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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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支那がエイズ対策の第一人者を軟禁・実態暴露を恐れた当局が訪米を阻止・貧乏農民から大量採血し両足を持ち体を振り回すブローカー「血頭」・1日に190人がエイズに感染している支那


写真

支那の入浴施設には、同性愛者のたまり場のようになっている所が多い。
エイズなどの感染を防ぐため、入浴施設内にコンドーム販売機の設置を義務づけようとする動きが出ている。




支那でエイズ対策に尽力している80歳の女性が、当局によって軟禁された。

どうして、エイズの治療と予防、患者の遺族への支援などを続けている支那人老婆が、支那当局に軟禁されなければならないのか?!



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中国 エイズ実態暴露の女性軟禁
2007/02/07, 産経新聞

 6日付の香港紙・明報などは「中国の草の根エイズ対策の第一人者」と呼ばれる元医師の女性、高耀潔氏が、国際民間組織の授賞式に出席するため訪米を準備していたところ、当局により自宅軟禁下に置かれたと報じた。

 高氏は中国農村部のエイズ被害の実態を明るみに出し、精力的に患者のケアに取り組んできた。高氏に近い関係者は同紙に対し、新たな実態暴露を恐れた当局が訪米阻止に動いたと話した。

 女性の権利保護に取り組むこの民間組織「バイタル・ボイシズ・グローバル・パートナーシップ」は米国を本拠に活動し、ヒラリー・クリントン上院議員が名誉会長を務めている。

 高氏は、中国で女性の権利保護に貢献した点を認められ、3月半ばにワシントンで行われる授賞式に出席する予定だった。しかし、河南省の自宅周辺で数十人に動向を監視され、身動きが取れず、電話も不通になっているという。(香港 時事)
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ヒラリーが名誉会長を務めている民間組織の招待で訪米の準備をしていたらしいが、支那共産党のメス犬(豚)ヒラリーは、この老婆を見捨ててしまうかもしれない。

もしかすると、ヒラリーが支那にちくったのかもしれない。


支那共産党が米民主党やクリントン夫妻へ贈賄 『中国の「核」が世界を制す』伊藤貫著
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3930305.html
支那のスパイのジョン・ホアンを商務省高官にしCIAの機密レポートにアクセスさせたヒラリー 『中国の「核」が世界を制す』伊藤貫著
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3930478.html





ここは、支那の人権や自由の弾圧に対して最も過激なナンシー・ペロシ下院議長に期待したい。

「最も過激な反支」ペロシ新議長誕生に支那も懸念....頑張れ、ペロシ!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/7921496.html






ところで、支那が恐れるエイズの実態暴露とは何なんだろうか?
先週の東京新聞が良い記事を掲載していた。



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中国 エイズ村をゆく 農民たちの叫び
支え 腐敗と闘い 患者救済
2007/02/01, 東京新聞

 小柄な体に分厚いレンズの眼鏡。「闘うおばあちゃん」といわれる河南省の元産婦人科医、高耀潔さん(80)がエイズ問題に取り組み始めたのは、同省の農村の実態を知った十年前だった。

 当時は省政府が農民に非衛生的な「売血」を勧めた以外に、「血頭」と呼ばれるブローカーが暗躍。「五百ccの血を抜く」と言いながら実際は七百ccを採血し、「頭がふらふらする」と訴える農民の両足を持ち「こうすれば血が戻る」と体を振り回した。血液をしょうゆ瓶にためるなど劣悪な採血環境はエイズウイルス(HIV)のまん延に拍車をかけた。

 「貧しさから血を売った農民が治療も受けられず死んでいく。医者として目をつぶるわけにいかなかった」

 高さんは「エイズ村」と差別される農村を巡回し、無償で診察と予防知識の普及に努めた。売血との因果関係を初めて公に主張したため、当局は彼女を「反体制」とみなし、「高が村に来たら連絡しろ。賞金を出す」と密告を奨励した。

 盗聴や尾行が続き、米国の健康人権賞を受賞した時は出国を差し止められたが、「こんな年寄りをおどしても無駄」と屈しなかった。二〇〇三年、新型肺炎(SARS)騒動で地方政府の隠ぺい体質を改革しようとした中央政府が、高さんの活動を評価。風向きが変わった。

