正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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南京虐殺は嘘13 支那人反日撹乱工作隊3
大阪朝日新聞 1938年2月17日付

皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る

【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、…、…、…の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか…、…、…、…、・・・・・・の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。




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石破茂「核保有議論は公の場で」日本海新聞10月22日付【永田町の風】に対する反論。...\(`o'")コラーッ!職務放棄するな!


日本海新聞 平成18年10月22日付「永田町の風」より

「核保有議論は公の場で」

衆議院議員 石破 茂




石破 茂 様


「核保有議論は公の場で堂々と」というご意見は素晴らしいです。

しかし、石破茂元長官が述べる日本の核武装反対理由については全く納得できません。



●NPT


>?NPT(核不拡散条約)から脱退しなければならない上、電力供給の四割を占める原子力発電のウラン燃料の輸入もストップし、国民生活は大打撃を受ける



NPTは、第10条[脱退・有効期間]に則って脱退できます。脱退に伴う罰則規定も何もありません。


北朝鮮は第10条に則ってNPTを脱退しませんでしたが、その北朝鮮でさえNPT加盟中の核開発や勝手なNPT脱退宣言に対しては何の制裁も受けませんでした。


それどころか、北朝鮮の場合、NPT加盟中の核開発によって「米朝枠組み合意」を締結して軽水炉原発と毎年50万トンの重油をせしめることに成功しました。なんと北朝鮮はNPT違反をして経済援助を受け取ったのです。


また、支那や米ソなどの核兵器国は、NPT第6条[核軍縮交渉]に明確に違反しています。


核兵器国がNPT違反を犯しているのに、日本がNPT第10条に則って脱退することに対して制裁を課すということは有り得ません。


米国にウラン燃料の輸出をストップさせないようにアメリカを説得するのが国会議員の仕事です。日米原子力利用協定は改定すれば済む話であり、そのために国会議員が存在するのです。


また、ウランは海水から採れます。


あとむぱわー
http://www.mhi.co.jp/atom/apower64.htm
「海水はウランの宝庫」

「海水からウランを採る」
http://www.tuf.co.jp/ekibun/ekibun051023.html

海水ウランの捕集をコスト試算で裏づけ
http://jolisfukyu.tokai-sc.jaea.go.jp/fukyu/mirai/4_5.html



●日米同盟


>?日米同盟体制への不信を明確にすることになり、日米関係が極度に悪化する



空想に過ぎないのではないでしょうか?

確かめましたか?


日本には「日本が自主的な核抑止力を得ると、日米同盟が切れる」などと奇妙なことを雑誌に書いている人たちがいる。この人達は日本の自主的核抑止力に関して、国務省・ペンタゴン・CIAの官僚、米国政治家、議会外交スタッフ等ときちんと議論して、そのようなことを書いているのだろうか。それとも彼らは無知な大衆を相手にハッタリをかまして「評論家商売」をしているのだろうか。

私は30人以上のアメリカの外交・軍事関係者と、日本が自主的な核抑止力を得ることに関して議論したが、「日本が核抑止力を得たら、日米同盟は解消だ」と言ったアメリカ人はゼロであった。


下院軍事委員 マーク・カーク議員(共和党)
「日本は立派な民主主義国家であり、その日本が核抑止力を得るのは、アメリカの国益にとって明確なプラスだ。核を持った日本は、本当に頼りになる同盟国として、アジアの安定化のためアメリカと一緒に仕事をしてくれるだろう。…日本人は世界中で信頼されている。日本が核を持ってくれたら、頼もしい同盟国ができたと喜ぶ米国人は多いはずだ。」
「アメリカの軍事力は明らかに過大評価されている。アメリカは中国やロシアと戦争できない。…だから僕は核を持った日本に、頼もしい同盟国になってほしいのだ。」

下院外交委員 ファレオマバエガ議員(民主党筆頭議員)
「僕が日本人だったら、当然、自主的な核抑止力を得ようとする。当たり前じゃないか。日本は危険な状況にあるのだ。ほとんどの米国人も、日本に自主的核抑止力が必要なことを承知しているのだ。それでも日本人には核抑止力を持たせたくない、などと言う米国人は偽善者だ。」

