正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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靖国封じで続々「北京詣で」の与党幹部。二階俊博、漆原良夫、河野洋平、加藤紘一、冬柴鉄三、太田昭宏、小坂憲次、丹羽雄哉、中川秀直、谷内正太郎・・・

今朝の産経新聞に、【与党幹部が続々と「北京詣で」を行って安倍首相の靖国神社参拝を封じようとしている】という旨の記事があった。
見ると、
河野洋平、二階俊博、加藤紘一など、日本を代表する売国奴の名前が列挙されていた。



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与党幹部
「北京詣で」続々
中国、友好演出で靖国封じ

2007/01/22, 産経新聞

 安倍晋三首相が昨年10月に訪中して以来、与党幹部の「北京詣で」が急増している。中国側は小泉前政権時代とは態度を一変させ、訪問客を幹部がもてなす「微笑外交」を繰り広げ、日中友好ムードを演出している。その一方、東シナ海の石油ガス田開発など日中間の懸案事項に大きな進展はなく、首脳の相互訪問を頻繁に行うことで首相の靖国神社参拝を阻止しようとの動きも強まっている。

 国会召集を25日に控えた自民党の二階俊博国対委員長と公明党の漆原良夫国対委員長は23日まで北京に滞在する。二階氏は「日中国交正常化35周年の記念交流事業について中国側要人と意見交換するためだ」としているが、日本航空会長、全日空社長、JR東日本会長、全国旅行業協会副会長らも同行しており、「日中間の観光事業促進が狙い」(外交筋)との見方が強い。

 二階氏は昨年9月にも企業関係者約1000人を連れ、中国・湖南省を訪問。旅行・運輸業界への影響力を見せつけた。

 二階氏に限らず、昨年10月の首相訪中以来、親中派の動きは活発化している。昨年は
河野洋平衆院議長、加藤紘一元自民党幹事長、冬柴鉄三国土交通相らが相次いで訪中。今年に入っても太田昭宏公明党代表や小坂憲次前文部科学相ら中堅・若手の自民党議員団が中国入りした。中国側はいずれの訪中団にも胡錦濤国家主席らトップ級の要人が会談に応じ、手厚く歓待した。さらに2月末には丹羽雄哉自民党総務会長、3月には中川秀直自民党幹事長がそれぞれ訪中を予定している。

 麻生太郎外相も昨年12月9日、フィリピン・セブ島で行われた日中外相会談で李肇星外相から訪中を強く要請された。麻生氏が明確な返事をしないでいると、李氏は「私の誘いを3度も断ったのはあなただけだ」と不快そうに語ったという。

 日中外交筋によると、安倍政権発足後に中国側が手のひらを返したように対応を変えたのは、小泉政権時代の「政冷経熱」状態が続けば、日本からの対中投資や技術支援などが先細るだけでなく、日米同盟を強化させるだけで得策ではないと判断したからだとされる。

 また、首脳外交や有力議員の訪中を間断なく続けていけば、安倍首相の靖国参拝を封じることができ、日本国内の「反中世論」を押さえ込むことができるとの判断もあるようだ。こうした中、
谷内正太郎外務事務次官が24日から北京入りし、中国の戴秉国外務次官らと会談する。首相の再訪中や胡主席の訪日時期が議題になるとみられ、大枠がこの場で固まる可能性も高い。

 相次ぐ与党議員の「北京詣で」を危惧(きぐ)する声は少なくない。ジャーナリストの
櫻井よしこ氏は自民党本部での講演(16日)で首相に靖国参拝を促すとともに、「中国は国際社会に対し、常識ある国家に変身したフリをしていながら、その裏で日本をおとしめるつもりではないか。政府・与党がこの路線を受け入れれば、目先の問題は解決するが、将来的に大きな禍根を残す」と警鐘を鳴らしている。
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本日の産経新聞にも、櫻井よしこさんの警鐘について触れているが、櫻井よしこさんは11日付の【櫻井よしこ 安倍首相に申す】欄において詳しく述べていた。
どうやら、安倍首相の信頼厚い
谷内正太郎外務次官の策略のようだ。
首相が靖国神社を参拝しないことは、決して国益にはならない。
いったい、何を考えているんだ?

