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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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南京虐殺は嘘15 当時は誰も知らなかった虐殺1

1. 当時の南京の人口は20万しかいない


2.難民帰還で人口はむしろ急増した


3.大量虐殺された死体やそのための設備跡がない

4. 日本軍には軍事目的がなく、作戦記録もない

5.東京裁判の証言者以外に累々たる死体を見た者がいない


東京裁判で証言台に立った紅卍会許伝音副会長、ベイツ教授らは、いたるところに死体が転がっていたと証言しているが、入城した将兵、百数十名の新聞記者やカメラマンは、誰一人この光景を見ていない。15人の国際委員会の委員、5人の外国人記者はじめ、第三国人は誰一人として見ていない。ベイツ教授自身、占領3日後の時点では「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が訪れたのは何よりです」と新聞記者に挨拶していた。(『東京日日新聞』昭和12年12月26日号)【注1】



6.マギー牧師が見た殺人は1人のみ


東京裁判で証言台に立ったアメリカのジョン・マギー牧師は、膨大な殺人、強盗、強姦、暴行、累々たる死体などを見たかのような証言をした。しかし、ブルックス弁護士が「殺人行為の現行犯をあなた自身はどのくらいご覧になりましたか」と反対尋問すると、答えは「1件のみです」。その1件すら歩哨に誰何(すいか)されて逃亡した者を射殺したケースだった【注2】。この場合は合法的な殺人であり、虐殺には当たらない。あとはみな伝聞あるいは想像ないし創作だった。



7.写真、映像の記録が何もない


日本軍が南京に入城してから治安が回復し、市民が安堵した表情で食糧を受け取っている写真は多数ある。これに反し、虐殺を示すと検証された写真は1枚もない。これまでに、南京での虐殺写真だとして報道されたものは、どれも偽写真や合成写真であることが明らかにされてきた。


虐殺そのものを収めた記録フィルムも全くない。専門家によって唯一実写と認められているフィルムは、マギー牧師によるもの。その中にも虐殺を思わせるシーンは全くなく、多くは戦傷者の治療風景である。


平成8年4月に開館された長崎原爆記念館ではフィルムが映写されたが、これは米国製の映画『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(フランク・キャプラ監督)の一部だとわかった。この映画は米国で戦意発揚のために作られた反日宣伝映画。実写ではなく、やらせであることが明らかになっている。


8. 箝口令は引かれていないのに誰も伝えていない


南京入城には、百人以上の日本人の記者やカメラマンが同行した。当時はまだ報道管制が行われていない。しかし、戦後、日本人は東京裁判で報道されるまで誰も「大虐殺」を知らなかった。見ていれば、報道しただろう。また、陥落の直後の南京には、大宅壮一、西条八十、草野心平、石川達三、林芙美子らのジャーナリストや作家・文人が行っていた。しかし、戦後言論の自由が完全に保証されてからも、誰一人、「大虐殺」を書き記したり、発表した者がいない。



10. むしろ国際委員会からは感謝状が出た


南京落城近しというときに、英米仏独は国際委員会を作って、非戦闘員である市民を収容する安全区を作った。日本は安全区に対して中立を守るのであればこちらも中立を守ると約束し、砲撃しなかった。これに対し、ラーベ委員長は日本軍に対して、「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡を取り得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります」との書簡を送っている。



11. 食料を送って受領書と感謝状を受けた


難民区に20万もの人がひしめいて、食糧が不足したため、日本軍は、食料、被服等を給与して民心の安定を図った。特に、昭和13年正月には大量の食糧を送り、紅卍会支部長より受領書、感謝状が贈られている。日本から食糧をもらっている当時の写真はいっぱいある。それに対して、虐殺の写真は1枚もない。





【注1】 正確には、昭和12年12月16日号

【注2】 マギーは日記に「その殺人が現実に起きたとき、われわれはそれを見ていなかった」と書いている





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南京虐殺は嘘14 安全区国際委員会の報告も出鱈目ばかり
安全区国際委員会の日軍犯罪統計

 殺人 49件

 傷害 44件

 強姦 361件 ◇多数3件 ◇数名6件

 連行 390件 ◇多数1件 ◇数名2件

 掠奪その他 170件


これらの犯罪は国際委員会に報告されたものですが、検証されたものではありません。現場の確認がされていない事件もかなり含まれています。中国軍によるかく乱工作として、日本軍が犯罪を行っていると宣伝されたと考えるとつじつまが合います。こういった事件の相当数は検証されず、日本大使館に報告され、外務省ルートで日本政府に届けられました。それが下の統計です。