「諸君!」2003年8月、伊藤貫

■2003年
有力シンクタンク「ケイトー研究所」のカーペンター副所長は、日本や韓国が自衛のための核保有を目指すなら、米国はそれを奨励すべきだと強調

また、共和党の有力上院議員マケイン氏は米テレビ番組で、日本の核保有を支持する考えを示した

3月16日、チェイニー米副大統領が北朝鮮の核開発について「この地域の軍拡競争をあおると思う。日本が核(武装)問題を再検討するかどうかの考慮を迫られるかもしれない」と述べた(米NBCとの会見)


■2006年
10月10日付NY・タイムズで、元ブッシュ大統領補佐官デビッド・フラム氏は、日本への独自核の勧めを説いた

10月20日付ワシントン・ポストで、ブッシュ政権にも近い大物政治評論家のチャールズ・クラウトハマー氏は、ブッシュ政権が日本の核兵器保有を奨励するよう訴えた



●核拡散について


>?北朝鮮を非難する立場を失うのみならず、核拡散の流れが決定的になり、「全世界が核を持つ」という今のNPT体制よりなお悪い悪夢の世界が展開する引鉄を引くことになる



日本の核武装とは関係なく核拡散の流れは止められません。
日本が支那や北朝鮮から一方的に核兵器で狙われている状態よりも、多少核の拡散が起こっても日本が核武装する方が相対的な日本の安全性は格段に高まります。



●MDについて


>?ミサイル防衛や精密誘導兵器など核抑止が可能な新技術を軽視することになる。



MDは役に立ちません。


トーマス・クリスティ(国防総省の兵器運用・試験・評価局長)
MDシステム成功率は、せいぜい0~20%程度。
これまでのMDシステムのテストで成功した例は、すべて非現実的な単純な条件のもとでしか行われていない。これらのテストは、実際の戦争で核ミサイルが使用される場合の現実的な条件と比較することが無意味なテストだ。だから兵器運用・試験・評価局としては、このシステムの実際の成功率を推定することができない。

フィリップ・コイル(国防総省の前兵器運用・試験・評価局長)
実際に役に立つという証拠がないのに、予算だけどんどん増やしている。
敵国からのミサイル攻撃を防ぐには、ほとんど役に立たない高価なシステムだ。

ディビッド・カレオ(ジョンズ・ホプキンス大学教授)
(中国軍とロシア軍は)、ICBM、SLBM、戦略爆撃機、中距離弾道ミサイル、巡航ミサイル等をすべて同時に使用して、核攻撃を加えることができる。そのような同時核攻撃を受けたら、MDシステムは何の役にも立たない。私の知っている軍事専門家の中で、MDが本当に有効であると信じている者はいない。MDはとても高価な装置だが、このMDシステムを無効にする能力を持つ対抗兵器や対抗戦術の実現には、それほどコストがかからない。今後、限られた地域の軍事施設を守るためのテクニカルなMDシステムを構築することは可能かもしれない。しかし、民間人を敵国の核攻撃から守るためのMDの実現は不可能だ。

ディビッド・プラントン(ジョンズ・ホプキンス大学教授)
現在、中国は核ミサイルを増産しているのだから、日本が高価なMDを購入しても、それが日本の防衛力強化に寄与するのだろうか?中国軍は、多数の核ミサイルを地上・海上・海中・空中から同時に発射することによって、MDシステムを無効にする能力を持っている。

『中国の「核」が世界を制す』伊藤貫著

以上のようにMDは全くと言って良いほど役に立たないので、核武装の次に必要なのは、MDではなく、核シェルターです。

核シェルターは確実に日本国民の生命を守ります。




> 以上四つの理由に加え、ミサイルに搭載可能なプルトニウム型核兵器の実用化には核実験が不可欠だが、我が国の一体どこで核実験を行うのか。



「絶海の孤島の地下」や「廃坑になった炭鉱跡」などで日本での核実験は可能です。


「掘削船ちきゅう」は、世界最深の海底下約2200メートルまで掘れるので、この能力を利用すれば、核実験の場所には困らないでしょう。日本で地下核実験を行なう場所がないと言うのは思考停止です。


