正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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給食に農薬中国野菜
記:こうもり(母)

【共同通信ニュースより】

給食野菜から基準超の農薬 福岡市の小学校6万人分

 福岡市は13日、市内の小学校118校、計6万1048人の学校給食に使用された中国産の冷凍キヌサヤから、食品衛生法で定められた基準値の約6倍の残留農薬が検出されたと発表した。
 同市は「健康への影響はない」としており、これまでに児童らから被害の報告もない。
 市学校給食課によると、検出されたのは殺菌剤の「メタラキシル」。食品衛生法の改正に伴い、5月末から導入された残留農薬規制のポジティブリスト制度の対象となった。今回のキヌサヤは規制実施前に輸入されていたため、違法ではないという。   【12/2006】



少し前のニュースになりますが、かねてから散々問題になっている中国野菜が、学校給食にも使われていた、という事が少なからず驚きでした。

児童から被害の報告もない・・・となっておりますが、急性中毒を起こす程の含有量だったらトンでもない事です。


しかし、これは中国国内では実際にある事で、

昨今、中国では「毒菜」と呼ばれている通り、

ニラを食べて急性中毒で死亡した知人の話を、ガクガク((((;゚Д゚)))ブルブル
ニラを4口食べて瀕死の中毒症状から生還した方がTVで語っていたのには驚きました。
\(◎o◎)/

中国での取材で、TVに映っていた農家さんが、
「国から許可されている農薬を使っているから大丈夫」
と言いつつアップで映ったビニールハウス内のお野菜は・・・そのピンクの農薬がかけられて・・・
殆ど真っピンクでした・・

そして、お気の毒な事に、その農家さんの顔は激しくただれていました(ToT)


最近日本で導入された食品の残留農薬規制である、ポジティブ・リスト制では、http://www.jcpa.or.jp/qa/detail/08_05.htm
主に農薬が対象になるのですが、中国野菜で見過ごせないものに、
重金属汚染もあります。

近年になってやっと、重金属が様々な疾病を引き起こすという事が解明されてきました。

特に人体に有害な重金属類
カドミウム・鉛・水銀・砒素

特に、カドミウム・鉛は摂取量を限りなくゼロに近づけるべき、人体に非常に有害な物質だとされています。
へその緒を伝わり胎児へも移行する為、世代を超えて人々の健康を蝕みます。


ローマ帝国・平城京などが滅んだ要因が、実は重金属汚染だったのではないか?という説も近年、説得力を増しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/aquarapter/9217681.html
以前の記事の下の方に書きました。

土壌や栽培に使う河川の水が汚染されてしまうと、そこで作られる作物も汚染されます。

中国の土壌・河川の汚染はかなり深刻です。


以下ニュース記事より抜粋

広東省珠海デルタ農地:4割が重金属汚染、大都市へ流れる毒野菜


 【大紀元日本12/29/2006】中国国家環境保護総局が実施した土壌調査の結果によると、広東省珠海デルタ附近の農地の40%が重金属に汚染されているという。汚染の程度は基準値を超えており、このうち10%が深刻な超過となっている。また、珠海デルタに位置する中山市においては重金属汚染の野菜が発見されており、これらの野菜は、広州、マカオなどの大都市で販売されている。

 
  重金属を含む野菜を食べると、その重金属が人体に蓄積され、多くの疾病を引き起こす。

 例えば、は、唾液とともに消化系統に流入し、その後、血液に流入する。児童の体内に、こうした毒素が少量でも存在すると、身体、知力の発育に影響を及ぼし、多くの発育上の疾病を引き起こす。

 カドミウムは、一定量が蓄積されるとがんを誘発する恐れがある。

 水銀は、水銀中毒を引き起こし、頭痛、口臭、咳、胸の痛み、呼吸困難、ひいては腎臓にダメージを与える。

 このほかにも、水俣病、イタイイタイ病などの多くの奇病は、いずれも重金属と関係があり、症状が深刻な者は死に到る。

  この責任者はまた、中国の多くの大都市においても、重金属による土壌汚染問題が存在していると語っていた。

 報道によると、中山市坦洲、三郷等の地にある野菜栽培地区は、一見、緑が映えているが、実際には問題がある。例えば、野菜農家の王氏の畑は、2つの用水路に隣接している。一つの水路は比較的澄んでいるが、もう一つの水路は、多くのゴミが堆積しており、水は鉄さびのような赤色で、水面に油の層が附着している。王氏や、附近の野菜販売業者は、何が重金属であるかをまったく知らず、ひいては、「重金属」の3文字すら聞いたことがないような状況であった。