 日本政府の高官に、南京で暴行があったのは事実であると記している者がいるのは当然と言えるでしょう。三ヶ月で殺人49件、強姦360件というとかなりの大事件です。では実際の状況がどうだったのか、当時南京にいた福田氏の回想を見てみましょう。


『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社

 こうした要望や告発の日本側窓口は、当時外交官補の福田篤秦氏である。福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望のある政治家で、筆者とも昵懇の間柄である(東京千代田区在住)。福田氏は当時を回顧してこう語っている。

 「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
 『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
 『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
 ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。





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「21ヶ条要求」の真実....袁世凱の「やらせ」だった...『孫文全集』より

●「21か条要求」の真実



二十一箇条条約の歴史に付いて略述する


多くの人は21か条要求を日本の中国侵略の現れだと思っている。もし、それが本当であれば、統一中国は、日本の圧迫に対抗すれば良い訳である。


ところが、この問題は中国側から起こったというのが事実である。すなわち、袁世凱は、このような過大な特権を日本に承認する代償として、日本に自分が皇帝になることを援助させようとしたのである。


当初、日本は、このような激烈な要求を出すことに、しりごみした。当時の外相加藤高明は、袁世凱が要求を呑むかどうかを仔細に観察し、呑むことを確認した後、絶対に秘密を守ることを要求し、日本側が提出するまでは内容を漏らすことを禁じたのであった。


ところが、提出後、新聞に載り、中国はもとより外国や袁世凱の部下までもが反対をした。袁世凱は日本に対して終始この要求内容を堅持することを求め、必要ならば日本軍を出兵して武力を誇示することを求めた。


そこで、日本は袁世凱の画策に従って中国に派兵したのである。当時の日本人も日本政府の暴挙を攻撃したが、政府はおかしな言い訳しか出来なかった。


一方、中国においては、袁世凱は日本の派兵を威嚇行為であるとし、中国人に彼を信じさせようとした。すなわち、21か条要求を承諾しなければ、日本は武力行使をするであろうと。この袁世凱の深い密謀は、従来中国民衆が知り得なかったものである。


当時世論は、日本政府の大失態とし、加藤外務大臣は辞職。中国側においても全体が一致してこの事に反対したが、袁世凱は当時の首相(現北京総統)の徐世昌と外交総長の陸徴?に、無理に中国を圧迫するこの協定に調印させた。このため21か条条約は既成の事実となって、日本人も重ねて政府を責めないようになった。


『孫文全集』より抜粋要約




 次ニ二十一箇条条約ノ歴史ニ付イテ略述スル。

 二十一箇条約トハ何カ。多クノ人ハ之ヲ単ニ日本ノ中国蚕食(サンショク)ノ一ツノ現レデアルト思ツテヰル。之レガ若シ真ニ然ルナラバ、至ツテ簡単ナ問題デアツテ、一箇ノ統一国タル中国ガ、日本ノ圧迫ニ対抗スレバヨイ訳デアル。

 然ルニ此ノ問題ハ中国人カラ起ツタモノデアル。即チ袁世凱ガ故意ニ日本ノ斯クモ過大ナル特権ヲ承認シ、之レガ代償トシテ、日本ヲシテ、彼ガ中国ノ皇帝タルコトヲ援助セシメタノデアル。

 当初日本ハ、斯ル激烈ナ条約ノ提出ヲ逡巡シタ。当時ノ日本ノ外務大臣加藤高明男爵ハ、予メ先ズ仔細ニ袁氏ガ応諾スルヤ否ヤニ付イテ観察シ、彼ニ応諾ノ意思有ルコトヲ確メ得タ後、更ニ袁氏ニ絶対秘密ヲ守ルベキコトヲ要求シ、日本側ヨリ提出スル迄ハ、之ガ条約ノ内容ヲ漏洩スルコトヲ禁ジタノデアツタ。

 然ルニ提出後、新聞紙ガ此事ヲ世ニ漏スヤ、中国及外国ノ各方面ニ於テ、紛々タル反対ガ起ルニ至リ、袁氏ノ部下迄モ反対ヲ唱フルニ至ツタ。茲ニ於テ袁氏ハ日本政府ニ、終始其ノ主張ヲ堅持シ、必要ガアレバ出兵シテ武力ヲ示スベキヲ要求シタ。
 
