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嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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西山被告、死刑確定へ=広島の独居女性殺害-最高裁・パチンコに熱中し、金融業者から借金を重ね、返済に窮して犯行・パチンカス=病人=朝鮮人の家畜

西山被告、死刑確定へ=広島の独居女性殺害-最高裁
4月10日15時31分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070410-00000082-jij-soci&kz=soci

 無期懲役の仮釈放中に広島県福山市で一人暮らしの女性=当時(87)=を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われ、差し戻し控訴審で死刑判決を受けた西山省三被告(54)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は10日、「仮釈放後2年余の事件で、被告の反社会性、犯罪性は顕著。刑事責任は極めて重い」と述べ、被告側上告を棄却した。死刑が確定する。
 同小法廷は「パチンコに熱中し、金融業者から借金を重ね、返済に窮して犯行に及んでおり、動機に酌量すべき点はまったくない」と指摘。被告が事件の全般にわたって主導的役割を果たしたと述べた。










またパチンカスか?!



強盗殺人罪で無期懲役が確定し、仮釈放中だった1992年、知人女性を殺害して金品を奪い、再び強盗殺人などの罪に問われた。

パチンコに熱中し、金融業者から借金を重ね、返済に窮して犯行に及んだ。

パチンコが、依存症に陥りやすいことは医学的に証明されている。

パチンカスは病人なのだ。

自分が身を滅ぼすだけならまだしも、子供を車中で蒸し焼きにしたり借金を重ねて強盗殺人を及ぶから黙ってはいられない。






パチンコは麻薬【パチンコはあなたの人生を奪います】
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/3875/










ついでに言うと、在日朝鮮人がパチンコ屋で稼いだ資金が北朝鮮を支えている。



「日本のパチンコ産業が北朝鮮を支えている」・・・金正日会談議事録
フジテレビは、ニュース番組「スーパータイム」の中で、北朝鮮の金正日総書記との会談議事録を元に、金総書記が「在日朝鮮人の70%が、30兆円市場である日本のパチンコ産業に関わっており、その送金がわが国を支えている」という旨の発言を行ったと報じた。
2003年2月20日


在日朝鮮人の稼ぎはパチンコ産業以外を全部足しても微々たるもの。それと、朝鮮総連の直営店も多数ある。
(参考)
「千葉県の総連本部などは、八千代市にあるパチンコ店1店のあがりだけで県本部や支部、朝鮮学校の教職員の給与まで賄っている。」
元朝鮮総連中央本部の財政局副局長
2002年


日本最悪の政治と業界の癒着
1980年代、アメリカの保守系雑誌『タイム』は、土井たか子委員長を含む当時の日本社会党幹部数名をPachinkoSocialist『パチンコ・ソーシャリスト』と名指しして非難した。
日本のパチンコ産業から10億以上の金が北朝鮮経由で社会党(現社民党)に流れこんでいる、 というのである。
じっさい、土井たか子は当時のパチンコの業界団体から「パチンコ文化人」の称号を奉られていた。
2003/2/17付のNYタイムズ(オンライン版)では、兵器、麻薬の密輸および在日朝鮮人の北への送金停止をブッシュ政権が検討しているとの報道で、to cut off remittancesto North Korea from Korean-owned gambling parlors in Japanと、「在日朝鮮人経営のパチンコ店からの送金停止」と明確にパチ屋をターゲットにしていることが伝えられた。






パチ屋の入り口からパチンカスを見ると、まるで養鶏所の鶏のようだ。

朝鮮人の家畜そのものである。






社民党ウォッチング
パチンコ・・・社会党・・・朝鮮総連
http://hp1.cyberstation.ne.jp/negi/DEMO/shaw/t011.htm










■関連記事

3歳女児転落死・大阪・守口のマンション4階から 両親はパチンコ中?
【警告】パチンカスによる子供殺し
【犯罪・違法】パチンコ・パチスロ【警察は恥を知れ】

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/17309569.html






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『岡村寧次大将回想録』(1954年編纂)と『岡村寧次大将資料』(1970年出版)・Yahoo!掲示板より

Yahoo!掲示板
海外ニュース > 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘


『岡村寧次大将回想録』(1) 2007/ 4/ 1 21:48 [ No.17478 /

投稿者 :
nmwgip


(一部抜粋)