 イスラエルは、フランスやインドと同じように、プルトニウム原爆からスタートしなければならなかった。そして、もちろん、ちゃんと実験を重ねてきている。
 最初の地下核実験は、テルアヴィヴやエルサレム市からたった150kmくらいしか離れていないネゲヴ砂漠で行なわれた(ちなみにディモナの核工場/研究施設となると、さらに行政中心地には近い)。
 (略)
 日本には核実験場がないではないか、と言って核武装に反対する日本人がいるのは、真に驚くべきことだろう。
 これも自我が曖昧で意志薄弱な大衆が「非線形」の問題を自分なりに解こうとしたときに見られる、典型的な「価値崩壊」である。つまり「日本国は生存するに足る共同体であり、そのためには核武装しなければならない」という価値認定および政治的目的の判断が最初になされているのに、「核実験すれば住民が反対するだろう」→「だったら核実験はしにくいだろう」→「だったら核武装という政治目的の方を見直した方がよいだろう」と、少しでも頭を使わずにすむ楽な方へ、自分から落ちていってしまう。そうやって周囲に合わせるだけのあやふやな自我をいつまも肯定したいのである。
 (略)
 日本には国有地の山もあれば、絶海の無人島もある。フルスケールの爆発実験は、それら国有地の地下で行なわれる。

『ニッポン核武装再論――の日本が国家としてサバイバルする唯一の道』兵頭二十八著

また、外国で核実験を行なうことも可能です。


実際に、冷戦初期の英国でも同様の議論があり、施設利用を米国に打診しました。米国に断られると、1952年10月にオーストラリアで英国最初の核実験を成功させました。やがて米英が補完し合うようになり、70年代には米国のネバダ地下核実験場を借りて何度も実験を行いました。


日本は、米国やインドなどに打診するべきです。


1982年3月、インドが2度目の核実験をしようとしたが、米国の圧力で中止
1982年4月、英国がネヴァダ地下を借り、核実験


更に、以下のような記事もあります。
核爆弾製造 「技術的には可能」
 プルトニウムを使った核爆弾の製造には、高度な技術が求められるが、現在のコンピューター・シミュレーション技術などを活用すれば、北朝鮮にも爆弾製造は可能というのが多くの専門家の一致した意見だ。
(略)
米の科学国際安全保障研究所のコレイ・ヒンダーステイン上級研究員は「設計で狙う100%の威力が出なくても合格とするなら、核実験なしでも核爆発はほぼ確実に起こせる」と指摘。(略)
2003年4月25日付 読売新聞



>そもそも出来もしないことを言ってみても何の意味もないのではあるまいか。議論は公の場できちんと行うべきなのであり、そうすることが主権者から国政を託された国会議員の責任である。



日本の核武装の実現は、あなた方国会議員にかかっています。最初から「出来もしない」と言うのは無責任です。




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【タチの悪い支那市場から離脱せよ】 支那進出日本企業の7割が赤字!聖徳太子と福沢諭吉を見習え!:屋山太郎



月刊 WiLL 2006年10月号


屋山太郎
常識のためのサプリ

タチの悪い中国市場から離脱せよ


(一部抜粋)

中国が首相の靖国参拝に文句をつけ出したのは1986年からで、それ以前、何の異議申し立ても行なわれていなかった。中国が文句をつければ日本が謝る。謝れば金を出すというカラクリに気付いて、中国は日本を金銭登録機のように扱ってきた。日本はこれまで天皇訪中も含めて公式に17回謝罪したが、まだ許さないという。こういう異常な状態に終止符を打ったのは小泉純一郎氏の功績だ。


金が欲しい、あるいは投資をして欲しいなら世の中には頼み方の礼儀というものがある。「謝れ」と脅しておいて金をとる。投資を貪る。中国のGDPの4割は外資によって創出されており、外資の投入が途絶えれば中国経済は間違いなく破綻するといわれる。だから外資を呼び込むために9%、10%という見せかけの経済成長で外国を欺いているのだ。


