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A級戦犯合祀「御意に召さず」…卜部元侍従が日記に記述・富田メモや卜部日記の元A級戦犯合祀と昭和天皇ご親拝中止に関する最重要部分は昭和天皇のお言葉ではなく元侍従長の徳川義寛の発言だった事実に変化なし


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000016-maip-soci


A級戦犯合祀 「御意に召さず」…卜部元侍従が日記に記述
4月26日17時22分配信 毎日新聞

 晩年の昭和天皇に仕えた卜部亮吾(うらべりょうご)元侍従(故人)の日記に、自らが亡くなる直前の01年に昭和天皇の靖国神社参拝取りやめについて、「A級戦犯合祀(ごうし)が御意に召さず」と記していたことが分かった。日記には、昨年7月に判明した故富田朝彦・元宮内庁長官の昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したことを示すメモの日付と同じ日に、昭和天皇から卜部侍従に靖国神社の戦犯合祀に関する話があったことを示す記述もあった。昭和天皇のA級戦犯合祀への気持ちが改めて浮き彫りになった。
 日記は卜部さんが侍従になった69年から亡くなる直前までの32年間、市販の日記帳33冊に書かれていた。
靖国神社に関しては88年4月28日の日付で、「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」とあり、「靖国」以降は赤線が引かれている。
 この日付は、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に関して、「私は 或(あ)る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが(中略)それが私の心だ」などとつづった富田元長官のメモと同じ日だ。富田元長官と前後して卜部さんが戦犯合祀についての気持ちを聞いたことになる。

 この時は、昭和天皇のこの問題への気持ちについての記述はないが、01年7月31日の日記には、「靖国神社の御参拝をお取り止(や)めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」と記し、天皇が合祀に不快感を持っていたことをつづっている。
 日記は、昭和天皇の闘病についても詳しく記されている。昭和天皇が腸の手術を受けるため沖縄訪問を取りやめた際の87年9月14日には「ついに来るべきものがきたということだが、暗雲たれこめうつうつとして楽しまず 今後の諸問題のことが頭をよぎる」と不安をつづっている。
 また、2・26事件から41年たった77年2月26日に「御就寝前 治安は何もないかとのお尋ね」など戦中の記憶が消えない様子がうかがえる。石油危機では専用車の使用をためらったり、財政難を気にして小旅行を取りやめるなど、国民感情に気配りする姿も記されている。
 卜部さんは京大卒業後に人事院に入り、宮内庁に移って69年から約20年間昭和天皇の侍従を務めた。91年4月から皇太后宮職御用掛として香淳皇后に仕え、00年の香淳皇后死去に伴う大喪儀では、祭官長を務めた。02年3月に78歳で死去した。

 日記は、卜部さんが亡くなる約1カ月前に朝日新聞の記者に託し、遺志に基づいて朝日新聞が公開した。










最後の「日記は、卜部さんが亡くなる約1カ月前に朝日新聞の記者に託し、遺志に基づいて朝日新聞が公開した。」というのが胡散臭いのだが、今日はこれは問題にしないでおく。

だとしても、去年、日経新聞が多くの識者などから指摘された矛盾点や疑問点は、今回の報道でも全く解消されていない。

富田メモの1988年4月28日の最重要部分の発言主は、昭和天皇ではなく、元侍従長の徳川義寛だったのだ。



「・・・長官拝謁(はいえつ)のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」とあるが、この場合の「出た」とは何処へ出たことを意味するのか?