 「でも役人の腐敗は変わっていないし、貧しい地域で『血頭』による売血や感染は続いている。事態は何も好転していない」。資料が山積みの自宅で高さんは嘆く。その一方で「以前なら私に会いに来たあなた(記者)は捕まっている。社会が変わっているとも思いたい」と語った。

 高さんの期待に応えるようにエイズ問題に関心を持つ若者は増えている。

 非政府組織(NGO)「東珍納蘭」代表の李丹さん(28)は、河南省の農村でエイズ孤児の救済、副作用の少ない薬の提供などの活動をしている。北京大学を卒業後、エリート科学者の道を捨てた「カリスマ活動家」として有名な李さんの講演や報道を知り、ボランティアに目覚める学生も多い。エイズ問題にかかわるNGOは百団体を数えるようになった。「少しずつだが、社会の理解が深まっている」。李さんも高さんと同じく、未来に希望を込めるように語った。

 (メモ)
 感染の実態 中国衛生省によると、昨年新たに報告されたエイズ感染者のうち、薬物常用者は37%、性交渉による感染は28%、売血・輸血による感染は5%としている。しかし、四川省、雲南省など広範な貧しい地域で売血は続き、輸血による感染も後を絶たないため、その比率は実際にはもっと高いと推測される。
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ウワッ!
ブローカーが貧しい農民から大量の採血をし、「頭がふらふらする」と訴える農民の両足を持ち「こうすれば血が戻る」と体を振り回した?!


\(`o'")コラーッ


そして、その血液をしょうゆ瓶にためてるって・・・
\(◎o◎)/





実際に、支那では、1日に190人がエイズに感染している。
{{{{(+_+)}}}}ガクガクブルブル



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中国で1日に190人がエイズに感染、売春・麻薬が大きな原因―福建省泉州市
2006年 12月3日,Record China

「世界エイズデー」のこの日、泉州市の市疾病予防コントロールセンターは、刑務所を訪れてコンドームの使い方などを受刑者たちに指導した。お決まりのようにバナナが使われている。
 
2006年12月1日は「世界エイズデー」。福建(ふっけん)省泉州(せんしゅう)市疾病予防コントロールセンターの職員たちがこの日、市の労動刑務所を訪れて600人余りの犯罪者に対し、エイズ予防の知識を授けた。

中国衛生部疾病予防コントロール局の斎小秋(チーシャオチウ)局長は、最近中国各地でエイズ予防のためにコンドームが配られたり宣伝が行われたりしていることに対し、これらのことから中国が売春や買春を認めているように思う人もいるかもしれないが、それは間違いだと主張している。

斎局長の話によると、売春と買春を厳しく取り締まることが中国政府の方針であり、エイズを防止するためにコンドームの宣伝も行っているものの、それとこれとは矛盾するものではないとしている。

現在中国では、毎日190人がエイズに感染しているという。そのうちの49.6%が、安全でない性行為によって感染している。次に多いのが麻薬を注射する際、安全でない針を使ったことによる感染で、48.3%を占めている。

エイズは売春、買春、麻薬などの問題と関係があることが多いため、これらがなくならない限りエイズ感染の危険もなくならないだろう。
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・゜・(´Д⊂ヽ・゜・



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中国の銭湯に、コンドーム販売機の設置義務づけなるか
2007年2月4日,Record China

2007年2月3日、中国衛生部と商務部は、共同で制定した「入浴場所の衛生規則」(討論段階の原稿)を、地方の衛生機関と商務機関に公表し意見を求めることにした。今回制定されたこの規則では、入浴施設の設備とその配置に関する明確な要求があり、例えば更衣室と浴室の位置関係や、休憩室の面積などが細かく決められている。

特に今回の規則では、入浴施設内にコンドームを用意することやコンドーム販売機の設置が明確に求められている。関係者によると、この項目を追加しようとする背景には、近年中国の入浴施設で売春行為が非常に多く、性病やエイズなどの病気のおもな感染理由のひとつとなっていることがあげられるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070204-00000003-rcdc-cn
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(・・。)は??

