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情緒的な核論議批判の時代は過ぎた■冷厳な国際情勢見つめ国民合意を【正論】笹川陽平

情緒的な核論議批判の時代は過ぎた

【正論】日本財団会長・笹川陽平


 ■冷厳な国際情勢見つめ国民合意を


 ≪無防備で観念的な日本≫



 北朝鮮の核実験を受けた中川・自民党政調会長、麻生外相の「核論議発言」に対する批判が年を越えても相変わらずくすぶっている。

 核戦争は人類が回避しなければならないテーマであり、核兵器は廃絶されるのが何よりも望ましい。しかし理想論だけで国は守れない。核実験の強行により、北朝鮮の核は想像上の脅威から現実的脅威に変わった。新たな現実を前に、核論議をなおタブー視するのは、あまりに非現実的である。国民が参加した広範な議論こそ急務である。

 日本の核論議は、ともすれば「核に反対するのは当然」といった情緒的観念が先行し、本格的論議がないまま現在に至っている。核論議を行うことが、そのまま核保有につながるとして、議論そのものを敬遠する気風もこの裏返しの現象である。

 核をめぐる論議は、核保有の是非より、現実化した脅威にどう備えるか、守りの議論が先決となる。先の産経新聞紙上に、長崎に投下された原子爆弾とほぼ同じ20キロトンの核が首都・東京に投下された場合の専門家による被害予測が掲載された。死者は50万人、負傷者は300万~500万人。地下への避難施設など必要な対策を取れば死者が半減するとの指摘も盛り込まれている。



 現に欧州各国は米ソ冷戦時代、全国的に核シェルターを整備し、国民の生命・安全の確保を図った。スイスでは30分以内に全国民が地下施設に避難可能と聞く。


 日本にそうした施設はない。政官民の中枢機能が集中する首都・東京やひとたび攻撃を受ければ、たちまち核汚染が広がる原子力発電所も無防備のままだ。かつての非武装中立論に代表されるように防衛の観念が希薄なまま、日米安全保障条約に基づく「核の傘」で守りは十分と考えられてきたためだ。


 国是である「非核三原則」を盾に一切の核論議を封じ込めようとする動きは、現状を放置することに他ならない。


 ≪核の悲惨知る唯一の国≫



 非核三原則ができたのは40年前の佐藤内閣時代。この間の世界の変化は激しい。現に当時、北朝鮮の核実験を予想する人はいなかった。原則のひとつ「持ち込ませず」は、米国核兵器を日本領土に「配備、貯蔵させない」だけでなく、核を搭載した米艦艇の日本寄港や領海通過も対象としている。この解釈に従えば、寄港や領海通過の際、核をどこかに降ろすことになり、これでは朝鮮半島という目前の脅威に対抗できない。

 核兵器の恐ろしさ、悲惨さをどの国よりも知るのは唯一の被爆国・日本である。ケネディ、ジョンソン両政権下で国防長官を務めたロバート・マクナマラ氏が私の勧めで広島・原爆記念館を訪れ、犠牲の大きさに驚愕(きょうがく)し、「(原爆投下は)釣り合いの取れた政策決定とはいえなかった」と漏らしたのを記憶している。未曾有の惨禍が改めて想起されなければならない。

 その上で、北朝鮮の核を前に非核三原則が現在も有効か否か、有効でないとすればどう見直すのか、現状を冷静に見つめた議論を急ぐ必要がある。核武装すべきだと言っているのではない。どのような選択をするにせよ、目前の脅威と現状に対する問題点が主権者たる国民に共有される必要があるということだ。




 ≪平和国家の願望と現実≫


 地下鉄などを活用した核防御施設の整備など当面の危機管理も、こうした議論を通じて実現性が出てくる。

 そうでなければ、北朝鮮が核保有を背景に無理難題を押し付けてきた場合、国民にいたずらな動揺が広がり、翻弄(ほんろう)されることになりかねない。核兵器は「使用することより持つことに意味がある」と言われ、中国や北朝鮮が貧困と飢餓という犠牲を国民に強いてまで開発を強行したのも、「持つことの意味」を意識してのことだからだ。

 日本はいつでも核兵器を開発できるだけの高い科学技術と財力を持つ。引き続き自ら非核を宣言する道を選ぶ場合も、国民的論議の裏付けがなければ国民合意の政策としての力を欠く。



 核論議をタブー視する日本の姿は、世界的に見れば極めて特異な状況である。核論議を避けて通りたいというのは平和国家・日本の願望であり得ても、冷厳な国際情勢の中では通用しない。

