って、「捕虜ハセヌ方針」とは「投降兵は武装解除後に追放して捕虜にはしない方針」という意味になる。

 その「武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ」という表現から、当初の方針(即ち捕虜にはしないで武装解除してから追放することなど)など、とても遂行できないという悲鳴が聞こえてくるのである。

『南京虐殺の徹底検証』東中野修道著



(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
中島日記に関して(その三)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page030.html
(抜粋)
 以上のように状況を含めて考察すると「捕虜を受け入れるな」という命令の意図が見えてくるのではないでしょうか。常に捕虜を受け入れるな、投降を認めるな、という意味合いではなく、ある限定された状況下においては「勝手に戦闘を停止して投降兵を収容するな、なぜならば軍全体が危機に陥る可能性があるからだ」という内容であることが推察されるわけです。

 以上を踏まえて私が個人的に中島日記を意訳するとこうなります。

「軍の方針は、捕虜とは呼ぶな、尋問が終わったら適時解放せよというものだが、一万人もの敵兵が投降してくるとは誰も想定していなかったではないか。武装解除もままならないのでこのままでは釈放もできないし、収容といっても場所、食料の問題もあり大変だ。取り敢えず部隊を増派して野外で監視しているが、このまま延々置いておくわけにもいかない。7千人となると処刑も大変だ。大きな壕があればまとめて放り込んで処刑できるかも知れないが平地だとそうもいかない。数十人単位に小分けして処刑したほうがよいか。どうしたものか」
 という感じになると思います。

 中島中将個人としては処刑の方向で考えていたようですが、その後戦場が一段落し捕虜の収容が可能と判断されたので、仙鶴門付近の捕虜約7000人は南京城内に護送され収容されたと考えられます。中島中将が捕虜を使役している状況を見て叱責したのは「銃器の管理が杜撰であり危険だ」という意味での叱責であり、捕虜を使役した行為についてはむしろ賞賛していることからも、ことごとく全ての捕虜を殺害する方針ではなかったと考えられます。
――――――







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