2月7日は「北方領土の日」・北方領土のおさらい・「維新政党・新風」の基本政策大綱など

本日、2月7日は、27回目の「北方領土の日」だ。

そこで、おさらい。


わが国の「北方領土」とは、【択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島の北方四島】と【択捉島や国後島以外の千島列島】と【南樺太】だ。

日本政府は、歯舞諸島と色丹島は千島列島に属さないとしている(歯舞諸島と色丹島は北海道に属している)。

日本政府は、このうち、北方4島を、一度も他の国の領土となったことがない領土という意味で、『固有の領土』と表現しているそうだ。





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維新政党・新風
基本政策大綱
外交
http://www.shimpu.jpn.org/hombu/seisaku/taiko/taiko.htm#gaikou
(一部抜粋)
 我々の主張する北方領土とは全千島列島を指す。全千島列島を我が国の領土と主張する理由は、かつての樺太のごとく戦争の結果としての領土ではなく、日露両国が平和裏に交渉し、明治8年(1875年)千島樺太交換条約をもつて確定した領土であり国境であるからである。我が国は将来においても自由と平和を国是とし、近隣諸国とは友好をもつて交流することを希望してゐる。日露両国が真に平和と友好を考へるならば、明治8年の精神にもどるべきである。但し、昭和26年の講和条約において我が国が放棄した南樺太の帰属は、未だ国際的に明確にされてゐないことを忘れてはならない。領土交渉は主として二国間の問題であるが、ヤルタ密約に関係した諸国にもその責任がある。



―――――

樺太が日本固有の領土であることを裏付ける新事実


 樺太が元々日本固有の領土だったことを裏付ける新事実が、この程出版された『日露領土紛争の根源』(草思社刊)によって明らかになった。

 出版に合わせて記者会見を行った著者の長瀬隆氏は、

「1823年に医師として来日したシーボルトが新事実発見の鍵になった」

 と語った。

 シーボルトは近代西洋医学を日本に伝える一方、日本の地理、歴史、文化などを調査、研究しヨーロッパに紹介した。

 彼が1832年にドイツ語で記した著作『日本』では、江戸時代後期に幕命で北樺太を探検した間宮林蔵について触れており、半島だとみなされていた樺太を実際に探検し、島であることを発見した人物として高く評価している。

 しかし、1853年にペテルブルクで刊行されたロシア語訳の『日本』では、間宮林蔵の業績は完全に抹消されていたというのだ。

 長瀬氏は、

 「正しい日露関係史が書かれることを期待したい」

 と訴えた。

 かつて国民新聞社は渡邊明著『南樺太を忘れるな』を発行した。

国民新聞




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外務省

北方領土問題に関するQ&A
(関連質問)
平成15年5月

「国内で発行されている地図において、南樺太などが日本ともロシアとも違う色に塗られているのはなぜですか。
1. 南樺太(=北緯50度以南)及び千島列島(=ウルップ島以北の島々)については、その領域主権を有していた日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約(注)(第2条(c))により、すべての権利、権原及び請求権を放棄しました。サンフランシスコ平和条約上、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は将来の国際的解決手段に委ねられることとなっており、それまでは、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は未定であるというのが従来からの日本の一貫した立場です。

(注)ソ連・ロシアは締約国ではない。

2. この立場を踏まえ、南樺太及び千島列島は日本国内で発行されている地図上、通常は日本でもロシアでもない以下のような表記がなされています。

(1)樺太上の北緯50度線、(2)北海道(宗谷岬)と樺太の間、(3)カムチャッカ半島と千島列島のシュムシュ島の間、(4)日本固有の領土(択捉島)と千島列島のウルップ島の間、の4ヵ所に線(国境線とは異なる)が引かれている。
白抜き等、我が国及びロシアのいずれの色とも異なる色になっている。
帰属未定である南樺太に、なぜ日本の総領事館があるのですか。
1. ロシアのサハリン州においては、近年、邦人保護を初め同州に関係する諸懸案の円滑な処理を図ることが必要になり、そのためにサハリン州知事をはじめとする州行政府関係者との間でハイレベルでの恒常的な接触を保つ体制を整えることが、日本及び日本国民の利益を保護し増進する上で重要となってきました。このような状況を踏まえ、ユジノサハリンスクに総領事館を設置することにしました。