富田の「=奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも。」という言葉遣いから考えても、昭和天皇の居られない席での話だと思われる。

徳川義寛は、昭和天皇が靖国神社ご親拝をやめた理由について己の想像を述べたか、あるいは自分自身が参拝をやめた理由について会見か何かの席で述べたと考えられる。



以前、このブログにおいても、【富田メモは、元侍従長の徳川義寛の記者会見に、当時宮内庁長官だった富田朝彦が同席し、徳川義寛の発言を富田朝彦がメモしたものだ。】と述べたが、その徳川義寛の会見か何かで発言しているときに、当時侍従だった卜部亮吾も富田と共に同席してメモをとって日記に記したと考えれば何の事はないのだ。

依然として、「富田メモ」や「卜部日記」のA級戦犯合祀と昭和天皇ご親拝中止に関する最重要部分は、昭和天皇のお言葉ではなく元侍従長の徳川義寛の発言をメモしたものであり、その発言を富田朝彦がメモしたり卜部亮吾が日記に記していたと考えられる。








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仮に昭和天皇のお言葉だと仮定した場合、「藤尾(文相)の発言」に関する見解から判ること
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ところで、「富田メモ」と言えば、去年の9月に日本経済新聞社は以下の記事を掲載していた。

既に桜前線も北東北に移動しているのに、日経新聞からは音沙汰なしだ。

日経新聞は、このまましらばっくれる積もりだろうか?!






(再掲)


日経新聞「昭和天皇発言・富田メモ」の特報に新聞協会賞
2006年9月7日、日経新聞
(一部抜粋)
 日本経済新聞社は富田メモについて既に公共性の高い重要個所の大半を報道してきました。
さらに社外の有識者を交えて残る部分も含め再点検するため「富田メモ研究委員会」を月内に設置します。
歴史研究者らに参加をお願いし、来春までに見解をまとめ、日本経済新聞の紙上で報告書を公表する予定です。








   ☆チン    チン ☆
         チン      チン
☆ チン  〃 Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ヽ ___\(\・∀・) < 報告書の公表、まだ~!
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 | .台湾バナナ.  |/

自国の安全のために海外で武力行使することは自衛byルーズベルト・アメリカから学んだことを実践した日本を叱るアメリカ・『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著8

 我国の指導者たちは常に、我国の安全保障問題は我々の国境線に留まるものではないと考えてきた。モンロー大統領とそれ以後すべての大統領は、海を越えてくる侵略者の脅威から、米州諸国の独立を守るために必要ならば、力の行使も止むを得ないと考えてきた。
――フランクリン・D・ルーズベルト


 韓国の独立は、その戦略的位置に鑑み、日本の死命を制する大事であった。したがって、日本は韓国が名実ともに独立することを心から願っていたのである。しかしながら、独立は悪政につぶされた韓国国民の能力を超えるものであった。韓国が中国またはロシアの手に落ちるのを防ぐため、日本は2度の戦争を経て韓国を保護下におくことを宣言した。この実験は失敗した。そこで、1910年に締結した併合条約によって、日本は廃墟の上に新しい韓国を建設する責任を担ったのである。
――水野錬太郎「現代の日本」1933年9月


 私たちはアメリカから多くのこと、特に、隣接地域の不安定政権にどう対処するかを学んできた。そして、学んだことを実行すると、先生から激しく叱られるのである。
――新渡戸稲造(マサチューセッツ州ウィリアムズタウン政治学研究所での講演、1932年)

P245
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)










アメリカは、建国以来今日に至るまで自国の安全のために海外で武力行使することは自衛と考えてきた。

日本はそのことをアメリカから学び、朝鮮に独立と安定と親日を心から願ったが、千年以上の長きに亘り支那の属藩となっていた朝鮮は腐れ切っていた。

日本は朝鮮の独立文明開化派を支援したが、清国は朝鮮の属藩守旧派を支援した。
結局、日本と清国の戦争となって日本が勝ったが、次に清国に替わって朝鮮を手に入れようとしたロシアとも戦争となって奇跡的に勝利した。

その結果、朝鮮と南満州は日本の影響下で平和と安定を得ることとなったが、朝鮮(大韓帝国)は独力で破綻を免れることが出来ず、日本と併合することにした。

ここまでは、アメリカもイギリスも日本を支持し応援してくれた。

ところが、やがて満州の平和と安定が、張学良の武装盗賊によって再び脅かされるようになったため、関東軍が満州から彼ら武装盗賊を追放すると、何故か日本はアメリカから叱られた。









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