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731部隊の細菌戦が嘘っぱちのでっち上げだったことが確認された!米情報機関、対日機密文書10万ページ分を公開

731部隊の細菌戦が嘘っぱちのでっち上げだったことが判明!




今朝の産経新聞によると、アメリカが731部隊に関する機密文書を公開したそうだ。

この記事を書いたワシントンの山本秀也記者は、見出しの一つに「戦争犯罪を立証」と書いているから、てっきり細菌戦を行った証拠があったのかと思って緊張して読んだが、細菌戦研究はしたものの細菌戦を行った証拠は全くなかった。

( ´∀`)アハハ


古今東西、細菌戦の研究はどこの国でも行われており、問題は実際に細菌戦を行うかどうかだ。

支那事変で支那軍が細菌戦を行ったことは間違いないし、ノモンハン事件でソ連軍も細菌戦を行った形跡がある。

731部隊は、そのような支那軍やソ連軍の細菌戦から日本軍や住民を守るために防衛的細菌戦研究を行っていたことはよく知られている。


支那軍による虐殺4・上海における支那軍の細菌戦
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11173905.html



ところが、ハバロフスク軍事裁判で、ソ連が、「731部隊が細菌戦や人体実験を行った」と戦争犯罪を捏造した。

更に、戦後、30年以上経ってから、中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)が作った話を、推理小説作家の森村誠一がホラー小説のネタにした。

その後も、松村高夫という大学教授が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちであることが判明していた。

今回、アメリカが公開した機密文書も、731部隊が細菌戦研究をしていたが、実際には細菌戦を行っていなかったことを裏付ける資料となった。


反日左翼の皆さん、残念だったね。
Ψ(´_`)Ψ






―――――――
旧日本軍「細菌戦研究」 米が機密文書公開



 米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。

石井中将 尋問記録も

 文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む731部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を1947年(昭和22年)6月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。(ワシントン 山本秀也)


戦争犯罪を立証

 今月12日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。

 IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。

 細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。

 情報の一部は34年(昭和9年)にまでさかのぼるが、終戦の45年(同20年)前後4年分が大半を占めている。



 文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、37年12月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている。



日本の使用警戒

 細菌戦の研究競争が大戦下で進む中、米側は日本の細菌兵器使用を終戦まで警戒していたほか、奉天(現瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われた形跡がないかを戦後調べたことが判明した。同じく米本土に対しても、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないか、米海軍研究所が回収した現物を大戦末期に調べ、「細菌の散布装置がついていないことから、
当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。


 細菌戦に関する米国の日本に対する関心は、44年ごろから終戦までは、細菌兵器の開発状況と731部隊の活動実態の解明に重点が置かれ、終戦から47年ごろまでは、同部隊関係者への尋問による研究成果の獲得へと、重点が移っている。

 米側が最も強い関心を抱いたのは、731部隊を指揮した石井中将だった。45年12月の情報報告には、千葉県の郷里で中将が死亡したことを装った偽の葬式が行われたことも記されているが、翌46年から47年には中将に関する報告や繰り返し行われた尋問の調書が残されている。


保身引き換えに

 石井中将は自らと部下の保身と引き換えに、細菌戦研究の成果を米側に引き渡したとされてきたが、47年6月20日付の米軍最高機密文書は、こうした説に沿う内容を含んでいる。

 「細菌兵器計画の主要人物である石井中将は、問題全体にかかわる協約を現在執筆中だ。文書には細菌兵器の戦略、戦術的な使用に関する彼の着想が含まれる。石井中将の約20年にわたる細菌兵器研究の骨格が示される見通しであり、7月15日には完成する」

 同じ文書には、「日本南部の山中」に隠されていた「細菌に侵された200人以上から採取された病理学上の標本スライド約8000枚」が、47年8月末までに米側に提供されることも付記されていた。

 米側では日本からの情報収集を急ぐ一方、冷戦でライバル関係となる旧ソ連に細菌戦に関する情報が渡ることを強く警戒していた。ハバロフスク裁判のため、旧ソ連が請求してきた細菌戦関連の証拠引き渡しを渋る一方、約30人の731部隊関係者が「モスクワ近郊で細菌兵器の研究プロジェクトに従事している」とする48年4月の情報報告も今回明らかにされた。

2007/01/18
産経新聞

http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070118/usa070118004.htm

支那人から殺人事件の賠償金を取る時には軍艦を盾にせよ!『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)19

軍艦を盾に賠償金を取った田村総領事


 中国全土と同じで、福州でも収奪目的の学生秘密結社がいくつも存在していて日本人も被害に遭っていた。ある日本人教師夫妻が標的にされた。「殺す」と脅されていた。脅された教師には何の咎もなかった。ただ、家が中国人の家の近くにあり、警備が十分でないのでカモにされたのである。日本人子女の先生だから、中国人と接触し挑発することはない。日本総領事は、ばかばかしいことではあるが、主権国家に対する礼儀を重んじ、福州当局やら警察やらに状況を説明し、警備を要請した。日本側でできるのではあるが、そうすると主権国家間の慣行に反すると判断したのである。

 要請を受けた中国側は教師宅の前に中国兵を配置した。この中国兵は、数日間は交代で24時間警備に当たった。ところがある夜、何の前触れもなく、消えた。説明も何もなく突然いなくなったのである。
策を講じるまもなく、夫妻は襲われ、殺されてしまった。信頼させておいて寝首を掻く中国の軍隊、警察のいつものやり口である。当局が秘密結社と組み、殺害させたのではないとしても、ぐるになって襲撃の時に警備を引き揚げさせたとしか思えない。