 2桁の経済成長といいながら失業率は10%もあり、農村部では20%を越えている。不動産投資を中心にしたバブル経済はあと数年で破綻するだろう。中国に投資している日本の企業の7割が損を出している。経済同友会の北城恪太郎代表幹事などは「政冷」が原因だといいくるめられ、首相に「靖国参拝をやめよ」と見当違いの意見をいっているが、首脳会談が行なわれたら外資の投資環境が良くなるとでも思っているのか。


 05年もその前年も汚職によって立件された公務員は各4万3千人もいる。このうち閣僚級が10人、知事級が2百人、司法・警察関係が約1万人だ。汚職が常態化し、統治機構が滅茶苦茶だということだ。現在、海外に逃亡している公金横領犯人は8百人。持ち逃げした総額は5兆5千億円を超えるという。


 損を出しつつ日本の企業が現地で経営を続けるのは、「巨大な市場」の将来性に幻惑されているからだが、損をして市場にしがみつくバカがどこにいるのか。「台湾の声」編集長の林建良氏によると台湾企業も広東州に限定して調査すると7割が赤字だという。それでも撤退しないのは、撤退しようとすると地方政府や従業員によって損害賠償の訴訟を起こされ、刑事責任まで追及され、応じないと刑務所に放り込まれるからだ。こういう公機関、企業、人民ぐるみのタチの悪い市場は中国をおいて他にない。将来性など全くない。


中国の泥棒国家的体質は2千年この方続いており、彼等と絶縁しなければ将来性はないと聖徳太子は7世紀に日本を中華圏から離脱させたのである。当時、日本列島には大和民族、漢民族、朝鮮民族らが混在し、大陸や半島と自在に交流していたが、大陸や半島の事情を知る漢民族や朝鮮民族もこぞって「中華圏からの離脱」を決定したという。


江戸時代まで続いた日本の鎖国はまさに聖徳太子以来の国是で、1871年日清修好条規を結ぶまで1千2百年の間に日本の文明は独自の発展を遂げた。福沢諭吉は1885年時事新報に「脱亜論」を書いて、中国や朝鮮と「付き合うのは止めろ」と厳しく説いている。道徳や民度の違いを指摘して「こういう人たちとは付き合いきれないからだ」という。








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「聖徳太子が実在しなかった」というトンデモ説について

聖徳太子が生まれてすぐに言葉をしゃべったというのは後年の書物の伝説だが、「日本書紀」を証拠として実在はした。
天皇と蘇我馬子と3人のトロイカ政権であり、蘇我氏の功績を矮小するために聖徳太子( 厩戸皇子)の功績を誇張した可能性はあるが、実在は間違いない。
女性2人と一緒に描かれたお札にもなった有名な肖像画は、後年に想像で描かれた可能性や聖徳太子以外の人物の可能性は残るが、実在を否定するものではない。
古代の朝鮮半島は倭国の支配地(勢力圏)だった。

・勾玉


勾玉とは縄文時代より伝わる日本固有の装身具で、古代から権力者の力を象徴してきた。縄文時代中期の長者ヶ原遺跡からは、ヒスイの大珠や勾玉、加工道具、工房跡などが続々と出土され、6000千年前の世界最古の勾玉文化が実証された。

勾玉の材料となる翡翠自体東アジアでは日本の糸魚川でしか産出されず、その美しい翡翠で作った勾玉は支那や朝鮮半島の権力者達を魅了してきた。

現在朝鮮半島で見つかっている勾玉の大部分が日本からの交易品であり、新羅の王冠にも勾玉が使用されているのも注目したい。





日本に征服され日本王族文化を受け入れ人質を献上した新羅百済
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=66041

●391年倭が、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった(広開土王碑)

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/nicchou/takuhon.html
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/nicchou/kaizan1.html