2. ユジノサハリンスクに総領事館を置くことと、南樺太の法的地位の関係については、以下のとおりです。
 南樺太については、ロシアが継続的に現実の支配を及ぼしており、これに対してロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っていません。また、ロシアが南樺太においてこのような施政を行っていることについて、同地域に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄している日本は、これに異議を唱える立場にはありません。日本がユジノサハリンスクに総領事館を設置したのは、このような現実を前提としたものです。
 仮に将来、何らかの国際的解決手段により南樺太の帰属が決定される場合には、日本としてその内容に応じて必要な措置をとることになります。

3. なお、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土である北方四島については、南樺太及び千島列島(=ウルップ島以北の島々)と同列に論じられるものではありません。北方四島は、サンフランシスコ平和条約で日本がすべての権利、権原及び請求権を放棄した千島列島には含まれず、日本はロシアとの間で領土問題の解決に向けた交渉を鋭意行ってきています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/topic.html

―――――





鈴木宗男衆議院議員の質問趣意書に対する政府答弁書
平成十七年十月二十八日提出
質問第三九号
南樺太、千島列島の国際法的地位などに関する質問主意書
提出者  鈴木宗男
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163039.htm


【主張】北方領土の日 妥協排し「四島」一枚岩で
2007/02/07,産経新聞
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070207/shc070207001.htm


【正論】杏林大学客員教授・田久保忠衛 北方領土問題の原点にもどれ
■いまは日露交渉に「最も悪い時期」
2007/02/07,産経新聞
≪「武器」を持たない交渉≫
≪言葉失う政府の対露姿勢≫
≪コール元西独首相の才覚≫
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070207/srn070207000.htm


北方領土
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F

千島列島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F








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731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)8・飛行機細菌作戦の怪3・おかしな井本日誌・英ポートン細菌研究所の見解・「田中淳雄少佐尋問録」から判る「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)の出鱈目

731部隊が細菌戦を行ったというのは嘘である。



常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表に対して米英などは当初から懐疑的だった。
米英は、重慶政府の発表のはるか以前に、独自の情報網を使ってその発生の原因と経過についてかなり正確な情報を入手していた。

英のポートン細菌研究所は、


・飛行機から地上まで物体が落ちる道筋をたどった目撃者が特定されていない。

・物体(穀類、紙、木綿ぼろ)が見つかった付近には通常のゴミの山が見られた。

・収集された米穀類からペスト菌が発見されなかった。

・常徳では以前にペスト流行はなかったとされているがそれを証明できる死亡統計が得られていない。


などの理由により、ペストの流行が風土病である可能性を排除できないとして常徳のペスト流行が日本軍の細菌投下によるものであることを否定した。





そもそも、大量のペスト感染ノミを製造するのは不可能なのだ。
100グラムのノミを製造するのに1600頭の白鼠が必要。
そうすると、10キログラムのノミを造るには160,000頭の白鼠が必要。
こんなに大量の白鼠をどうやって集めるのか。
しかも、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間という。
頻繁に取り替えなければならない。
これでは、大量に作るまでに時間がかかる。
最後の一匹が出来たとき、最初に造ったノミは生きているのか。
結局、ノミの人工的な大量繁殖は不可能で、ノミ(ペスト菌)を使っての細菌戦も嘘っぱちということだ。



それから、田中淳雄少佐が余暇にノミの増殖研究を命ぜられたのは1943年だから、1940年~1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」は完全な出鱈目なのだ。