 日本人の怒りは頂点に達した。田村総領事は中国当局役人を呼び、こう述べた。「非難するつもりはないが、双方の同意に基づいた警備に落ち度があったから今回の事件が起きたのである。この重大な過失に対し、ご遺族に5万ドル賠償願いたい」。

 対する中国側は言を左右してまともな返事をしない。
業を煮やした田村総領事が、「よろしい。これ以上申し上げることはない。後はそちらのご判断しだいである。一言申し添えるが、当方はすでにことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。おわかりかな。熟慮のほど、重ねてお願い申し上げる」と席を立とうとすると、中国側は「艦砲射撃を喰らっては職も失う」と思ったのか、「局に持ち帰って相談してみます」と持ちかけた。「5万ドル耳をそろえて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は、明け方になってようやく5万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。艦長たちは事が収まったと聞いてがっかりしたに違いない。これは第一次上海事変の1ヶ月前のことであった。

(P273~274)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

南京虐殺は嘘73・支那固有の残虐性1・『蜀碧・嘉定屠城紀略 揚州十日記』彭遵泗他著・『支那我観 対支新策支那小遊』松永安左衛門著

●日本軍が南京などで行なったこととして虐殺が捏造されるとき、その虐殺行為が日本人の発想にはない方法であることが多い。

例えば、赤ん坊を次々と頭上高く放り投げ、落ちて来るところを次々と銃剣で突き刺す捏造フイルムなどは、昔NHKでも南京大虐殺のシーンとして放映していたから呆れてしまう。

支那や中帰連などの作り話に騙されたり、支那軍や不逞支那人の悪逆非道を日本軍の仕業に転嫁されないように注意が必要だ。

そのためには、支那の「伝統的な虐殺方法」「固有の残虐性」に関する資料を学んでおく必要がある。



――――――――
 張献忠は、女は人の心をまどわすとして、ことごとく殺すよう命令した。そして、妊婦の腹を裂いて胎児の性別をしらべた。また幼い子供数百人ずつを一団として、これを火の城で囲み、外側から槍や戟を突き刺して、彼らが悲鳴をあげて逃げまどうのを見て楽しんだ(80頁下)

Ω Ω Ω

 人を殺す方法には色々名前があった。「匏奴(ホウド)」というのは、手足を斬り落す方法である。「辺地(ヘンチ)」というのは、背筋で真二つに斬り離す方法である。「雪鰍(セツシュウ)」というのは、空中で背中を槍で突き通す方法である。「貫戯(カンギ)」というのは、子供たちを火の城で囲んで炙り殺す方法である。そのほかに、歩行にはなくてはならぬ筋(アキレス腱)を抜いたり、女の足を斬ったり、人の肝を搗き砕いて馬の飼葉にしたり、人の皮を剥ぎとって目抜き通りに張りだしたりした。

 また、皮を剥ぐときには、頭から尻まで一直線に裂き、鳥が翼をひろげたような恰好に、前にひろげるのだ。そうするとたいてい一日以上たってやっと息が絶えるのであった。もしもすぐに死んだ場合には、刑の執行人も殺された。(85頁上下)

Ω Ω Ω

 賊は病弱者に遇うと、たいてい鼻を削ぎ手を斬り落した。手を斬り落すには、男は左、女は右と定められていて、もしも間違えてさし出すと、左右とも斬られた。幼児は道ばたに棄てて馬蹄に踏みにじらせるか、空に投げあげて落ちてくるところを刀で突き通すかした。(91頁上下)

『蜀碧・嘉定屠城紀略 揚州十日記』彭遵泗他著、松枝茂夫訳

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然るに此の如き平和的国民も、自己より弱き者に対しては、如何にも残忍なり。
而して此の残忍を行ふや極めて平気にして、些かも自己の感情を興奮せしめず、平然として之れを為す。

彼等はその愛撫、飼育せる家畜を屠殺するに一本の釘を以て容易に之れを仆す事を得べく、或は之れを肥満せしむる為めには、睾丸を抜く事も往昔より平気に行はれ居れり。
人の肝臓が補腎の為めに益ありとしては之を摘出する事も彼等の習慣なり。
街頭に罪人を斬首するや、市人は堵を為して之れを傍観す。
而してその身首を異にするや忽ち携へ来れる瓶子に其の生血を汲み取り、之れを病人に飲用せしむるの風は、今日尚大市街に於て行はれつつある所なり。
陰険なる方法を以て常に殺人の行はれ居る事は、家庭的に政治的に見る所にして、その愛児を僅少の金銭にて他に売り渡すが如きも亦日常行はるる事実なり。
而して人の子を買ひ受けたる者は、身体を不具にして各種の観せ物となし、或は曲芸に使役し、或は之を娼婦に得る等恰も普通の商取引の如くに行はる。

故に支那人は強者に対しては従順なれども、弱者に対して残忍酷薄にして、之れを愛撫誘掖して以て自己と共に発達し向上せんとするの精神は毫も有せざるものと断ずるを妨げず。
斯の如き支那の国民性は、彼等をして政治的若くは社会的に発達せしむる上に、大なる障碍たるは言を俟たざる也。


『支那我観 対支新策支那小遊』松永安左衛門著








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