7世紀まで朝鮮は九州などと同様に倭国の一部だった。



『日本書紀』雄略紀

百済の文斤王がなくなり、天皇は昆支王の五人の子の中で、二番目の末多王が、幼くとも聡明なので、内裏へ呼んだ。親しく頭を撫でねんごろに戒めて、その国の王とし、武器を与え、筑紫国の兵五百人を遣わして国に送り届けた。これが東城王である。…

(廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王、以昆支王五子中、第二末多王、幼年聡明、勅喚内裏。親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。仍賜兵器、并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。…)

こうして479年、東城王(末多王)が百済王に即位したが、この即位も倭国(天皇)によって決められたことが判る。


『日本書紀』武烈四年条(502年)には、この東城王(末多王)の暴虐が記され、武寧王即位が記されている。


「是歳、百済の末多王、無道して、百姓に暴虐す。国人、遂に除てて、嶋王を立つ。是を武寧王とす。」

こうして、百済王に「武寧王」が即位したのだが、「武寧王」も九州(佐賀県)生れの倭人だった。


このとき百済王に即位した九州生れの「武寧王」の約2百年後の子孫が和乙継(やまとのおとつぐ)で、その娘が高野新笠で、その子供が桓武天皇(在位781~806年)となったのだ。



663年、倭国は、「白村江の戦い」で、唐・新羅の連合軍に敗れ、朝鮮半島に有していた勢力圏を失ってしまった。


百済王族は日本列島に亡命し、それ以降は大和朝廷の単純な手下となった。


桓武天皇の在位期間(781~806年)、桓武天皇の命令を受けた百済王の子孫たちは、東北地方の征服を何度も試みたが、大惨敗を繰り返した。



つまり、百済というのは昔から倭国の一地方であり、百済王は天皇によって決められ、日本(九州など)生れの東城王(末多王)や武寧王などが即位していた。
日本に戻って来た武寧王の子孫は、全員6~7世紀に来ていた。
武寧王の約2百年後の子孫の一人が和乙継で、その娘の高野新笠が桓武天皇の生母だったということ。


(参考)
●『百済本紀』

397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする
399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる
402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明)
403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう
405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子)人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる
406 晋に朝貢
409 倭国の使者が夜明珠を送る 厚く礼遇する(夜明珠の意不明)

●政治的に大和朝廷の勢力圏におかれていた朝鮮半島は、文化的にも日本の強い影響を受けた。


新羅・百済はみな倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びに之を敬仰し、恒に使ひを通はして往来せしむ。

(新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。)

『隋書 列傳第四十六 東夷 倭國』


●仁徳天皇陵

仁徳天皇陵は、三段で構成された墳丘と三重の濠が巡らされている日本最大の前方後円墳で、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大古墳の一つといわれている。

その遺物は長持形石棺から、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿、葺石や埴輪などがあり、埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬形、家形などが出土している。東側の造出しから須恵器の甕が出土した。

ボストン美術館には本古墳出土と伝えられる細線式獣帯鏡や単鳳環頭太刀などが所蔵されている。

全長約486m、後円部径約249m、高さ約35m、前方部幅約305m、高さ約33m 

Spec Sheet  全長(Length) 全幅(Width) 全高(Height)
仁徳天皇陵  486m 300m 35m
ギザのピラミッド 229m 229m 147m
秦の始皇帝陵 245m 340m 53m


韓国にも前方後円墳がある


――――

日本の前方後円墳が3~5世紀に作られたのに対し韓国の前方後円墳は5~6世紀に作られた。

さらに韓国の前方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見された。

――――

内洞里古墳群 1号墳
全長56m

月桂洞古墳
全長46.5m






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縄文、古さケタ違い 1万6500年前の土器(青森)........四大文明より遥か前に土器・この地でなぜ?
縄文の起源4500年古く 青森で1万6500年前の土器片発見
1999/04/17, 朝日新聞夕刊