 問題はこれほどまでに深刻であるが、この問題に対する中山市農業部門の回答は、「3年ほど準備し、金属汚染を根本から解決する」であった。




以下大紀元日本からの関連ニュース
最近の大規模汚染

中国の水銀汚染、米国に波及
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/04/html/d60766.html

中国広東省:北江流域、有毒カドミウムで重度汚染
http://jp.epochtimes.com/jp/2005/12/html/d27375.html

化学物質による河川汚染を隠ぺい、吉林市副市長が自宅で変死
http://jp.epochtimes.com/jp/2005/12/html/d61661.html

中国甘粛省蘭州市:黄河の水が乳白色に、異臭漂う
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/12/html/d22197.html

中国の水質汚染、都市の約六割が水不足
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/11/html/d37669.html

松花江大型汚染事件、事故責任者らは行政処分のみ
http://jp.epochtimes.com/jp/2006/11/html/d68148.html


など、快挙に暇がありませんが、

土壌汚染の浄化作業は、土をまるごと入れ替える為、汚染が広がってしまった中国のような広大な土地での作業は、気が遠くなる程の時間と労力が掛かるでしょう・・・ヨロヨロ(((;-д- )

ここ最近、食の安全への意識の高まりから、無農薬・無化学肥料の食材調達や、地産・地消(地元で作られた食材を新鮮なうちに地元で消費する)の方針がとられるようになってきたのは喜ばしい事ですが、


学校給食でさえ中国野菜を使わねばならない現状は、甚だ心もとないものです。


安全に食べられる食糧が確保出来なくなった時点でその国の将来は真っ暗闇です・・・



日本のたった40%そこそこの食糧自給率を、早期に100%目指していくような国家施策をお願いしたいものです。

↑最近しつこく言ってますが・・・(^_^;)


http://jp.epochtimes.com/index.php  大紀元日本トップページ
大紀元のニュース記事は偏りがなく世界をカバーし、非常に緻密で丁寧に書かれているので大変参考になります。


転載元:化学物質過敏症奮闘記

維新政党・新風の応援で街頭演説!――瀬戸弘幸応援演説(7月の参院選)

新風の応援で街頭演説!
2007年01月14日


瀬戸弘幸応援演説


 皆さん、私は今年夏の参院選で4回目の挑戦となる維新政党・新風を応援しています。今度は必ずや国会に議席を持って、我々の代表として発言をして頂きたい。

 現在7つの政党と800人近くの国会議員がおりますが、一人として今日本人が考えていることを言おうとしません。これからその5つの点について話をさせて頂きます。




 先ず1つ目は中国、韓国、北朝鮮などの国々です。これらの国は日本に侵略された、だから謝罪しろ、賠償金を払えと言っています。もう60年以上も前のことですよ、皆さん。

 もう十分に日本は謝罪してきました。中国には7兆円ともいう経済援助をしてきました。韓国が鉄鋼、自動車、半導体の輸出国になれたのは日本企業が技術移転をしてきたからです。

 いつまで謝れというのですか、もういい加減にして下さい。そのように言える政治家が一人もいません。


 次に北朝鮮です。日本人を拉致誘拐し覚醒剤を売りさばき、偽札を横行させるような独裁国家が、核武装までして日本を恫喝したらどうなりますか、日本は核施設を先制攻撃しなければ滅亡してしまいます。

 彼らは一瞬のうちに「東京など火の海にしてやる」と言っています。米国が守ってくれないなら自国で核武装するしかないでしょう。しかし、誰もそれを言いません。


 次に日本に住む「在日朝鮮人」のことです。彼らは強制連行されたと言っていますが、日本に出稼ぎに来ていたに過ぎません。日本人でもない彼らが日本で好き勝手が出来るのは、日本人が住まわせてあげているからです。

 しかし、彼らはそのことに感謝もせずに日本の悪口ばかりを言っています。日本人に差別された、迫害されて危害を加えられたなどと語っています。だったら、もう祖国にお帰り下さい。ここは日本ですから、あなた方のいる所ではないのです。そういうことを言える国会議員が一人もいないのです。


 同和利権をめぐる解放同盟というならず者集団がいます。彼らは差別されていると言って行政を脅し、好き勝手なことをして今や日本における特別な存在、特権階級です。そんな部落解放など必要ない、解散しなさい、そう言える国会議員が一人もいません。


