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責任なし35 南京陥落1・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史・唐生智「南京城と生死を共にする」→降伏勧告無視→「各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」→脱出

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし35 南京陥落1


これは「責任なし34 揚子江啓開作戦」の続きです。


 日本軍が南京に近づくと、蒋介石は唐生智に防衛を押し付け、サッサと漢口に逃げ出しました。

 日本軍は南京の東部・南部を包囲し、空から降伏勧告のビラを撒きます。
 期限は10日までです。

 ところが唐生智は返事を出しません。徹底抗戦ということです。
 部下が船で逃げ出さないよう、下関の港に部隊を配置し、大きなフェリーボートは先に漢口にやってしまいました。

 そうやって部下に徹底抗戦を強いたにも関らず、唐生智は12日、自分の手勢だけを連れて船で逃げ出したのです。
 そして他の者は敵前突破しろと言いました。
 随分、勝手なものです。


 このことから悲劇が起こります。
 まず第66軍の葉肇と第83軍の?竜光は日本軍第16師団と第9師団の間を突破する形で打って出ました。

 「午後9時、太平門の防御物を爆破、通路が開かれると、人は先を争って飛び出し、弱者は踏みつけられて命を落とし、強者はその上を通って命を永らえた。
下敷きになった者は手榴弾を投げて周囲の者と共に自爆した。
先頭部隊は日本軍と戦闘になった。我々は日本軍の夜営のかがり火を遠く避けてうまく脱出した」
と劉紹武は書いています。

 この時、佐々木倒一少将の部隊と遭遇戦闘になります。
 12月12日24時、仙鶴門鎮の集成騎兵隊のいる所に、約2万の支那兵が・・・殺到‥。《‥暗黒裏に敵の襲撃を受け・・・人二百・馬六十の損害を被る・・・》(佐々木倒一少将私記)

 死闘は13日午前9時まで続きました。
 第83軍長の?竜光や第66軍長の葉肇は、うまく脱出しましたが、この戦いで三千の部下が戦死しました。

 一方、第二軍は要領よく脱出しました。
 彼らは第13師団が烏龍山に着く前に、周家沙・黄泥湯の渡船場から渡河を始め、夜明けまでに主力は対岸に渡り終えたのです。

 この時、日本海軍の第11戦隊は、まだ、烏龍山沖の閉塞線の除去作業中で、中国軍第二軍の渡河を阻止する事は出来ませんでした。
 これらの部隊は夜陰に紛れ、なんとか脱出しましたが、全部が全部そういうわけには行きません。


 唐生智が逃げた事を知った、他の兵は我も我もと下関の港へ殺到、城門に殺到する兵のため前の者が踏み潰され圧死と同士討ちで大量の死者が出ました。

 やっとの事で外に出たら船がない。小舟の奪い合いで同士討ちになりました。この時の争乱で火災を起こし黒こげの死体の山が出来ます。これは中国側の記録にある事です。

 ラーベ達はこの死体を日本軍の仕業と勘違いしたようです。
 もちろん後から来た日本兵や新聞記者もです。

 逃げ損なった大量の中国兵は、城内に戻り市民を殺して服をはぎ取り、安全区に潜り込みました。
 彼らは便衣兵となって攪乱工作に転じます。

2につづく










唐生智が、「南京城と生死を共にする」、「・・・各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と言っておきながら、部下を置き去りにしてコッソリ逃げ出したことは、あの反日捏造学者の笠原十九司の著書にも詳しく述べられている。

――――――
投降勧告を拒否した南京防衛軍の司令官唐生智はこの日の午後七時、

「本軍は複廊陣地において、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」

と下命し、指令なく寸地でも陣地を放棄、撤退したものは軍法にもとづいて厳罰に処すと伝えた。

また、保有している船舶は全て一律に運輸司令部が接収、管理するように命じ、勝手に拘留しておくことを禁じた。

宗希簾の第36師に命じて長江沿岸を厳重に警備させ、指令長官部の許可がなければいかなる部隊の渡江も厳禁とした。

また、憲兵、警察に対しては「隊伍を離脱した兵隊が制止をきかないで渡江しようとした場合には武力で阻止せよ」と命じた。

「南京城と生死を共にする」と言い切った唐生智の覚悟のほどをしめした厳命であった、渡江の手段を断って、「背水の陣」を敷こうとしたのであるがこの「死守作戦」が大きな悲劇を生むこととなってしまう。

『南京事件』笠原十九司著(反日捏造学者)
――――――




――――――
・・・スタンフォード大学歴史学部長、デビッド・ケネディー氏はこう書いています。

唐将軍(唐生智司令官)は抵抗する気配すら見せなかった。
12月12日の夕刻、日本軍の進軍ペースを落とす策として南京市の城壁の外にある家屋に放火することを命令した後、唐将軍は大型ボートに乗って逃亡し、揚子江上流に向かった。
南京防衛隊の残兵と、揚子江下流地域から南京市に退却してきた兵士たちは、指揮官たちに見捨てられ、市を包囲する火の海に行く手を封じられることを恐れて、可能なかぎり安全を求めて暴走した。
何千もの兵士たちは揚子江の凍てつくような流れの中に身を投じたが、遠い対岸に安全を求めたこの行動が自殺行為だったことは、たちまち証明されたのだった。
さらに多くの兵士たちは変装して、包囲された市内に潜入することを目論んだ。
彼らは接近しつつある侵略者の追及をかわすために狂気の争奪を繰り広げた。
軍服をかなぐり捨て、民間人用の衣服を求めて商店の略奪や市民の襲撃を行い、戦友を踏みにじり、手斧で襲い、機関銃で撃ったのである。

『大東亜戦争はアメリカが悪い』鈴木敏明著
鈴木敏明氏がこの文章を引用した引用元は文藝春秋『諸君!』 '98年8月号
――――――








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