 青森県蟹田(かにた)町にある縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった土器片が一万六千五百年前に作られたものであることが、同遺跡発掘調査団(団長=谷口康浩・国学院大講師)と名古屋大学などによる最新の科学的分析法で明らかになった。これまで縄文時代の始まりとされてきた約一万二千年前より四千五百年も古く、考古学関係者は「定説を覆す、極めて重要な発見・研究だ」としている。土器の年代は世界的に見ても最古級に属し、「世界最古の土器文化」としての縄文文化の起源にも改めて光があたることになりそうだ。(15面に関係記事)
 昨年七月の調査で、遺跡から四十六点の土器片が出土。地下約五十センチの地層に散らばっており、同じ地層にあった石の矢じりなどから縄文草創期のものと確認された。土器の表面には、模様ははっきりしなかったものの薄い線があった。
 出土した土器のうち、煮炊きの跡を示す炭化物が付着していた五点を、調査団の依頼を受けた名大年代測定資料研究センターの中村俊夫助教授らが分析した。
 従来、考古学的遺物の年代を測定する場合、炭化物に含まれる放射性炭素の崩壊する速度を尺度とした「炭素14法」が主に利用されてきた。この方法は、大気中の炭素14の濃度が一定であることを前提としているが、実際は、地球環境の変動などで年代によって変化する。計測装置の精度の問題もあって、この方法で測った年代(炭素14年代)と実際の年代(暦年代)に大きなずれが生じるケースもあった。
 そこで、暦年代との関係がはっきりしている木やサンゴの年輪を利用した年代測定法を使って、炭素14年代を補正する方法が一九九〇年代に入って欧米を中心に発達。実際の暦年代に極めて近い値が得られるため、現在では「国際標準」として認められている。今回の分析では、この最新の方法を日本で初めて一万年以上前の考古学的遺物に適用した。
 調査団によると、精度が極めて高い加速器質量分析計で土器に付着した炭素14の濃度を測定。土器片の炭素14年代は一万二千六百八十年前から一万三千七百八十年前と出た。このうち、もっとも古い値を示した土器片の測定値を計算式で換算したところ、一万六千五百年前という値が得られた。
 一方、土器片と同じ地層から出土した炭化木を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)を通じて米国の分析機関に送り、分析したところ、ほぼ同じ測定結果が得られた。調査団長の谷口講師は「今回の調査分析で、縄文時代が暦年代でいつ始まったかがはっきりした。グローバルスタンダードに準拠したため、同じ尺度で世界各地の遺跡との比較が日本で初めて可能になる」と話している。
 大平山元1遺跡は、津軽半島中部の河岸段丘にある。七六年に最初の本格的な調査が行われ、昨年七月に民家の建て替えをきっかけに再調査が行われた。


 旧石器→縄文、移行に興味 網干善教・関西大名誉教授(考古学)の話

 縄文時代の出発点を塗り替える重要な発見といえるだろう。さかのぼるとしても、これまではせいぜい一千年前後だったが、四千五百年とは驚きだ。
 こうなると、旧石器時代から縄文時代への移り変わりにますます興味がわく。石器から土器への移行は「ろうそくから電気へ」と同様に、人間の生活にとって一大転換だ。なぜそれがどこでどう起きたのか、土器をさらに分析して縄文人の暮らしぶりを明らかにするべきだ。


 古代年代見直しへ

 《解説》大平山元1遺跡は、旧石器時代と縄文時代の境界に位置する。今回の画期的な年代算出で、新しい測定法による原始・古代の年代の見直しが急速に進むと思われる。
 同遺跡の年代測定は、世界的に進んできた考古学と自然科学の学際研究の成果だ。
 炭素14年代測定法は戦後間もないころから用いられてきたが、一九八〇年代に開発された加速器質量分析計によって、より精度の高い値が得られるようになった。同時に、気候変動や植生の変化なども、自然科学者の研究で明らかにされつつある。
 一方、土器や石器の年代判定を広域火山灰など地層の分析に頼っていた考古学の側でも、こうした年代測定法の有用性に気づき、土器そのものだけでなく、それに付着した炭化物の重要性を理解するようになった。
 信頼度の高い年代を出すには、発掘現場で土器を洗わない、素手で触らない、といった細心の注意がいる。これまでの発掘調査の常識を覆すことになる。一方、自然科学者も、出土状況の把握など、現場への理解が欠かせない。