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(4) 蚤の増殖方法の研究

 一九四三年(昭和十八年)P防疫の余暇に「ケオプス」の増殖を命ぜられたり

 (イ)、蚤増殖方法
 アブデルハルデン氏法(一九三一年)に倣って実施(原著を供覧す)其の中改良せる点は

  (一)、硝子瓶の代りに石油罐
  (二)、金網式固鼠器 
  (三)、蚤床に砂、穀物も用ふること可能「フスマ」を混ずれば可
  (四)、蚤床量は一罐一立

 (ロ)、蚤飼育至適温湿度
 各種文献記載の如く二五-三〇度、七〇-八〇%

 (ハ)、集蚤
 反趨光性の利用 西洋バス使用

 (ニ)、給血源
 白鼠を最良とす 廿日鼠、「モルモット」、犬、猫、山羊では失敗せり

 (ホ)、隘路
 蚤の生産には絶対に白鼠を必要とす 白鼠は北満にては如何にするも自活不可能で内地よりの補給を必要とす、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間なる故 一ヶ月に四回取換を要す而も一ヶ月後に於ける一罐よりの獲得量は最良条件にて僅に〇.五瓦(一? 約一、〇〇〇匹)にして大東亜戦下空襲等により内地よりの白鼠の輸送極めて困難且つ長時日を要し 他面食糧不足により輸送間の損耗約五〇%なり従って
一〇瓦の蚤生産に内地よりの白鼠一六〇頭
一〇〇瓦の蚤生産に内地よりの白鼠一、六〇〇頭
を要する状況にして蚤の大量生産を命ぜられたるも到底不可能なる事であった。

(Pとはペストのこと。「ケオプス」とはノミの一種)

太田昌克「731免責の系譜-細菌戦部隊と秘蔵のファイル」日本評論社
(ISBN4-535-58260-2)の資料編「田中淳雄少佐尋問録」より引用
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田中淳雄少佐は1913年生まれで、1941年に京大医学部卒業、同年軍医学校で防疫学を学び、翌年関東軍防疫給水部に入隊、終戦まで主としてペスト防疫に従事していた人物。

この尋問録は、1945年10月30日に京都の都ホテルにおいて行われた、米軍のムーレイ・サンダース軍医中佐による、田中少佐への尋問の記録であり、この尋問の前提として、サンダース中佐は「戦争犯罪を云々するもので無く飽く迄科学者として話したい」と田中少佐に語っている。



命ぜられたのが「昭和18年(1943年)」であったことに注目。

「1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した」というのが真実なのだ。

つまり、1940年~1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。





731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟
http://www.anti731saikinsen.net/








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遊就館展示修正に関する考え・岡崎久彦元駐タイ大使・【北支工作】と【西安事件】の真相と解説(日本の弁明)・後半の真相と解説(日本の弁明)

前半の引用からの続き




以下は、真相と解説(日本の弁明)



■北支工作の真相


満州事変後、張学良は、4万の義勇軍を熱河に送り込み反満抗日の拠点にしていた。

1933年、関東軍は熱河作戦を行い、満州の熱河省の回収に成功し、支那軍が二度と満州を侵略できないようにと「北京北方から密雲以東、長城線から約五~六十キロの深さの河北省を非武装地帯にする」という【塘沽停戦協定】を支那と結んで、関東軍は長城の北に引き揚げた。

1934年11月 宋哲元の部下の馮治安の部隊が突如熱河省を侵犯して来た。
怒った関東軍が追撃し宋哲元の本拠地近くまで迫った。
困った宋哲元は、天津軍司令官梅津少将に泣きつき、天津軍のとりなしでやっと関東軍は追撃を止めた。

1935年5月3日、天津の日本租界で、国権報の社長胡恩傳と振報社の社長白逾桓の二人の親日分子が白昼何者かに襲撃され、命を落とす事件があった。

また【塘沽協定】で設けられた緩衝地帯にいつのまにか匪賊がはびこり、彼らは「抗日義勇軍」を名乗り、5月24日、長城を越え熱河を侵犯した。
これも河北省主席である第51軍長于学忠が後ろで糸を引いていたようだ。

天津軍の任務は本来「北京・山海関間の鉄道の保全、並びにこの間に居住する居留民の保護」だったのだが、このままでは任務が危うくなる。
そこで酒井参謀長が華北粛清対策案を起案紙になぐり書きして、北京の何応欽に持って行き、締結させたのが【梅津・何応欽協定】だ。

次に、支那軍の熱河侵犯が執拗なため、6月28日、土肥原少将は断木梁侵犯が出来ないようにと、新たに「京綏鉄道以北の察哈爾省内に非武装地帯を設定する」という協定を秦徳純に結ばせたのが【土肥原・秦徳純協定】だ。