「日支友好は日本を滅ぼす!」ということを知らないのか?!




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【櫻井よしこ 安倍首相に申す】主張してこその価値観外交
2007/01/11, 産経新聞

 昨年12月13日、東京・麻布の飯倉公館で外務省OBの忘年会が開かれた。その席で
谷内正太郎外務次官が日中間の懸案事項である首相の靖国神社参拝問題についてざっと以下の趣旨で語った。

 「安倍首相の参拝は、日中両国の首脳が頻繁に会うことで回避できる。首脳会談の前には参拝は避けることになり、会談直後もまた控えることになる。首脳交流を頻繁に行えば、首相参拝は物理的に不可能になる」

 外務省の意を受けたかのように、中国側は4月の温家宝首相の訪日を言い始めた。まさに春の例大祭にぶつける日程である。また、中国側は胡錦濤国家主席の訪日を受け入れはしたが日程については夏か秋かの目途も示していない。加えて彼らは安倍首相の年内訪中を希望する。谷内発言にならえば、これらは時期によっては靖国参拝封じ込めの手段となり得る。

 各省次官中、唯一、首相とサシで会えるといわれ、首相の信頼厚い氏が、内々の会合とはいえ、事実上、安倍首相が靖国参拝を行わない方策を語ったことの意味は重い。

(以下省略)
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■参考

『「日中友好」は日本を滅ぼす!――歴史が教える「脱・中国」の法則』石平著

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E6%BB%85%E3%81%BC%E3%81%99%EF%BC%81%E2%80%95%E2%80%95%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8C%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E8%84%B1%E3%83%BB%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87-%E7%9F%B3-%E5%B9%B3/dp/4062723271





基本的に、支那は北朝鮮と同じで、各国の要人を招いては、カネや女を与えてもてなし、弱みを握って利用するのが常套手段だ。



●山崎拓の訪朝を加藤紘一が評価
●平壌入り後、何の音沙汰もなく、「もてなし」を受けている
★山拓の変態プレイ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11418545.html

支那との付き合いはきっぱりやめろ!事実を見て対支政策の誤りを認めよ!『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)23・最終回

事実を見て対中政策の誤りを認めよ


 我々が今現在付き合っている中国政府とはこういう政府なのである。私が縷々述べてきたことを踏まえて判断すべきではないか。中国政府が、責任のある政府として信頼できるのかどうか。近代国家としての責務を果たせる力があるのかどうか。調べる気になれば誰にでもわかることであり、新たな事実が次々に見えてくるであろう。

 つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。
金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。学校や病院を建てたら、火をつけられる。宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。ただ外交援助するばかりで、何の罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。

 アメリカ人の究極の希望は世界平和である。そこで極東にも平和を願うなら、アメリカはどういう姿勢を採るべきか。「君子危うきに近寄らず」。きれいさっぱり足を洗った方がよい。思いやりも必要だが、それと同時に毅然とした態度で主張すべき権利は堂々と主張すべきである、というのが大人の考えである。

(P305)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)







お終い


The End





『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)のハイライトの引用は今回を以ってお終いです。
興味を持った方は、是非買って読んでみて下さい。
支那4千年の歴史が如何に不変で進歩がなく、今日に至っても同じであるかがよく理解できます。








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南京虐殺は嘘77・便衣兵の処断は当たり前1・支那軍便衣隊(兵)の活動事例

●支那軍便衣隊


1937年、8月、9月、10月、11月…と、多くの支那軍便衣隊が、多くの日本軍将兵を殺傷した。





『写真記録 日中戦争3.拡大する日中戦争 1937~1941』ぽるぷ出版・鈴木亭、笠原十九司編のP24の当時の新聞の写真より
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1937年8月14日 東京日日新聞
【上海発特電】(13日発)
今朝・上海で日支遂に交戦
突如・中央軍攻撃開始
我陸戦隊直ちに応戦
便衣隊も蠢動・盛に発砲
――――――