 岡村寧次大将は、終戦後支那派遣軍総司令官として、中国軍に対する降伏手続き、日本軍の武装解除・武器引渡しと、不当に武器引渡しを要求する共産党軍に対する抵抗指揮、共産党軍の横暴や不当軍事裁判についての国民党政府に対する抗議、日本兵の復員手続き、そして自身の戦犯裁判の為、昭和二十四年一月二十九日の出航まで、中国国民党軍に拘束されていました。
 その間蒋介石に厚遇され、蒋介石との個人的なコネにより戦犯として処刑されることを免れています。この事は、同年一月二十二日に蒋介石が大総統職を追われ、替って臨時大総統となった李宗仁が無罪判決後再逮捕を命じたところを間一髪で逃れている事実、帰国後岡村氏が「白団」を組織して蒋介石を支援し続けた事実に裏付けられていると言えるでしょう。
 つまり岡村氏は「終戦後戦地に於」ける期間、蒋介石の意向を無視できない状態にあったと推測できます。










『岡村寧次大将回想録』(2) 2007/ 4/ 1 21:50 [ No.17479 /

投稿者 :
nmwgip


 この『岡村寧次大将回想録』が『岡村寧次大将資料』回想編の原資料であることは、内容の同一性から間違いないと思われます。
 そして『岡村寧次大将回想録』が書かれた状況を前記のように理解すれば、『岡村寧次大将資料』前半部分に収録された終戦後の日記の内容と、後半部分の回想編の内容が矛盾している理由が説明できます。
 『岡村寧次大将資料』前半部分に収録された日記と、『岡村寧次大将回想録』は同一時期に書かれた物です。その内容は、本来一致していなければならない。
 しかし、そうなってはいなかった。
 おそらく『岡村寧次大将回想録』は蒋介石の意を受けて、国民党の宣伝戦略に合致するように書かれた物です。しかしそれは、岡村寧次大将がいくら軍の在り方に不満を持っていた改革派、理想主義者だったとしても、岡村氏本人にとり不本意なものだったのでしょう。
 それで、回想録とは別に、本当に自分の認識していた記録として、日記を残したのだと思われます。
 だからこそ『岡村寧次大将回想録』は転載・公表を禁じられていたのだし、『岡村寧次大将資料』も本人の生きている間は出版されなかったのでしょう。(岡村氏の没年は1966年、『岡村寧次大将資料』の出版は1970年)

では某書に引用されている部分を回想録原本から引用してみます。

----
昭和一三、七、一三(上海)
 中支戦場到着後先遣の宮崎参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れば従来派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くは之を殺するの悪弊あり、南京攻略時に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪強姦多数ありしことは事実なるが如し、最近湖口附近に於て捕獲せる中国将校は我等は日軍に捕えらるれば殺され、後方に退却すれば督戦者に殺さるるに由り唯頑強に抵抗するあるのみと言えりと云う。
 上海には相当多数の俘虜ありて苦役に就かしめあり、待遇必ずしも適良と云い難し。
(以下略)
----

 ここで聴取したと言っている内容は、
1.俘虜を殺す悪弊があった
2.南京攻略時に約四、五万の大殺戮があった
3.市民に対する掠奪・強姦が多数あった
 の三点です。
 まず注意しなければならないのは、俘虜を約四、五万殺戮した、とは書かれていないことです。
 ましてや、市民を不法に殺害したという認識は後段を読んでみても皆無です。
 南京に於ける市民に対する「残虐行為」は掠奪・強姦であり、市民に対する「大虐殺」は言及されていません。
 そしてその三点を「事実なるが如し」、つまり事実であったようだ、と表現しています。

(以下、coffeeが一部修正)
 中国将校の証言が事実でないことは、そのすぐ次の文章、「上海には相当多数の俘虜ありて苦役に就かしめあり」で明らかです。岡村氏は俘虜を殺す悪弊があった根拠として、事実ではないと判っていた中国軍将校の証言を採り上げていることになります。
 多数の俘虜が使役されている現実を目にしながら、派遣軍に俘虜を殺す悪弊があるのは事実と判定するのは不自然です。










