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核武装には核の「最高の平和利用」との形容がふさわしい・『「平和利用」――けじめなき言葉』・西部邁【保守再考】

核武装を含めた日本の自主防衛態勢の確立を繰り返し提唱する西部邁氏が、今朝の産経新聞で、【核武装=核の平和利用】との論を披露しているので紹介する。






「平和利用」――けじめなき言葉


【保守再考】(40)
西部邁
2007/02/19, 産経新聞

 人間は言葉の動物だ。だからかえって、人間は自分の言葉によって訛(あやま)り、他人の言葉によって誑(たぶらか)される。その好例が「平和」という言葉であることについて、平和列島の住民も少しは気づいているのではないか。

 平和という言葉は「戦争が"ない"状態」をしか意味しえない。つまりそれは消極的な意味の言葉にすぎない。平和を維持するには、また平和のなかで生じる国民精神の退廃を克服するには、どうすればよいのかという積極策は、平和という言葉をどれほど呉(かまびす)しく叫んでも、何一つ打ち出されない。

 平和という言葉に積極的な意味が宿っていると思うのは、訛言(かげん)であり誑妄(きょうもう)であり、呉しい誤解である。そうとわかれば、核エネルギーの「平和利用」という世界中に流布されてしまっている言葉についても、疑念を差し向けざるをえない。つまり、原子力発電で(家庭や企業に)電力を送ることだけを核の平和利用とよぶことから、核武装にたいする訛りと誑しの言説が広められているのではないかということだ。


 平和の対語は「戦争」なのであるから、平和利用を原発に限ると、核武装はそのエネルギーの「戦争利用」に当たる、という語感を(曖昧(あいまい)なものにせよ)世人は抱くであろう。そして彼らは、核の戦争利用と聞けば、そんな危険かつ野蛮な所業に手を染めるのは桑原、桑原、と尻込みしはじめる。



 しかし核武装こそは、少なくともそれを正当とする理念からすれば、核の平和利用の最たるものなのである。なぜといって核武装は、「(自国の)核兵器による(他国からの)核攻撃の抑止」のためのもの、より広くいえば「核による大戦争の制止」のためのものだからである。戦争が抑止されている状態、それが平和にほかならない以上、核武装には核の「最高の平和利用」との形容がふさわしい。



 私がかつてある国立大学の社会科学科に所属していたときに実際に起こったことだが、「戦争研究」という講座を新設することに大半の教官が反対した。彼らは「平和研究」という講座名ならば何の文句もいわなかったであろう。「平和のない状態が戦争である」という当たり前のことが、社会研究にたずさわっている者にすら通じないのである。言葉の(教化力ならぬ)"誑訛力"は凄いものだと認めざるを得ない。


 たとえ核の戦争利用といったとて、注意深い者なら、その戦争は侵略なのか自衛なのか、自衛だとしてもその戦争利用は予防的先制としてなのか(核攻撃を受けたのちの)報復としてなのか、について分類をほどこすであろう。その分類図のどこに位置するかによって戦争利用の意味が異なってくる。

 言葉において訛ったり誑されたりするのを避けるには、言葉の「けじめ」(仕分け)が必要だ。けじめなき言葉はムードでまぶされ、ムードだらけの言葉は表現を幼稚にする。政治から文化に至るまでの現代の多弁症は、けじめなきがゆえに、失語症も同然である。

 (にしべ・すすむ=評論家、秀明大学学頭)

 訛言=誤った風評▽誑妄=でたらめ






(・∀・)イイ!



素晴らしい正論だ!





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1920年代の日本の反軍拡主義とソ連の軍拡・第4章日本、赤色帝国に直面す・『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ著3

 日本としては、今日本がその真っ只中にいる最近の軍国主義の傾向について、共産国の独裁政治と軍国主義に感謝しなければならない。第1次大戦後の10年間、日本の国民感情が非常に反軍国主義的であったことは、誰一人として、例えどんな日本嫌いの人であろうと否定できない。実際それは、非常に必要な新型の武器や軍隊の機械化(日本はこの点で他の列強に比較して嘆かわしいほど遅れていた)のための支出金を国民も議会も認めようとしないほど、反軍国主義的であった。

 軍の装備同様、人材面においても事情は然りであった。1922~24年の間に千8百人の士官と3万6千人の兵士が解雇された。さらにまた、再調整によって兵役期間が短縮され、朝鮮における幾つかの守備隊が廃止された。平和主義の立場からこのような結果となった軍隊の規模は、総計で5師団の削減となった。さらにまた1925年、新たに4個師団(16個の歩兵連隊、4個の騎兵連隊、4個の野戦砲兵連隊、4個の工兵大隊、4個の輜重大隊、1個の自動車大隊を含む)が廃止され、3万7千人の人員削減となった。

 その間、ソ連は農民と労働者を基盤として軍備を増強していった。その軍備拡大は余りにも大規模に行われたので、小国はうろたえてしまうほどであった。とりわけ日本ではその反動は嘆かわしいほどであり、それによってより大きな軍備を求める軍国主義者の執拗な要求と、陸海軍の権力増大をもたらした。

P94-95
『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著

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