支那は次の手段として、幣制改革に打って出た。
これは支那の通貨を英国の通貨にリンクさせ、英国の経済と一体化させて、日本の影響力を排除しようというもの。
これが成功し北支が経済的に国民政府のコントロール下に入れば、北支に交易の基礎を置く満州国は、重大な経済的脅威にさらされる。
危機を感じた関東軍と支那駐屯軍は、「北支を南京より経済的に分離するしかない」と考えた。
そこで11月25日、土肥原少将は殷汝耕を長官とする【冀東防共自治政府】を成立させたのだ。





■西安事件の真相


――――――――
 そこへ1936年12月14日、かつては満州の支配者であり今では衆目の認めるモスクワの手先である張学良により、蒋介石が軍事視察の旅の途中、山西省の西安で捕らえられ投獄されたというニュースが、まるで青天の霹靂のように中国から全世界へ駆け巡った。
 この事件のセンセーショナルな報道の大騒ぎの中から、非常に重大な一つの事実が浮かび上がってきた。即ち蒋介石は巨額の身代金を払っただけでなく、「紅軍は日本と戦うための資金と武器を南京政府から受け取り、蒋介石は7年に及ぶ反共活動を即座に止める」という協定に署名していたのである。蒋介石はこの協定への署名を拒否できなかった。というのは彼自身が国内政治上の理由で、日本を中国の不倶戴天の敵として掲げていたからである。
 この劇的な政策変更の直後、即ち1937年1月、南京の国民党中央執行委員会は、それによって共産党の思想と手を携える程度にまで党綱領が決定的に変わってしまうような決議を採択した。蒋介石によって1927年に破壊された国共合作は、その同じ蒋介石自身によって元に戻されたのである。
 これによって、地下活動に従事していたか或いは表舞台に姿を現さなかった共産党の指導者たちが、公然と南京に流入し始めた。馮玉祥(山東省の泰山から出てきた)は一足飛びに国民政府の首府へ戻り、軍事上の高い地位を与えられた。
 孫科と宋慶齢夫人(孫文のソ連贔屓の息子と孫文の未亡人)は数年間の比較的埋もれた年月の後に影響力を再び取り戻した。中国共産党の文民指導者周恩来は、党の正式代表として南京に迎えられた。かつて蒋介石によって抑えつけられていた于雨堅その他の極左たちは、勢力と影響力を振るい始めた。新しく組織された国民会議の人員構成は共産党と国民党でほぼ平等に分けられた。投獄されていた中国人とロシア人の共産党扇動者は釈放された。騒乱を扇動したソ連の工作員として1931年に投獄されたナウリン夫婦も釈放された。

(中略)

 もし蒋介石が明晰な見通しを持っていたならば、共産主義の脅威に対して日中が共同して事に当たろうという日本の度重なる申し入れを彼は受け入れていたであろう。もしも彼がその道を選んでいれば、共産軍は決定的に打ち負かされていただろう。そして彼はあれほど屈辱的な共産軍との同盟を余儀なくされるような事態には決して至らなかっただろう。

『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著(1938年)






張学良氏 西安事件の口述記録公開
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/356.html







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遊就館展示修正に関する考え・岡崎久彦元駐タイ大使・【北支工作】と【西安事件】の真相と解説(日本の弁明)・前半の引用

遊就館展示修正に関する考え


岡崎久彦元駐タイ大使

2007/02/07, 産経新聞


 靖国神社の戦史博物館「遊就館」で展示の修正作業が進んでいる。作業の完了は今年7月の予定という。作業グループの一員として修正にかかわってきた元駐タイ大使の岡崎久彦氏が本紙に修正作業に関する所感を寄せた。


 展示修正にあたっての私の目的は、ひとことで言えば、靖国神社の知的品位(英語ではインテレクチュアル・インテグリティー。知的正直さといっても良い)を守ることにあった。
 知的な不正直さ、牽強付会な弁解ととられる見苦しい表現などを除くことが第一の基準である。ほかの物差し、特に特定外国の反応についての思惑は、意図的に考慮から除外した。記述の知的品格が第一であり、それが、変転する国際情勢において、外国でどういう反応があるかは考慮外としたのである。
 こういう抽象的な言い方より、単刀直入に問題点を説明したほうが良いかもしれない。