『岡村寧次大将回想録』(3) 2007/ 4/ 1 21:53 [ No.17480 /

投稿者 :
nmwgip



『岡村寧次大将資料』の前半部、1947年3月10日の日記にはこう書かれています。

----
 谷寿夫中将最後の公判、死刑を宣告された。
 いわゆる南京暴虐事件は、中国側でも最も重大視していた。当時南京に居住していた外国宣教師等が、実際に視た暴行の状況を詳細に綴った書物なども欧州で刊行され、その中国語訳書を終戦後殊更に私の許へ届けたりして、南京事件は許さないぞとばかりの示唆があった。中国側も、谷寿夫の第六師団よりも中島今朝吾第十六師団の方が遥かに罪状が重いことを知っていて、わが連絡班に対しても、中島師団長、同師団参謀長、同各団隊長《これらの氏名は先方は既に調査済であった》の所在、場所を調査して報告せよと命じてきたこともあったが、中島は既に死亡、その他団隊長等の所在は当地当班では調査不可能と答えておいたことがある。
 罪の深い第十六師団関係は罰せられず、ほとんど罪のない方を代表して谷中将のみ極刑に処せられる。感無量。
----

 谷中将は「ほとんど罪のない方を代表して」処刑された、と当時の日記には書かれています。つまり、「南京暴虐事件」の主犯は第十六師団であり、第六師団には「ほとんど罪がない」と認識されているのです。(そしてその「罪」の内容も俘虜殺害、掠奪、強姦で、市民の大量殺戮ではありません。)
 これに対して、後半回想編第四編「武漢攻略前後」において、次の記述があります。

----
・・・地形の関係もあり自然漢口に突入するのは第六師団のみであるので、この訓示は誇張されて師団将兵の士気益々振う動機となったらしい。
 しかしそれだけに、南京攻撃戦で前科のある師団でもあり、如何にして漢口入城に際して立派に軍、風紀を維持せしめるかについては、私も、稲葉師団長も、牛島旅団長も相当苦心したことは後述するとおりである。・・・
----

 ここでは第六師団を「南京攻撃戦で前科のある師団」としています。
 1947年の日記では「ほとんど罪のない」、1970年出版の回想編では「前科のある」、と判断が分かれている訳です。
 では、『岡村寧次大将資料』の原資料である1954年編纂の『岡村寧次大将回想録』ではこの件についてどのように述べられているか。

----
昭和一三、一一、二〇 A
 漢口占領当時支那人及外人は南京攻略時の我軍大暴虐より推察して我軍の暴行を予期せしが案外に軍紀厳粛なりしかは民心大に安定せり。
 然るに入城後二、三日にして第六師団其の他に強姦事件二、三件発生し謡言次で起り、市中不安を招きたるは遺憾とする所なり。
 予は武漢入城に際しては極力兵力を減少し漢口に入れたるは第六師団の二大隊のみ又第六師団も入城前随分厳格に訓諭するありしも一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず、燦然たる戦功を樹てたる部隊が遂に一汚点を印するに至りたるは遺憾なり。
 被害者の多くは外人宣教師の許に遁れて再難を防ぎたる為是等外人より我憲兵に告訴し来り事件は世界的に喧伝せらるべし。予は本日軍の宣撫規定を発布するに臨み改めて是等非行厳戒の旨を訓示せり。
----

 回想録の当該部分と照合することにより、『岡村寧次大将資料』における「南京攻撃戦で前科のある師団」の「前科」とは、主に強姦であることが分かります。
 そして「二、三件」の強姦事件を以て「一汚点を印するに至りたるは遺憾なり」と嘆き、「一年以来の悪習は容易に将兵全部を改悛せしむるに至らず」と責めているのです。
 岡村大将の言う「軍紀の乱れ」というのがどの程度のレベルのものなのか、これで分かると思います。
 「二、三件」の強姦事件を「汚点」と嘆く指揮官が、千件、万件単位の強姦事件に関わっていた師団を、如何に用兵上の都合があろうと入城部隊として投入するはずがありません。数十件、どんなに多くても百件前後の強姦・掠奪、それが岡村氏の言う「大暴行」の正体だと思われます。(それが事実という確証もありませんが)
 また、「二、三件」の強姦事件が判明した経緯は、被害者を保護した外人宣教師の告訴によるものだったことも窺われます。この遣り口は、南京安全区国際委員会による日本大使館宛抗議と同じ物です。
 偶然の一致とは思われません。












1月16日修正

上記Yahoo!掲示板での一連の投稿を後日、nmwgipさんがサイトで訂正しまとめた↓





『岡村寧次大将資料』について
http://1st.geocities.jp/nmwgip/okamura/okamura.html



(靖国偕行文庫所蔵)の文献資料の表紙はこれです。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/okamura/hyoshi.html
この通り、文献のタイトルは『岡村寧次大将回想録』です。

『岡村寧次大将陣中感想録』というタイトルで、偕行文庫に所蔵されている文献資料はありません。

『岡村寧次大将回想録』の表紙を捲ると出てくる内表紙がこれです。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/okamura/uchi.html
「岡村寧次大将陣中感想録」というのは、『岡村寧次大将回想録』の内表紙のタイトルです。