 核論議の是非を論ずる日本の現状を前に、海外の友人の多くは驚きを隠さない。海に守られてきた日本と違い、国境を接し他民族との長い抗争の歴史を持つ彼らにとって、
国防論議を避けることは国家としての怠慢でしかないからである。(ささかわ ようへい)

2007/01/11
産経新聞





「核論議はすべし」という意見だが、「核武装すべきだと言っているのではない」とも言っている。
「核論議はすべし」は、真っ当な意見ではあるが、誰でも言える意見でもある。
殆どの人がこの辺までの【正論】で踏み止まっている。
次回は、核論議の是非ではなく、核武装の是非を堂々と述べてもらいたい。

住民は生かさず殺さず搾り取られる・『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)12

中国を映す鏡、福建省


 生かさぬように、殺さぬように、絞れるだけ絞り、住民のために活かされることはまずない。公共工事費をアメリカと比較すると、人口3千万の福建省は、人口2万5千のアメリカの都市より劣るのではないだろうか。

 福建を理解してもらうために、面白い税制、軍による船への重税徴収制度を紹介しよう。南船北馬と言って南部は川が多く主要交通手段は船である。川を行き来する船に武器を持ったさまざまな集団が待ち構えており、通行料を徴収する。所によっては4,5キロごとに武装手段の根城があり、「盗賊保護費」という重税を取られる。これだけでは終わらない。この根城と根城の間にも料金所があり、四六時中睨みをきかしているから、いくらか「握らせ」ないと通してもらえない!うまくできている。兵隊は町中の駐屯地に、盗賊は町と町との間にある根城にいる。縄張りが決まっているからぶつかることはない。こうして「有難くも」盗賊から保護してもらって目的地に着く頃には、値段が2倍にも3倍にもなる。これで終わりではない。ようやく着いた所で、現地を牛耳る「お頭」にも何がしかのものを献上しなければならない。

(略)

アメリカ国内には、情報不足で「アメリカは中国を蝕んでいる」と考えている者が多いが、全く逆である。当たり前の住民の権利一つ貰えず、警察に守られることもなく、膨大な損害を蒙り、最悪の条件で働いているのである。海賊行為やら略奪行為やら警備員を雇う費用やら何やらかんやらで、潰れたアメリカの会社は数知れず。従業員が行方をくらます。取引相手に騙される。法体系が機能して犯人逮捕ができる国であったら、こんなことにはならない。取引は麻痺し、悪化の一方である。

 じゃ一体そんな国ではどうしたら商売ができるのか?前述した如く、アメリカ製品は沿岸の港から、揚子江を利用している。しかし途中、盗賊に奪われる。奪われなくても、盗賊保護名目で軍やら警備と称する盗賊に交通量をふんだくられる。こうしたことをなくすために、各地の港に警備員を配置し、倉庫、事務所の安全を確保することである。港町の安全がある程度保てれば、何とか商売も続けることができるだろう。



 外国人によって安全が保たれている港町は人口が増えている。安全だからに他ならない。金持ちは港町に住みたがる。となると新築ラッシュとなる。外国暮らしで舶来の贅沢品が好き。これを当て込んで舶来品の店ができる。町に活気が出る。強盗、阿片売買等で一儲けした者もカネを落とす。商店街は大繁盛となる。しかしこれは不自然な姿である。活気があるのは都会だけである。田舎は米粒一つまで略奪され、血の海だ。ただ都会の粋なガラス窓や映画館を見ただけでは「中国の発展はすごいなあ」等と思い込んでしまう。しかし、あのガラス窓一つ拵えるために千人の百姓が泣かされている。役人が威張って自動車に乗っているが、そのためにどれだけの家族が悲惨な目にあっているか。一つ山を越えた田舎には4億人のうちの3億9千5百万人が苦しんでいるのである。
(P221~223)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

南京虐殺は嘘66・支那軍による虐殺6・南京における虐殺と反日撹乱工作

●南京における支那軍による虐殺

支那軍が支那人を虐殺するのは日常的だが、1937年の南京では意外と少ない。




十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。中国軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。

上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」
『南京戦史』二七三頁

Ω Ω Ω

「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」
南京アメリカ大使館通信、エスピー報告、三八年一月二十五日『南京事件資料集 第一巻』二三八頁。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-3





ミニー・ヴォートリンの日記
12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。




12月13日、光華門城壁を占領 城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長 大内義秀氏(要約)



12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長 大杉浩氏






●南京における支那人による【反日撹乱工作】


1938.1.4 NYタイムス

元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに

南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。



1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。

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