http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000049-mai-int
<温家宝首相>訪日は成功との認識示す 都内のホテルで
温首相演説 百家争鳴 与野党議員談話
氷をとかした
ご都合主義だ
随所に牽制球
2007/04/13, 産経新聞
12日に行われた中国の温家宝首相の国会演説に対し、与野党議員がさまざまな立場からコメントした。
■中川秀直自民党幹事長
「対日関係重視の決意がひしひしと伝わる歴史的な演説だ。孫文や周恩来の日本人との親交に触れたことは意義深い。終戦時の中国人民の恨みを超えた人道精神を強調したことも中国指導部の歴史問題への姿勢を示すものだ。日本が国際社会で大きな役割を果たすことを望むとも述べた。まさに氷がとけた旅じゃないか」
ハァ?
終戦時の支那人民の恨み?!
分かって言っているのか?
―――――――
4.日本が戦争に負けた1945年の南京の様子はどうですか。市民が大虐殺を口々に訴えたり、日本人に復讐をしたりしたのですか。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A06.html
そういうことはありません。
(略)
日本が戦争に負けた後で、中国は東京裁判に提出する南京虐殺の証拠を集めるために、南京の日本軍の犯罪を告発するように中国人に呼びかけました。しかし、当時は南京での日本軍による残虐行為を申し出る者は「甚だ少く」、「否認する者」もいて、結局翌年の1月に東京裁判の証拠として提出できた証言は1件だけでした。そのため、裁判中も中国側は証言集めに非常な努力をして11件の証言を裁判に間に合わせて形だけはなんとか作りました。しかし、今日の目で落ちついて見ればそれらは日本軍が南京市内で大虐殺をやったと証明できるような証言でもなく、ちゃんとした検討に耐えうるものでもありません。
日本軍の占領後の南京には一万数千人の日本人がいて中国人に交じって住んでいた人も多かったのですが、当時は南京大虐殺などということを聞いた人はいません。昭和20年の南京には一万人以上の日本人がいて、敗戦のために日本人は中国当局によって市内の一ヶ所に集められそこで半年ほど生活しました。しかし、敗戦後の南京の日本人たちは虐殺の復讐を受けることもなく、中国当局から南京大虐殺ということを聞かされることもありませんでした。
(略)
―――――――
戦中・戦後に支那人民が恨んでいたのは日本軍ではなく支那軍だった。
支那軍による虐殺11
苛酷な徴発、略奪、徴兵等
【支那軍と支那人民の殺し合い】
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11717562.html
民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
■二階俊博自民党国対委員長
「日中の良い関係を持続していく跳躍台にしたいという気持ちが表れた歴史的な演説だ。ほとばしるような情熱があった。立ち見が出るほど超満員で温首相も何度も手を振って応えた。ああいうことが一歩一歩氷をとかすのではないか。『歴史問題を忘れないでください』というのは当然で、われわれは忘れてはならない。凝り固まった考えではいつまでも交わることはない」
流石、支那ポチのホープだ。
中川昭一政調会長らの「核」論議に対する二階俊博の問題発言
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5606721.html
■加藤紘一元自民党幹事長
「注意深くピシッと歴史問題を話したな。先の戦争は侵略行為だという認識を述べ、それは一部の軍国主義指導者によるものだったと。ある意味では安倍晋三首相が就任前に語っていた歴史観と正反対のことを遠慮なく述べた。今の安倍首相は方針変更してだいぶ良くなったが、まだ固まっていないので念を入れた感じだ。練りに練った演説だ」
支那人かよ?
■山崎拓元自民党副総裁
「名前のとおり温かい論調で『風は吹けども山は動かず』と述べた。過去に不幸な歴史があったが、子々孫々にわたる日中友好は山のごとく動かないという趣旨だ。村山談話を引用し、『行動で示せ』と言ったことは、靖国問題への中国の考え方を示したと受け止めるべきだ」
こいつの思考も、加藤紘一と同様に日本人離れしてる・・・
エロ拓と加藤紘一は27日から5日間、支那を訪問するそうだ。
エロ拓は、また支那女と変態プレイをするのだろうか?
山崎拓の訪朝を加藤紘一が評価
平壌入り後、何の音沙汰もなく、「もてなし」を受けている
山拓の変態プレイ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11418545.html
■太田昭宏公明党代表
「中国の基本的な考え方を率直に表現され、日中関係が極めて重要であることを日中両国民に訴えた良い演説だ。歴史問題では恨みではなく戦後の日本の営みを評価し、未来志向を打ち出した」
公明党か・・・
昨日、温家宝と池田大作が会談した。
当然、良い事しか言えない。
■鳩山由紀夫民主党幹事長
「日中関係がよりよい方向に進んでいくことが期待できる。歴史問題でかなり長い話をし、実際の行動を求めたことを政府はきちんと受け止める度量を持つべきだ」
靖国神社を参拝するな、ということだろうが、つまらん。
■古屋圭司衆院議員(自民)
「国会演説で演説原稿が配られないのは異例だ。一部を読み飛ばしたのも意図的ではないか。軍事費を毎年増やし、人工衛星を打ち落としながら、発展途上国だから援助しろとはあまりにご都合主義だ」
(・∀・)イイ!
そうだ!
古屋圭司を応援するぞ!
■萩生田光一衆院議員(自民)
「互恵関係と言うならばもう少しバランスよく発言すべきだ。少し恩着せがましい感じがしたね」
君も見込みあるぞ。
■稲田朋美衆院議員(自民)
「『実際の行動で示せ』と靖国参拝自粛を求めたところで、みんなが拍手するのはおかしい。遺憾だ」
(・∀・)イイ!