●ハル・ノート

 ルーズベルト(注1)が大不況から抜け出すために日本に戦争を強制したという記述は、歴史上の事実ではないし、いかにもげすの勘ぐりの印象を与えて靖国の権威を汚すと思ったので真っ先に削除した。
 しかし、ハル・ノート(2)は事実上交渉の打ち切りであり、後は日本の攻撃を待つだけだということを意味するスチムソン日記(3)の新たな引用には異議を唱えなかった。
 ルーズベルトが何とかして日本に最初の一発を撃たせるように仕向けたことは歴史の事実であり、これを指摘することは、靖国の知的品格をなんら傷つけるものではないからである。
 キッシンジャー(4)は著書『外交』の中で書いている。「ルーズベルトは日本が(ハル・ノートを)受諾する可能性がないと知っていたにちがいない。アメリカの参戦は偉大で勇気ある指導者の並々ならぬ努力が達成した大きな成果であった」
 日本が直接アメリカを攻撃しなければ、「彼の仕事はもっと複雑だったろう。しかし彼の道義上かつ戦略上の確信に照らせば、結局は彼が自由の未来とアメリカの安全にとって不可欠と考えた戦争にアメリカを参加させたことはほとんど疑いない」
 私はこの解釈に賛成である。ルーズベルトが日本を戦争に追い込んだのは、不況からの脱出のためというよりも、ルーズベルトから見てのアメリカの戦略的、道義的観点からだったというのがより正確であろう。だから私は日米戦争に至る経緯の中に1937年の隔離演説(5)の特記を必要と考えたのである。


●北支工作

 支那事変については、その発端となった盧溝橋事件(6)、それを早期に解決しようとしているさなかに次々に起きて解決を不可能にした広安門事件(7)、通州事件(8)、それから北京の局地的事件を全面戦争に導いてしまった第二次上海事変(9)、これがことごとく中国側の挑発によるものであることは歴史的事実であり、この点を譲歩する気は全くない。
 敗戦後、張作霖爆殺事件(10)、満州事変(11)、第一次上海事変(12)などの背後に日本軍の関与があったことが明るみに出たが、支那事変勃発の経緯については、東京裁判の中でさえ、日本側の責任は問われていない。
 ただ、私は前記アメリカの場合と同様、だから中国が悪いと言っているわけではない。もともと歴史は真実を求めるべきものであり、その是非善悪を論ずるためのものではない。しかし、中国側がそこまで挑発した原因としては、そこに至る日本軍の行動がある。
 特に、満州事変後の日中関係が1933年の塘沽停戦協定(13)で一応の安定を見た後の、日本側による長城以南の北支工作(14)こそ戦争の原因といえる。戦争責任をすべて軍に課する一部戦後の史観には、客観的な史実の上で欠陥があるが、この北支工作については、出先の軍の独走であり、これが日本の国を誤った最大の原因であることは疑いない。
 蒋介石の回顧録を読んでも、むしろ共産党との対決を優先させようとしていた蒋介石が、日本軍の北支工作に腸の煮えくり返るような思いをしていたのがわかる。
 そして西安事件(15)以後、抗日統一戦線の機運の盛り上がっていた中国において、もうこれ以上日本の横暴を許さないという雰囲気が瀰漫していたのは事実であり、それが支那事変当初の、中国側のイニシアチブによる数々の事件の背景にある。
 だから、今回の作業で、支那事変に至る経緯説明の中に、「北支工作」の4字が入った瞬間、私は今回の作業の目的の半ばが達成された思いであった。
 なお、南京事件(16)については確実な史実に基づいて書けるのはここまでというところでとどめてある原文を尊重した。外国の反応をおもんぱかっての、それ以上の修正は、伝聞やプロパガンダの説の引用となり、そうすることは靖国の知的品格を傷つけるものと思う。