 最後になりました。公明党と創価学会です。公明党の選挙で代表選挙が行なわれたことは結党以来一度もありません。いつも無投票で選ばれます。なぜ、選挙がないのでしょう。

 共産党もそうですが、あそこはプロレタリア独裁と言っていますから、それはそれで良いのです。では公明党はどうなんですか。もうお分かりですね。公明党は池田独裁です。そうなんですよ、皆さん池田大作の言いなりなんです。

 創価学会はヨーロッパの国ではカルト宗教として布教を禁止されている国もあります。創価学会の信者は池田大作に盲目的に服従して異常であると裁判で認定されました。そのような異常者の集まりが公明党なのです。




 本当の国民の声を言える国会議員を送り出して下さい。一人で何ができる、そう言う声もあるかと思います。

 しかし、皆さん、一人の候補者を当選させることは100万人の人が新風と書かなければなりません。100万人の代表者なのです。100万人の声が国会に届けば、それはすぐにも数百万人の日本人の心に響きます。

 そうして、その数百万人の声はやがて数千万の日本人を動かすでしょう。それが皆さん、日本の大変革、維新の始まりなのです。どうか皆さん、今年夏の参院選では新しい風、新風を是非応援して下さい。お願い致します。

 今後は全国でマイクを持って応援したいと思います。皆さんも一緒に応援して下さい。また、新宿、渋谷に駆けつけてくれた若い方々、感謝します。今度は必ずやお会いしましょう。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/51285377.html




維新政党・新風
http://www.shimpu.jp/


新風:東京選挙戦スタート!瀬戸先生も応援!
http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/01/post_8302.html

満州事変の背景・『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)16

満州事変の背景


 満洲の推定人口は1900年、約5百万であった。それが1931年になると約3千万に増えた。5倍以上も増えたことになる。理由はさまざまである。例えば、満州産の大豆に世界の需要が集まったこともあろう。今世紀初頭、日露両国が鉄道を敷設したので発展したということもあろう。以前は中国人の満州移住は制限されていたが、政権が変わって移住制限が緩和されたことも一因である。清王朝は満州人が築いた王朝であったが、満州を政治的に中国とは切り離し、私有地扱いにしていた。3百年前、満州族は生まれ故郷を捨て、暖かい南の地に大挙して渡って来た。それから中国人が満洲の地に足を踏み入れることを禁じたので人口が減少した。ところが1907年、ロシアの南下政策を阻止するため、移民を盛んに奨励した。と同時に政策を転換し、満州を中国の一部と扱うようになった。

 辛亥革命が起こると中国全土がますます混乱し、満州にも火の粉が飛んだ。日本も対岸の火事では済まされなくなった。満鉄と周辺の権益を保護するため、兵力を増強せざるを得なくなったのである。

 混乱に乗じて満州に張作霖が現れ、中国政府に逆らい、満州を支配した。張は中国兵を放逐するため、中国人とは思えないほどの強力な兵力を整え始めた。
1923年には何と5億ドル(中国の通貨であるが)もかけ、兵器工場を奉天に完成させた。デンマーク人の建築家を、後にはドイツ人、フランス人、イギリス人も雇い、日本人の軍事顧問まで雇っている。中国では5億ドルといえば途方もない額である。これだけかけた兵器工場はまさに脅威である。1924年から27年には常時2万人が働いていた。ほんの2年前の1931年、約千人の外国人を招聘し指導に当たらせている。この兵器工場の生産能力には舌を巻く。砲弾は日産4千5百発、弾薬は日産4万発、大砲月産12問、と日本ははじいている。工場の規模、従業員数から考えて法螺とも思えない話である(今日ではこれほどではないにしても大規模兵器工場が中国各地にある)。加えて20万とも30万とも言われる私兵を蓄えていたのである。

 1928年、張作霖が暗殺され、遺産は無能な放蕩息子の張学良に転がり込んだ。父の張作霖は慎重だった。日本に好意を持っていたわけではないが、かといって公然と敵対行為に出ることはなかった。日本人を脅かすこともあったが、政情定まらぬ国では普通にありえる程度のことで、日本が行動するほどのことではなかった。



 張学良が後を継いでからは事態が一変した。南京を拠点とする風見鶏の蒋介石と同盟を結び、中国の地に乗り出し、政治に手を出し、汪兆銘の「中央政府」を追い落とした。

 北京を乗っ取り、取れるだけ税をとった。南京中国中央政府に「手の者」を多数忍び込ませた。それから「外務協会」と「北東文化協会」という反日プロパガンダ組織をつくり、盛んに活動を開始した。部下は新政策の一環として日本に次々と要求を突きつけた。大連と旅順の返還を迫り、条約を無視し、税金を取り立てようとした。たとえ父の張作霖の腹心の部下であっても、反日政策に乗らない者を容赦なく追放し、暗殺した。日本に留学したというだけで追放し、虐殺した。父張作霖の子飼いの部下2人を麻雀に誘い、殺した。