 ソコデ日本ハ袁ノ画策ニ従ツテ中国ニ派兵シタノデアル。当時日本人モ、皆日本政府ノ斯ノ如キ無暴ナ挙ヲ攻撃シタガ、日本ノ首相ハ、満鮮駐屯軍ノ満期ニ当ル為、派兵交代セシムルモノナル旨ヲ声明シタ。然シ之レハ完全ナ飾詞デ、派兵シタノハ満期ノ二ヶ月前ノコトデアツタ。而モ日本ノ首相ハ遂ニ之ヲ以テ中国ノ反対ヲ圧ヘテシマツタノデアル。

 他方中国ニ於テハ、袁世凱ハ日本ノ派兵ヲ直接威嚇行為ナリトシ、中国人ヲシテ彼ヲ信ゼシメントシタ。即チ二十一箇条条約ヲ承諾シナケレバ、日本ハ武力ヲ用フルデアラウ、トナシタノデアル。此ノ種ノ深イ密謀ハ、従来民衆ノ暁リ得ナカツタモノデアル。然ルニ此ノ種ノ事実ヲ知ルコトナシニ、中国問題ノ正当ナル解決方法ヲ求メヨウトスルコトハ、実ニ至難デアル。

 当時ノ日本ノ世論ハ、之ヲ日本政府ノ外交上ノ大失態トナシ、其ノ結果加藤外務大臣ハ辞職ヲ迫ラルルニ至ツタ程デアツタ。
 
 他面全体ノ中国人モ一致シテ此ノ事ニ反対シタガ、袁世凱ハ現北京総統タル、時ノ首相徐世昌及外交総長陸徴?ヲシテ、無理ニ中国ヲ圧迫スル此ノ協定ニ調印セシメタ。之レガ為ニ此ノ二十一箇条条約ハ既成ノ事実トナリ、日本人モ重ネテ其ノ政府ヲ責メナイ様ニナツタ。



(参考)

二十一ヵ条要求の背景

 世界中が戦争に巻き込まれていた1915年、日本はこれを好機と捉え失地回復を図った。二十一ヵ条からなる文書を認め、中国代表団に提示した。いわゆる「二十一ヵ条要求」である。確かに「要求」といわれれば「要求」かもしれない。全容は明らかにされなかったが、日本が最も力を入れたのは、1923年に期限切れとなる鉄道の租借期限の延長であった。これを知ったアメリカがまず日本非難に回り、列強も同調したので要求を幾分和らげることとなった。これは交渉に当たった日本の外交官からじかに聞いた話であるが、内容が公になるずっと前に、中国代表団は内容に満足し、調印に同意していたそうである。ところが、中国側はこう持ち出してきた。「内容はこれで満足だが『要求』ということにしてくれまいか。そうした方が見栄えがする。やむなく調印したのだという風にしたいのだが」と。これを受けて日本側は「その方が良いならそういたしましょう」と言って、高圧的な態度に出るふりをした。それで中国人は不承不承、署名をするという風にしたのである。裏でかなりの金が動いたであろう。中国との交渉事は金次第とみてきたからである。

 ところが今回は計算違いだった。「日本に脅迫されやむなく調印した」という体裁にしたのは、中国の国内の中国人に納得してもらうためであった。ところがアメリカがこれに噛み付いた。「哀れな中国に、過酷な要求を突きつけるとは許せん」とばかり、同情が湧き上った。
(P256~258)

『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)

Ω Ω Ω Ω Ω

 中央であると地方であるとを問わず中国当局が余りにも妨害政策を推進したために、日本は1915年に中国に対して「21ヶ条要求」を提出しなければならなくなった。この要求に関しては中国の宣伝によって余りにも大きな騒ぎが生じたためにその本質がかすんでしまうほどであった。
 この21ヶ条要求(本質的な狙いは満州の日本利権の保護)は、中国に侵害されかけているこの地域での日本の足場を確り固めようと言う意図の下に考えられた警告手段以上の何ものでもなかった、というのが真相である。
(中略)
 21ヶ条要求が出されたとき日本側の責任者であった外務大臣の加藤伯爵の伝記の中に、1915年の交渉のときに日本政府が最後通告を出すことを中国側代表が非公式に求めてきた、と記されている。その理由は、そうすることによって袁世凱大統領が条約により調印しやすくなり、彼の政敵に対するもっともらしい言い訳を与えてくれるからだ、というのだ。

『シナ大陸の真相』 K・カール・カワカミ著(1938年)
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