●靖国神社

 この種の作業は、本来は、全部初めから書き直すべきものであり、いつかはそれが必要であろう。部分的に直しを重ねたのでは最終的完成度にどうしても限界がある。したがって現在のところ各種批判に対する答えは修正前と比較してみてくださいというしかない。
 しかし今回の新しい展示の内容について、私は全責任を取る覚悟がある。すべての修正や追加を私が提案したものでなくても、少なくとも私が了承したものである。
 今回ほど私が無位無官であることをありがたく思ったことはない。私が、政府の補佐官とか参与とかの肩書を持っていれば、到底こういう仕事はできなかった。「総理に報告していますか」とカマをかける新聞記者もいたが、そういうことは全くない。おそらくは総理は私のしていることをご存じないと思う。
 世の中には完全なものはないし、まして歴史は百人百様の解釈が有り得る。政府が責任を持てるはずはない。悪いところがあれば、「悪いのは岡崎」である。
 この作業の過程で、私は昨夏以来10回以上も靖国神社を訪れた。当然その都度参拝した。初めは今まで通りの普通の礼拝だったが、回を重ねている中にやはりこれは尋常の神社でないということが肌で分かってきた。
 200万以上の霊、中には例外はあっても、そのほとんどがお国のための犠牲と観念して亡くなった霊のまします場所など世界でも例が少ないであろう。表示に従って二礼二拍手一礼すると、別世界に入って心が洗われる感がする。今まで知らなかったそういう世界があることが分かるようになっただけでもありがたいことと思っている。




【注釈】

1.フランクリン・ルーズベルト。日米開戦時の米大統領(第32代)。米国史上ただ1人、4選された。民主党出身。

2.1941年11月27日に米国から日本に提示された提案。中国、インドシナからの撤兵、日独伊三国同盟の事実上の廃棄を要求した。

3.国務長官だったスチムソンは1941年11月25日の日記に、ルーズベルト大統領が「次の月曜日に攻撃を受ける可能性がある」「最初の発砲をするような立場に日本をいかに追い込むか」と発言したことを記している。

4.米ニクソン政権の国家安全保障担当大統領補佐官、フォード政権の国務長官。1971年に極秘裏に2度訪中し、米中国交正常化の道筋をつけた。

5.日中戦争勃発を受けルーズベルト大統領は日本を批判し、「世界に不法状態を生み出している国家を、平和を愛する国民の共同行動によって国際社会から隔離すべきだ」と述べた。

6.1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で起きた発砲事件。日本と中国の全面戦争につながった。

7.1937年7月25日、日本人居留民の保護目的で北京・広安門を通過中の日本軍が中国兵から射撃された事件。

8.1937年7月29日、北京東方の通州で、非戦闘員である日本人居留民約200女性や子供も含めて中国保安隊に虐殺された事件。

9.1937年8月13日、上海租界の日本人居留民を警備・保護していた日本海軍陸戦隊に対し、20万の国民党軍が攻撃。海軍は陸軍に派兵を要請し、南京空爆を実施した。

10.1928年6月、関東軍が北京から奉天に向かう列車の中で、軍閥の張を爆殺した事件。

11.1931年9月、奉天北部の柳条湖で満鉄線が何者かによって爆破された。関東軍は中国側によるものとして軍事行動を起こし、32年2月までに満州のほぼ全域を支配下に置いた。

12.1932年1月、上海で日本人僧侶が殺害されたのをきっかけに日中間で衝突が起こり、戦闘は3月まで続いた。

13.1933年5月、関東軍と国民党政府が河北省塘沽で締結した満州事変の停戦協定。河北省東部を非武装地帯とした。

14.1935年ごろに関東軍の一部軍人らによって行われた、満州の南に満州国のようなかいらい国家を建てようとする工作。

15.1936年12月、西安で起きた蒋介石監禁事件。対日不戦を主張していた蒋は、部下で張作霖の息子である張学良らによって監禁された。

16.1937年12月、日本軍は国民党政府の根拠地である南京を陥落させた。当時の南京の人口は約20万人だったのに、中国側は日本軍によって30万人が虐殺されたと主張している。


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以上、引用終了





後半の真相と解説(日本の弁明)へ続く

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