 満州全土で日本人襲撃事件が多発した。張学良の狙いが何なのかはわからない。ただ、中国と関わりを持ったことで、1927年に政権を取った国民党の排外政策に同調したことだけは確かである。
しかしこれが仇となり、権力を奪われ、満州を追われる身となったのである。歴史に「もし」はないが、もし、初めから負けるとわかっている戦を仕掛けないで、父と同じようにしていたら、満州に残れたかもしれない。そして満州は「満州国」にされずに満洲のままでおれたかもしれない。

(P252~253)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

南京虐殺は嘘70・支那軍による虐殺10・長沙市の焼き払い・目的は日本軍を悪者にするため

●支那軍による長沙市焼き払い
【目的は、日本軍の仕業にして宣伝するためだった】




『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
――――――――

「お前たちはいったい何をしているんだ?」私は腹を決めて大声でたずねた。
「放火です、命令です」その連中は異口同音に答えた。
「敵は城内に入ったのか?」
「とっくに汨羅に迫って来ています」
火の手はますますふえる。
(略)
しかし火の手がどっと一斉にあがり、たちまちにして全市は大火に包まれた。駅に通ずる道路は両側から火に挟まれトンネルになった。
(略)
車に乗ったまま絶えず良心の呵責を感じていた。
沿道の情景はまったく目をおおうものだった。公路は避難人びとで埋まっている。子供たちを連れているもの、家財道具をかついでいるもの、泣くもの、叫ぶもの、罵るもの、ふとんをかぶったもの、老人を背負っているもの、傷ついたもの、身ごもっているもの、兵士、難民、みな入りまじってごったがえしている。警笛はひっきりなしに鳴り、車はたえまなくぶつかる。狼狽の情景はまさに形容のすべもなかった。
(略)
大火はまさに燃えさかっていた。長沙全域は火煙に包まれ、火煙の勢いは空を呑みつくさんばかりだった。

「どうやら、敵は長沙には入っていないらしいな」周恩来が感慨深げにいった、「もし敵が長沙に入っていたら、きっとぎりぎりまで追って来るだろう、まったく何の動きも見せないはずがない。・・・」

(中略)

長沙に火をつけたのは、国民党が蒋介石の指図でやった大仕事だった。彼らは一度派手な手柄をたてようと、クトゥーゾフがモスクワを焼き払ったのをまねて長沙焼き払いをしでかしたのだ。しかし、残念ながら日本軍はこれを道化役にしてしまい、ナポレオンを演じに登場してはくれなかった。全市に焼け棒杭の山を残し、百余万戸の家を焼き、そればかりいまだに総数もわからぬ傷病兵や年寄り、子供、病人などの市民を焼死させた責任は、いったい誰が負うのだろうか?
行政上の処分は――18日に警備指令艷悌、警備第二連隊長シュークン、公安局長文重孚の3人が銃殺された。
長沙の人びとは真相がわからなかったので、省主席の張文白(張治中)を怨んだ。
(略)
しかし、あだはかたきに、借金は貸し主にというもので、張文白を怨むのは見当ちがいである。張文白その他の連中は蒋介石の命令を執行しただけなのだから。私たちがのちに手に入れた確実な情報によれば、張文白は12日午前9時、長沙全域を焼き払えという、蒋介石の密電を受けとったのだ。したがって、長沙の大火に関する責任は蒋介石が負うべきもので、「3個の人頭」ですら本当のところは冤罪だった。
――――――――





1938年も続いた【支那軍による焦土戦術】



7月11日
昭和13年7月12日 東京朝日
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
 蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した・・・
(以下略)



10月19日
支那軍は広東東方約50キロの増江の橋を爆破し増城城内を焼いて退却した。



10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の255頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、256頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。



10月25日
支那軍は武漢撤退の際、街を爆破する目的で全ての建物に爆弾をしかけたが、英国海兵隊員らが必死で爆弾を撤去し、支那軍がスィッチを入れた時、爆破されたのは日本人所有の家屋だけだった。



11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。





(参照)

南京虐殺は嘘65・支那軍による虐殺5・清野作戦(焦土作戦)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11247333.html

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