「便衣隊」考
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/jusinbello/jusinbello01.html
(一部抜粋)
上海における便衣戦術については、以下のような証言も参考になるでしょう。便衣兵「女兵(ニュイーピン)」謝冰瑩が1937年に国民党の司令部を慰問した時の、陳副師長の言葉である。

「我々の一番気がかりなのは、軍隊に協力する民衆のないことで、これはたしかに危険なことです。全民抗戦とは全国の民衆を動員することで、男女老若を問はず、すべて抗戦に対する深い認識をもち、一切を犠牲にして最後まで奮闘する決心をもつてこそはじめて勝利を得ることができ、そうでなくて単に武力だけでは絶対にダメです。前の上海事変の時の抗戦に、もし民衆がすべて立ち上がつて協力しなかったら、あんなに長く持ちこたへた筈はない。ところが今度前線に来てみると、五年前とはすつかり様子が違ふ」
『新従軍日記(女兵)』謝冰瑩

日本軍は、便衣隊について中国側に常々警告を発していたのであるが、「全民抗戦」を決意している者たちは、これを聞く耳を全く持っていなかった、というよりは、便衣隊は中国側の基本戦術の一つなのであり、この戦法を放棄するわけにはいかなかったのである。





南京戦前の具体例
――――――
下士哨に立ち寄ると3・4名休憩中の日本兵がいる。いずれも銃を抱いた体で城壁の下の穴倉みたいなところで仮眠している。そこに突然便衣隊が2名忍び寄り、日本兵がまどろんでいる隙をみて銃を奪い取った。
敵という声に目をさまし立ち上がり格闘となった。突然のことであり便衣隊の1名は逃げたが1名は頑強に抵抗してなかなか取り押さえられず、3・4人がかりで1名の便衣兵の手をとり、足をとり、捕虜にしようとするが、日本兵の方が危なそうである。発砲すれば友軍への危険もある。

…自分は下手をすると被害がこっちにもでかねないと思った。咄嗟になかに入り、便衣兵の顔を軍靴で踏みつけた。すると静かになった。騎兵隊がちょうど傍らにいた。殺させてくれという。騎兵は長い軍刀を引き抜くと首は飛んでいた。

第18師団歩124歩兵伍長、村田和志郎の日記
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南京で支那軍便衣隊が日本軍を襲撃した記録が少ないのは、日本軍が迅速かつ徹底した便衣兵掃蕩を行ったからだが、もしも、迅速かつ徹底した掃蕩を行わなかったら、後日、便衣隊は襲撃をして日本軍や一般住民に多大な犠牲者が出た。

それでも以下の資料あり。



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わが便衣隊が彼ら(日本人)に手榴弾をおみまいしたら、一度に10人か20人死んだ。P223

 日本の獣兵は南京市を占領していたが、周辺のデマで日夜不安であり、まるで針の筵に座っているかのようだった。あるとき、中央(国民政府)の便衣隊約五、六人が入場し、中華路付近の地下室内に潜んでいた。ちょうど五人の獣兵が三、四人の人夫をともなって北から南へやって来ていて、わが便衣隊の近くに来た。彼らはすぐさま発砲して獣兵を皆殺しにし、四人の人夫に「中央軍はすでに入場した」と言って、人夫たちを安心させた。P227

『南京事件資料集 中国関係資料編』郭岐「南京陥落後の悲劇」
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また、中国軍は退却に際しては所謂「清野戦術」を採り、所在の重要交通機関および建造物も破壊、焼却を行わせたのみならず、一部の将兵はいわゆる便衣隊となって、軍服を脱ぎ平服を着て残留し、我が将兵を狙撃し、我軍の背後を脅かす者も少なくなかった。

尚、中国には所謂便衣隊なるものがあって、敗残兵は平服を着、密かに日本兵に近づいてこれを狙撃する。日本兵はこの便衣隊の襲撃に上海戦以来非常に悩まされていたのであるが…

東京裁判:弁護側最終弁論
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1937年、8月、9月、10月、11月…と、多くの支那軍便衣兵が、多くの日本軍将兵を殺傷しており、12月に日本軍が便衣兵を見つけ出して適当な場所へ連れて行って処断するのは当たり前のこと。









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