さすがだ!
稲田朋美は日本国民の期待を裏切らない!
■長島昭久衆院議員(民主)
「日本の文化の源流はわれわれにあり、不幸な出来事では中国が度量を示したと印象づけるのが狙いか。でも大国外交の風格はあった。わが国はこのままでは絶対勝てない。全身を緊張させオール・ジャパンで臨まなかったら勝ち抜くことは難しいと感じたね」
頑張ってくれ。
■渡辺周衆院議員(民主)
「日本の発展は中国文化から始まり、長い友好の歴史は日本のせいで悪くなったと言外に言いたかったのではないか。穏やかながら中国の従来の主張が随所に織り込まれ、今も変わらぬ中国の強固な意思を感じた」
正常な感覚だ!
渡辺周は民主党の良心だ!
ガンバレ!
■中川昭一自民党政調会長
「実務的で外交交渉みたいだな…」
うーん、中川政調会長には、もっとガツンと言ってほしかった。
■丹羽雄哉自民党総務会長
「日中友好に配慮しながらも牽制球を随所にちりばめていた」
(¬_¬)フッ
■町村信孝元外相
「東シナ海の問題など懸案を1つ2つ前進させなければ、真の日中友好ではない」
東シナ海のガス田は、支那とは関係なく日本が早く開発を始める以外に真の解決策はない。
いい加減、気付け!
戦略的互恵関係は「名ばかり」
国間懸案の東シナ海ガス田開発問題などで支那へ不信感
温家宝訪日など話し合いは無駄
二階俊博は消えろ!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/14096505.html
●その他
二階俊博、漆原良夫、河野洋平、加藤紘一、冬柴鉄三、太田昭宏、小坂憲次、丹羽雄哉、中川秀直、谷内正太郎・・・
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1931年には張学良は、長城南方の戦勝に勇気を得、「国権回復」に手柄を樹てて国民党に対する彼の威勢を高めんとする一念から南満州における日本の権益を蹂躙し始めた。
一方、それと時を同じうして日本は、世界経済に継起した諸事件のために尖鋭な国内的危機に陥り、ひいて軍主的=強硬一派(それは1920年以来鳴りを鎮めていた)の急速な再起を見るに至った。
南満州における支那国民党一派のやり口は、南満州鉄道体制を絞殺すること、そして渤海湾の胡蘆島の新港を基点とする競争線を敷設することによって、また満鉄の活動の拠って立つ各種の条約上の規定を逸脱阻害することによって、満鉄を経営難に陥れんとすることにあった。
新しい抗日的鉄道網の建設資金は、大部分満鉄の出資にかかる諸鉄道のために支那が負う負債の償還を履行しないで捻出する肝であった。
これらの鉄道借款の支那の不履行は支那側の常套手段の1部であって、日本側はいつも迷惑しながらも自ら資本を補給していかなければならなかった。
度重なる外交的抗議も無駄であった。
そして満鉄の絞殺を意図する支那側は、それに関係ある一切の条約上の義務を無視逸脱した。
張学良は日本の鉄道地帯や鉄道守備隊を攻撃して戦争を始めるつもりは少しもなかったのだが、彼は自領内で日本の報復を受ける心配は少しもないと考え、また幣原男爵の「協調外交」は如何なる高圧もこらえてゆくものと考えていたらしい。
張学良は自分のしていることが当時の日本に将に爆発せんとしていた軍部強硬派を如何に勢いづけていたかを覚らなかった。
日本は1929年末に始まった世界経済恐慌の最大の打撃を受けたといってもよいだろう。
戦争景気時代に膨張して基礎も薄弱で均衡もとれていなかった日本の経済体制は、東京、横浜を焦土と化した1923年の大地震で深甚な打撃を受け、爾後の6年間をその回復のために費やしていたのであった。
そして、漸く好況の曙光が見えてきたときに世界恐慌が来襲し、斯かる希望は悉く水泡に帰し、国を挙げて激甚な経済危機に巻き込まれたのであった。
経済的崩壊がどの程度のものであったかは、日本の輸出貿易が2,100百万円(1929年)から1,430百万円(1930年)に、さらに1,118百万円(1931年)へと転落したことによっても知ることができよう。
日本の主要な輸出原料品たる生糸は、奢侈(シャシ)品工業が逸早く恐慌の重圧を受けたので、特に深刻な打撃を蒙った。
社会的にも政治的にも、生糸価格の破局的暴落は最も重大な影響を齎した。
というのは、日本全国の農民達が地代と租税を払ってどうにか生計のつじつまを合わせていたのは養蚕の副業収入の御蔭であったからである。
生糸市場の崩壊と共に、人口過剰の農村は尖鋭な経済危機に襲われ、農民も地主も共に巻き込まれた。
P198-200
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)
1923年の関東大震災の後、ようやく日本経済が回復しようとしていた頃の1929年に世界恐慌が始まった。
世界恐慌によって日本経済は世界最大の打撃を受けていた頃、満州では張学良が日本の満州権益を蹂躙していた。
幣原喜重郎の国際協調外交は、支那に対して特に宥和な政策をとっていたため張学良は日本を舐めきっていたのだ。
平気で恩を仇で返す支那人に対する融和的・強調的な外交政策は、「百害あって一利なし」だという歴史の教訓とするべきである。
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幣原宥和外交の恩を仇で返す支那人
『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)18
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