 資料の状態から見る限り、この文献は当初、「岡村寧次大将陣中感想録」というタイトルで編纂されたものです。ただそれは、装丁も何もなく、和文タイプを打った普通紙を綴じ込んだだけのものでした。資料の毀損を防止するため、防水加工の厚紙で「岡村寧次大将陣中感想録」を製本したのが『岡村寧次大将回想録』です。
 従ってこの資料は本来、『岡村寧次大将回想録』に収録されている「岡村寧次大将陣中感想録」と言うべきものです。

(略)

(靖国偕行文庫所蔵)であるならば、偕行文庫に所蔵されているのは『岡村寧次大将回想録』だけです。『現代歴史学と南京事件』は資料を収録した文献名を明示せずに資料名だけを示すという、素人のような杜撰な引用をしている本です・・・










■訂正した記事

『岡村寧次大将資料』について
戦後に支那で国民党軍に自分や部下たちが拘束されているときに編集
二、三件の強姦に汚点と嘆き
『岡村寧次大将回想録』と『岡村寧次大将陣中感想録』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/19884280.html





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国民党は右翼と左翼による内戦後、張作霖と戦争して北京を占領し合法国家になったが、首都南京は動かさず・外国の特権廃棄を画策し日本の鉄道付属地が狙われる・『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著13

 国民党内部の争覇戦が1927年末には一先ず片付いたので、ここに再び張作霖の一味に対する戦争が開始された。
河南、陜西、甘肅の諸省を支配する馮玉祥と、山西省の支配者閻錫山は国民軍に参加したので、少なくとも名目上は南京政府に属する各軍隊が南方及び西方から北京を包囲した。
そして北京は遂に閻錫山の攻略するところとなり、閻軍は1928年6月8日、北京に入城した。

北京の陥落と共に国民党政府は、内乱開始以来北京政府に属した合法性を引継ぐことになった。
だが国民党は、南京を将来の首都と定めていたので、政府を南京の地から動かさなかった。
北京の外務省は閉鎖され、そして支那の対外関係の指導権は、今や正式に合法政府として承認された国民政府の手に移った。



 だた、満州の形勢は、国民党の北京占領後もなお混沌としており、国民党を「利権回収」闘争がその悲劇的クライマックスに達したのは実にこの満州においてであった。
支那の条約改正運動は、長城以北の地においては新しい形態をとった。
該地域においては、問題の対象は「特殊権益」であって、もはや重要諸外国の多数に共通な条約上の諸権利ではなかったからである。

支那の改正論者が廃棄しようと努力した条約上の諸権利は大体5種目に分かれていた。
即ち、治外法権、独立租界、関税制限、租借地、鉄道付属地であった。
初めの3種目に属する特権は最恵国待遇を有するすべての国に共通するものであり、従ってその共通の諸権利を害する何らかの高圧手段に対しては関係諸国(主として英、仏、米、日)の共同戦線による抵抗が予想された。
租借地は今は3国が所有するだけであった。
即ち英国が香港を、フランスが広州湾を、日本が関東州を租借していた。
各租借地には守備隊が駐屯しており、公然の戦争によらなければ奪還は不可能であった。

他方、鉄道付属地は、ソビエト・ロシアと日本の2国が有するだけで、しかも完全なる特権を享有するのは日本だけであり、従ってこの種の権益擁護において利害を1にする国家ブロックは存在せず、しかも日本とロシアは、日本のシベリア出兵以来両者を阻隔せしめた相互の敵意と猜疑のために、権益擁護の共同戦線は容易に作り得ない状態にあった。

P188
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)










1924年に成立した第1次国共合作だったが、1927年に国民党左翼(共産主義者)が中心となって起こした「南京事件」を契機に、国共合作は終焉し、国民党内部の争覇戦が起こった。

国民党の右翼は南京政府を樹立し、左翼の漢口政府を崩壊させた。

当時、対外的には北京にある政府が支那を代表することが慣わしだった。

国民党は、張作霖が支配していた北京の占領に成功したが、首都を北京に移すことなく、南京に首都をおいたまま正式に合法政府として承認された。

支那を代表する政府となった南京の国民政府は、それまで支那が結んでいた条約の外国権益を廃棄しようと画策し、日本の鉄道付属地をそのターゲットにする。


次回、国民党の北伐軍が山東の首都済南で日本軍と衝突する。

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