縄文、古さケタ違い 1万6500年前の土器、この地でなぜ 青森
1999/04/17, 朝日新聞夕刊(15面)

 ナイル川やチグリス川流域などの四大文明の地に土器が出現するはるか前、大陸と陸続きだった「日本列島」ではすでに土器の製作が始まっていた。青森県の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった一万六千五百年前の縄文土器は、世界各地の土器と比べても、けた違いに古い。人はなぜ、この地で土器を作り始め、使うようになったのか。最新の年代測定法による分析は、「縄文とは何か」を改めて問いかけている。(1面参照)


 ●縄文土器の起源

 東京都立大学の小野昭教授によると、ヨーロッパに土器が登場するのは、七千年前ごろ。西アジアからドナウ川沿いに伝わったと考えられている。それに比べると、日本列島での土器使用は驚くほど古い。旧来の炭素14法でも約一万二千年前の土器が関東、九州など少なくとも数カ所の遺跡で出土している。長野県佐久市の下茂内遺跡で見つかった土製品が一万六千年前の数値を示したこともあるが、土器かどうか確認できなかったこともあって学問的評価は定まっていない。
 従来の説では、土器の出現は温暖化と関係があるとされてきた。しかし、最後の氷期が終わるのは約一万一千年前で、縄文時代の開始はそれよりかなり前になる。
 小野教授は「気候が急激に温暖化する以前のまだ寒い時期に、なぜ東アジアにだけ土器が現れたのか、興味深い」と話す。
 「むしろ寒いからこそ、土器が必要になった」と梶原洋・東北福祉大学教授はみる。
 食物が不足し、これまで食べられなかったものを煮炊きして食べる工夫が必要になった。それが土器、というわけだ。日本海をはさんだロシアのアムール川流域でも炭素14法で一万二千年前の土器が出ているといい、今後日本列島の遺跡との関連が注目を集めそうだ。
 佐原真・国立歴史民俗博物館長も「年代が一万六千年前までさかのぼるなら、これまで旧石器とされてきた時代の一部がそっくり縄文時代になる。改めて世界的な注目を集めるのではないか」と、今後の研究の発展に期待を寄せる。


 ●最古の矢じり

 大平山元1遺跡の出土物は、旧石器時代から縄文時代への移りかわりのイメージも大きく変えた。土器片が出たのと同じ地層から石の矢じりが二点見つかったからだ。
 弓矢は投げやりから発達し、日本ではその出現は約一万一千年前とされてきた。一万六千五百年前の矢じりの発見によって、弓矢の使用は一気に五千年以上さかのぼることになる。調査団長の谷口康浩・国学院大学講師は「弓矢の発明は人類の進歩にとって大きな飛躍だった。周辺大陸を含めて類例を見ないほど古い矢じりが見つかった意義は大きい。狩猟道具の発達についての従来の説は根本的に見直す必要がある」と話している。


 ●紀元前三千八百年

 最新の年代測定法については、国立歴史民俗博物館の辻誠一郎助教授もいち早く注目し、昨年から全国の縄文遺跡で出土した炭化物を測定し始めている。縄文前・中期の文化を代表する青森市の三内丸山遺跡で、谷に捨てられていた大量のニワトコ、ヤマグワ、ヤマブドウが紀元前三千八百年の数値を示した。
 「捨てられた果実は酒造りに使ったもの」と、辻助教授はみる。約五十キロ南の秋田県大館市の池内遺跡でも、全く同じ種類の果実が大量に捨てられており、こちらも紀元前三千八百年と判定された。「この時期、日食など縄文人の心をゆるがす事件が起きて、大量の酒造りでまつりごとをしたのではないか」
 補正した年代を使えば、世界中どこでも同じ尺度で年代を推定できる。「三内丸山で縄文の酒宴が催された年、エジプトでは……」。歴史の教科書に将来、こんな記述が登場するのだろうか。
 縄文土器の代表的な研究者である小林達雄・国学院大学教授も「今後、データを蓄積していけば、原始・古代の輪郭がさらにはっきりしてくるかもしれない」と話している。





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